第二十八話
順調に月日が経っていくドルフィシェに異変が起こったのは、ティアラが嫁いでもうすぐ十年になるという頃である。
その年、病気らしい病気になったことがないビルマンが床に伏すようになった。
「何、大したことはない。」
今まで健康であっただけに本人も気にせず、ろくに医師の言う事を聞かずにいたのが間違いの元だった。
少し良くなっては起き上がっていたため、完治しないまま、次第に悪化したのだ。
殊更、冬の寒さが厳しく、何とか年を越したものの、今度は流行病にかかってしまった。
感染の恐れがあるというので、子供達は見舞いも出来ない。
クラウドが一切の公務を代行し、ティアラは日に何度もビルマンの部屋に足を運んだ。
ティアラとしては付きっ切りで看病したいのだが、やはりうつりでもしたらいうことで、制限されている。
ティアラからまだ小さい子供達に伝染したら、取り返しがつかない。
ビルマンは体力が衰えていても意識はしっかりとしていたので、回復することも考えられたが、一日ごとに弱っていくようであった。
クラウドはもう若くはない父親の年齢を思い、妹のメリッサとレジーナを王宮に呼び出した。
レジーナはビルマンが病床にあると聞き、姉のメリッサの元へと身を寄せている。
娘の顔を見ると、ビルマンも嬉しそうであったが、かなり衰弱している事は二人の目にも明らかであった。
「ご容態、良くありませんの?」
メリッサとレジーナがビルマンの見舞いの後、クラウドに訊ねる。
「医師達の話では、父上の気力で保っておられようなものだそうだ。」
さすがにクラウドも沈痛な面持になる。
もちろん国中の名医や薬をかき集めたことはいうまでもないが、それでも及ばないとすれば、後は本人の生命力に頼るしかない。
ティアラは家族の分も含めたように、神に祈りを捧げた。
側にいられないかわりに、礼拝堂へと向かう日々である。
願いが通じたのかどうか、ビルマンは弱まりつつも、尚、一進一退の病状であった。
しかし食欲は落ち、目を覚ます時間も短くなってくると、人々の不安も強くならざるを得ない。
「もう任せても良いな。」
ビルマンが枕元にいるクラウドに声をかけた。
力のない父の声に胸騒ぎを覚えながら、表情に出さないよう返事をする。
「何をおっしゃいます。父上。まだ私では力不足です。」
「ティアラもカイルも、支えになる人間がいるではないか。子にも恵まれて、果報者が。」
以後、眠り続ける日が増えるごとに、意識さえ薄れていくようであった。
呼吸も脈伯も、すでに本復は見込めない状態に陥っている。
ティアラが四人の子を連れ、見舞いに訪れた時、満足気にビルマンは頷いた。
もう口を利くことも少なくなっていたが、人の判別はできる。
芯のしっかりした気丈さだけは、病にもくじけなかったようだ。
そして雪解けを待たず、ドルフィシェの王は、この世を去った。
国王崩御の報に、悲しみに打ちひしがれる間に葬儀が執り行なわれる。
メリッサとレジーナは涙にくれていた。
ティアラは弔問客の前で、涙を隠すのに苦労しなければならなかった。
気落ちしているのはクラウドも同じだが、各国の使者にはその姿を見せまいとしている。
ダンラークからも丁重な悔みが届く。
相見えることがなかったのをエンリックは残念に思っているような内容であった。
いつまでも悲嘆に明け暮れていられないことが、クラウドにとっては辛い。
もはや皇太子としてではなく、国王として国を治めなければならないのだ。
彼個人で悩んでいるわけにはいかない立場にあった。
すでに即位の準備が始まっている。
ここでクラウドが落ち着いていなければ、国全体が浮き足立ってしまう。
せっかく安定しているドルフィシェを乱れさせてはならない。
何も近隣諸国の君主が皆エンリックのように無欲であるとは限らないのだ。