第二十六話
新年の行事に追い回されいたエセルがリュオンの診療所を再び訪れるようになったのは、
二月も近い頃。
裏口で物音がするので、リュオンが戸を開けるとエセルが柵にロバを繋いでいる。
「馬に乗れるようになったんじゃないのか?」
「街中は人通りもありますし、一人ではちょっと…。」
雪でぬかるんだ道を歩くのも危ないが、馬はもっと危険だ。
シェレン会いたさに、ラジュアまで駆けていった割に、エセルは自信がなさそうである。
もっとも馬にしろロバにしろ、乗る人間がエセルでは、大して速さは変らない。
「エセル、少し背が伸びたみたいだな。」
華奢な線は相変わらずだが、会った頃より身長が高くなっているようだ。
「やっぱり伸びてますよね。気のせいじゃなかったんだ。」
エセルは嬉しそうに笑った。
多少は気にしていた婚約者のシェレンとの身長差が縮まって喜んでいるのだ。
もうシェレンは成長しないはずだが、年上な分だけエセルより背が高い。
何かにつけ、兄や姉に子供扱いされることも、少なくなるだろうか。
「急に身長が伸びると、体が痛くなるんだぞ。」
「どこが痛くなるんですか。」
「膝の関節とか背中とか。まあ一時的なものだけど。」
一瞬、心配そうな顔をしたエセルは、リュオンの言葉に安心する。
リュオンが患者のいない隙に薬棚の確認をしていると、衝立の奥からエセルが声を
高くした。
「兄上、また食事してないでしょう。」
リュオンが鍋を戸棚の奥にしまいこんでいるということは、皿一枚とカップ一つで用が
足りるもので済ましていて、何もやってない証拠だ。
「最近は頂き物があったから、自分で作ってないだけだよ。」
エセルは疑わしそうに、リュオンを見つめた。
一人暮らしのリュオンに、町の人達が色々と惣菜を届けてくれるのは、本当に
あることなので、確かめる術がない。
リュオンから入用な物を聞き出しメモを取ると、荷物が多くなりそうなので、エセルは
ロバを連れて買い物に出かけた。
(エセルは妙に生活感がついてしまったな…。)
金髪に緑の瞳なら、白馬にでも乗れば童話の挿絵の王子さながらだろうに。
別の日に訪れた時はマリアーナも一緒で、ロバに引かせた荷馬車に乗ってきた。
新年に王宮で挨拶に現れた王子と王女にはどう見ても思えない。
町中でも目立たず、歩いていくよりましだということで、、許可をもらったそうである。
ただ荷物を運ぶだけでなく、診療所に来た患者の足にもなり、誰かを送れば、また帰りに
人を乗せて帰ってくるので、エセルはほとんど御者に徹することになった。
マリアーナは天気が良いので、診療所のシーツや包帯、リュオンの白衣と洗濯に精を出している。
狭いということもあるが、場所柄もあり、リュオンは掃除はきちんとしているらしく、診察室も
奥の小部屋もこざっぱりしているが、居心地の良さはあまり考えられていない。
暮らすというより、寝るだけの殺風景な空間。
日の短い季節なので、せわしく動いている内に、黄昏時になる。
マリアーナとエセルが帰宅時間だ。
「兄上。いつ頃王宮に来られますか。できれば今度は時間を取っていただけると…。」
エセルがやや遠慮がちに言う。
「ああ、絵のモデルがあったか。その内行くよ。」
「たまには皆様と一緒にお食事なさいませんか。お兄様。」
マリアーナも声をかける
「晩餐会は勘弁してほしいな。」
「違います。会食ではなくて、家族だけで。兄上、いつもお一人でしょう。」
「慣れてるよ。」
マリアーナとエセルが手伝いに通ってくれるようになり、食事やお茶を人と共にする時間が
できたが、モンサール修道院から診療所に来て以来、大抵一人だ。
ディザに着いた当初は療養所や近くの店に行ったものの、近頃では滅多になくなった。
「心配しなくても食事くらいしてるから。」
リュオンが苦笑しつつ見送ると、二人は残念そうな顔をしながら帰って行く。
一家で食卓を囲みたいというのは、リュオンを除く家族全員の願いなのである。