陽だまりの庭 番外編
耳にすることなく
written by 文月夏夜
ドルフィシェ王宮の一室。
向かい合わせに同じテーブルについている二人は、公的にはドルフィフェ国王クラウドとクリント王弟マティス。
私的には、互いにダンラーク国王エンリックの王女だった姉妹を妻に持つ相婿同士である。
国交に関する話が終わった後、場を移した部屋で、不意にマティスがクラウドに訊ねた。
「陛下は王妃様と仲違いしたことはありますか?」
「いや、特にはないな。それより、そんなに改まった呼び方をしないでくれ。」
クラウドは義理とはいえ、弟が出来たと喜んでいるのだ。
「ありがとうございます。」
マティスの顔が綻んだのも、束の間、
「では、『実家へ帰らせていただきます』と言われたことはないのでしょうね。」
たちの悪い冗談かと思えば、マティスのダークブルーの瞳が笑っていないので、途端にクラウドの表情もこわばってしまう。
「穏やかではないな。」
大体、マティスは、まだ新婚間もないではないか。
「何か姫とあったのか?」
「いえ、先日のことなのですが…。」
マティスは外交的な役割を担っているため、国外へ行く事も多く、クリントへ帰国すれば羽を伸ばしたくもなる。
親しい人間と狩りや遠乗りが続いたある日、妻のカトレア・ヴァイオレットは、どうして自分を誘ってくれないのか、と言われたのだ。
もちろん、マティスの留守中に出かけても構わないと考えているのだが、
「結婚して日が浅いというのに、あなたのエスコートなしにどこへも行かれませんわ。」
王弟妃ともあろう者が、嫁いだばかりなのに、一人で遊んでいると見られたくないらしい。
「姫は、お茶会やピクニックをご家族で楽しまれたことも多かったようで…。」
兄のカスパルしか兄弟のいないマティスは、賑やかな行事に縁がなかったのだ。
マティスのくすんだ金褐色の頭がうなだれてしまっているところを見ると、夫婦喧嘩とまでいかなくても、口論の一歩手前くらいにはなったのかもしれない。
「もしや愛想をつかされて、国へ帰ると言い出すのではないかと心配しているのです。」
「まさか。」
クラウドは、その程度のことで、いちいち実家へ戻るようなことはないだろうと、グレーの瞳の奥で考えたが、十歳以上年下の生真面目なマティスは、気の毒なほど悩んでいるようだ。
マティスのカトレアに対する惚れ込みようは、結婚前と変わらずである。
もっとも、クラウド自身、皇太子時代、隣国ダンラークへ表敬訪問中に、現在の王妃ティアラ・サファイアを見初めて以来、他の女性が目に入らなくなってしまったということは、国外にまで聞こえているほどだ。
「でも不満を抱え込んで、泣かれるよりは、ずっとマシです。」 マティスの言葉に、クラウドどきっとした。
おとなしい性格のティアラ・サファイアは、怒ったことも泣いたこともなかったが、自分の気付かぬところで、一人涙を流していたらと、ぞっとして薄い金髪の頭の中から想像を追い払う。
万一、ダンラークにいるエンリックの耳に、ちらとでも不仲という噂が入ろうものなら、早急に娘を返せと使者が飛んでくるに違いない。
君主としては、温厚篤実な賢王と誉れの高いダンラーク国王エンリックだが、父親としては、子煩悩を通り越した親ばかの見本でもあるのだ。
怖いもの知らずのクラウドにとって、数少ない頭の上がらない人物の一人である。
国力において優るクラウドがそうなのだから、年若いマティスには、妻の実家は立場が強く感じられるだろう。
だが妻である彼女達姉妹はダンラークを楯にする気もないほど、現在の自分の境遇に満足しており、カトレアにいたっては、微笑みながら、
「住めば都、とお姉様がおっしゃていたことがわかりますわ。クリントはとても素晴らしい国ですもの。」
と、ティアラに語っている。
故郷を離れる際の一抹の寂しさは、すでに思い出と化しているのだ。
「もう耐えられません。ダンラークに戻らせていただきます。」
ティアラもカトレアも微塵さえ浮かばない一言で夫が悩んでいるとは、気付く気配がまったくなく、クラウドとマティスはおそらく耳にする機会がないという確信を持てないままなのであった…。
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本編情報 |
作品名 |
陽だまりの庭 |
作者名 |
文月夏夜 |
掲載サイト |
夢幻悠久
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注意事項 |
年齢注意事項なし / 性別注意事項なし / 表現注意事項なし / 連載状況/完結 |
紹介 |
「賢王」と民に慕われるダンラーク国王エンリックと愛娘ティアラ・サファイアを巡るほのぼの王室一家団欒物語 |