佐々木力著「科学論入門」     もどる

近代日本の科学技術の性格

彼:近代科学とか自然科学とか言うけど、科学という言葉の語源を知ってるかね。

きみ:語源ねえ。あんまり考えたこと、ないなあ。

彼:科学というのは中国語でねえ。

きみ:中国語?

彼:「科挙之学」という言葉の略が、「科学」だ。

きみ:科挙?

彼:そう、中世の中国に、科挙という官史登用試験があった。科挙とは、科目ごとの試験によって人材を挙げということ。だから、「科挙之学」つまり「科学」は「個別学問」というほどの意味だった。

きみ:個別ねえ。今、学校で使っている科目の「科」とか、病院の外科や内科の「科」、こういうものも個別のものをさす「科」だよね。科学の「科」も、もともとは個別の学問をさしていたわけか・・・。でも、今「科学」と言ったら、物理や化学、生物、地学などをひっくるめたものをさすよね。自然科学といえば、個別の学問ではなくて、自然を相手にした学問の総体をさしている。

彼:そうだ。実は、その矛盾が日本の近代科学の性格を表しているんだ。そのことを話そう。幕末や明治初期で「科学」と言えば、個別の学問をさしていた。明治が進み日本の学問教育体系が整うにつれて、「科学」は今私たちが使っている近代自然科学という意味で定着していったんだ。

きみ:教育界が「科学」という言葉の意味をひん曲げた?

彼:そうじゃない。そのころ、日本は西欧文化、特に科学や技術を取り込もうと必死だった。福沢諭吉は『文明論之概略』という本で、「数理」への重心移動を呼びかけている。

きみ:「数理」とは?

彼:「数学的自然学」つまり物理学さ。それまでの日本で学問といえば儒学、つまり倫理学だった。福沢はこういう学問を「虚学」と決めつけ、「実学」を中心にすべきだと言った。他の学者は、あくまでも儒学を中心にして、洋学は技術学と見なし、従属的なものと考る者も多かった。

きみ:日本人の中心的な学問は儒学であって、それをしっかり学んでから、西欧の技術を身につけるべきだという考えが強かったわけか。福沢はそういう考え方をきっぱりと否定し、西欧の学問、つまりサイエンスを中心にすべきだと言ったわけだね。

彼:明治維新期のベストセラー『学問のすゝめ』も、訴えたかったのは「実学」の振興だった。ところで、そのころの西欧近代科学は、すでに数学的方法とか、機械的自然観とかの基本的な思想を背景にしていた。そして、大学などで教えられている、言い換えれば社会的な制度基盤を持っていた。さらに、分化し、専門化された学問になっていた。

きみ:ニュートンが『プリンキピア』を書いた17世紀、、確かに自然科学はまだ専門化されてはいなかったよね。時代が進んで19世紀になると、西洋では数学とか物理、化学など、個々の学問が確立されていた。それを日本に持ち込もうとしたわけか。

彼:そう。だから「科学」という言葉が日本に根付いたわけだ。1877年、明治10年には東京大学が設立され、1886年には帝国大学という名の下に再編された。モデルはドイツだった。何しろ当時、ドイツの科学は世界のトップだったから。それに、日本は国家の手本もドイツ、と決めていたからね。そのドイツの科学なんだが、すでに研究者は自分の分野で業績を上げることが第一だったんだ。自分の研究が、社会にとってどんな意味を持つのかということは二の次だったんだ。

きみ:科学が日本に輸入されたとき、すでに手本としたドイツの研究者は業績重視だったのか。それを見習って、日本も富国強兵路線を突っ走ったわけだ。業績第一主義はたび重なる戦争の時も、高度経済成長の時も、そして今でも大手を振ってまかり通っているね。

彼:『日本の思想』を書いた丸山眞男は日本文化を「タコツボ型」、西欧を「ササラ型」と言った。
きみ:ササラとは?

彼:竹の先を何本にも細く割ったものさ。日本はササラの先だけを輸入したから、「タコツボ型」の文化だというわけだ。また、夏目漱石は日本の開化を「外発的」、西欧の開化を「内発的」と呼んだ。日本には西欧の「皮相上滑りの」部分を物まねする開化しか道がなかった。それに気づいたとき、漱石は文学者らしくペシミスチィックに「ただできるだけ神経衰弱にかからない程度において、内発的に変化していくがよかろう・・」としか言えないと書いている。その点、福沢は泣きもせず笑いもせず、人々に理性的な対応を求めたわけだ。

きみ:西欧科学の上澄みだけを持ち込むしかなかった明治時代の日本。科学者といえば専門分野で業績を上げることだ、としか思わなかった日本。タコツボ型の文化は歪んだ文化にしかならない。漱石はそこを嘆いたわけか。

彼:科学が技術と区別されずに扱われていることも、歪みといえば歪みだね。彼は区別できるかね?

