中編

 グラスに注がれた赤ワインを一口飲んで、グラハムは思わず声を発した。
「これは美味い!」
 少なくともそこらの酒場に置いてある代物ではない。
 今まで各地を回ったが、これだけの美酒は味わった事がない。
「気にいってくれたらしいな。良かった。」
 クラウドも、そう笑っている。
「大変美味しゅうございます。どちらのものでしょうか?」
 つい商売気も手伝って、訊ねる。
「隣国ダンラーク産だ。」
「ダンラークでございますか。」
 グラハムは首を捻った。
 何度も出かけているが、目にしたことも口にしたこともない。
 それもそのはず。
 市場に出回る数は限られているのだ。
 何せ王室の献上品にもなる名産品である。
「ダンラークにも良く行くのだろう。最近はどんな様子か。」
「はい。景気の良い国です。このドルフィシェとは異なりますが、普通に住むにはもってこいでしょう。あれほどの法治国もありませんから。」
 グラハムは行き届いたダンラークの法律を思い浮かべた。
 クラウドは、その言葉に多少改まった口調で問う。
「必ず行く先々の法を学ぶのが常だと聞いたが、商売に必要な事なのか?」
 一番クラウドが興味を惹かれた点だ。
 旅の商人で、そこまでするところが面白い。
 グラハムも真面目な顔で話し始める。
「もちろんでございますとも。国によっては商いに許可がいる品もあります。大抵、私のような旅商人は知らずにいた事であれば、きついお咎めは受けませんが、それでも身に覚えのないことで目を付けられては、後の商いに差し支えます。逆に商人ならではの特典や恩恵に与ることもございます。これは知っておかなくては損をしてしまいます。何事にも通じていれば、いずれ得になると思えば苦ではありません。」
 つい熱弁してしまうグラハムに、クラウドも感心したように聞き入っていた。
「ドルフィシェは得が出来ると思ったわけだ。」
「それは、あれだけの商船が行き交いますから。自分で動かなくても、人も物も集まってきます。ダンラークも交易は盛んではありますが、やはり都から港が近い方が利点も多くあります。風来坊の私がいるには、ドルフィシェの方が過ごしやすいのです。隣国は少々生真面目すぎます。」
「相変わらず不正には手厳しいのだな。」
 クラウドは、楽しげに笑い出した。
 情理を尽くせば寛容だが、度を越せば罪が重くなる。
 冒険をするにはリスクが高いと判断したのなら、グラハムは相当ダンラークについて勉強した証だ。
「ダンラークに行かれたことがおありですか。」
 グラハムもクラウドに隣国の知識があることを察した。
「以前にな。あの国は役人も騎士も固いだろう。」
 そうなのだ。
 グラハムが旅した国の中で、金品で動く人間が官職にいなかったのは、唯一ダンラークくらいのものだ。
 単に相手が悪かったのかと、最初の内は考えたが、どこもかしこもなのには驚いた。
 ダンラークでは下手な小細工は逆効果になると、筋道立てて話を通すことにしている。
 まったくもって融通がきくのか、きかないのかわからない国だ。
「安住を求めるのであれば良いのですが、私は一つの場所に落ち着くことがありませんので。」
「ドルフィシェは安心して暮らせる国ではないと?」
「と、とんでもないことでございます。」
 慌ててグラハムはお互いの利点を挙げる。
 また他の旅先での事柄も色々と語り始めた。
 一つ一つにクラウドは興味深そうに、耳を傾ける。
 
 いつの間にかワインの瓶は空になり、テーブルの上の皿も、すっかりなくなっていた。
「楽しい話を聞かせてもらった。今度は是非我家にて、続きをお願いしたい。」
「もちろんうががいます。」
 カイルが引きつった顔をしていることに、二人とも気付かない。
「では都合の良い日をこの家に言付けといてくれれば、私も予定を空けておこう。」
 勝手に連絡係にされたカイルは、とうとう何も言わなかった。
 クラウドが自分で出向くよりましだと、考えたからに違いない。
 星が降るような寒空の下、グラハムは上機嫌で帰っていった。
 しばらくあの赤ワインの味は忘れられそうにない。

 グラハムがいなくなった後で、クラウドがカイルに何を言われたかは、関係のないことなのである。