隣国ダンラークの姫、ティアラ・サファイアとめでたく婚約が整い喜んだのも束の間、ドルフィシェで
二年近くも待たされるはめになった王子クラウドはことあるごとに、
「もっと早く!」
と言い立てるので手を焼いた父王ビルマンに、とうとう自分の婚儀に関する席上から締め出される
ことになった。
王族同士ともなれば、準備に時間もかかる。
ましてドルフィシェは近隣に聞こえた交易大国であり、皇太子妃として迎える姫は賢王と名高い
ダンラーク国王エンリックの王女だ。
互いに国家行事の体面もあり、クラウドのようにただ本人がいればという問題ではないのである。
ただクラウドにしてみれば、せっかく婚約者となったティアラに会えないのがもどかしい。
ビルマンと共に国政を担う立場でなければ、ダンラークに住み着いてるところだ。
実際、何度も荷造りしかけて、側近のカイルも最初はなだめていたのが、本当に飛び出しかねない
様子に態度が厳しくなり、
「殿下に押しかけられては、ダンラークも迷惑します。姫に呆れられてもよろしいのですか。」
とまで、注意されてはおとなしくするしかなかった。
おかげでティアラへの手紙が量を増し、どうせ文書の作成は書記の仕事だと、たいして字も文も
得手ではないクラウドが急に筆まめになる。
こればかりは代筆させるわけにもいかず、一通書き上げるのに相当の時間と便箋が必要とされ、
机や床に書き損じの紙片が散乱することになり、その有様を見てカイルはため息をついた。
「姫に散らかし魔だと思われたくなければ、もう少し片付けてくださいませんか。」
すぐ横にくずかごがあるにもかかわらず、周辺に投げ捨てるくせは今に始まったことではないが
できれば人に、まして輿入れしてくるティアラには知られたくないだろうに直す気配がまるで
見受けられないのは困りものである。
「誰が散らかし魔だ!」
実際、部屋を掃除される前に暖炉で灰にしてしまっていることが多いので、いつまでも床に残ってる
ことはない。
一応、本人は見られる前に片付けているつもりなのだ。
(おそらくティアラ・サファイア姫には初恋の君でしょうに)
そうでなければ初めて訪問した他国の王子の求婚を受けてくれるとも考えられない。
きっと気が動転したことも手伝っているに違いないと、カイルは非礼になるので口にこそ出せ
ないが心の中で思っている。
ダンラーク滞在中、クラウドにしては随分と気を遣っていたのはわかるが、ティアラがクラウドの
どこを気に入ったというより、熱心さに突き動かされたのだろう。
大体クラウドにしたところで、よく短期間で求婚するにいたるまで想いを寄せたものだ。
本人曰く、時間は関係ないそうだが、惹かれた理由は明確であった。
清らかで純真な、それこそ天使の微笑みに魅了されたのである。
ドルフィシェという国の性質上、権力、武力、財力と「力」本位な面が、宮廷内では特にあからさまだ。
いわば人間の欲にうんざりすることもしばしばという環境にいたクラウドには、信じられいほど
ティアラは無垢な存在に感じたのである。
今までに皇太子妃候補として挙がった中には、もちろん淑やかでおとなしい令嬢達もいたのだが、
おとなしいすぎるとつまらないだの、退屈だのというから、快活な性格ならよいのかといえば
今度はおしゃべりにつきまとわれてはかなわない、才媛の誉れ高いと聞けば、賢しいと政治に
口を挟むという始末。
いつ好みが変わったと直接本人に問い正したのは、もちろん父のビルマンだけである。
クラウドにしてみれば、ティアラと出会って、自分の理想に気が付いたということだろう。
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