毎日診療所へ通っていたエセルが、一日おきに来るようになり、そろそろかとリュオンが思い始めた頃、
「明後日出発しますので、明日から当分お休みします。」
「お前、何でギリギリまで黙ってるんだ。」
「言えば来るなと、兄上に追い返されるでしょう。」
 実際、王宮にいてやることといえば、行儀作法のおさらいに、挨拶の仕方、出来上がった服の試着の繰り返しである。
「礼装は着慣れてないと、肩こるんだぞ。」
 リュオンと同じように白衣ばかりでは尚更だ。
「ちゃんとあちらでは着替えてます。」
 エセルが苦笑しつつ、ふと思いついたかのように、
「兄上の以前の服、着ても良いですか。」
「それは構わないが…。足りないのか。」
「違います。いつまで着られるかわからないのに、何から何まで新品じゃもったいないから。」
 エセルはこれからが成長期だ。
 今の調子で作られていては、あっという間にクローゼットもチェストも塞がってしまう。
「だって少しも古くないんですよ。本当に全部、袖を通しているんですか。」
 質素倹約が身に付いたままの、弟を見送りながらリュオンは思った。
(還俗しても中身の修道士が抜けてないなあ。)
 人の事を言えた義理ではないが、リュオンは王宮での生活も、華やかな式典も、面倒な宮廷作法も、覚えてはいる。
 だがエセルはどれだけ記憶に残っているのだろうか。

 出立の前日、王宮内も慌ただしい中、リュオンがマリアーナを伴ってやってきた。
 メイティムの往診はエセル様子見のついでといったところだろう。
「兄上、来てくださったんですか。」
「ちょっと足を延ばしただけだよ。結構、似合うじゃないか。」
 一瞥しておろしたてとわかる衣装をまとっている。
 シャルロットが見立ててくれたと聞き、意外な気がした。
「荷物になるかもしれないが、これも持って行きなさい。」
 リュオンが手渡したのは、四角い木箱である。
「傷薬とか解熱剤とか、色々入ってるから。」
「お兄様特製よ。」
 マリアーナはリュオンが天秤に薬包紙を載せ、慎重に薬匙を使っているところを何度も目撃した。
 患者に処方する分だけでなく、エセルの旅行用も含まれていたのだ。
「私のために、ありがとうございます。」
 日中、リュオンも忙しい中、わざわざ届けに来てくれたのだ。
「何も無い事を祈ってるよ。」
 リュオンは自分の首から、十字架を外すと、エセルの首にかけた。
「これ、兄上の大切な…!」
「ナティヴ院長様から頂いた物だ。道中貸すから、帰国したら返してくれ。」
 リュオンがモンサール修道院時代から肌身離さずにいた品かと思うと、エセルは言葉も出てこなかった。
 自分はこんなにも気遣われているのだ。
 今にも泣きそうになっているエセルを抱きしめ、リュオンは右の頬にキスした。
「気をつけて行っておいで。」
 マリアーナもしばらく会えなくなる、目の前の弟を抱きしめる。
「元気で帰ってくるのを待っているわ。」
「はい…。」
 エセルは返事をするのが精一杯だった。

 翌日の早朝。
 広間でメイティムや重臣が居並ぶ中、
「では、行って参ります。」
 挨拶をするとエセルは他の随行者と共に扉の外へ出て行った。
 レナックが深く一礼する。
「これぐれも頼む。エセルは自分の身を守る術を知らぬ。」
 内々に国王自身から受けた勅命。
 
 レポーテ第四王子エセルがラジュアに向かった日、人々の思惑を吹き消すかのような、青い空が国中に広がっていた。
  
  
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