■ 砂礫の王国1




「もう……ヤダなあ、最近こんな所ばっかりじゃない」
 曲がりくねった廃坑のような通路に、苛々したようなアリスの声が響き渡る。
 先程から暗い通路を延々と歩いている事に流石に嫌気が差したのか。目に見えて機嫌が悪くなってきたアリスを、前を歩いていた青年が振り返った。
 頬をぷうっと膨らませ、こちらを睨み付ける少女を見、淡い苦笑を浮かべる。
「……確かにこんな所は嫌だよね。出来るだけ早く調査して帰ろう」
「ええ〜!もう帰ろうよ!さっきから何も出て来ないじゃない!」
 拗ねた声を出して、とうとうアリスはその場に立ち止まる。
「駄目よ、アリス。確かに異形が居たんですもの。ここはちゃんと確認しないといけないわ」
 そんな彼女を窘めるように、彼女の横を進んでいたイライザが小さな子供に言うような口調で囁く。
「……それは、そうなんだけどさぁ……」
 青年にはいつも強気なアリスも、姉のようなイライザには強く出れないようで、そう言われてしまうと困ったように口篭る。
 しかし、分かってはいるけれど嫌なものは嫌なのだというように、彼女は足元に落ちていた小石をこつん、と蹴飛ばした。


 異形の目撃報告があるから調査をして来い、と命じられて赴いたのは、かつての教団の敷地に程近い場所だった。
 周囲をいくらも探索しないうちに、半ば崩れかかった地下に続く階段が見つかる。
 慎重に下りてみると、どうやらそこは以前教団の研究施設だった場所らしい。入り口近くは半分以上泥に埋もれたり、何か大きな力で押しつぶされたりと原型を留めていない部分が多かったが、奥へ進むにつれ、まだ以前の面影を残した外見が姿を現して来た。
 建物内をくまなく探索したが、異形の姿は影も形も見付けられず拍子抜けしたのだが、やがて現れた階段で階下に下ると、地下の空気は明らかに今までとは違っていた。
 まるで異界との接点になっているような、そんな奇妙な感覚が肌を通しても感じられ、青年は僅かに眉を顰める。
 それは少女達も感じていたようで。いつも賑やかなアリスも息を潜めて内部の探索を続けていたのだが、いくらも行かないうちに最初の異形に出くわす事となったのだった。
 内部を徘徊している異形の数は多いものの、今の所それ程問題無く撃退出来ているのだが、慣れないとこの状況は辛いものがあるだろう。
 異形の探索に出るのは初めてではないにしても、元々アリスは気配を読むのも得手では無い。突然異形が現れる事もままあるこの状況では、流石に我慢が出来なくなって来たという事なのだろう。
「でも、アリス。ここは……多分……」
 足元を照らす光の球の明るさを調節しながら、イライザがぽつりと呟く。
「うん。分かってる」
 きゅ、とアリスが口唇を噛んだ。
 そのどこか思いつめた様子を青年はじっと眺める。
 やらなければいけない事があるのだと。そう言って異形の調査と封印に加わっている彼女達の真意は未だに分からない。
 彼女達が何者かですら、本当の所は謎のままだ。
 けれども……今の所は大事な戦力になってくれている。それだけで充分だと思う。

「大丈夫?そしたら進もうか」
 やはり何かを感じているのだろう彼女達に改めて声を掛け、青年はまた歩き出した。


 いくつめかの階段を下ると、急に目の前に何も無い広い空間が広がった。
 イライザの光球で辺りを隅々まで照らしてみても、視界が利く限りの場所には異形もおらず、階段らしきものも見当たらない。
「あれ……?何も無い……ね」
 一見、行き止まりのように見えるその空間に三人が拍子抜けしたその瞬間。

 暗い室内に、突然獣の咆哮が響き渡った。

「な…何っ?」
 アリスの声に応えるように、死角になっていた部屋の奥から、ゆらり、と巨大な影が身を起こす。
 ゆっくりと眼前に近付いてきたそれは、今までの異形とは明らかに違ったフォルムを持つものだった。
 強いて言えば、猫科の肉食獣に似ているのだろうか。
 金の光沢を持つ体毛に覆われた体。優美で力強い四肢。そして、明らかな意思を持って輝く瞳を持つ巨大な四足の獣がそこに居た。
 全身を現したそれは青年達を睥睨し、威嚇するようにまた一声咆哮する。
「わ……嘘?こんなのが居るなんて聞いてないよっ!」
 呆然と呟いたアリスの隙を見逃さず、巨大な体に似合わない俊敏さで、獣が襲い掛かって来る。
 突然の事にアリスはまるで動く事が出来ず、自分に迫ってくる爪に目を見開いた。
「アリス!」
 間一髪で、青年が彼女に振り下ろされた獣の前足を大剣で弾き飛ばす。
「きゃああっ」
 一拍遅れて、少女の悲鳴が室内にこだました。
「君じゃ危ない……下がって!」
 恐怖に震えるアリスと獣の間に体を滑り込ませると、青年は大剣を見ても全く怯む様子を見せない獣と対峙する。
 彼らが接近する度、広い空間には、剣と獣の爪が当たる乾いた音が断続的に響いて行く。
 目の前で繰り広げられる戦闘の勢いに圧され、よろよろと数歩下がった華奢な背中を、近づいて来ていたイライザが支えた。
「アリス…大丈夫?怪我は無い?」
 そう問い掛けたイライザを、アリスは泣きそうな顔をして振り仰ぐ。
「ぼくは大丈夫。けど…どうしようイライザ!あんな大きい……!」
 言って、縋るように自分の袖をぎゅっと握るアリスを見下ろした蒼の瞳が、この場にそぐわぬ柔らかい笑みを見せた。
 心細い様子で自分を見上げるアリスの頭を、イライザは落ち着かせるように何度も撫でる。
「あのひとは大丈夫。今までだってそうだったでしょう?」
「でも……」
「私達が今あの獣に向かっても足手まといになるだけ。もう少し時を待たなければ」
「イライザ!早く助けてあげて…!」
 焦れたように声を荒げるアリスに、緩くかぶりを振る。
「今は彼を…信じましょう?」
 そう言って安心させるようにイライザがふわりと笑うと、暫く途方に暮れた様子だったアリスも、ぎこちないながらもほんの少し笑って頷いた。
「うん……ごめん」
「いいえ……」
 妹のような少女の笑みを確認すると、イライザはその肩を緩く抱き締める。
 もう一度イライザの瞳が笑みの形を取りかけるが、その視線は何故か途中です…とアリスの後に向けられる。
「イライザ?」
「こちらも…少し大変ね」
 自分を抱き締めたままイライザが発したやや硬い声に我に返ると、いつの間にか自分の背後に無数の気配が存在する事にアリスは気が付く。

 ここには自分達の他に人間はいない筈だ。
 ……とすると、自ずと答えはひとつしか無い。

「わ……もしかして、団体様いらっしゃ〜い…?」
 後ろを振り向けないままアリスが発した声は、いつも快活な彼女らしくなくどこか引きつったものだった。
 心のどこかでは、嘘であって欲しいと思っているのだろう。
 そんなアリスの心の内を察したのか、イライザがほんの僅かな時間だけ、困ったような笑みを見せる。
「……あのひとの邪魔にならないように、こちらは私達で何とかしないとね」
 そう言って笑みを払拭し、無造作に掲げられたイライザの手元から、闇を裂く光が生まれた。






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