後編
初めて国外へ出るカトレアだが、気心の知れた兄夫婦と一緒のせいか、不思議と
不安は少なかった。
クリントの入国に、同じ街道を通る姉ティアラの一行と出会えたこともあるだろう。
「カトレアもすっかり大人びて…。」
ティアラは姉弟の中でたった一人の妹との再会に表情を綻ばせる。
「花婿殿より先に姫の顔を見たとあっては、恨まれるかもしれないな。」
クラウドもカトレアにそう笑って挨拶した。
婚約の報せを受け取った時は、正直驚いたものだ。
「とうとう兄離れされて、寂しくないか。幼き頃より姫の理想だったのに。」
クラウドに問われたサミュエルは、とまどいを隠せなかった。
「ドルフィシェにまでそう伝わっているのですか。」
「今や有名だ。」
もっともエンリックが
「サミュエルお兄様のお嫁さんになりたいとは言っても、お父様のお嫁さんになりたいとは
言ってくれなくなった。」
とぼやいてことがある。
笑って聞き流していたものだが、クラウドも二人の娘がいるから人事ではない。
エンリックはカトレアの求婚者には息子を自分の代理で決闘させると言ったほどだ。
マティスの熱意にほだされたと見て良いのだろう。
よくカトレアもダンラークを離れる決心がついたものだ。
「どこの国も似たようなものだとうかがいましたけど。」
「全然違います。ダンラークほど統治が行き届いた国も珍しい。貴女方姉妹はどうも
父君の『賢王』としての真価をご存じないようだ。」
クラウドがティアラとカトレアを見比べてしまった。
「あれほど民の心を掴んでいる王はいない。ダンラークで悪評が立ったことがおありかな。」
カトレアは首を傾げて、
「お茶の時間が過ぎても執務室に戻ってこないと、お兄様が呼びにきますわ。」
「相変わらずですのね。お父様。」
ティアラとカトレアの様子を眺めているクラウドに、ローレンスが苦笑してしまう。
「父は家族の前で国政に関する話をしませんし、姉上とカトレアは私やアシューのように
怒られたこともないでしょう。」
多分エンリックの大甘な父親像しか見たことがないのでは無理もない。
ローレンスとて公務に携わるようになってから、考えを改めたくらいだ。
つもる話もあるだろうと、ティアラとカトレアを残し、別室に移った後、サミュエルがクラウドに
声をかけた。
「あの、陛下…。」
「『兄上』!」
クラウドがサミュエルに言った。
どうせ部屋にはクラウドとサミュエルとローレンスしかいない。
「兄上は父上も『陛下』です。」
「本当に変っておらぬな。ここは王宮ではない。遠慮は無用。」
明らかに楽しんでいるようなクラウドとローレンスに、サミュエルは何か言いかけてやめた。
口に出したのは別の事である。
「クリントの風評は聞き流してくれるよう、お願いします。」
「姫は知らぬか。」
「おそらく。いずれ耳に入るかもしれませんが、嫁ぐまでは…。」
人の口に戸は立てられない。
クリントがダンラークと手を組もうと婚礼を仕組んだ、という類の流言さえある。
「気にする事もないだろうに。王族同士の結婚が日和見というなら、ドルフィシェとて
大差ない。」
ローレンスは表情を曇らせ、呟いた。
「お気の毒にマティス殿下は、随分と心を痛めています。」
ドルフィシェほどの国力もなく、若い王が継いだばかりのクリントは風当たりが強いのである。