■ ある日の日常
『ほら、起きないと』 意識の底から不意に懐かしい声が聞こえた。 これは……姉さんの、声だ。 慌てて目を開けると、仰向けになって寝ていたせいで太陽の光がまともに目の中に入る。 「ん ―――」 眩しくて眇めた目の端に、ちらりと女の影が映った。 「お目覚めですか?」 驚いた。 彼女はここの場所は知らない筈なのに。 「……天導天使?」 確かめるように呼ぶと、彼女はにこり、と笑った。 「どうしてお前がここに居る?」 彼女は昨日から研究室に詰めていて、今日はまだ顔を合わせて居ない筈なのだが…… 「今日、定例会議をすっぽかされたそうですね。……私のラボにまで皆さんあなたを探しに来られましたよ?」 不自然なまでににっこり笑って天導天使がそう言った。その瞳は全然笑っていない。 ――― 絶対怒ってるぞこれは ――― 心臓がドキドキし始めるのを隠して、体を反転させて地面に肘をつく。 「あの位の議題、私抜きでも何の問題もないだろう」 どうせ定例会議とは名ばかりの腹の探り合いなのだ。腹黒いジジイ共の話を聞いているだけで胸が悪くなってくる。 「そういう訳にもいきませんでしょう……今日は出席して頂かなければならない会議でしたよ」 少し子供じみた口調になった上級天使を諌めるように、少し微笑みながらやんわりと釘を刺された。 天導天使は自分が一番苦手な追い詰め方を知っている。 上級天使は返す言葉が無く、ふう、とため息を一つついた。 そういえば ―――― 「お前、良くここの場所が分かったな。あいつの入れ知恵か?」 「はい。12号に教えて頂きました」 『天導様!上級天使様は ―――』 『私も分かりません』 本日何度目かになる問いかけを途中で遮り、天導天使は足早に廊下を歩いて行く。 『……上級天使が会議を欠席するなんて……』 今日はどうしても実験で手が離せないので、こちらは上級天使に許可を得てやむを得ず定例会議を欠席したというのに。 朝からひっきりなしに上級天使の行方を尋ねる人が研究室に押しかけてくるので、結局実験どころでは無くなってしまった。 それも、朝から上級天使の姿が何処にも見えないという。 『……サボリだわね、絶対』 とうとう業を煮やした天導天使も、上級天使捜索隊に加わった。 『あ、12号……上級天使を見かけませんでしたか?』 『……貴女も結局捜されているんですか……』 どうやら彼も朝から同様の質問責めに逢っていたらしい。天導天使の質問に多少くたびれた笑みを浮かべた。 『サボリよね?』 『そうですね』 ぼそっと天導天使が呟いたのに即答する。 天導天使の形の良い細い眉がきりり、と吊り上った。 『……怒ってますね、相当』 『たまには私だって怒ります。今日は絶対に出席して頂かなければならない会議だったんですよ!!』 珍しく憤慨している天導天使を眺めて、何故か12号は口元を緩めたようだった。 『自室とか礼拝堂は探してますよね、当然』 『1番最初に探しました。上級天使を1度でも見かけた場所は全部見に行きましたもの』 『うーん……』 少し考えた後、12号は持っていたサイバーボードに何かを入力しはじめた。 どうやら表れたのは教団の地図らしかったが…… 『ここはくれぐれも内緒にしておいて下さいね……多分そうしたらここにいらっしゃると思いますから』 回りに人が居ないのを確かめて、声を潜めて12号は地図の1箇所を指差した。 天導天使も覗き込むが…… 『ここ、何処ですか?教団の敷地にこんな所があるなんて……』 『一応立入禁止区域ですからね。知らない人が殆どだと思います。上級天使の逃避場所ですから』 『逃避……?』 眉を顰めた天導天使を見て12号が笑う。 『そんな深刻なものでも無いですけどね。上級天使もたまには1人になりたい時があるんですよ』 天導天使が場所を覚えたのを確かめて、12号はボードの電源を切ってしまう。 『だから上級天使を見付けてもあまり叱らないで下さいね』 そう言って、12号はいたずらっぽく笑った。 『こんな所が教団内にあったなんて知らなかったわ ―――』 12号に教えて貰った場所に近づくにつれて木々が増え、辺りはちょっとした森のような感じになっていた。 奇跡的にここには歪みの影響が殆ど無いようだった。上級天使を探しながらぼんやりと歩いていると、ささくれ立った気分が少しずつ和らぐのを感じる。 何となくここに上級天使が来るのが分かるような気がした。 