ハーモニカ・アコーディオンを発明したオルガン職人「ブッシュマン家族」

ハーモニカ誕生!

■1821年-ドイツ(ベルリン)で、オルガン職人の息子、クリスチャン・フリードリッヒ・ブッシュマンという16歳の少年が、「AURA(オーラ)」というハーモニカの原型を試作。

 

「AURA(オーラ)」

1827年-南ドイツ(トロッシンゲン)で、クリスチャン・メスナーという時計職人が、「マウス・ハープ」と呼ばれる、殆ど現在のハーモニカに匹敵するものを手造りで製造。事業としてハーモニカの製造を始めた。一般的には、1827年が、ハーモニカの誕生年になっている。

 ■1857年-HOHNERの創業者マティアス・ホーナーが、ハーモニカ製造法をマスターし、HOHNER社を創立。商業生産を始めた。

【1890年頃の宣伝ポスター】

ハーモニカ、アメリカへ

■1862年-HOHNERの創業者-マティアス・ホーナ氏は、既にアメリカ大陸に移住していた親戚の勧めで、HONER社のハーモニカを初めてアメリカに輸出。(カナダに住んでいた従兄に自分の作ったハーモニカを6本送り、6ドル手したのが、初のアメリカ大陸輸出と言われる。)

アメリカでの主力商品は、1896年に発売された「マリンバンド」(当時流行していたアメリカ海軍軍楽隊の名前)。は、当時50セントだったという。

ハーモニカ渡来!

■1895年-明治29(1896)8月刊の「手風琴独まなび」に掲載された新聞広告「西洋横笛(ハーモニカ)25銭、30銭、50銭、80銭、120銭、2円、250銭、呼吸に任す自在の袖珍楽器なり」と書かれてあるので、輸入は同年もしくは前年になる。

その後、ハーモニカ国産第1号は、明治43年(1910)に東京で生産された。

HOHNER社のハーモニカ

カチドキ笛発売

■1905年-明治38年、日本で販売されたHOHNER社のハーモニカ名は「カチドキ笛」。日露戦争時に販売された為につけられた名前。

 1910年-明治43年、日本国内でハーモニカの製造に最初に成功したのは、鶯声社の小林政次郎だった。

日本式複音ハーモニカ

完成

■1913年-大正2年、「ハーモニカの父」川口章吾が、HOHNER社のダブルリードハーモニカを改良し、日本式複音ハーモニカを完成。

 【川口章吾モデル(スズキ)】

その後、佐藤秀廊が、複音ハーモニカの奏法を開発完成させ、日本のハーモニカは、益々発展する。

クロマチックハーモニカ生産開始

■1924年-HOHNER社で、クロマチックハーモニカの生産開始。1920年代には、ハーモニ

カバンドも増え、バスハーモニカやコードハーモニカも生産された。

  ■日本では、1936年(昭和11年)、トンボハーモニカ製作所が始めて、クロマチックハーモニカを製造。当時定価4円で発売。

【現在発売しているHOHNERSUPER Chromonica-270

ハーモニカ娘登場

■1951年(昭和26年)-モーニング娘ではなく、ハーモニカ娘が浜松駅に登場。籐のカゴに入れたハーモニカを日本楽器(現在のヤマハ)の女子社員が売り歩いた。人気機種は。「メダルハーモニカ」(当時60円)

 1947年(昭和22-「学習指導要領」が改訂され、ハーモニカが見直される。「小学1年から中学3年全義務教育のある子供達は、ハーモニカを持つ事が望ましい」とされた。この時期、ハーモニカは、楽器の総生産額の45%を占め、ハーモニカの第2次黄金時代と言われる。

HOHNERの「LittleLady」を吹く宇宙飛行士-ウォーリー・ミラー

 

ハーモニカ宇宙へ

■1965年-12月-クリスマス。宇宙船-ジェミニ6号に乗っていた宇宙飛行士-ウォーリー・ミラーが、HOHNER社のミニハーモニカ「リトルレディ」で「ジングルベル」を吹いた。ハーモニカは、宇宙を飛んだ初めての楽器なんだ!

 ■1965年-ハーモニカが宇宙に飛んだ年に、地球の海の上でもハーモニカが・・。世界初のヨットでの大西洋横断を成し遂げたロバート・マンリーは、ハーモニカを吹いて孤独と戦ったという。

   参考資料:The Encyclopedia of the Harmonica(TATANKA),「ハーモニカの本」(春秋社),「サライ」(小学館)他

2002年

第4回アジア太平洋

ハーモニカ大会が

神奈川県厚木市で開催

アジア太平洋ハーモニカ大会はアジア地域の各国が持ち回りで二年に一回開催することに なっており、
内容はコンテスト・コンサート・ワークショップ・交歓パーティー・フリーステージなどの構成になっています。

第一回 1996年 台湾、台北市

第二回 1998年 マレーシア、ペタリングジャヤ市

第三回 2000年 韓国、ソウル市

そして、2002年 神奈川県厚木市で

8月に開催されました。

厚木のハーモニカは日本一の指導者、岩崎重昭氏を中心として沢山の人たちが活躍しています。特に次代を担う若いプレーヤーの活躍は目覚しいものがあります。

地元厚木市で2002年開催された第4回 アジア太平洋ハーモニカ大会を記念してオリジナル、ピーナッツ菓子『ハーモニカの街あつぎ』を作りました。

ハーモニカの街あつぎは周りをピーナッツ入りスポンジで、なかをピーナッツ入りミルクチョコレートとパイ生地であしらいハーモニカをイメージしたお菓子です。

オシャレなパッケージに一本づつラッピングされています

箱詰めは5本入りから

ございます。

第二十四回 全国菓子大博覧会
中小企業長官賞 受賞

ハーモニカの街あつぎ8本入れと本物のハーモニカが入っています

10本入りもございます。





ハーモニカの街あつぎ18本入れと本物のハーモニカ入り




ハーモニカの街あつぎとピーナッツわらび餅、ピーナッツようかん詰合せ






    

  ハーモニカの街あつぎと銘菓あつぎ、白竜太鼓詰合せ


ハーモニカの街あつぎ、手剥き豆、抹茶ピー詰合せ



  ハーモニカの街あつぎ、とうふ地蔵詰合せ                   

他の商品との詰め合わせ、詰め替えもできます。