■ FREEZE MOON3




 自分の手を引いたロイの足が駐車場に向かっている事を知ると、エドワードは前を行く背中に訝しげな声を投げた。
「……なあ、ひょっとして、大佐が車運転すんの?」
「そうだが?」
 事も無げに返る返答に、しかしエドワードの眉が寄る。
 今まで一緒に車で移動した事は数える程しか無いのでなんとも言えない所なのだが、その少ない回数の中でもロイがハンドルを握った姿は全く見たことが無い。
「……大丈夫なのか?」
「……必須事項だからね。いつも運転していないからと言って、出来ない訳では無いよ」
 言外に運転は久しぶりだと告げるロイに、エドワードは溜め息をついた。
「ここで大佐と心中は真っ平御免なんだけど」
「言ってくれるね……だが、調子が戻ってきたようじゃないか。結構な事だ」
 苦笑混じりに言われ、先程までの自分の醜態が思い出されて、羞恥と微かな憤りで頬を染める。
 目の前を歩く青年も、やはり、殊勝な自分などらしくないと思っていたのだろうか。

 ――― でも、全部あんたが悪いんじゃないか。

 責任転嫁だと分かっていても、思わずにはいられない。
 少し前を歩くこの男が突然あんな事を言わなければ。もう少しだけ、気付かないフリをしていられたのかも知れないのに。

 ――― それなのに、なんか、ずるいじゃないか。オレばっかり泣いたり怒ったりして。

 目の前の大人ばかりいつもと変わらず飄々として。
 自分だけがこうして触れられただけで一杯一杯になって。
 その差を考えると、なんだか本当に自分が馬鹿みたいに思えてしまう。

 ふと、外に出た今でも手を繋いだままになっている事に気が付いてエドワードは俯いた。

 それでも、自分から振りほどく事はもう考えられない。


 そのうち、ロイは一台の車の前に立ち止まる。
「さあ、これに乗りなさい」
 繋いでいた手がそっと離される。
 途端に無散するぬくもりを、反射的にエドワードは惜しいと思ってしまった。
 そんな自分に気が付いて、彼は微かに眉を潜める。
 惜しいと思うなんて、寂しいと思うなんて。本当にどうかしている。
 先程から予想もしなかった事ばかり起こっているせいで、やはり浮かれているのだろうか?
 ほんの数時間前まではこんな事があるなんて想像すらした事が無かったのに、少し触れられただけで、どうしてこんな貪欲に彼ばかり求めてしまうのだろう。

 ――― ホントに、馬鹿みたいだオレ……。

「鋼の?」
 不意に横から声を掛けられてはっとする。物思いに沈んでいた自分は、どうやら目の前の車をじっと睨み付けていたようだった。
 慌てて視線を逸らすと頭の上から微かな笑い声が降ってきた。
「そんなに警戒しなくても、事故を起こしたりはしないよ」
 心配しなくても、この時間なら人通りも車通りも少ないしね。という本気かどうか分からない言葉も付け加えられた。
「……そんなんじゃねぇよ」
 ぶっきらぼうに呟いて、しかしその場を動かないエドワードの頭の上から、再度意外な声が降って来る。
「……ひょっとして、助手席に乗りたいのかい?」
「え?」
 今度は驚いて声のしたほうを降り仰ぐと、どこか楽しそうな顔をしたロイと目が合った。
「それならそうと早く言えば良いのに…ほら、乗りなさい」
 言うと、ロイは今まで開けていた後部座席のドアを閉め、エドワードの目の前の助手席のドアを開けてくれる。
 てっきりじっと突っ立っていた理由を聞かれると思っていたのだが、変な方向に話が転がっていくのに、エドワードは拍子抜けする。
「……いいの?」
「構わないさ。こんな機会は滅多に無いだろうしね」
 発した言葉の意味に気が付いていない訳では無いのだろうが、ロイは機嫌が良さそうに微笑むだけで。
 もしかすると、わざと話の矛先を変えてくれているのかも知れないと思ったのは、その時だった。
 少し気恥ずかしくなりながらも、有り難くエドワードは助手席に滑り込む。

「わ…なんか視界が違う」
「……後部座席とはまた見え方が違うからね」
 助手席のドアを閉め、間を置かずに運転席に乗り込んできたロイは、新しい玩具を与えられた子供のようなエドワードを横目で見て笑う。
「……そういえば鋼の。君は食事は済ませたのかね?」
「あ……」
 言われてみれば、朝軽く食べたきり、ものを食べていない事に思い至る。
 一瞬固まったエドワードを見て事情を察したロイは少し難しそうな顔をした。
「ふむ…君が食べられそうなものがあったかな?今の時間ではテイクアウト出来るような店は閉まっているし……」
 本格的に考え込んだロイに、慌ててエドワードは手を振る。
「でも、別に腹減ってないから…」
 ぱたぱたと手を振るエドワードにくるりと顔を向け、ハンドルに頬杖をつくと、ロイはうって変わって少し人の悪い笑みを浮かべた。
「君くらいの歳で食事を抜くのは良くないんだ。そんな調子だから背が伸びないんだぞ?」
「ちっさいって言うな!後2年でアンタよりでかくなる予定なんだオレは!」
 いつも通りにがなるエドワードを見て、ロイが笑う。
「楽しみにしているよ。……発進させる時くらいは前を向いていなさい」
 慌てたように前を向いたエドワードにもうひとつ小さく笑って、ロイは滑るように車を発進させた。


「……なんか、意外」
 車を発進させた後、暫く無言で前を眺めていたエドワードが最初に発した言葉はそれだった。
「何がだね?」
「運転上手いじゃん……大佐」
「……必須事項だと言っただろう」
 やはり信用されていなかったのかと、内心ロイは溜め息をつく。
 事故を起こさない絶対の自信が無ければ助手席に人など乗せないのに。
「少尉も上手いけど、大佐のが丁寧だね。……いっつも大佐が運転すれば良いのに」
「部下の仕事を奪う気は私には無いんだ。優しいだろう?」
「言ってらー……」
 くすくす、とエドワードが笑う。その語尾がほんの少し間延びするのに気付いてちらりと横を確認すると、助手席の窓に頭を預けたエドワードの目は、どことなく眠そうにとろりとしていた。
 乗り物に乗ると眠ってしまう人間は多い。いつも旅をしているエドワードも移動中に睡眠を取る事は多いのだろう。条件反射的なものもあるのかも知れない。
 先程資料室では随分窮屈な格好をしていたので、逆に疲れてしまったのかも知れないが。

 ――― それだけ、信頼をして貰えているなら嬉しいんだけれどね。

「眠いなら眠ってしまいなさい、鋼の」
「え……?」
「もうあまり距離は無いが、無理に起きている事は無いよ」
「別に…無理じゃないけど…そう見える?」
 口調もいつもよりどことなく幼い。無理ではないと言いつつもごしごしと目を擦る姿に苦笑した。
「ああ」
 信号待ちで停止した合間にぽんぽんと頭を軽く叩いてやると、もう半眼になってしまっていた金瞳が小さく笑って、ゆっくりと閉じられる。

 おやすみなさい。と、最後に小さな口唇が吐息交じりに言葉を紡いだ。






たまには素直なエドワードも良いと…思うのですが……。
うちの子はいつも素直でしょうかもしかして(滝汗)。
ついこの間も大佐が色々出来るのを意外だと言うエドワードを書きましたね私…うーんマンネリ(苦笑)。済みません。
2005.06.12UP
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