マリアーナは王宮に戻った翌日から、仕立て屋とお針子に囲まれる日々が始まる。
 兄のお下がりが山のようにあるエセルもラジュアへ持っていく分は、また別に作らなければ
いけない。
 クリスマス用、新年用と同じ服に袖を通すことがあるのだろうかと、疑ってしまうくらいだ。
 作法だけでも覚えることが多いマリアーナは、当然町へなど出られなくなる。
  
 マリアーナとエセルの二人を王宮帰してしまったリュオンは、もっと大変だ。
 季節の変わり目で体調を崩したり、霜の降りた地面で怪我をしたり、常に増して患者が急に
増えるのである。
 風邪といっても症状や大人と子供で薬も違ってくるし、処方する間に次の患者が駆け込み、
診療室から離れられずにいた。
 毎晩遅くまで仕事に追われ、自分の事は後回しにするしかなく、スープを作る暇さえないので
往診の合間にパンとチーズだけは買うようにしている。
 何もかも一人切り盛りしていた頃に戻っただけなのだが、手伝ってもらうことに慣れていたらしく、
疲労感が倍だ。
 毛布を被った途端に戸口を連打され、起こされる回数も頻繁になってくるので、おちおち
寝んでもいられない。
 何人医者がいたところで、診療代が払えるかどうかわからない家に、真夜中でも診察に応じて
くれるのは、施療院と療養所とリュオンくらいしか当てがないのである。
 来る者に閉ざす扉は持たない。
 かつてリュオン自身がモンサール修道院でナティヴ院長に言われた言葉。
 必要とされることが、自分の生きる術と選んだのだ。
 医学の知識と共に受けた、救いを求める人々の手を決して振り払わない教えは守りたい。
 ディザから飛び出したものの、途方に暮れて、再び希望を見出し、戻ってきたのだから。

 しばらくの間、王宮へ様子を見に行く時間もなく、診療所にいることが多くなったある日、
火事で怪我人が出たと連絡があり、人だかりができた中に急いで駆け込んだ。
 慌てて水をかけ、煙が広がっただけで、被害は鍋一つで済んでおり、家にいた二人の子供も
幸い軽い火傷を負っただけだった。
 手当てをしているところへ、驚いて血相をかえた母親が帰ってくる。
 内職の手仕事が終わったので、届けに行っていたのだという。
「若先生、ありがとうございました。」
「子供に留守番させる時、火には気をつけて。大したことがなくて良かった。」
 塗り薬を置いて、歩いて戻る途中、リュオンは診療所のストーブの火をを消してこなかったことに
気がつき走り出す。
 戸口に手をかけると、何故か開いていた。
「お帰りなさい、兄上。ちゃんと鍵かかっていませんでしたよ。」
「エセル、来てたのか。」
「ストーブも消えていなかったし、危ないですわ。」
 衝立の奥から、マリアーナも心配そうな顔を覗かせると同時に、また患者が訪ねてきた。
「若先生、エセルさん、こんにちは。あれ、新しい看護婦さんですか?」
 マリアーナが修道服姿ではないため、別人だと思ったらしい。
 来る人来る人が皆、同じ質問を繰り返し、たちまち患者が溢れかえったのは、還俗したマリアーナ
見たさもあるようだ。
 町娘と変わらない服装でも、金の髪が際立って印象的なのである。 
 やっと一息つく頃には、すっかり外は暗くなっていた。
「久しぶりなのに、随分遅くなってしまったな。」
「大丈夫です、お兄様。今日はお迎えが来ますから。」
 マリアーナがカップを差し出しながら、微笑んだ。
「兄上、足りなさそうな物、補充しておきましたけど、他にありますか。」
 エセルはリュオンの診察中に買い物に行ってきたのである。
 元々物が少ないから散らかりようもないが、必要な物まで不足していそうだ。
 裏口をノックする音が聞こえ、リュオンが王宮からレナックが迎えにきたと思い、木戸を開けると
ファーゼが立っている。
「お疲れ様、リュオン。もう二人とも連れ帰っていいか。」
「ええ。助かりました。」
「まあ、これから忙しくなるから、そうそう外出させられないんだが。」
 何せ先にはクリスマスと新年が控えている。
 あまりリュオンには関係ない話だ。
 マリアーナとエセルが身支度を整えている間、ファーゼが言った。
「クリスマスはともかく年明けには帰って来い。エセルの挙式の日取りが公表される。」
 一般にはマリアーナとエセルは静養地にいたことになっている。
 付き添ったはずのリュオンがいなくては変に思われてしまう。
「ではお兄様、失礼します。シチュー多めに作っておきましたから、お食事だけはちゃんと
なさってくださいね。」
 三人を見送った後、往診鞄を診察室から奥に持ち込むと、ベッドに毛布が一枚増えていた。
 おそらくリュオンが不規則な生活をしていることは、マリアーナもエセルも簡単に予想が
ついたのである。


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