きみ:科学と技術は区別できないと言う人も多いけど・・・。

彼:そうじゃない。科学は自然の法則性を探る学問。技術は、科学を利用すると否とにかかわらず、ものや仕組みを作る技法だ。明治時代に輸入された科学は、すでにどんどん技術に応用され技術と一体化していた。それを輸入したから、両者を区別できない人が多いんだ。

きみ:外発的でタコツボ型の歪んだ文化は、今でも歪んだままなのか・・・。

彼:歪んでる、歪んでないというけれど、それは西欧の文化を規範とした時のものの見方だよね。ある文化を歪みのある文化、他の文化を歪みのない文化などということができるのだろうか。

きみ:それもそうだね。

彼:ただ、『日本の科学思想史』を書いた辻哲夫の次の言葉は、忘れてはいけない。彼はこう書いている。「ガリレイ、デカルト、ニュートンが生きていた時代の科学は、いまだに日本人にとって理解困難なものである。むろんその背景にある西欧文化の異質性が、われわれの理解を妨げるからである。」

きみ:地上のリンゴから天体に到るまで、すべてが同じ力学法則に則っているというニュートンの世界観と、それを生み出した西欧文化は、日本人には理解不能と言うことか・・・。

彼:近代日本の科学をよりよく理解するには、その当時の欧米科学と照らし合わせる必要がある。そのためには、「内発的」開化を成しとげた西欧科学の内奥に踏み込まなければならないだろう。さらには、東と西の文明双方に通じ、日本がそれまで取り入れていた東洋科学をも視野に入れなければならない。そういう科学史に通じたときに、はじめて日本の近代科学の「歪み」は「歪み」でなくなるはずだ。つまり、彼我の科学史の相違を知り得たとき、日本の科学文化は十全に「内発的」になるに違いない。

きみ:科学史を学ぶ意義がそこにあるということか。

さまざまな科学の概念

彼:日本が明治期に取り入れようとしたのは、いわば西欧近代科学だ。これは古代ギリシャの「古典科学」に始まった。そして、ルネッサンス以降に1回目の革命(「第一の科学革命」)を経験し、フランス革命後に起こった2回目の革命(「第2の科学革命」)によって形成されたものだ。

きみ:ギリシャに科学が始まったのは分かるけど、その後、2回も革命があったなんて知らなかったよ。

彼:その話の前に、西欧近代科学以外にも科学があると言ったら、君は驚くだろうか。

きみ:今、科学といえば西欧で生まれた科学のことだけど・・・。そういえば、東洋医学なんかは西洋科学とは違うよね。

彼:そうだ。一口で言えば、東洋医学は機械論モデルを採用していない、ということかな。西欧医学とは出発点がまるっきり違う。それ以外にも、日本にも和算といって、かなり高度な数学があった。関孝和が「傍書方」という記号代数を開発して、発展させたものだ。他にも、世界にはたくさんの少数民族がいて、彼らには彼ら独自の「科学」がある。こういうものを「具体の科学」と呼んでいる。

きみ:でもそれは「未開の科学」とでもいうようなもので、西欧科学に比べればレベルが低いものでしょう?

彼:そうじゃない。東洋医学と西洋医学の違いのように、それぞれの発祥時点で考え方が全く違っていて、思考の構造が違っているだけなんだ。構造人類学の唱道者レヴィ=ストロースは『野生の思考』で「未開人」の思考を紹介している。彼らは自分たちに有用な動植物にしか名前をつけず、他はひっくるめて呼び名をつけていた。ある研究者が雑草の名前を尋ねたところ、その質問者の好奇心、あるいは「愚考」を笑ったそうだ。彼らは関心のあるものには細かい認識の格子を張り巡らしているが、そうでないものには粗い格子しか持っていない。それだけの話であって、知的操作法や観察方法は近代科学と同種だそうだ。

きみ:なるほど。

彼:ウィトゲンシュタインという人は「言語ゲーム」という概念を考えた。西欧科学は「具体の科学」を下位のものとして含んだゲームではなく、両者はまった別のゲームだと言うんだ。「具体のゲーム」の方がおもしろいこともあるし、規則が十分秩序だっていることだってある。いずれにしても、近代科学や現代科学が他の「具体の科学」より卓越している、とは言えない。

きみ:そもそも、いろいろな「科学」があって、それを同じ土俵に上げることはできないということか。

彼:そうだ。それぞれ、「科学」の基盤が違うんだ。「科学」は一直線に発展するものではなく、いろいろな「科学」が並立するものだと考えた方が良さそうだね。それぞれを共通の尺度で測ることは不可能で、比較することもできない。クーンはこれを「通訳不能」と名付けた。

西欧近代科学の強さの秘密

彼:世界にはいろいろな「科学」があるわけだが、西欧近代科学はともかく強力だ。漱石もそれを認めている。彼は、『現代日本の開化』という講演で、日本がなぜ文明開化しなければならないか、その理由を論じた。そして端的に「ただ西洋人がわれわれより強いからである」と述べているんだ。

きみ:日本も強くなければならない。そのためには西洋科学を取り入れなければならない、というわけか。

彼:西欧近代科学の強さを解明するには、やはり源流をさかのぼらねばならない。話は「古典科学」。まずは、古代ギリシャだ。ギリシャと言えば、タレス。

きみ:万物は水からできていると言ったタレス?

