■ RE:Born
降って湧いたような話に浮き立ち、夜遅く自宅に帰ってきた僕は、出来るだけ音が立たないようにそっと玄関の扉を開けた。中に入ると、同居人が付けたままにしておいたのか、控えめな明かりが付いている居間が僕を迎える。 深夜をとうに越えた時刻では、流石にそこに同居人の姿は無かった。 「もう……寝ちゃってるかな?」 夜中にも突然飛び出して行く事がある彼の事だ。帰宅していない可能性もあったが、暗い寝室に足を踏み入れると、ベッドには膨らみがあった。 「エドワードさん?」 戸口の近くからそっと呼んでみても、シーツから覗く金糸のような髪はぴくりともしない。 そっと近寄ってみると、僕よりもひとつ歳上な筈なのに、どこかあどけない顔をして、彼は深い眠りの中にいた。 すぐに話したい事があったのに。と、どこか残念な気持ちで、僕はベッドに腰を下ろす。 明日彼が起きてから話しても良いという事は分かっていたが、口からは自然に言葉が零れ落ちていた。 「……今日はビッグニュースがあったのに。僕達の研究のパトロンをしてくれる人が決まりそうなんだよ」 話し掛けると、僅かだが、眠る彼の口元が緩んだ気がして。 嬉しくなって、顰めた声で話を続ける。 「エドワードさんを、元の世界に帰す事が出来るかも知れないんだ」 一時期一緒の研究室で学んだ事があるだけの彼が、下宿に転がり込んできた時は驚いたけれど、同時に酷く嬉しかった事を覚えている。 自分を頼って来てくれた、という事実に。 初めて彼がロケット工学に興味を持った理由を聞いた時は、心底気が触れているのかと思った。 そんな、この世界とは違う世界へ還る方法を探しているなんて、御伽噺のようなオカルトのような話は、到底信じられる事では無かったから。 しかし、勿論彼は全くの正気で。元の世界に還る手段のひとつとして、本気でノウハウを学んでいるのだと理解した時の衝撃はそれなりにあった。 しかし、今の技術だけでは帰れるあてが無いと知った時の彼の落胆はいかばかりだっただろう。いつしか彼は講義に顔を出さなくなった。 彼の独創的なアイディアで考案された技術もあり、本当は皆も、もう一緒に研究をと願っているのだが、きっともうそれは望めない事だろう。 今は、また他の何かを探しているのか。彼は家を空ける事も多く、一日に数度しか顔を合わせる事は無い。 それなりに研究で忙しくなってきた僕とは、今日のようにすれ違いをする事も多くなった。 それなのに、ここから離れようとしない彼を、心のどこかで喜んでいる自分がいる事に暫く前から気が付いていた。 異世界から来たという彼の言葉が真実ならば、父親が失踪した後、自分しかそれなりに親しく面識がある人間が居なかったからなのかも知れない。 それは容易に想像出来る事だったが、それでも僕は嬉しかった。 例え、言葉を交わしたきっかけが『弟に似ているから』だとしても。 明晰な頭脳を持ち、誰よりも現実主義者でありながら、夢のような世界を語る。 危うい均衡を保ち、誰をも魅了し、ひらりひらりと舞い飛ぶ黄金の蝶に捕まったのは僕のほうだ。 どうしたら、彼を元の世界に還せるのだろう。 どうしたら彼を僕達の世界に繋ぎ留めておけるのだろう。 拮抗した全く相反する想いは、時にひどく僕を苛立たせる。 「……やっぱり、どうしても貴方は還ってしまうのかな?」 ――― 僕を置いて、弟の元に。 じっと覗き込んでいても、彼は目を覚ます気配は無い。 手を伸ばして、髪とシーツの間で見え隠れしている白い頬に触れると、ほんの少し眉が寄った。 「ん……」 くすぐったかったのか、ちいさく声を上げて彼はひとつ寝返りをうった。 白く細い首筋が露になる。 それを見た先で視線が釘付けになり、ふと昏い誘惑が頭をもたげる。 ――― 触れたらどんな感じなんだろう? 見た目と同じように、甘いのだろうか? 男に綺麗なんて言えば怒るだろうけど、黙っていれば上等な飴細工のような容姿からは、そんな馬鹿げた想像すら出来てしてしまう程、改めて見た彼は綺麗だった。 ――― もしここで手を伸ばせば、僕のものに、してしまえるんだろうか? それとも、美しい容姿を保ち、同時に身を守る為に存在する、毒を持つ鱗粉に侵されてしまうのだろうか? 微かに開いた口唇に誘われるように顔を近付けて行くと、触れる寸前の所で彼は僅かに身じろぐ。 