「ヴェスナー、待って!」
 多分、声は届かなかっただろう。
 追いかけようと、部屋をでたところで、エリックとクリフにぶつかりそうになる。
 涙を浮かべている女性に、さすがにぎょっとする。
「あの、何かありましたか?その、俺達、奴の、いや、彼と同室なんですが。」
 エリックは外へ出て行った、ヴェスナーを目で探すが、もう見えない。
 女性は、ハンカチを出して、目頭を押さえる。
「そうですか。あの子と一緒の…」
 とりあえず、談話室にもぐりこんで、誰もいないのをいいことに、「使用中」の札をかける。
 栗色の髪の上品な感じがする。年はやっと三十代半ばくらいか。
 いかにも良家の奥様といった雰囲気。
「つい、取り乱してしまって。ヴェスナー、元気にいたしてますでしょうか。」
「ええまあ。」
 クリフが曖昧に答える。
 ヴェスナーを「あの子」と呼ぶくらいだから、身内だろうが、家族の話なんか聞いた事もない。
 それを察したのか、女性も自分との関係は口にしなかった。
 ただ、飛び出したヴェスナーを心配している。
 何も食べてないから、空腹になれば戻ってくるには違いない。
 起き抜けで、財布も持ってないはずだ。
 放っておくのも気の毒なので、エリックとクリフが周辺を探したが、心当たりの場所にはいなかった。
 何時間も女性は待っていたが、とうとう諦めたらしい。
 連絡便の都合もあるのだろう。
 バッグから、一通の封筒を取り出し、彼らに預けた。
「ここに連絡を入れるように、お願いします。」
 名残惜しそうに、幾度も振り返りながら、門を出て行った。

 どこへ行ったものか、ヴェスナーはなかなか帰ってこなかった。
 この時期に無断外泊なんかすれば、卒業が危うい。
 それくらいは頭に残っていたのか、門限ギリギリに寮に戻ってきた。
「ただいま…」
 元気なく、部屋に入ってベッドに座り込む。
「参った。疲れたよ。」
「どこ、行ってたんだよ。探したんだぞ。」
 エリックとクリフが口をそろえる。
「色々。もう、食堂閉まってるよなー。」
 無一文だったため、本当に何も食べてない。警察官を志す者が、無銭飲食なんてことできないから。
「ほら、今、コーヒー入れてやるから。」
 エリックが皿の上に載ったパンを机の上に置き、クリフが部屋の隅のポットを取りに行く。
 どうやら、こうなる事を見越して、食料を確保しておいてくれたのだ。
 さすがに、四つも年上だと、頼りになる。
 とりあえず、食事中は、三人とも黙っていた。
 食べるのと話すのは、同時にできない。
「連絡先だって。」
 エリックが預かった封筒を、差し出した。
 一応、受け取って封を切らず、机におく。
「いい。知ってる。」
「ずっと、待ってたぞ、あの人。」
 クリフがそう言うと、ヴェスナーもため息をついた。
「そうだな。ここまで調べるとは思ってなかったな。」
 少し、考えたが、話すことにした。
 彼らは信頼できる友人だ。
「あの人、俺の母親なんだ。」
「え!?」
 同時に驚いた声を上げる。