彼:そうだ。彼以前の人は、自然を神話で解釈しようしていた。彼はそこかから一歩抜け出たんだ。自然を、水という自然で理解しようとした。このような思考法は、やがてアリストテレスの『自然学』を生んだ。これは自然をじっくり観察し、徹底的に論理的な思索をめぐらせた産物だ。

きみ:確かアリストテレスは、自然現象を引き起こす超越的な存在はあるのか、などという議論は『形而上学』に入れて、『自然学』では触れなかったんですよね。

彼:そうだ、自然を解釈するときは「いかにして」と尋ね、「誰がそうした」とは問わなかったんだ。

きみ:「誰が?」と考えれば、どうしても「神様が・・・」と答えたくなるからね。。

彼:ギリシャ科学のもうひとつの柱は、理論数学だ。これはまず、議論の出発点として諸原理(定義、公理など)を置き、そこから命題が真であることを証明していくものだ。

きみ:ユークリッドの『原論』が有名だね。

彼:そうだ。これは、徹底して納得するまで根拠を求める思考習慣の産物だね。例えば三平方の定理だが、3:4:5にすれば直角ができることは、エジプト人も知っていた。彼らは、それを使って測量もやっていた。しかし、3:4:5で直角ができる理由を考えようとはしなかった。

きみ:なるほど。直角を作る方法を知っていて、それを使えたことで満足していたわけだ。それにしても、ギリシャ人って、そうとう理屈っぽかったんだね。

彼:なぜ理屈っぽくなったと思う?それは、ギリシャに民主主義があったからだ。

きみ:民主主義?

彼:貴族の民主主義だったけどね。ともかく、貴族は平等だった。だから、物事を決めるときには徹底した議論が必要だった。これを平等な者たちによる競争、つまり弁論競争と言っている人もいる。

きみ:なるほど。弁論競争に勝つためには、徹底的に議論し合って相手を納得させなければならなかったわけか。

彼:こういう社会で生まれたのが『原論』なんだ。これは中国語にも訳されている。しかし、中国ではあまり光を当てられなかった。例えば、ニュートンと同時代人の数学者であった梅文鼎は、『原論』の論理形式を無用に近いものと思っていたそうだ。

きみ:やはり中国の科学は、西欧とは違う科学だったわけか。

彼:こうした古代ギリシャ科学は、ヘレニズム時代に多様に展開されていた。しかしこれは、人間労働を軽減するためには使われなかった。

きみ:ギリシャには多数の戦争奴隷がいたからね。

彼:ギリシャの科学を直接継承したのは、ヨーロッパではなく、イスラーム教を基盤とするアラビア言語圏だった。地中海を取り囲んだ広大な地域だ。イスラームは、神のもとでの人々の平等を説いていたので、この社会には奴隷がいなかった。したがって理論科学は実践にどんどん取り入れられた。これは科学にも反映され、インドでは簡明な計算法が生み出された。また、アルジャブルという未知数を用いた計算理論も見いだされた。錬金術もこの流れから生まれたものだ。

きみ:労働軽減策が、新しい科学の分野を切り開いたわけか。

彼:「古典科学」はおもにアラビア語を介し、12世紀以降、ラテン語に翻訳されて、キリスト教ヨーロッパ世界に導入された。そして、科学はキリスト教的に解釈し直された。これは、中世ラテン科学と呼ばれている。この科学こそ、ヨーロッパで近代科学を建設した人たちが基礎とし、そして反逆した科学だった。

きみ:やがて、ルネッサンスが起こり、「第一の科学革命」が起こった?

彼:そう。「第一の科学革命は」コペルニクスの地動説に始まり、ニュートンの『プリンキピア』までを言うんだ。ルネッサンス期には、古代ギリシャの書物やラテン語の文献を復活させるとともに、大洋に乗り出すなど、機械的技芸が発達した時代でもあった。機械的技芸は科学の研究にも取り入れられ、いわゆる実験機器が登場した。実験機器による科学、言い換えれば「テクノロジー科学」の登場が「第一の科学革命」だ。

きみ:望遠鏡という実験器具がなければ、ガリレオの研究はなかったということか。

彼:そういう実験器具を生み出した人たちは、「技芸」を持つ職人層だった。ラテン・キリスト教社会は、そうした職人層をたくさん育てていた。そしてヨーロッパでは、各地の大学で「哲学」を研究する学者たちがいた。ルネッサンス期、このふたつの階層が出会うことになった。そして知識を持つ職人、いわば「高級職人」が登場したんだ。この人たちが「テクノロジー科学」を発生させたと言って良いだろう。

きみ:「機械的技芸」を持つ職人が実験装置を作ったのは分かるけど、「哲学」はどうして必要だったんだい?

