ドルフィシェからの書状が功を奏したのか、
「私用を客人に頼むとは、ティアラも仕方のない。」
 エンリックは詫びながらも上機嫌で、早くに帰国しようとしたマティスの滞在を促した。
 当然カトレアといられる日が増えるので、素直にエンリックの言葉に甘えている。
 もちろんサミュエルもマーガレットも、カトレア本人もマティスに求婚されたことは
黙ったままだ。
 エンリックが知っていたら、さっさとマティスは体よく追い返されたに違いない。
 元々、強引な性格でないマティスはカトレアと顔を会わせても、性急に返事を求めるような
ことはしなかった。
 今までとなんら変った所のない様子で、カトレアは拍子抜けしたほどである。
(本当に殿下は私のことを好きなのかしら。)
 カトレアが誰もいない隙に、疑問をそのままぶつけるとマティスはうろたえ、
「私は平静を保つのに必死なんですよ。」
 と、苦笑を浮べながら言った。
「あら、そんな素振りが見えませんわ。」
「人前で姫に言い寄ろうものなら、決闘沙汰になりかねません。」
「まあ、素敵。」
「はい?」
 カトレアは一人の姫を巡る何かの物語の場面でも想像しているらしい。
「そうなったら、殿下は受けてくださいますの?」
「逃げるわけにもいかないでしょう。」
「武芸に自信がおありですか。」
「なくても受けて立ちます。」 
 実際、マティスは強いかと問われれば、否、と答えるしかない。
 エンリックやローレンスが相手ならともかく、クラウドやサミュエルに張り合えるほどの
腕は持ち合わせていないのだ。
 一体、カトレアの言う「強さ」の基準は何になるのだろうか。

 カトレアとマティスから、話の聞き役になったのはサミュエルである。
 さりげない風を装いつつ、カトレアはクリントやマティスのことを訊ねてくるのだが、
マティスは宮廷内に飛び交う様々な噂に内心穏やかでないらしい。
「皇太子殿下がご結婚なさる時、妃殿下を巡って決闘騒ぎになったという話は本当ですか。」
 どこから聞いたか知らないが、顔色が真っ青になっている。
「落ち着いてください、殿下。あまり根も葉もない噂に惑わされないでください。」
「しかし…。」
「確かに彼女も宮廷の華でしたが、そのような事実はありません。」
「『花の姫』と並び称された『月の乙女』ではありませんか。まったく『宝石の姫』といい、
ダンラークは佳人が多くていらっしゃる。」
 各国に美しい貴婦人は大勢いるはずだが、特にダンラークが喧伝されてしまっているのは
ドルフィシェに嫁いだティアラに端を発しているに違いない。
 何しろエンリックやクラウドが娘や妻を臆面もなく自慢しているのだ。
 大体、美しい娘を褒めそやしておいて、いざ年頃になれば嫁に出す気はないとばかり、
近寄る者を蹴散らすエンリックも罪作りである。
 マティスが使者を送るのではなく、自分で申し込んだのはエンリックと、何よりカトレア自身に
政略だと思われたくないからだ。
 婚姻により諸国との結びつきを強くすることは多々あるが、クリントも頻繁に行なってきた
過去がある。
 曰く、「日和見の国」だ。
 風が吹く方向になびく風見鶏、とまで陰口を叩かれて、マティスは幾度も気が滅入る思いを
してきた。
 カトレアの耳に入っていないことを祈るばかりだが、在位の長いエンリックは知っていて
当然だ。
 味方とまでいかなくても、サミュエルが素知らぬ風を装っているのは、どことなく肩身が
狭そうなマティスに同情もある。
 現在は慣れたとはいえ、「陛下の御威光を笠に着て」と、サミュエルもまた心ない中傷を
浴びてきた身であった。


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