アラインメントの話


おそらく、日本語版は愚か、英語版から、解釈に歪みがあり、争点となるであろう性格のお話です。

実は、ルールブックにも、カオティックは悪ではない。と取れる説明があるのですが、モンスターの性格で、カオティックとあると、交渉の余地なし。と言う感じに書いてあったりと、混乱の元になっています。

ここでは、あくまで私の解釈で、ちょっと性格に触れてみたいと思います。一般的な解釈とは言えないかも知れませんが。

一般的には、ローフル=善。カオティック=悪。と言う解釈になってますが、それは少々違うのではないかと。AD&Dでのアラインメントの分類は、ローフル・ニュートラル・カオティックという軸(便宜上、LNC属性と呼びます)と、グッド・ニュートラル・イービルと言う(GNE属性と呼びます)二軸で表現されます。

真・女神転生がお好きな方ならば、ピンとくると思いますが、分類としては同じコトをやっています。そして、女神転生でも、色々と解釈が分かれ、その解説も大変であったことから、実に説明しがたいコトであることが、うかがい知れます。

善悪の概念は、本来、グッド、イービルで表現される必要があり、ローフルやカオティックには、善悪は含まれないと考えた方がよいと思われます。

ローフル
ローフルのロウは、LAWで、法を示す通り、法を遵守する。と言う姿勢を示します。立法によって規定された法と言うだけではなく、道徳規範や社会常識と言うのが正確でしょう。確かに、法を守る人間に悪人は少ないですが、善良であるかどうかとは、また別問題です。

例えば、制限速度30キロを、かたなくに固持し、渋滞の原因となっている人は邪悪ではありませんが、はた迷惑であることは間違いないでしょう。これは、極端な例ですが、堅物という印象はぬぐえないかも知れません。

日本の常識、世界の非常識。と言われるように、法(道徳や常識というモノも含めて)と言うモノは、国や民族、宗教などが異なれば、全く異なります。また、悪法も法。と言う言葉通り、法そのものが歪んでいる場合もあります。生類哀れみの令の様な法律が施行されている国家で、野犬から我が子を守るために、野犬を殺してしまった父を、ローフルは裁かねばなりません。

もちろん、そう言う悪法を是正させることが、真のローフルだと言う人もいるかと思います。そこには、さらなる落とし穴があり、ローフルのキャラクターは、自分の信じる法が絶対と信じているが故に、他者に、自分の法を押しつける傾向がある。と言えなくもないです。そして、その法が、自分だけが信じている法律であるという可能性も少なくないのです。欲望から戦争を起こすよりも、お互いの法正義を押しつけ合うことから始まる戦争も少なくありません。

重税を課している国家も、その税を社会保障に充てているとしたら?、その国王を倒すことは正義でしょうか?。

まとめとしては、ローフルとは、法を遵守する傾向にある。と言うことで、善良であるかは、また別問題となります。車の通行が全くない道路でも、横断歩道まで歩いてから渡る。そんな人が、典型的なローフルと言えるのではないでしょうか?。


カオティック
カオスの形容詞になるのかな。混沌と訳されるカオスですが、別に、悪行を働く訳でもないのですが、ローフルの対極と言う立場から、悪と考えられてしまいがちです。また、個人主義と紹介されると、勢い、利己主義と短絡されることも多いです。

カオティックが悪と見なされる一因として、ローフルの視点から、見ているというコトが上げられます。ローフルから見れば、自分たちが定めた法に従わない、大悪人。と言うことに他なりません。

カオティックの根幹は「他人に迷惑をかけないのなら、法は破っても良い」と言う思考にあるのではないかと。例えば、深夜車の通りが全くない田舎道で、わざわざ、横断歩道のあるところまで行かなくても、誰にも迷惑掛からないのだから、ここで渡ればいいじゃないか。と考えるのではないかと。

個人主義と言われるのも、鎖国的な、殻に閉じこもる個人主義手ではなく、他者の評価や視線を気に止めない、真の個人主義にあるのだと思います。

いわば、信念、理念を自分の中に求めることこそ、真にカオティックな行動と言えるのかも知れません。周りがなんと言おうと、俺は俺の信じた道を行く。と言う訳です。まぁ、もちろん、その信念理念が、他者を踏みつけてでも、のし上がる。と言うのであれば邪悪と呼ばれますが、それは、法の抜け道を捜しながらのし上がっているローフルもまた、悪と呼ばれるのと等しく、ローフル・カオティックの概念に、善悪を持ち込んでいる結果です。

ハードボイルドのヒーローは、おおむね、カオティックだと思います。スターウォーズのハンソロ。木枯らし紋次郎。フィリップ・マーロウなどは、カオティック・グッドの典型例でしょう。特にハンソロは、なんだかんだと理由を付けては仲間のために戦う姿勢は、カオティックと言って良いでしょう。


ニュートラル
中立・中庸と訳されます。その傾向は、臨機応変。と言うのが一番でしょう。個人の傾向で、ローフルよりか、カオティックよりかあると思いますが、おおむね「決められたことは守るべきだけど、楽が出来るなら楽したい」と言う感じでしょうか。ほとんどの人間が、ニュートラルである。と言われるのもその通りです。

車通りのない深夜の道で、警官が居ないなら、その場で渡るでしょうし、警官が居ればいなくなるまで待つか、横断歩道へ向かうでしょう。

現実主義と称されることも多いのですが、利己的と言うならば、ニュートラルが一番利己的なのかも知れません。自分にとって、都合の良い法は守り、都合の悪いモノは無視するのですから。


最後に、もう一度繰り返しますが、ローフル・カオティックの判断で、善悪を含めると混乱します。民衆か、王が、それとも、教会が定めた法か、騎士典範か、分かりませんが、自分以外の誰かが決めた法体系を、愚直なまでに実行するのがローフルと言えます。

カオティックは、自己の信念に従い、外聞など意に介しません。が、あくまでその信念は「他者に迷惑を兼ねない」と言う事を忘れてはなりません。それを忘れたカオティックは簡単にダーク…じゃない、イーブルへと落ちていきます。


例として、学生のスタイルを上げてみましょう。
ローフル君は、暑くても、カラーをピッタリと締め、校則通り、無地の靴下にこだわります。おそらく、髪形も従っているでしょう。

ニュートラル君は、校則から大きく逸脱しない程度に、涼しく過ごせるようにします。カラーを外し、ボタンを一つ、二つ外しているでしょう。また、靴下も、白をメインに履きますが、ワンポイントや、ラインが入っていても、問題なく使用します。

カオティック君は、制服のボタンを全て外し、靴下も、履いてなかったりするかも知れません。

法を施行している教師から見れば、ローフルは善人で、カオティックは悪人となるのかも知れませんが、同じ立場の生徒からみれば、善悪はないと思います。



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