彼:ニュートンは『プリンキピア』の序文に書いている。自分の学問は古代からの「機械学」の延長だが、「哲学」に思いをめぐらしている。つまり、力がいかなる形で自然界に存在し機能しているかについて「哲学的」に論じ、数学的に表現するのだと。彼はコペルニクスの地動説モデルをから楕円軌道を描きだし、ガリレオの膨大な観察記録から数学的な方法を使って落体法則を発見した。そうした仕事ができたのは、デカルトによる自然の機械論と数学的記述の重視などというバックボーンがあったからだ。彼は微少な物体から天空の世界までも、数学的力学的に描いて見せた。

きみ:なるほど。『プリンキピア』のちゃんとした名前は『自然哲学の数学的諸原理』だものね。

彼:ガリレオもニュートンも実験の達人だった。そして、哲学者だった。こういう人たちによって「第一の科学革命」が起こったんだ。このことは、ヨーロッパで科学革命が起こり、イスラーム世界やラテンキリスト教世界で起こらなかった理由も説明してくれる。イスラームでは専制的体制が取られ、法が慣習にすぎないものとなった。こうなると人々は公権威に対して恭順になり、自立性が失われた。つまり、科学を鼓舞する気風が失われてしまったのだ。

きみ:科学の発達にはやはり、批判を許しあう社会があり、徹底した議論ができるようでなければだめなんだね。

彼:ニュートンが学んだヨーロッパの大学には、そういう気風が残されていたわけだ。次に、中世ラテン科学だが、ここには確かに職人層があった。大学も熱心に討議していた。しかし職人たちは無学のままだったし、大学の関心も神学、日本で言えば江戸時代の儒教のようなものだった。だから、数学などというものは「存在」や「善」にかかわらないものとして、二の次に扱われていた。

きみ:哲学と数学の出会いがなかったわけか。

彼:こうした近代科学は、近代国家に受け入れられた。

きみ:科学で、いろいろなものが作れたからかい?
彼:そればかりではない。近代国家はマキャベリに始まると言われているんだが、近代科学とマキャベリの国家論は、理想を問題にしないという点で一致していたんだ。
きみ:どういうこと?

彼:マキャベリは1532年に『君主論』を書いている。この本は国家の理想の姿や、政治の目的などということには触れてない。君主が他のライバルたちに敗北することなく、人民に信頼され、恐れられすぎず、かといってあなどられもせずに統治するにはどうすればよいかということが述べられているんだ。彼は政治的なリアリストだった。

きみ:それが自然科学のどこと似ているわけ?

彼:もっぱら「いかにして」という問題、つまり操作的・技術的な問題だけにかかわろうとしたところ。

きみ:と言うと?

彼:近代自然科学はデカルトの機械論を背骨にしていた。自然を巨大な機械と見なして、ひとつひとつの部品を見つけだすことが「分析」だ。そして、部品をもう一度組み直して全体像を得る。これが「総合」だ。

きみ:そうやって組み直してみても、もとの自然とは違うものしかできあがらない、という人もいるけど?

彼:デカルトも「総合」して得られる機械が、自然だとは言わなかった。証拠に、彼は人間精神を機械とは見なさなかった。

きみ:じゃあ、何のために「分析」し「総合」するのさ。

彼:その方が理解しやすいから。つまり、機械と見なした方が自然を操作しやすいからさ。

きみ:分かった、操作できればそれでいいんだ、ということがマキャベリズムと近代科学の一致点だ。

彼:そうだ。だから当時、ロンドンではロイヤル・ソサイエティが、パリでは王立科学アカデミーが設立され、「数理学」の天才たちが召し抱えられていたわけだ。特に、ロシアのサンクトペテルベルク科学アカデミーにいた数学の王者オイラーは、近代絶対主義王権にとってなくてはならない”イデオロギーの中心”だった。

きみ:そういう君主制はフランス革命とともに葬り去られたね。

彼:そうだ。ヨーロッパの近代はフランス革命とともに始まったと言われる。それとともに科学にも「第二の科学革命」が起こり、本格的な科学の時代に入ることになる。まず、国家が近代科学を高等教育の中に制度化したことがあげられる。これは、科学を教え、自ら研究する職業の出現を意味する。

きみ:つまり、科学者という職業が生まれたと言うこと?

彼:そうだ。「サイエンティスト」という言葉が現れたのもこの時期だ。職業としての科学者が現れると、科学はますます専門化し、新しい分野も切り開かれた。特に重要なことは、電磁気学と熱学の誕生だ。前者は20世紀になってアインシュタインの相対性理論を生み、後者は量子力学を誕生させたからね。

きみ:そういう新しい学問が生まれたのは、科学者が職業になったことの他にも理由があったんじゃない?

彼:産業革命とともに、大がかりな実験装置を作ることが可能になったこと。そういう装置で、自然を人工的にコントロールして、法則性を探るというやり方が可能になった。こういうやり方はベイコンが熱心に唱道したので「ベイコン的科学」と言われている。

きみ:「第一の科学革命」の時は、実験器具を使えるようになったとは言え、望遠鏡のように自然を観察するだけの器具だったよね。今度は、自然をコントロールできる装置を使えるようになったこと、そこが違うわけか。

彼:もっと違うところがある。それは、科学が産業に利用できるようになったことだ。「第一の科学革命」の時は、どちらかと言えば技術が科学に貢献していた。ところが「ベイコン的な科学」は、技術として実現できるだけの成果を上げることができた。「科学に基づいた技術」が現れ、これ以降、科学と技術は切っても切れないものとなったんだ。「科学に基づいた技術」を「科学的テクノロジー」と言おう。

