「リュオンは往診中で留守だったよ」
意味を悟ったファーゼが告げた。
「そうでしたか。」
「だから今日はゆっくりして大丈夫だ。」
エセルはやっと納得したように早足で自室へと引き上げる。
後姿を見送りながら、ファーゼは反対へ向き直り、退出しようとしたレナックを視界に捕らえ、
追いかけた。
「エセルの護衛。ご苦労だったな。」
「いいえ。お言葉痛み入ります。」
「疲れてるところすまないが、帰りがけに、これを届けてくれないか。」
ファーゼが一通の手紙を差し出した。
「どちらまでですか。」
「リュオンの診療所。裏の戸口にでも挟んでおいてくれればいい。どうせいないから。」
「承知いたしました。殿下。」
レナックは手紙を受け取ると一礼する。
確かにリュオンには連絡しておかないと心配しているだろう。
不在と知らなければ、エセルは自分でいく気だったくらいだ。
居間でラジュアでの出来事を聞かれるままに、エセルは答えていた。
特に三人の王女については詳しく語っている。
「本当に優しくて綺麗で可愛らしい姫ばかりです。」
メイティムやデラリット達が案じていたより、楽しく過ごしていたようだ。
旅の間にきちんとまとめておいたらしく、その日の内に報告書をメイティムの執務室まで
持ってきた。
カルナスとファーゼを呼び寄せて、共に目を通す。
「随分、丁寧に書いてますね。」
感心したようにカルナスが呟いた。
「字も綺麗で読みやすいし。」
ファーゼも手にとって文面に見入っている。
「将来は書記官が良いか。」
メイティムは半ば真剣に考えた。
さぞ議事録を滞りなく上手に書き上げてくれそうだ。
「私より書類仕事は速いかも知れませんよ。」
未だにファーゼは政務よりは軍務が希望である。
メイティムが公務に復帰するなら補佐はカルナス一人で充分だ。
「まさかエセルは今すぐには使えない。もう少し勉強させないと。本人にその気があれば、だが。」
何せリュオンの診療所に入り浸りでは、医療関係に従事したいとも思える。
そうでなければ奉仕活動に打ち込むかもしれない。
「エセルが修道士になろうとしたのはまだしも、リュオンが剣を手放してしまうとはな。」
王宮にいた当時を振り返ると、リュオンの腕が惜しまれる。
今頃は騎士隊を任せられるようになっていたかもしれないと。
「今回はエセルに行かせたが、いずれ外交はファーゼの仕事だ。」
柔軟性と社交性に富んでいることが必要な条件になれば、他に見当たらない。
「駆け引きは苦手です。」
外を飛びまわれることは喜ばしいが、各国間の問題も絡んでくる。
ただ国王の父と皇太子の兄に、面倒だ、とは言えない。
「はっきりした物言いが出来ることも大切だ。」
メイティムが長く伏せっていたせいで、レポーテは重臣の発言権がかなり強くなってしまった。
温和で真面目なカルナスは、まず人の話を聞こうとするが、時にファーゼは相手が誰であれ、
遠慮のない言葉を返す。
国王代理という名前だけの飾り物にはなりたくない、という気持ちもあったからだ。
取り入ろうとする者、逆に操ろうとする者。
宮廷貴族社会の華やかさの裏の浅ましさ。
十代の若い王子が二人で感じた現実は、今も決して消えていないのである。