第十七話
ディザに戻ったエセルが再びリュオンの診療所に顔を出した日。
着いた時間には、もう何人もの患者が並んでいた。
「くれぐれもお大事にね。」
ちょうど人の切れる幼い兄妹をリュオンとエセルが戸口まで見送った頃は、とっくに午後を
まわっている。
奥では早速マリアーナがスープを温め始めていた。
広くもないテープルの上に三人分のカップと皿と一つのバスケットが置かれている。
「今日は何も用意出来なかったから、エセルの差し入れがあって助かりましたわ。」
バスケットの中身は何種類かのサンドウィッチ。
忙しい合間にとの配慮らしい。
「王妃様…、母上が作ってくれたのです。」
「母上が!?」
リュオンは思わず驚いて声を高くする。
デラリットは料理など縁のなかったはずだ。
今まで何かを作ったことがあっただろうかと、首を傾げたくもなる。
「荷物持って大変だったな、エセル。手伝ってもらって言う事じゃないけど、ここに通っていて
平気か。そろそろ教師も付く頃だろう。」
一度、公に姿を表したからには、何かと宮廷の行事にも出席するようになるに違いない。
いつまでも自由に身動きできるとも思えなかった。
「まだ正式は話はありません。でもファーゼ兄上が、今度、乗馬を教えてくださるって。」
「馬〜?」
連日、王宮と診療所を往復すると結構な距離がある。
歩きでは大変ではないかと、
「勉強と作法はともかく、馬の扱いなら時間のある時に教えるよ。」
ファーゼが声をかけてきた。
乗馬くらい多少出来た方が役に立つ。
「怪我しないように気をつけるんだよ。前から兄上は武芸が好きだから乗馬も得意だけど、
エセルは慣れてないんだから。」
リュオンの心配を隠せない表情を見て、エセルは言った。
「大丈夫です。一人では乗りません。」
「そうじゃなくて…。ファーゼ兄上は大雑把な所があるからなあ。」
慎重なカルナスとは違い、ファーゼは自己流で通してしまう部分がある。
人に何かを教えることが上手とも思えないふしもあるのだ。
マリアーナが淹れてくれたお茶に手を伸ばすと、ふわりと香気が漂う。
「確かに花の香りだな。」
「この蜂蜜もラジュアのお土産かしら。」
バスケットに入っていた瓶をマリアーナが取り出した。
「それはファーゼ兄上が持たせてくれたのです。」
リュオンはあやうく噴出しそうになる。
大方、前に出した薬湯が原因だ。
残さず飲み乾していったものの、余程忘れられない味だったらしい。
空になったバスケットをエセルが王宮に持ち帰り、
「ごちそうさまでした。大変おいしかったです。」
素直に伝えると、デラリットはとても喜んだ。
本当は別の料理をとも考えたが、仮にリュオンに鹿のローストを届けても自分で口にせず
患者に分けてしまいそうでもあり、デラリットでも作れるサンドウィッチを選んだのである。
たとえ避けられようとリュオンは我が子だ。
少しでもできることをしたいという母としての心情である。
デラリットが話しかけてもリュオンは一言、二言返事をするだけ。
唯一「母上」と呼んでもらえることが救いであり、ささやかな慰めだった。