第二十二話

 薄暗くなりかけた頃、窓から馬が駆けてくるのが見えたファーゼは、部屋から出た。
 階段を降りきらない内にエセルが息をきらして、宿の扉を開けて入ってくる。
「兄上。すっかり遅くなってしまって…。」
「もう明日かと思った。良く間に合ったな。」
 エセルが予定より半日ほどずれてしまったのは、昨日夕立に遭い、雨宿りしていたせいだった。
 晴れやかな表情の弟を見て、ファーゼが笑う。
「その顔だと上首尾だったか。」
 答えを聞くより、頬に朱が差したことでわかる。
「素直な反応で結構。続きは部屋でゆっくり聞くよ。」

 エセルがマントから外して大切そうに眺めているブローチに、ファーゼは見覚えがないことに
気が付いた。
 視線を感じたのか、エセルは慌てて振り返る。
「色々お手数おかけしました。」
「別に隠さなくたって。姫からか?」
 誤魔化すのが下手なエセルは、仕方なく頷いたが、何とも嬉しそうな様子だ。
 右手を開くと金色の光を放って輝いている。
 ちゃんと椅子に座らせた後で、無理に聞き出すまでもなく、エセルは事の次第を語ってくれた。
「せっかくの逢瀬だっていうのに、それだけで帰ってきたのか。」
「逢瀬って…。」
「一晩くらいゆっくりしてきても良かったのに。」
 もちろんファーゼは冗談のつもりだが、エセルはむきになって否定する。
「女性の静養先に長居はできません。」
「まあ、おめでとうと言っておこう。」
 大変なのはディザに帰った後だが、喜んでいるエセルに水を差すような真似はしたくない。
 エセルも残る視察の行程の内に落ち着いてくるだろう。
 
 視察の合間に景勝地へ訪れることもあった。
 ファーゼが地図と照らし合わせて、近くならば予定になくとも立ち寄らせるのである。
 随身の者も勝手に道筋を変更されて、困るのだが二言目には、
「滅多に来られない。」
と押し切られてしまう。
 何より一緒にいるエセルがとても楽しそうなので、強く反対しかねるのだ。
 普段、重臣相手に難しい表情をしているファーゼも、年齢の離れた弟の前では甘い顔を
している。
 実際エセルが
「そんなに子供扱いしないでください。」
困ったように抗議している声も幾度か耳にした。
 十四歳といえば、大人でなくても幼児ではないが、ファーゼの目にはせいぜい十歳程にしか
見えていないふしもある。
 リュオンと共に王宮から姿を消したエセルは当時九歳。
 多分、長い空白の時間が記憶と現実を重ね合わせてしまっている。
 エセルの見た目は成長していても、性格が元のままだったこともあるだろう。
 再会した当初の修道服が痛々しく見えた印象は薄らいだものの、素直なあどけなさは
充分幼く思えるのだ。
 一緒に過ごした時間が少なかったせいか、小さい頃エセルはカルナスとファーゼの見分けが
難しかったらしい。   
「良く似てるとはいえ、さすがにショックだったな。」
「そんな失礼なことがありましたか…?」
 本人は記憶にないが、間違えられた方は忘れない。
 少なくともエセルの覚えている遊び相手がリュオンとマリアーナなのは確かだ。
「一度や二度じゃなかったぞ。」
 ファーゼが庭園に出ていたエセル達を見つけて声をかけた時、リュオンの腕を引っ張り、
「どっちの兄上?」
 自分でわからず名前を聞いてから挨拶を返されたのである。