サミュエルは利発ではあったが、部屋中駆けずり回ることもない。
ただ、明るい声が良く通るので、自然と賑やかになる。
−まさか、陛下にまだ隠し子が!?
王宮の庭園に、いるはずのない子供の姿にストレイン伯は青くなかったが、ランドレー夫人に事情を聞いて、胸を撫で下ろした。
大きな声では言えないが、そんな甲斐性がエンリックにあれば、臣下の誰も世継ぎで悩んだりしない。
さすがに毎日子連れで出仕するのはナッシェル夫人も気が引けるらしい。
二、三日に一日は邸に留守番させている。
それに子供にまとわりつかれては厨房にも入れない。
ティアラはナッシェル夫人も菓子作りが好きだと知って、この上なく喜んだ。
折りしも杏が旬になる季節。
パイにタルト、ジャム、砂糖漬け。
エンリックがお茶の時間を心待ちにしているのはいうまでもない。
タイニード伯などに言わせれば、
「よく虫歯にならないものだ。」
と、いうことになる。
体質なのだろうが太らないのは大したものだ。
エンリックはティアラと二人で過ごす時間はもちろんだが、年若い夫人(二歳しか離れていないが)と幼い子息と共にいるのを、かなり楽しんでいる。
ただ、それがどういった好意なのか本人にもわかっていない。
ティアラとナッシェル夫人がサミュエルに絵本を読んでいる姿など、今となっては遠い昔を呼び起こされる。
幼いティアラを中にして、フローリアとエンリックもあのように笑いあっていた。
(取り戻せるものならば。−)
そう思わずにはいられない。
しかし、ナッシェル夫人にフローリアの面影を重ねているだけではないかと、自問自答する。
ティアラの意向もある。
「新しいお母様ができるのはどう思う?」
エンリックは尋ねたことがある。
すぐにというわけではないが、いずれ世継ぎを儲ける女性を持つことにはなるだろう。
「お父様が選んだ方なら賛成ですわ。私も嬉しいです。」
素直に答えた後で、マーガレット夫人のような、と言われた時には、心中を見透かされた気がした。
次第に気候も暑くなり、プラムや桃が旬になると、お茶の時間のテーブルの上は華やかになる。
ティアラとナッシェル夫人は、手際良く茶器や菓子を並べ、サミュエルは手伝いたいらしく、うろうろして母親に注意されている。
エンリックも、
「殿方がなさることではありませんわ。」
と言われ、立つか座って待っているしかない。
花を飾ったテーブルを囲んで、皆で談笑しながら、午後を送る。
憧れとも言うべき光景が目の前に広がる。
求めたものが現実にある。
この時こそ、エンリックが感情を自覚した瞬間だった。
目の前に娘が座っているのも忘れ、
「ずっとパイを作ってくれると嬉しいのだが。」
彼にとっては、告白も同然だ。
「陛下のご希望なら、いつでもお作りいたします。姫様とご一緒に。」
肝心の相手には通じなかったらしい。
場所柄を考えれば、当たり前であるが。
「そうよ、お父様。次は何がいいかしら。」
ティアラに気付かれなかったのは、幸いだったかもしれない。
しかし、かわされたエンリックは私室で頭を抱え込む羽目に陥った。
何せ、女性に恋愛感情を抱くなど、何年もなかった。
加えて、フローリアの時は言葉が特に必要でなかった。
お互いが傍にさえいてくれれば、それで通じた。