きみ:いよいよ「科学技術」が力を持つようになったわけか。

彼:「科学的テクノロジー」は強力な火器や通信、交通手段などを生んだ。こういうものを持った欧米諸国は、他の国々の支配に乗り出した。「科学帝国主義」の始まりだ。

きみ:日本に黒船がやってきたのも、この時期だね。

彼:「科学的テクノロジー」だけでなく、科学そのものも植民地支配の道具になった。欧米の科学者は、被支配地域の人たちに劣等感を植え付けるために十分だったわけだ。

きみ:日本もはじめは「科学帝国主義」の被害者だったけど、ある時から加害者に変わったよね。満州に進出して支配しようとしたことなど、その象徴だね。

彼:確かにそうだね。その戦争中、技術員総裁・多田禮吉は占領した東南アジアを回ったとき、次のような感想を述べている。「我が日本の武力とともに科学力によって先住民の尊敬と信頼とを勝ち得るやうにしなくては、大東亜の建設はできないと思ひました」

きみ:科学者は社会的にどんな役割をはたしているのか、しっかり自覚すべきだよね。

彼:ここで、近代から現代までを振り返ってみよう。国家の体制はいろいろ変わったけれども、科学者たちはいつも重視されていたことに気づくだろう。科学や技術は、そのままではストレートにイデオロギーといえるものではないかも知れない。しかし、一定の目的を助長する手段となり得るし、時には私たちの望まないような生活環境を作り出すこともある。そういう意味では、立派にイデオロギー機能を果たすものだ。

技術とは何か、それは科学とどう関係するか?

彼:西欧近代科学の強さの秘密について、歴史的にみてきた。今度は西欧近代科学と中国の科学を比べてみよう。中国科学技術史を研究したニーダムは、両者を比較したグラフを書いている。横軸に年代、縦軸に発展の度合いを取る。すると中国科学技術は、ゆるい右肩上がり直線になる。淡々と発展してきたわけだ。一方、西欧科学は紀元前300年頃に興隆を見せ、中国科学を上回っていた。しかし、その後下降線をたどり、プトレマイオスがいたころの起源100年から200年頃には、中国科学に追い越された。そして長い停滞期の後、再び西欧科学が発展した。そして、中国科学を上回ったのはガリレオが活躍した1500年頃だ。

きみ:ヨーロッパでは古代ギリシャ時代に科学が発展し、その後長く停滞し、「第一の科学革命」で再び急成長した、ということに対応するわけだ。

彼:科学の発展型がなぜ違うのだろう。ニーダムによれば、それは封建制度の相違から説明できるという。封建制度の違いは、ヨーロッパが牧畜=航海文明で商業を鼓舞していたのに対し、中国が灌漑=農業文明だったことが根底にある。そういう文明の違いは、ヨーロッパの封建制を軍事=貴族的封建制にし、中国を官僚的封建制にした。ヨーロッパでは、騎士が大きな役割をはたした。戦争ともなれば王は自分より下の階級の助けを借りなければならなかったんだ。それに対して中国は広大な国土を持ち、巨大で複雑な官僚組織を持っていた。官僚組織は、はじめは科学の発展を援助していたが、後になって科学の発展を抑え込み、ヨーロッパのような飛躍的な発展を阻んだと、彼は言う。

きみ:官僚組織というものは融通がきかないから、革新的な発展を阻害するんだね。

彼:ヨーロッパの中世以降に技術の発展があったことも見逃せない。科学が急成長した16,17世紀、ヨーロッパは政治経済の巨大な危機を迎えていた。それに有効に対応しようという運動の中で「機械的技芸」の地位が向上し、国家がそれを取り込んだ。そういうことが、科学の発展に決定的な役割を果たしたに違いないね。

きみ:キリスト教との関係は?

彼:キリスト教が技術を鼓舞したと言えるだろう。キリスト教は神の前での人間の平等ををうたい、「働くことは祈ること」という標語を掲げて労働を奨励した。人間の労働を助ける目的で、技術を鼓舞したのさ。その結果、すでに1350年ころには、ヨーロッパの金属加工技術は中国を凌駕していたという説もある。こうして発展した技術はやがて大学の中で制度化され、「高級職人」の出現をみたわけだ。

きみ:今でも、中国科学はすっかり西欧科学に乗り越えられてしまったわけじゃないよね。例えば中国医学は、西欧医学では得られない効果を出すこともある。

彼:そのとおりだ。このことは、また後で取り上げよう。そして今度は、技術と科学の問題を考えよう。20世紀を象徴するような科学的テクノロジーといえば、コンピュータだろう。これを作るときに貢献した数学者は、フォン=ノイマンだ。彼はまぎれもない数学の天才だった。同時に、20世紀の科学的テクノロジーの問題をも象徴していた。原子爆弾製造の理論を解き明かしたのも、彼だったのだ。ノイマンは数学だけでなく、歴史の記憶や語学力にも並はずれた才能を見せた。しかし、倫理的・社会的な痛みの感覚はまるでなかったんだ。そういう問題があること自体、彼は気づかなかったのかも知れない。

きみ:ノイマンは「純粋」な科学研究者だったんじゃないの?

