新年 おめでとうございます
理事長 飯 田 光 徳
ご高承のとおり、今年は旧日本帝国主義が「旧韓国」を植民地として支配する「条約」を押し付けた − いわゆる《日韓併合》から100年になります。
これを機に日本とコリア関係の新しい100年に向けての取り組みを論ずる思潮があります。相互尊重・共栄の関係に向けての新たな模索は、もとより必要なことです。しかし、そのためにも植民地支配の清算は不可欠です。北朝鮮との国交正常化と韓国に対してもなお残る諸懸案の解決こそ急がれます。
日本コリア協会・大阪はそれらのためのさまざまな取り組みを強めていく所存です。皆様のご協力・ご支援をお願いいたします。
なお、《併合100年》にかかわって日本コリア協会・大阪が刊行した冊子=「日清・日露戦争の虚像を解明する」の普及にも、格別のご協力を訴える次第です。
市史の中のコリア
戦死者に対する
《盛大》な葬儀
寝屋川市史第6巻・近現代史料編によると、同市の『寝屋自治会文書』として『明治37年8月7日 日露戦争戦死者村葬順序』が掲載されています。
「故陸軍歩兵一等卒〇〇君葬式順序
第一砲 礼 砲
第二砲 一同着席
第三砲 出 棺 式」
といった具合に「第八砲(式終ルヲ告)までに対応する次第が示され、そのあと《行列順序》がじつに詳細かつ仰々しく記されています。
一旭尋常小学校生徒職員諸氏
一交南尋常小学校職員諸氏
一交南高等小学校生徒職員諸氏
にはじまり「先駆 警固 銘旗 立花」とつづき、その立花の名義人には郡長、郡教育会らのほか、驚くのは「真宗以外の各宗僧侶」として、なんと24の寺院の名があげられ、真宗からは15寺と、郡をあげての
寺院の参加です。
また、紅旗 白旗 赤十字旗 愛国婦人会旗 北河
奉公義会旗が立てられ、高張堤燈、楽人とその附属太鼓・助音、鈴、香炉その他が並びます。
さらに「会葬者」には
一官 吏
一各町村長
一村会議員
一愛国婦人会員
ほかがあげられています。
葬送行列は喪主より前に葬主(村長)、副葬主(常設委員)が歩きます。
一庶民といえどもこういう大規模かつ「荘重」な葬儀が挙行されるのは「お国のために命を捧げた」からであり、それは「いかに名誉なことか」という宣伝でしょう。
ちなみに、日露戦争における同市の戦死・戦病死者数は20名、日清戦争では2名で、同市史の旧版=1965年版には氏名も記載されています。
絵馬寄進の運動
住民に強いる?
ほかにも、日露戦争に関して同市史は『明治39年3月』時点での『日露戦争絵馬寄付名簿』(小寺辰夫家文書)を掲載しています。「非常組」なる組織が発起人となり、計92名が、少ない人は2銭から多額の人は2円50銭まで、寄金しています。日露戦争を《愛国心の育成》に結びつけたい当局の意図が浮かび上がっています。
このような動きを(司馬遼太郎にならって)同戦争に対する《国民の支持》の広さと指摘する向きもあるでしょう。しかし、興味深いのは寄金者の名簿中に、一旦、寄金に応じながらその後、取り消した人がいることや、発起人として「非常組」に名を連ねながら寄金していない人もいることです。この絵馬寄進が民衆の自発性によるとはいえないものを感じさせます。
朝鮮問題で両国
険悪で開戦へ
なお、日清・日露戦争に関して同市史旧版)は、次のように述べていることを追記しておきます。
「明治二七年、朝鮮問題で日本・清国間が険悪となりついに戦端をひらくにいたった」「日清戦争後、満州問題の紛糾が大きくなり、明治三七年当時世界最強といわれたロシヤを相手に戦わざるをえなかった」「これ(梅原健三氏の戦死=編集部)は日露戦争における陸海軍を通じての最初の戦死というので全国的に知れわたった。…時の郡長斉藤研一が国民の士気を高揚させるため、いまに語り草となる立派な葬式を営んだ…」
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