ラジュアの滞在日数も、残すことろ数日余りとなると、エセルも身辺整理を始める。
 使用している部屋を散らかし放題にしているのではなく、借りている書物など自分の持ち物
以外を区別しているのだ。
 扉をノックする音が聞こえ返事をすると、シェレンが午後のお茶の誘いに来てくれた。
「ご帰国の準備ですか。」
 シェレンの目に窓に面した机の上に見慣れぬ木箱が映る。
 エセルも視線に気が付いた。
「念のためにと持たせてくれた薬箱なんです。」
 エセルはあやうく「兄が持たせてくれた」と口から出掛かり言い換えた。
 リュオンが医者となっていることを知っているのは家族と宮廷医師の限られた人数だけ。
 レポーテ国内でさえ内密であることをラジュアで吹聴するわけにはいかないのだ。
 シェレンはエセルが病弱だったという話を思い出していた。
 王宮で用意するにしては質素な作りの箱だが、旅行に際しての間に合わせなのかもしれない。
「殿下も薬草にお詳しかったですね。」
「ほんの少しです。」
 世話になった修道院で教わった。
 リュオンのような医学知識はないが、簡単な薬の調合や薬草の見分け方はエセルにも出来る。
 散策のついでに話題に上ることもあった。
 お茶の用意がなされていた部屋のガラスの窓から、広く庭園が見渡せる。
「本当はお庭のテラスで思ったんですけど、風が出始めてしまったの。」
 エリーカがエセルを迎えながら言った。
 良く晴れてはいるが、確かに外に見える木々の葉が揺れている。
 四人で会話をしている内に、ユミアが
「殿下がお帰りになられると寂しいわ。」
 社交辞令ではなく、残念そうだ。
 ロテスは普段から忙しく、シェレンもいつも一緒というわけにはいかない。
 エリーカとユミアは相手になる人間が出来て嬉しかったのである。
 兄弟が多いエセルの家族は賑やかで楽しいだろうと思われているが、父も兄も公務に追われ、
顔を会わす回数は彼女達と変わらない。
 だが王宮の外でリュオンの手伝いをしているエセルとは違い、エリーカとユミアは気ままな外出も
出来ず、何かに付けて作法の勉強ばかりで飽きてしまうのである。

 帰国前夜に送別の宴を、とエセルは前以て聞いていたのだが、ささやかなというのは単なる
決まり文句でしかないことを、盛大な舞踏会になっている様子を見て知った。
 ほとんど経験のないエセルは気後れがしてしまう。
「殿下。あまり緊張なさらずに。」
 レナックが声をかけても、
「はあ。」
 ため息まじりの返事をし、珍しくうわの空である。
 目まぐるしい会場内で三姉妹の姿にようやく安堵した。
 いつもより華やかな装いだけに、一段と美しい。
 エセルに気の利いた褒め言葉が言えるはずもなく、
「とても綺麗です。」
 ありふれていても本心からなのは、満面にたたえた笑みでわかる。
「殿下。踊りましょう。」
 ユミアに腕を取られて、一瞬、とまどってしまった。
 傍らにいたロテスが、
「よければ娘達と踊ってあげてくださいませんか。」
 ダンスに誘われて断るのは、非礼だ。
 一人ずつ、相手をすることにしたのだが、エセルはファーゼとシャルロットに感謝した。
 絶対に必要だからと、ステップを覚えさせられてきたのである。
 ユミア、エリーカ、最後にシェレン。
 幾分藍色がかった地に鮮やかな金糸の刺繍とレースの飾りのドレスが、シェレンの清楚な美しさを
際だたせている。
 シェレンはエセルより背が高いので、一見どちらがリードされているかわからない。
「短い間でしたが、ありがとうございました。姫。」
「こちらこそ大したおもてなしもできませんでしたわ。」
「充分です。ご厚情は忘れません。」
 翌朝、同じ台詞を口にして、エセルは帰国の途に着いた。
 馬車が走り出すまで見送ってくれた、三人の王女の温かい心遣いをラジュアでの一番の
思い出として。
 
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