彼:確かにそうだった。「純粋」な研究者が、原爆製造という「不純」な研究の場でも「不純」さを見ないで「純粋」を保っていたとも言えるだろう。

きみ:要するに、自分がかかわっている技術の全体ヴィジョンを把握しようとは思わなかったわけか。もっと視野を狭くして、専門分野の中だけで科学研究に没頭していたということか。

彼:開発している技術の全体ヴィジョンをつかむ、ということは「心眼」を持つ、とも言い換えられる。20世紀の科学的テクノロジーの問題を象徴するノイマンのような姿勢を「フォン・ノイマン問題」と名付けよう。

きみ:自分のしていることが本当に人を幸福にしているのかどうか、科学にたずさわる人は常に「心眼」を持って研究して欲しいね。

彼:科学というより、考察すべきは技術の方だね。科学は技術の力を大きくする機能を持つだけなんだ。その点、技術は直接社会に影響を及ぼしている。その技術と社会との関わりについてなんだが、いくつかの考え方がある。まずは技術の「道具」説。技術には良いも悪いもなく、その使い方が問題なんだという説だ。

きみ:良く耳にする考え方だね。良い技術も悪い技術もないんだ。使う人間が問題なんだ、と。

彼:これは特に技術者には受けがよい考え方だね。技術者は、プロジェクトの立案の段階では参加しない場合が多いから。それに、これは技術者を免罪する考え方でもあるし。対して、技術の「実体論」というものがある。技術自体に目的が内在している、という見方だ。この議論を深めるために、違った角度からの考え方を紹介しよう。「技術決定論」と「技術の社会構成論」だ。「技術決定論」というのは、技術が社会を動かしていくというものだ。

きみ:と言うと?

彼:近代日本の思想家の多くは、この立場を取った。例えば福沢諭吉は、蒸気や電信などの技術の導入こそ、近代日本の建設に決定的意義を持つと論じている。この考え方は、技術によって作り出されたものが社会を動かしていくというものだ。これに対して「技術の社会構成論」は、社会的な要求によって技術も変わってくる、という考え方だ。例えば先の大戦で日本が作った零戦。この戦闘機は軽く、機敏に飛行することができた。日本では、この飛行機の能力を最大限に引き出せるように、戦闘員の教育に力を入れた。しかし、零戦には欠点もあった。それは操縦士を守る防護壁が貧弱で、容易に銃弾が貫通したことだ。対してアメリカ軍は、人命を第一に考えていた。だから、強固な防護壁を持つ重い飛行機を作った。そして、それを駆動するために、強力なエンジンの開発に重点を置いたんだ。

きみ:なるほど。社会的な要求が違えば、技術の姿も変わってくるという考えが成り立つことがわかるね。

彼:しかし、技術的に不可能なことは、社会がどんなに要求しても実現しないけどね。ともかく、技術の発展方向を決めるときに、社会構造は大きくかかわっている。その社会構造は政治によってコントロールされているから、政治と技術は深い関係で結ばれているということになる。結論的にいえば、健全な政治が健全な技術を進展させるということだ。

数学・自然科学・医学 −科学の三つの典型−

彼:今までは、おもに科学というものを歴史的に議論してきた。これからは、科学の哲学的な側面に焦点を当てよう。数学から医学まで、西洋科学の底を流れている考え方は「分析と総合」だ。

きみ:デカルトの哲学だね。

彼:そうだ。数学で分析といえば、公理などと呼ばれる根元的で原理的なものを発見することだ。そして、総合といえば、発見した公理から演繹的に命題を証明することを指す。

きみ:そうした考え方は、他の分野へも影響したんでしょうね。

彼:論理的道筋の解明や、現実への対処にもよく使われた。医学も分析と総合だ。症状から原因を探ることが分析、原因から症状を導き出すことが総合だ。

きみ:自然科学では、分析はより根元的な要素を発見する強力な道具として働いているね。化学でいえば、ラボアジエが原子の存在を確実なものにしたように。

彼:問題は、そうして得られた要素を総合することによって得られたものが、現実と一致するかどうかだ。実は、分析と総合という方法概念を通して対象を見る場合に、原理的な「限界」が存在するんだ。現代の批判的な科学哲学者が議論しているのも、この「限界」である場合が多い。

きみ:原理的な「限界」ってどういうこと?

彼:うん。じゃあ、その話をしよう。数学の世界で、数学の限界を示したのはゲーデルだ。1930年、彼は「不完全性定理」というものを発表した。内容は二つある。一つは、ある数学理論の形式的体系には、内容的には真であっても、それを証明できない命題が作れるというもの。もう一つは、その体系に矛盾がないことは、その体系内では証明できないことだ。

きみ:難しいね。どういうこと?

彼:例えば、「どこまでも交わらない二つの直線があり得る」という平行線公準から出発した数学が、ユークリッド幾何学だ。しかし、その幾何学の中では、そういう平行線が本当にあるのかどうか証明できないということだ。事実、そんな平行線など存在しないのだという公準から出発した非ユークリッド幾何学も、論理的な誤りは全くない。

きみ:そういうことなら、誰でも気づいていたんじゃないの?数学の出発点には必ず、定理や公理などという約束事があるもの。

彼:そうだ。歴史をさかのぼれば、すでにギリシャ時代に、懐疑主義者たちが同じようなことを言っていた。彼れは次の5点を指摘していた。(1)あらゆる言明には異論が存在すること。(2)根拠付けは無限後退を含むこと。(3)言明は観点に相対的であること。(4)最初におかれる根拠は仮説的であること。(5)根拠を理論体系の内部に求めれば、堂々巡りにおちいること。

きみ:じゃあ、ゲーデルは独創的な仕事をしたわけではないんだ。

彼:それは言い過ぎだね。彼は、数学の「不完全性」を「数学的に」証明したんだ。

きみ:なるほど。それにしても、もっとも論理的な数学が不完全だとしたら、数学を考え出した人間の理性が「不合理」だということじゃないかい?

