第十一話
ウォレス伯が宮廷を離れた分、フォスター卿もだが、レスター候も忙しさが増した。
休暇の前日まで、見事に仕事を片付けてくれたのだが、雑務とは減らないものだ。
サミュエルの武術指導も沙汰止みになってしまい、その分エンリックが相手をする時間が増えた。
それはそれで、親子の会話が出来て、喜ばしい事だ。
読み書きはティアラとマーガレットが教えるのに加え、ストレイン伯が縁あって、時々算数などを見ている。
ストレイン伯本人が来られないことも考えて、サミュエルに課題を出しておく。
時間のある時に添削し、またサミュエルに合った問題を作る。
「陛下、答えを教えてはいけません。」
釘を刺されたエンリックは、宿題にサミュエルが困っていても、手助けできない。
彼が手伝おうとすると、問題をつい解いて回答を出してしまうので、サミュエルの身のためにならないから。
ティアラとマーガレットは、毛糸玉を整理する。
山程あったはずなのだが、ほとんど作品になった。
今度は編み棒を針に持ち替えるだろう。
エンリックは奥の庭を見て回り、花の蕾が付くのを楽しみにしている。
早咲きしていれば、鉢植えにして、妻と娘の部屋に飾ってもらおうと考えていた。
花壇の花が開くのは、まだ先のようである。
半月も経たない内に、ウォレス伯爵夫妻は都に帰ってきた。
正式に謁見を申し込んでくるあたり、私人としての立場をわきまえたいようだ。
直接、取り次いでくれれば良いものを、堅苦しいとエンリックは思ったに違いない。
形式的な挨拶を受けるのが苦手なエンリックは、見違えたエレンの方に気を取られた。
色濃く漂っていた翳りがすっかり薄れて、一層、彼女の美しさを引き立てている。
「エレン嬢、いや、伯爵夫人。幸せにな。」
「はい。陛下には過分のお心遣いをいただき、ありがとうございました。」
少しはにかんだ様子も慎ましやかだ。
本当は聞きたい話もあるのだが、長くは時間も取れない。
「ティアラとサミュエルが二人に会いたがっていた。顔を出していきなさい。」
「はい。陛下。」
ウォレス伯が一礼して退室する。
後姿を見ながら、エンリックは思った。
(あれ程美人であったか?女性は変わるものだ。)
二人の妻と娘の他は目に入らないエンリックは、彼女達以外にも美女がいる事を認識する事になった。
廊下で、すれ違う人々は、ある者は立ち止まり、ある者は振り返る。
ウォレス伯が貴婦人と歩いている事もさることながら、連れの新妻に目を見張った。
「あのような美女が宮廷にいたか!?」
宮殿中あちらこちらで、そのような声が飛び交う事になる。
ティアラやサミュエルは、もっと反応が素直だった。
「素敵な方ですのね。」
「すごい綺麗な女の人!」
あからさまな賛辞に、ウォレス伯とエレンは、さすがに赤面した。
マーガレットとエレンは、少々様子が違った。
「貴女がそうでしたの。この度はおめでとうございます。」
「こちらこそ。最近お姿が見かけられないと思いましたわ。」
どうやら、マーガレットとエレンはお互い名前は知らなくても、顔見知りであった。
時々、教会で会釈を交わす程度の面識があったというのだ。
ウォレス伯もこの偶然には驚いた。
知っていれば、もっと楽にエレンと会話が出来た。
印象は以前と変わっているものの、知らぬ仲ではなかった気安さか、二人とも打ち解けている。
ウォレス伯はエレンがこれほど明るくおしゃべりするのを聞いたのは、初めての気がした。
何しろ、内気なエレンと女性の前では口下手になってしまうウォレス伯。会話が長く持たないのである。
他家への来訪の予定もあるので短時間で辞したが、ティアラもマーガレットも
「今度はゆっくりお話したいですわ。是非、またいらっしゃってくださいね。お待ちしていますわ。」
部屋の外まで見送ってくれ、サミュエルは右手を大きく振っていた。