エンリックがティアラのほっそりした腕を優しく取る。
「陛下がダンスをなさるわ!」
「姫と踊られるのね!」
 エンリックが女性の手を取って舞踏会へ出るのも、踊るのも今までにない。
 まるで、羽根が生えているが如く、軽やかで優美だ。
「お二人とも素敵ですこと。」
 あちらこちらから、ため息が漏れる。
 ティアラは身のこなしが上手だったが、エンリックは努力の成果だ。
「陛下では姫のお相手は難しいですわ。」
 ランドレー夫人の手厳しい忠告で、エンリックはダンスの練習を始めた。
 教本を読んで身につくはずがない。
「随分、お上手になられた。」
「陛下は姫が関われば、何でもお出来になられよう。」
 ウォレス伯とドペンス候が、顔を見合す。
 周囲の人々と同じく、雅やかな礼装をまとっていると、つい数日前まで髪を振り乱して走り回っていたとは思えない。
 ダンスといっても相手がいなくては上達しない。
 おかげで忙しい合間に近臣たちが付き合ったのだが、足を踏まれたり、蹴飛ばされたり、散々な目にあった。
 ティアラのためにも、彼らのためにも、是非にステップを覚えてもらわないといけない。
 こうして堂々とエンリックがティアラと蝶が舞うように踊っていられるのも、特訓の賜物といえよう。
「フォスター卿、貴方も得意なのではありませんか。姫を誘われてはいかがです。」
「私にそのような度胸はありません、ストレイン伯。それに今日は陛下が独り占めなさりたいようですから、無理でしょう。ご自分こそいかがです。」
 水を向けられて、ストレイン伯も、やはり首を横に振る。
「恐れ多くて、とても。」
 もはや誰も割り込める雰囲気ではない。
 物語の世界から、抜け出てきたかような二人であった。
 あまり長く踊り続けていても、ティアラが疲れるだろうと、曲が替わったのを境にエンリックは手を止めた。
 ティアラと腕を組み直して、場所を移動する。
 視線の先に腹心達を見つけて、そちらへ歩み寄る。
 面識のある人間の近くのほうがティアラも気が楽だ。
「レスター候、色々とご苦労だった。」
「盛会で何よりでございます。」
 エンリックは大広間を見渡し、もう一度、声をかけた。
「ジーニス・レスター候に見せたかった。」
「そのお言葉だけで充分にございます。」
 レスター候が頭を下げた。
 ジーニス・レスター。
 先代の当主。現レスター候テオドールの父。
「王子はご病弱」とエンリックを庇った忠臣。
 エンリックが都に戻り即位を見届けるかのように世を去った。
 当時レスター家は伯爵。エンリックにより位階を進めた。
 公爵にという申し出を物堅いレスター伯が固辞したため、侯爵に叙せられた。
 病に斃れたと聞いて、エンリックが自ら私邸に赴き見舞ったのだが、二度と王宮に足を運ぶ事はなかった。
 その他にもティアラ・サファイアの成長を目に入れたい人々。
 少年時代のエンリックに付き従い、この日を待たず故人となってしまった者達。
 エンリックの隣でサファイアの宝冠を身につけるはずだったフローリア。
 あの頃の様子をこの場にいる誰が知っているだろう。
 過去の幻影は終わりを告げる。
 これからは、未来を紡ぎだしていかなければならない。
 華やかな舞踏会は、新たな日々を歩く始まりであった。

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