彼:そうじゃない。人間の理性が「不合理」なら、理性が証明した「不完全性」も不合理になってしまうから。

きみ:それもそうだね。ところで、数学の話は分かったけれど、自然科学一般にも「不完全性」があると言えるの?自然科学は実験や経験によって、正しいことが証明できると思うけど。

彼:いや自然科学にも、同じようなことが言える。物理学者でもあったデュエムは、仮説についての判断実験が、仮説の真偽をいつでも決定できるとは限らないと言っている。理由は、数学の帰謬方のような論法が使えないからだ。

きみ:帰謬方とは?

彼:ある仮説の正しさを証明するために、いったんその仮説を否定して議論を展開してみる。そして、矛盾を生じれば、その仮説が正しいとして良いというものだ。しかし、自然科学の実験では、この方法は使えない。判定実験を試みて予期した結果が現れない場合、その実験がわれわれに教えることは、予期した現象が生じないことを検証するのに役立ったあらゆる命題の中に、少なくとも一つの誤謬があるということだけだ。予期した現象を生じないとき、誤りがあるのは、目下問題になっている命題だけでなく、物理学者が使った理論的足場の全体なのだ。

きみ:数学の場合、誤りの原因を探ろうとすれば、一本道をさかのぼればよいけど、自然科学の場合、実験が失敗した原因を探る道はたくさんあるからね。

彼:経験的言明を個々に積み重ねていっても、それだけでは自然科学が真実であるかどうかは決定できない。これを「決定不全性」と言うんだ。でも、これも今になって分かったことではない。古代や中世のまともな哲学者にとっては、常識だったんだ。

きみ:えー、本当?

彼:例えば1708年、ヴィーコはナポリ大学で自然科学の探究における数学的方法の限界について、議論している。彼は言った。「数学を証明できるのは、われわれがそれを作っているからだ。われわれが自然を証明できるとしたら、われわれはそれを作ることになってしまう。」

きみ:確かに数学は、私たちの頭の中で思い描かれたもの、つまりわれわれが作ってものだね。そして、数学を自由に操ることもできる。しかし、自然を作ることはできない。

彼:ヴィーコには「真実とは、それを作れるほど深く知っていることだ」いう考えがある。人間は自然の形を変えることはできても、自然そのものを作ることはできない。だから、物理学を支えている数学的自然観も「真らしいもの」の認識にすぎないというのだ。

きみ:ぼくも数学で記述された学問の方が、そうでない学問より深く自然を認識しているという考え方には、なじめないな。

彼:物理を通して、自然を数学的に表すことだけが、自然を正しく認識できるやり方だという考えは、機械の時代、分析の時代であった近代の自然科学観だね。自然を見る目はたくさんあるはずだ。特に、自然をあるがままに記載する博物誌・自然史などは、環境を重視する時代の科学として高い地位を与えられるべきだと思うよ。

きみ:ところで、数学や科学は結局は「不完全性」「決定不全性」を持っているのなら、研究すること自体、無意味なんじゃないかい?

彼:科学を研究しても、今までより真実に近づいたとは言えないだろうね。「実在の自然」を知らないで「実在の自然」に近づいたという保証はないのだから。ただ言えることは、一定の基準に照らし合わせてみたとき、それまでより良い理論を作ったとだけは言えるだろうが。

きみ:それにしても、むなしい営みじゃないか。

彼:いや、科学には意義がある。それは、現実の世界で役立つ実践の手がかりを与えてくれ、実践を成功に導いてくれることだ。

きみ:実践を成功に導いてくれるということは、科学は正しく自然を認識していると言うことではないかい?

彼:そうじゃない。実践を成功裏に導いてくれるが、疑う余地を残す。これが数学の「不完全性」、自然科学理論の「決定不全性」の教えるところだ。理論には必ず疑いが残るが、実践には疑いの余地はない。疑い、逡巡していたのでは実践はできないからだ。そういう意味で、私たちの思考が基礎をおくべきなのは、理論以上に実践なのだ。

きみ:科学は理論で、技術は実践だから、技術の方が重要視されなければならないということか?

