■ 繋ぐ鎖




「あれ…?」
 食事を終え、席を立とうとしたハイデリヒは首を傾げる。
 つい先程までエドワードが座っていた向かい側のテーブルの端に、見慣れないものが置いてあるのに気が付いたのだ。

 ――― 何だろう…懐中時計かな?

 しかし、そんなものを彼が持っている所を見た覚えが無くて、ハイデリヒはもう一度首を傾げた。
 そっと手に取ってみると、意外にしっかりとした作りで重い。
 蓋の表面には、怪しげな魔術で使うような、三角形をふたつ組み合わせた六つの角を持つ星と、見た事が無い紋章が組み合わさった精緻なレリーフになっている。
 一見しただけで、何かそれ自体が意味のあるものだという事が分かる作りだった。

 ――― エドワードさんが言う『向こうの世界』と関係があるのかな…?

 そんな事を思いながらしげしげと眺めていると、部屋の外から、階段を駆け上がってくるような足音が聞こえてきた。
 ばたん!と大きな音を立てて扉が開き、さっき出掛けたばかりの時計の持ち主が、今まで見た事の無いような焦った顔で飛び込んで来る。
「アルフォンス!!オレのっ……時計…!……あ!」
 ハイデリヒを視界に入れた途端、エドワードは大声を上げ、びしっと音が聞こえそうな勢いで、彼の手の中にある時計を指差す。
 どちらかというと喜怒哀楽が薄い、普段の様子とはまるで違うエドワードに驚き、ハイデリヒは声を出す事も忘れて目の前の人を凝視した。

 その顔に気が付いたのか、エドワードは数度、不思議そうに大きな瞳を瞬かせる。
「あ…と……?」
 あまりの事に固まってしまい、目を見開いて自分を凝視するハイデリヒと、その手の中にある懐中時計をかわるがわる見返して、やっと自分の奇行に気が付いたのか。
 エドワードは空けっぱなしになっていた玄関の扉を閉めると、ばつが悪そうに苦笑いをした。


「……悪いな、騒いで。途中で落としたかと思ってさ」
 苦笑しながら、エドワードは差し出された銀時計を受け取った。
「随分傷が多いですね」
「ああ…なんのかんの言って、もう6年持ってるからな」
 感慨深げに呟いたエドワードの瞳に、一瞬だけ柔らかく甘い光が過ぎった。
「修理には?捜せば腕の良い時計職人なり細工師はいると思いますよ」
 そう水を向けてみると、エドワードは緩くかぶりを振る。
「一応これ銀だからな…。修理代もどれだけかかるか分からないし」
 言って、愛しむように上蓋の紋章を指で辿った。

 それは、まるで……

「……大事な人から貰ったものなんですね」
「……は?」
 そんな様子に思わずハイデリヒが呟くと、エドワードの様子が一変する。
 本当に意外そうに…というよりは、何故かどことなく嫌そうにこちらを振り仰ぐので、ハイデリヒはひどくうろたえた。
「……だから、その時計」
「大事だぁ……?」
 無意識といった風に転がり出た自分の言葉に気付き、エドワードは思い切りの渋面を作った。
「……これは国家錬金術師にのみ渡される。向こうじゃ軍の狗の証だ。大事とか、そういうものじゃない」
 言いながらもエドワードは時計をズボンのポケットに入れ、慣れた手つきで鎖をベルト通しに引っ掛ける。
 そんな仕草ひとつ取っても、肌身離さず持っているということが分かるのに。
「でも、捨てないで持ってるじゃないですか」
 一瞬エドワードの言葉が詰まる。
「それは……こっちでも時計として使えるからだ!それ以上でも以下でもない!」
 まるで照れ隠しのように早口で言われる言葉に、ハイデリヒの口元が緩む。

 ――― なんだか、表情豊かなエドワードさんて可愛い。

「……アルフォンス!」
「は…はい?」

 急に名前を呼ばれて驚くと、エドワードが壁の時計を指し示す。
「お前も、油売ってる時間じゃないぞ?」
 言われてはっと時計を見ると、いつの間にか家を出る時間を大幅に過ぎていた。
「わ……!」
 ばたばたと慌てて支度を始めるハイデリヒを見て、エドワードは苦笑う。
「……ったく。食器は片付けといてやるから早く行け」
「済みません…!」
 慌ただしく出て行こうとするハイデリヒだったが、戸口で何かを思い出したように立ち止まった。
「エドワードさん。今日は遅いんですか?」
「……いや?少しその辺廻って帰ってくるつもりだけど……」
 その返答に、ハイデリヒは蒼い瞳を嬉しそうに緩ませる。
「今日は久しぶりに一緒に夕食を食べましょう。エドワードさんが好きそうな、シチューが美味しい店があるんですよ」
 この状況にそぐわない意外な言葉に、エドワードはきょとんとした顔をした。
「え……うん」
「……駄目ですか?」
 驚いたせいで気乗りしないように聞こえたのだろう。目の前の人懐こい青年は、やけにしょんぼりした顔を見せた。
 そんな表情が記憶にある幼い弟を連想させて、エドワードは内心慌てる。
「いや違う……お前、ここ数日は忙しいって言ってただろう?」
 自分に無理に合わせなくて良いのだと言外に言うエドワードに、優しい笑みが帰って来た。
「……その筈だったんですが、機材の手配が思いの他かかってしまって……今日は早く帰って来れる事になったんですよ」
「そうなのか?」
「はい。だから、一緒にご飯食べましょう?」
「そういう事なら……いいぜ?」
 言うと、ハイデリヒは本当に嬉しそうに笑った。それが何となく金色の大型犬を連想させてエドワードの顔も綻ぶ。
「良かった。では夕方にまた」
 そこまで言ってもう一度時計を確認し、彼はばたばたと走っていった。
 通りに出てからも慌てたように走って行くハイデリヒの姿を窓から見送りながら、エドワードは苦笑する。
「そんなにオレの事気にしてくれなくても良いんだぜ?……アルフォンス」

 ――― この世界は、オレにとってはかりそめの夢に過ぎない。

 いつか夢が覚める事を。外へ飛び出す事を願っているのに……。

 そんなに優しくされると、凄く、苦しくなるよ。





END
SSSからのお引っ越しです。
今回纏めてて、ハイデリヒ、走って大丈夫なのだろうか……?などといらぬ心配をしてしまいました(汗)。
2007.07.07UP
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