あくまでも他愛のない会話の断片であって、当のウォレス家では、まだ先のことと思っている。
「パトリシアが幸福になるなら結局は折れます。父はあれで娘には甘いから。」
 色々な憶測をカイザックは打ち消すかのようだ。
「決闘するんじゃないのか。ウォレス伯とカイザックで。」
 ローレンスが耳にした宮廷内の噂である。
「それはパトリシアに迂闊に近寄らせないための予防線です。本気じゃありません。」
 カイザックはローレンスの問いに陽気に笑って答えた。
 誰でも構わないならと、連日、邸に押しかけれては困る。
「何だ。そうだったのか。」
 ローレンスは、ほっとすると同時に考えた。 
(早い者勝ちなら、今だ!)

 ウォレス伯がたまに休日を取ると、カイザックとパトリシアも王宮に姿を見せないことがある。
 家族揃っているはずだと、ローレンスは庭園で花束を作ってもらい、ウォレス家を訪ねた。
 外出するところだったサミュエルが送ってくれたのだが、
「今日は長居してはいけませんよ。後で迎えに来ます。」
 せっかくの一家団欒だからという意味だろう。
「本日は皆様がご在宅と思って来ました。」
 遊びに来たにしては、改まったローレンスの挨拶に、ウォレス伯は
「何か陛下から急なご連絡でしょうか。」
 エンリックの使いならサミュエルが来そうなものだ。
「そうではなくて…。」
 つい、言葉に詰まるが、目の前に座っているパトリシアの顔を見、決心したように口に出した。
「パトリシアを私の妻にいただけませんか。」
「ローレンス様!?」
 声を上げたのはカイザックだけで、ウォレス伯もエレンも、パトリシア本人も目を見張ったままだ。
「その、陛下は…。」
 ウォレス伯も困惑を隠せない。
「まだ誰にも話していません。相談するにも話が大きくなると、迷惑がかかります。」
 エンリックが知っていれば、ローレンスが一人で来ることはない。
 少なくともサミュエルは帰ったりしなかったはずだ。
 突然すぎてパトリシアが取り乱しそうになるので、エレンが応接間から連れて席を立つ。
「あまりに急なお話ですが、理由でもございましたか。」
 ウォレス伯のもっともな質問に、ローレンスは思わず、本音を漏らす。
「最近、綺麗になってきたから不安で…。もう一年は待つつもりでいたんです。私も少しは強くなってからにしようと。やはり腕が立たないと認めてもらえないのでしょう。」
「別にそのようなことで判断いたしません。」
「でもウォレス伯爵令嬢に近付こうとする者は、槍で追い返されると評判です。」
 お前かという風に、ウォレス伯がカイザックに視線を移す。
「殿下、真に受けていたんですか?」
 父を気にしつつ、カイザックの呆然とした言葉に、ローレンスは頷いたのである。

 何も知らないサミュエルが迎えにきた時、ぎこちない雰囲気を感じたが、ローレンスは黙ったままだった。
 カイザックはといえば、父親に怒鳴られることになる。
「まったくお前が変なことを吹聴してまわるから、こういうことになるんだ!」
「だって、ローレンス様がパトリシアを好きだなんて、思ってなかったんですよ。」
 パトリシアもエレンでさえ気付かなかったのは、普段からローレンスと接する機会も多く、幼い頃から親しくしていたせいもある。
「どうしましょうか。父上。」
「どうもこうも…。」
 怯えているようなパトリシアに話しかける。
 カイザックとは違い、優しい口調。
「殿下は真剣だ。驚いたかも知れないが、きちんと考えなさい。受けるにしろ断るにしろ、時間をかけて。焦らなくても良いから。」
 パトリシアは部屋に引きこもってしまい、両親は頭を悩ませる。
「本来なら喜ぶべき話なんだが。」
 ローレンスはエンリックに似て、性格も穏やかで優しい。
 国王一家の中であれば、大切にしてくれるだろう。
「ただ皇太子妃には少し内気すぎますわ。」
 心配なのはその点だ。
 ローレンスの生母マーガレットが正妃でない以上、もしパトリシアがローレンスと結婚した場合、形式的に王宮の女主人になる。
 はたしてパトリシアに務まるかどうか、不安が広がるのだった。