彼:実践での成功、という裏付けがあっての科学なんだ。何らの解決能力も持っていない理論は空疎だね。この例を医学にも求めることができる。明治時代、多くの兵士が脚気に悩まされた。脚気には麦飯が効くと漢方では言われていた。しかし、なぜ効くのかを西洋医学では説明できなかったんだ。それを理由に森鴎外は、麦飯で脚気予防しようという人たちを排撃してしまった。この経緯を板倉聖宣は「証拠より論」と言い表した。

きみ:なるほど。実践が先にあって、理論は後から追いかけてくると考えた方が良さそうだね。

彼:数学の微積分も実践的計算法がまず使われていて、理論は後から基礎づけられたんだ。理論的な裏付けがないといって、実践的処方を軽視してはならないのだ。ファウストの言うとおり「はじめに行為ありき」だ。

転換期の現代科学技術

彼:最後に、現代の技術をどう見るべきかを考えよう。科学については、とりたてて言うべきことはない。科学に何の問題もないからではなく、技術を見る目が変われば科学への目も変わるからだ。

きみ:これからの社会において、どんな技術を受け入れ、どんな技術は排除していくのか。そういう議論が必要だということだね。

彼:そうだ。言うまでもなく、私が知る限りでは、日本の技術論でもっとも優れているものは、高木仁三郎の『市民の科学をめざして』だ。彼はこの中で、科学技術を推進する集団から独立していて、しかも対等な力を持った人たちの批判が必要であると言っている。

きみ:原子力資料情報室そのものだね。科学技術がかなり高度になっている今、専門家といえば、科学技術を推進している立場の人がほとんどだ。それに対抗しうる専門家はぜひ必要だと思う。教師としても、そういう専門家が教え子の中から出るように心がける必要があるね。

彼:次に、技術を論議するときに反面教師とすべき論理だ。これは二つある。一つは、科学技術に実力以上の期待を抱き、やみくもに巨大技術を社会の中に取り込もうとするモデル。もう一つは、哲学的に近代科学の限界を説き、科学技術全体を社会に制度化することに歯止めをかけようとする思想だ。

きみ:温暖化を防ぐためといって原子力に力をそそぎ込む思想とか、反対に、科学技術全体を否定するような考え方は、日本にもあるね。

彼:「発明は必要の母」という言葉がある。

きみ:「必要は発明の母」じゃないの?

彼:「発明は必要の母」だ。20世紀の科学技術を言い表した見事な一文だと思うね。私たちが科学技術を見る目を転換させるときに、まず心しなければならないこと。それは「本当に必要なものかどうか」ということだ。われわれはこれまで、専門家の「発明」をそのまま「必要」なものだと、うのみにしていた側面があったのではないだろうか。

きみ:何をするのか目的もないまま、パソコンを買った人も多かったね。

彼:「心眼」を持たないフォン・ノイマンのような科学技術者が作り出したものを、必要なものと勘違いして消費していたのでは、地球環境問題や原子力の問題などは解決しないだろうね。「本当に必要かどうか」を判断するためにも、「インフォームド・コンセント」という概念を導入することが大切だ。これは、あらゆる技術について十分な情報の公開を求め、必要性について社会的な同意を得ることだ。

きみ:まさに原子力などについては、問題点を全部さらけ出して、社会全体で方向を決めるべきだよね。そのとき、原子力資料情報室のような、技術推進派に対抗できる専門家集団が必要だね。

彼:技術推進者の「発明は必要の母」という論理を、住民の側の「必要は発明の母」という考え方で見直すべきだね。次に、技術者の姿勢についてだが、わたしは、文明論的な大風呂敷を広げて、何の解決能力も持たないことをいうような人よりは、理性的で強い責任倫理を持つ科学者や技術者の方を信頼するね。若い人にも、地震予知や地球環境問題、ため込んでしまった高エネルギー放射性廃棄物の処理問題などに、近代科学の知識を総動員して取り組んで欲しいと思っている。

きみ:若い人たちが理科離れすると言って、おもしろ実験などの取り組みがなされているけど、それはどう思う?

彼:今までの価値観の延長でなされているのであれば、疑問だね。結局は偏差値競争に彼らを追いやっているし、「発明は必要の母」という技術観が残っているからね。

きみ:なるほど。

彼:ともかく、技術は政治と関連しているから、この話の最後に、社会体制に触れなければならない。私は「環境社会主義」という名で、問題解決に到る政治プログラムを示したい。環境問題の解決は難しいという悲観的な見方もあるが、それは資本主義市場経済の中で考えているからだ。資本主義経済の根底には、人間の抑圧と自然の搾取が万能だという思想があるからね。

きみ:確かに、自然から資源を取れるだけ取ろうとしながら、片方で環境保護だなんて、矛盾しているね。

彼:社会主義といっても、全体主義的に傾いて民主主義を抑圧するのは間違いだ。環境資源政策を中心にして、資本主義の枠を乗り越え、生産と分配、環境と資源に関する民主主義的なプログラムを作ろうというものだ。

きみ:今までの政治・経済学は、資源は無限にあり、地球環境もこわされることはないという暗黙の前提があったね。これからは、資源も環境も有限だという上に立った政治経済システムの建築が必要だね。

彼:そういうプログラムは、近いうちに現れると思うよ。これで、ひととおり話した。最後に一言。わたしが現代科学技術を論ずる基本姿勢は「科学技術論の医学史モデル」とでもいうべきものだ。科学技術の本来の目的は、人を癒し助けることだと思うからだ。「人への愛」を忘れたとき技術は堕落する。私ははじめは数学者だった。しかし、フォン・ノイマンのような生き方をたどることを拒否して、数学を飛び出し、数学史家となった。そして、彼とは対極的な半生を意図して歩んできたんだ。