程なく、少し木々が開けた場所の大木の下で上級天使が眠り込んでいるのを見つけたのだ。 「あまり気持ち良さそうに眠っていらっしゃったので、起こすのが申し訳無くて……そういえば最近あまり寝ていらっしゃらなかったようでしたし」 その言葉に昔の記憶が呼び起こされる。 以前、まだ教団に来る前に、姉さんの部屋のソファで眠り込んでしまった時があった。 ぱたん、という微かな物音で目を覚ますと、安楽椅子に座った姉さんが静かにこちらを見つめている。 『……ごめんなさい。起こしてしまったわね』 済まなさそうに言う姉さんの足元には1冊の本が落ちていた。不自由な体でそれを拾おうとするのを慌てて遮る。 『僕が拾うよ姉さん』 ソファから立ちあがろうとすると、肩掛けが体の上から滑り落ちた。姉さんのものだ。 それも一緒に掴んで姉の元に向かう。 『ありがとう。ごめん、姉さん……本当は横になっていなければいけないのに。色々迷惑を掛けてしまって』 本を手渡し、肩掛けを元のように掛け直してやりながらぽつりと呟いた。 色の薄い髪を揺らして、姉さんは淡い笑みを浮かべる。 『そんな事無いの。あなたがここに来てくれるのは嬉しいし、とても気持ち良さそうに眠っていたから……他の所は騒がしいのね』 ふ、と姉の瞳が一瞬バロックの目になる。 姉は人の気配。いや、バロックの気配にとても鋭敏だった。 今にして思えば、私達の両親が彼女を隔離していた本当の理由は『歪んだ身体を人目に触れさせたくない』というものではなく、彼等にとっては理解し難い姉の言動が他人の耳に入る事こそを一番恐れていたのだろう。 殊の他選民意識が強かった彼等にとっては、色素が欠落したような紅い瞳を持って生まれた私も隠蔽するべき対象だったのかも知れない。 あの頃はもう自宅に居ても周りに不穏な気配を始終感じていて。 何故か姉の周りだけはそんな気配も無く安心出来たので、この頃は姉の部屋に居る事が多かったのだ。 『大丈夫よ。心配しないで』 不意に僕の目をじっと見つめて姉さんがそう言った。 『いつかあなたの前にも本当のあなたを見てくれる人が現れるわ』 『姉さん……?』 『そう。だから ―――――』 「予言でもあるまいに……」 ぽつりと呟いて、天導天使を見上げる。 「どうなさいましたか?」 不思議そうにこちらを見つめている彼女の姿に、懐かしい人の姿が重なる。 「それで、どうする。私を連れ戻しに来たのだろう?」 「はい。……ですが、何だかお昼寝日和ですねえ」 真意の掴めない長閑な言いように少し拍子抜けした。どうやらすぐに連れ戻すつもりはないらしい。 「お好きなように。上級天使様」 少し、甘えてしまおう。 目の前の顔に手を伸ばして、天導天使の頬に触れる。 「それでは。もう少し、ここに居ろ」 「……はい」 「12号!上級天使様と天導天使様は……」 「僕も分かりません。今日はお二方共に顔を合わせていませんから」 本日幾度目か分からない問いに呆れ返りながらも、律儀に返事をする。 それも問い掛けられる人物がいつのまにか2人に増えている。 『う〜ん……2人共暫く戻って来ないっていうのは何となく分かってたけど遅過ぎるなあ……僕も逃げちゃえば良かったかなぁ……』 「あ、12号!!……」 後で散々文句を言ってやろうと思いつつ、12号はこっそりとため息をついたのだった。 |
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END | |
同人誌で描いた話の練り直しです。 なんでもない話の筈が、書いてみると随分と難産でして…漫画で描いた話と一番最初に書きとめておいたメモ書きとも全く違う話になりました(苦笑)。 そういえば大きい人達(笑)を小説UPするのは初めてですね。 ちょろっと上級×天導さんだったり。 私があんまり深刻な話が好きではないせいで、割とうちの教団の皆様のほほんとしておられます。 そして皆様上級天使ラヴ(爆笑)。 一応大熱波数年前位の設定だと思って頂ければ……だらだら(大汗)。 実は毎回あんまりその辺は考えて書いていないので、無理矢理『大熱波数年前』とかこじつけないで、パラレルワールドの一つと考えた方が良いのかも知れないです……。 03.02.02UP |
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