■ FREEZE MOON1




 こつこつ、と微かな足音を響かせながら人気が無い長い廊下を執務室に向かって歩いていく。
 深夜の東方司令部は随分と閑散としていて、資料室からの道すがら誰とも擦れ違う事は無かった。
 普段なら、これから顔を合わせるであろう人物に警備が手薄だと嫌味のひとつでも言ってやりたい所だったが、今のエドワードにとっては人影すら見当たらないこの状況はとても有難かった。
 まだ僅かに腫れぼったく感じる目元を擦る。腕を上げた拍子に、緋色のコートのポケットに入っている鍵がちゃら、と微かな音を立てた。

 ―――やっぱり、今日返さなくちゃまずいよな―――

 先程資料室で囁かれた言葉がまだ耳元に残っているような気がして、エドワードは緩く頭を振った。
 確かにここ数日碌に睡眠時間を取っていなかったのだが、よりにもよって何故あんな所で眠ってしまったのかと自分の軽率さを悔やむ。


 いくら悔やんでみても、起こってしまった事はもう戻らないのだけれど―――




 夜遅くになっても戻って来ないエドワードを心配して、事前に行く先を告げていたアルフォンスが司令部に電話を入れたのだと言う。
 昼間に一度執務室に顔を出した時は、数日前に起こったテロ騒ぎの事後処理に忙殺されていた筈だったのに、息抜きか単なる気紛れか。何故かロイ自らがエドワードを探しにわざわざ資料室まで足を運んで来たのだ。
 脚立の上で資料を開いたまま眠ってしまっていた所を見つかって、からかわれて。いつものようにそれで終わりだと思っていたのに。

 唐突にキスをされて、そして好きだと言われた。

 始めはいつものようにからかわれているだけだと思ったのに、瞬きもせずにこちらを見つめてくる漆黒の瞳の中に真摯な光を見つけて、その言葉が本気だと知れた。
 途端、告げられた言葉の重みに押しつぶされそうな気持ちになる。

 表面上は嫌い合っている素振りをしながらも本当は憎からず思っている事はお互い知っていた。

 それを表に出さない事はお互いの暗黙の了解だと思っていたのに。

 彼はすぐに本心を隠し、冗談だ。からかっただけだと言って笑ったけれども、渡された言葉は今のエドワードにはあまりにも重くて、怖くて。ロイが去っていった資料室で暫く涙が零れるのを止める事が出来なかった。

 相手が望むだけのものを返せないのが分かっているのに、人の気持ちを受け取るのが恐ろしくて。無意識にエドワードは機械鎧の右手を抱きしめる。
「――― 卑怯者」
 ぽつり、と呟く。
 言葉の向かう先は漆黒の髪の上官だったが、それは同時に自分へ向けた言葉でもある。
「ダイキライ……に、決まってる……だろ?」

 応えられないのなら、初めから切り捨ててしまったほうが傷は少ないのだから。






同人誌『月と星と太陽と』収録の『Trick star』の続きになります。
このへんまでは前回説明。どうも切れが悪くて短くなってしまいました……。スミマセン。
2005.04.23UP
>> back << >> next <<