春も盛りにになると、出立も間近い。
 エセルは時間を見つけて、リュオンの元へ通うこともできなくなる前に、療養所や
顔なじみになった町の人々に会うごとに挨拶しておいた。
「本当はもう一箇所あるんですが…。」
「修道院か?」
 リュオンに問われて、エセルは頷いた。
「ロバじゃ難しいが、馬なら一日あれば、往復できるよ。」
「でも一人でディザを離れるわけにも行かなくて。」
「私が一緒に行こう。往診に行く家もあることだし。」
 エセルを預けたのは、他ならぬリュオンだ。
 礼と詫びはしておかなくてはいけないだろう。 

 数日後、朝早くエセルは荷馬車でやってきた。
「私もご一緒させてください。お兄様。」
 マリアーナもエセルに話を聞いて、付いて来ている。
 手綱をエセルから受け取り、リュオンが御者台に座ると、馬を走らせた。
 迷わずディザを抜けて、街道に出る。
「兄上。場所、覚えているのですか。」
「忘れるものか。」
 あてもなく飛び出した都の郊外の森の中。
 救いの手を差し伸べてもらった恩があるのだから。
 六年前は随分遠くに感じた距離が、今は短いようである。
 訪れた修道院では、エセル以上にリュオンを見て驚いた。
「あの時は勝手なお願いをしまして、エセルが色々とお世話になりました。」
 丁寧に頭を下げたリュオンに、対面した院長は首を振る。
 ちょうど現在のエセルと同じ年頃の少年だったリュオンが、幼い弟を連れて
いたのには事情があると察していたのだ。
「今度、遠くに養子に行く事になりましたので、ご挨拶に参りました。」
「養子、ですか。」
 やっと再会できた兄弟とまた離れるというのに、元気よく答えるエセルに怪訝な顔を
されたので、
「…良家の跡取りの令嬢とご縁ができまして…。」
 赤くなりながら、付け加える。
「そうだったのですか。貴方の幸せを祈っています。」
「はい。ありがとうございます。」
 エセルは長く過ごした修道院と最後の別れを告げ、後にする。
 行きと違う道を通り、辿り着いたのはマリアーナがいた修道院。
「お兄様。ここは…。」
「せっかくだ。こちらにも挨拶していくよ。」
 マリアーナの案内で中に入り、リュオンは先程と同じ言葉を繰り返す。
 見違えるほど成長し、医者となって現れたリュオンに、やはり驚かれた。
 夕暮れに幼い弟妹と立ち寄った騎士の少年。
 当時のマリアーナが身に着けていた服からも、相当の家で育ったはずなのに。
 ただ今でも、リュオンを慕っている様子に安堵するのだった。

 王宮まで二人を送り届けた頃は、もう陽が落ちる時間である。
「兄上。今日はありがとうございました。」
 エセルがリュオンに笑顔を向けた。
「お兄様。お寄りになるでしょう?」
 マリアーナの誘いを往診先が残っていることを理由にリュオンは断った。

 エセルが町中に姿を現さなくなったのは、間もなくのことである。


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