第三十話
ラジュアからレポーテに帰国し、リュオンは挨拶だけ済ませ、町へ戻りたかったのだが、
シェレンや婚儀の様子のを聞かれ、引き止められる形になった。
しかし、エセルの花嫁について、「美しい姫」としか説明できないカルナスやリュオンより、
マリアーナに話を聞き返すことになる。
ファーゼに言わせれば、
「美的表現の言葉を知らなすぎる。」
ということになるらしい。
長いお茶の時間が終わり、一旦部屋へ退がったリュオンは廊下に誰もいないことを確認して、
足早に立去ろうとした。
往診鞄を小脇に抱えたリュオンに、背後からマリアーナがドレスの裾をつまんで、小走りに
追いかけてくる。
「やっぱりお帰りになると思いましたわ。」
マリアーナは手にしていた白い布が覆いかけられたかごをリュオンに差し出した。
「はい。お持ちになってください。今夜と明朝のお食事の足しにはなりますわ。」
リュオンがおとなしく王宮に居続けるわけがないと察して、用意しておいたのだ。
黙って出て行こうした手前、いささか気がひけたものの、
「ありがとう。マリアーナ。」
と素直に受け取った。
後刻、もぬけの殻となった室内で、
−本日は失礼します−
そう書かれた一枚に紙片を、テーブルの上で見つけたカルナスとファーゼは、
「もう逃げたか。」
と、ため息混じりに呟くことになる。
すでに暗くなった頃、診療所に着いたリュオンは留守を預かってくれた医師達の元へ、
礼と詫びを言い歩き、再び戻ってきたのは夜になっていた。
湯を沸かしながら、テーブルに置いておいたかごの中身を見ると、パンとチーズの他に
乾し肉や魚の燻製などが入っている。
妹の心遣いに感謝しつつ、ラジュアを去る時、エセルがお土産にと渡してくれた紅茶を
思い出し、自分の手荷物を開いた。
木のカップでは申し訳ないようだが、立ち上る香気に、今は遠くに暮らす弟の顔が
頭に浮かぶ。
ろくに世俗を知らぬまま、結婚してしまったが、どうしているだろうか。
数日を過ぎると、マリアーナも姿を見せるようになる。
まだ暮れるまでの時間が長いせいもあり、午後から来る時もあったが、帰りには
リュオンの食事の支度をしていく。
診療所の、というより、リュオンの身の回りの世話を焼きに来ているような感じもするが、
何かと手伝ってくれるし、やはり妹の顔を見られるのは嬉しい。
一月程経ったある日、診療所の灯りを消し、衝立の反対側に移った途端、裏口を
叩く音がした。
リュオンが白衣を着たまま戸を開けると、ファーゼが立っている。
「どうかされたんですか。兄上。こんな時間に。」
いつもより診療所を閉めるのが早いとはいえ、夕刻ではなく夜に近い。
一人でよく王宮から出てくるものだ。
「ちょっと大事な話があって。」
「どうぞ。」
とりあえず椅子に腰掛けると、ファーゼは言った。
「秋にシャルロットが嫁ぐことになった。」
「シャルロットが?いつ婚約したんですか。聞いてませんが…。」
「お前がいつまでたっても来ないせいだろう。」
ファーゼは待ちきれず、どうやら話に出向いてきたらしい。