エセルはシェレンの言葉を聞き、呼吸を整えた。
聞きておかなければいけないことがある。
「それはラジュアのお世継ぎとしてのお考えでしょうか。」
「きっと殿下にはご迷惑なことでしょうね。」
「いいえ。貴女が私をレポーテの王子ではなく、個人として夫だと思ってくれるなら…!」
「私は年上ですわ。」
「姫は年下の男はお嫌いですか。」
「とんでもありませんわ。ただ…。」
「ただ?」
真面目な顔でエセルは、次の言葉を待った。
シェレンも些かとまどいながらも、問いかける。
「殿下はレポーテを、故郷を私一人のために離れていただけますか。」
「もちろんです。でなければ、姫の気持ちを伺いにラジュアまで来ません。」
エセルは椅子から立ち上がり、テーブルを回ってシェレンの隣まで行き、右手を差し出し、
改まった口調で言った。
「求婚は男からするものです。受けていただけますか。」
シェレンは黙って頷くと、象牙のような右手を延ばすと、エセルは手の甲に口付けする。
「十字架にかけて終生貴女を妻にすることを誓います。」
エセルに剣にかけて守るという騎士の宣誓は、形式だけでも出来ない。
自分を偽ることになってしまう。
「私は騎士として剣となり盾となる力は持っていません。でも側にいることはできます。」
エセルは陽射しのせいでなく赤くなっている顔を上げた。
「ずっと私の傍らにいてくださると信じております。」
「約束します。」
シェレンは植木鉢を大事そうに抱え持ち、振り返って微笑んだ。
「求婚の贈り物ですね。」
「え?あ、はい、そう思っていただければ…。」
改めて言われると、思わず照れてたじろいでしまう。
「あまり気の利いたものでなくて…。」
「私の部屋に飾ってあった植木鉢を、覚えていてくださったのでしょう。とても嬉しいですわ。」
何よりも国境を越えてまで、相手の心を優先しようとするエセルの真心が込められている。
シェレンには精神的な支えになる存在ができた安堵感があった。
二人の間の好意は、もし何事なければ、姉のような、弟のようなという淡い感情のまま、
進展しなかったかもしれない。
相まみえ難い距離が共に過ごした時間の貴重さを感じさせ、思慕の念が強まった。
特にシェレンは末子であるエセルと異なり、自由に配偶者を決められる立場でないだけに
切実だったといえる。
ラジュア国内にも自らシェレンの婿にと望む者は多くいるだろう。
しかし誰もが真剣であったとしても、シェレンに対する想いとは限らず、むしろ背後にある
次期女王の姻戚という地位に魅力があるのだ。
英邁な男が夫になるのであれば頼もしい後見になるが、無駄に権力を欲する男を夫には
できない。
父王メイティムでさえ、再三断ってきたにも関わらず、エセルは政治的な意味でなく、
シェレンを望んでくれた。
この先待ち受けるだろう重圧に、エセルの優しさと誠実さが必要になる日が来ると思った
からこそ、シェレンもためわらなかったのである。
エセルはいつの間にか地面に映る影が長くなっていることに気付いた。
「お名残惜しいですが、そろそろお暇しなければなりません。」
「せっかくおいでくださったのですもの。せめて中で一休みなさいませんか。」
シェレンの誘いにエセルは残念そうに首を振る。
「人を待たせているので、ゆっくりしていられないんです。」
遅れれば便宜を図ってくれたファーゼに申し訳ない。
ディザには二人一緒に帰らなければいけないのだ。
「僅かの時間でもお会いできて嬉しかったです。姫。」
「私もですわ。」
ほんの一時のために綿密な計画を立てて、ラジュアまで足を運んでくれたのか思うと、
感慨もひとしおである。
シェレンはショールを留めていた波型の金細工のブローチをエセルのマントに付け直した。
「植木鉢の返礼ですわ。手持ちのもので申し訳ありませんが、心ばかりの婚約の証として
殿下に。」
そして、門の所まで見送り、立去る間際にエセルの頬に唇を寄せる。
「旅のご無事を祈っております。」
恋人からの初めての接吻に、エセルは胸が高鳴るのを感じ、声が出なかった。
一気に顔が熱くなったようだ。
「姫もお元気で。絶対に失くさないように大切にします。」
貰ったブローチを力一杯握り締めて、やっと挨拶を返す。
姿が見えなくなるまで木立の影に佇むシェレンのほっそりした姿に、後ろ髪を引かれる思いで
エセルは何度も振り返り、手を振るのであった。
第二十二話 TOP