震える吐息が口唇に触れた。 「ん…アル……?」 その呼び方を聞いた瞬間、すっと体中の血が下がった気がした。 自分が何をしようとしていたのか始めて気が付き、慌てて身体を離すと、それを追うように蜜色の瞳がうっすらと開く。 まだちゃんと覚醒していないのか、緩慢な瞬きを何度か繰り返すと、僕の顔に視線が止まった。 ふわりと優しい笑みが浮かぶ。 「……アルフォンス…?おかえり。遅かったな」 今度は正確に『僕』の名前を呼ぶ。 その声には疑いは微塵も含まれていない。 その、無条件に寄せられているように感じる信頼は、僕が彼の弟に似ている事から起因するものなのだろうか? そう考えると、ずきり、と心のどこかが痛んだ。 ひどく彼が遠くに感じるのはこんな時だ。 いくつ季節が過ぎても、彼はこの世界に馴染む事は無い。 確かに、この世界の理に彼は慣れて来たと思う。しかし『慣れる』と『馴染む』は全く別の事だと改めて思い知る。 昔はさほど気にしなかった違いだが、彼に逢ってからは、その差には歴然としたものがあると感じるようになった。 その差が、彼だけを、いつまでも現実から浮き上がっているように見せてしまうのだ。 「どうした……?」 僅かに不安を滲ませた声が僕の思考を断ち切った。 「何でも…ないですよ」 そう言って、無理矢理笑顔を作ると、訝しげに眉が寄せられた。 左腕がそっと伸びてきて僕の頬に触れる。 「そういえば、今日少し熱があったみたいだったよな。……一緒に寝るか?」 その申し出にぎょっとする。 「今は義手外してるから冷たくないし……」 「いや!いいですよそんな!添い寝が必要な子供でもあるまいし!」 慌てて辞退すると、先程の事を何も知らない彼は軽く首を傾げた。 「そ…か…?」 「そう…で……!」 慌て過ぎたのか、言葉の途中でごほごほ、と咳が飛び出る。 しまったと思ったが、途端に目の前の顔が派手な渋面を作った。 「ほら……今日は少し冷えるから。お前は身体が強く無い癖に無理するから心配だよ」 ――― 結局、困ったように笑う金色の瞳には逆らえなかった。 複雑な面持ちで彼の隣りに滑り込むと、片腕だけで器用に頬杖を付いたいたずらっぽい瞳が僕を迎えた。 「……エドワードさん。僕の事、弟か何かと勘違いしてませんか?」 溜め息混じりにそう言うと、少し驚いたように目を瞠る。 「確かにオレの弟もお前と同じ名前で、顔も似てるけど。勘違いはしてないぜ?」 そこまで言うと、一度言葉を切り、戸惑うように声を揺らす。 「お前の気に障ったら……謝るけど」 お前はお前だろ?誰も替わりになんかならない。と呟く声を聞くと、現金な事に心の中が暖かくなっていくのが分かる。 彼が自分を『アルフォンス・ハイデリヒ』として認めてくれている事がこんなにも嬉しいなんて。 「……今日は良い事があったんですよ」 「どんな?」 「ふふ……今は内緒です。明日の朝になってから話します」 「何だよ。思わせぶりだな……」 ぽす。と軽い音がして、拗ねたように彼の頭が枕に埋まった。 耳を澄ますと聞こえてくる他人の息づかいを聞いていると、何だか急に泣きたくなってしまった。 ああ、どうか。彼だけは。 僕の力で元の世界に還してあげたい。 「……僕が、貴方の本当の弟だったら良かったのに」 そうしたら、こんな感情を抱えず、ずっと傍に居られたかも知れないのに。 ぽつりとありえない願望を呟くと、暗闇の中、すぐ傍から笑うような吐息が降って来た。 信じもしない神様に、繰り返し、繰り返し唯願う。 彼が幸せになりますように。 元の世界に還る事が出来ますように。 そして、願わくば。 ――― 僕を、忘れないでいてくれますように。 |
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END
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SSSからのお引っ越しです。 映画はもうホントにホントにハイデリヒが大好きで! 前売りの特典につられて山程チケットがあったというのもあるんですが、友人に馬鹿だの阿呆だの言われながらも6回も観に行きました(笑)。 2007.07.07UP |
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