「偶然、ということにしておきなさい。向こうもそのつもりだろうから。」
ローレンスとカトレアは微かに記憶があるが、生まれたばかりだったアシューはまったくティアラを覚えていない。
年の離れた姉に会うのは弟妹達にとっても、楽しみであった。
サミュエルにとって結婚も一大事だが、もう一つ重なる事がある。
叙爵式。
エンリックの養子扱いとはいえ、彼はいまだにサミュエル・ナッシェル卿のままだ。
つい手放しがたくてエンリックも正式な身分を与えていなかった。
ところが結婚するとなると、そうもいかない。
この機会に一緒に執り行なうようにした。
サミュエルの婚約者は、レティ子爵家令嬢エミリ。
エンリックの近臣ドペンス候の姪にあたる。
最初サミュエルは相手の名をすぐに告げなかった。
先方の承諾を得てから、エンリックに紹介したいと言っていたのだ。
サミュエルが躊躇したのは、エンリックが手を回すような気もしたからである。
エンリックが知っている人間だけに言い辛かった。
一時期、エミリは行儀見習いの名目で宮廷に上がっている。
マーガレットやカトレアに好かれ、サミュエルも何度となく顔をあわせる内に恋仲になった。
不安定な身の上のまま、申し込むのもどうかとも思ったが、通常行儀見習い後の令嬢は早くに縁談がおこる。
それではお互い困るので、サミュエルが単身、レティ子爵家へ挨拶に行ったのである。
娘から話を聞いてレティ子爵は驚愕し、サミュエルを前にして迷った。
サミュエル個人に問題はないが、やはり確たる地位も身分もないことは気がかりだ。
エンリックの養子分で皇太子の同母兄には違いなく、歴とした子爵家の出身。
生活の保障さえあれば受けても良いのだが。
「陛下は御存知のなのでしょうか。」
「いいえ。ご迷惑がかかるといけませんので、エミリ嬢の名前は、まだ出しておりません。」
実はマーガレットには打ち明けてあったが、皇太子の生母の名を借りるのも嫌だった。
急には返答できないから考えさせていただきたい、とのことで、その場は退いた。
レティ子爵とサミュエルとエミリは悩んだ挙句、同じ人物に相談を持ちかけた。
ドペンス候である。
レティ子爵夫人はドペンス候の妹で、エミリには伯父にあたる。
当然サミュエルも引き取られた頃から、見知っている。
ドペンス候は義弟が承知しかねる原因を見抜いていた。
もちろんサミュエルが自分からエンリックに言えない理由も。
レティ子爵には適当に返事をして、若い二人に親身になってくれた。
「陛下には一度お話された方がよろしいでしょう。エミリの父も正式に紹介されていないので、もしや反対されるのではと心配している事かと思います。」
無論、本当に心配している点は伏せて助言する。
サミュエルはエンリックが賛成してくれると頭から信じ込んでいて、反対される事を予想していなかった。
そこでサミュエルはエンリックとマーガレットに正式にエミリの話を切り出し、レティ子爵家へ赴いた事も言った。
「エミリ嬢とはお前も目が高い。」
エンリックはエミリが気立ての優しい娘であることを覚えていて、冷やかした。
またドペンス候は、エンリックからサミュエルとエミリについて、聞かされることになる。
結局はエンリックが内密にレティ子爵へ訪れる際に、付き合わされた。
私邸に国王を迎えた子爵は汗だくになって、対面した。
エンリックにしてみれば、
「私の息子に不満があるか。」
と言いたいところだが、あえて口には出さなかった。
「サミュエルが成人の暁には、もう生家は継げぬ故、相応の家名をと考えている。御令嬢には不自由はさせぬと思う。」
この一言で安堵した子爵は、別に反対していたわけではないので、婚約承知の旨をサミュエルに伝えると約束した。
エンリックは帰り際、レティ子爵夫妻に口止めした。
「私が来た事はサミュエルに言わないでいただきたい。余計な真似をしたと思われてたまらぬ。」
単に親馬鹿か過保護に過ぎないことはエンリックでも自覚しているのだ。