■ 天空の涙1




 季節外れの雪がイーストシティを白く染め上げていく。
 桜が咲かんとしている季節の突然の大雪に、街の交通機関は殆ど麻痺しているという。
 数日前からイーストシティに滞在していたエドワード達もまた、列車の運休という不測の事態で足止めを余儀無くされていた。




 窓の脇に椅子を持って来てぼんやりと降りしきる雪を眺めていたエドワードだったが、生来の気性からか、すぐに何となく手持ち無沙汰になってしまう。


 雪は、昔は珍しかった。
 リゼンブールで雪が降る事は滅多に無かったので、空から舞い降りてくる白い結晶を、アルフォンスと一緒に飽きる事無く眺めていたのを思い出す。
 賢者の石を求めて各地を巡るようになった今ではそんな感動も無くなってしまったけれど。


「アル、図書館行かないか?」
 背後で荷物の整理をしている弟に呼びかける。
「僕は遠慮しとくよ。雪の日に歩くと足の裏や関節に雪が詰まっちゃって後の手入れが大変だし」
「そうか?」
 エドワードが首を傾げると、アルフォンスは鎧の身体で器用に肩を竦めてみせた。
「何もこんな日に出かけなくても良いんじゃない?兄さんもたまにはゆっくりしなよ」
 その声にはほんの少し咎める響きが混じっていて、エドワードは知らず苦笑する。
「うん……でも、何か駄目なんだよな」
 止むことの無い雪を横目で眺めつつ、どこか上の空な風情でエドワードが呟いた。
 悪い、癖なのだと。そう思う。
 自分から休もうと思って休んでいるのなら良いのだ。だが、足を止めざるを得ない状況に直面しているという今の状態が、心の奥で消える事無く揺らめいている焦燥感を無意識に煽ってしまい、どうしても落ち着かなくなってしまう。
 そんなエドワードの焦燥を知っているのだろう。こんな時はアルフォンスも無理に兄の行動を妨げたりはしない。

 『何が』駄目なのかと聞いたりもしない。

 聞いたらきっと、兄を悲しませる事になるのだろうと知っているから。

「そう言うんだったら止めないけど。兄さんも機械鎧が冷えて大変でしょ?程々にしときなね」
「ああ。夕方には戻って来るよ」




 宿を出てすぐ、エドワードは自分の甘さを後悔する羽目になった。
 足を踏み出す毎に微妙に足元が滑ってしまい、全く前へ進めないのだ。
 いつもなら10分も歩けば到着する筈の図書館は、宿を出て相当時間が経っている筈だったがまだその影すら見えない有様で。
 今までも雪の中を歩いた経験はあるのに何でこんなに、と考えを巡らせると、そういえばアルフォンスにしっかり掴まりながら歩いていた事に思い至って内心舌打ちしたエドワードだ。
 苦労して歩いて来た道程を引き返すのも癪だったので、よろけて色々な所にぶつかりながらも人形のようなぎくしゃくした動きで歩みを進める。


 暫くして、後ろで車が止まるような音がしたけれど、そんなものに構っている余裕は今のエドワードには無かった。
 足早に自分に向かってくる足音にも気付かない。
「わッ!」
 しかし、とうとう足を滑らせて顔から転んでしまったエドワードの鼻先に、計ったようなタイミングで黒い軍靴が立ち止まる。

 嫌な予感がした。

「………何をしているのかね?」
「見りゃ解んだろ……」
 頭の上から降って来たのは、やはり聞き慣れた低い声。
 それが微かに笑いを含んでいるのを感じて、エドワードの頬が赤くなる。
「笑うなよ」
「笑ってなどいない」
「じゃあ、手、貸して」
 体勢を立て直して雪の上に座り込んだエドワードが件の人物に向けて左手を伸ばす。
 慎重に引き起こしてくれた大きな手は、冷えた身体にとても暖かかった。
 自分の手袋が濡れるのも構わず、頭に乗っている雪も払い落としてくれる。
 俯いていた顔を上げてそのひとを見上げると、口元にはいつも通りの皮肉げな笑み。
「偶然通りかかったら危なっかしい足取りで歩いているものだからね」
「だったらもう少し早く声掛けてくれれば良かっただろ、大佐」
 エドワードは恨めしそうに、涼しい顔をしてこちらを見下ろすロイを睨む。
『声を掛けても転んだと思うがね』という言葉をロイは寸での所で飲み込んだ。
「それは済まなかった」
「横着しやがって。でも……良く俺なんか見つけたよな」
 背後に止まっている軍用車に目を向けて、エドワードが呟いた。
 この天気とはいえ、結構なスピードで走っていた筈だ。道の端にいた自分の事など見落としても良い筈なのに。
「君は目立つからな」
「派手な格好で悪うございました」
 拗ねた様子でそっぽを向くエドワードにロイは心の中で嘆息する。
 赤いコートを羽織っているからという以上に、その稀有な黄金の双眸が人をどれ程惹きつけるのか、この子供は理解していないのだろう。
「それで、何処に行くつもりだったのだね?」
「え?図書館に……」
 『図書館』という単語を聞いた途端、ロイが眉を寄せる。
「雪道に慣れている訳でも無いのに、こんな天気の日位火急の用でも無い限り出歩かなければ良いものを」
「わ、悪かったな!」
 呆れたように嘆息するロイにエドワードは真っ赤になった。
 今回ばかりは自分の浅慮が招いた事なので、何と言われても理論的には言い返せない。
 そんなエドワードを見ながら暫く思案していた様子のロイだったが、不意にエドワードに向かって手を伸ばして来た。
「用事が無いのだったら図書館よりも司令部に来たまえ。良い文献が手に入ったから連絡をしようと思っていた所だったから手間が省ける」
 そう言うと、ロイは有無を言わさずエドワードの襟首を捕まえ、車のほうに引っ張っていく。
「うわッ……何すんだよ、離せってば!俺はまだ行くって言ってないぞ!!」
「離したら転ぶだろう」
「そんな事あるか!離しやが……わあッ!」
 ロイの手を振り払った瞬間に見事に滑ったエドワードだったが、今度はすぐにロイに抱き留められる。
「だから、危ないと言っている。これ以上暴れると次は担ぐぞ」
「………ハイ」
 羞恥で真っ赤になった顔を隠すようにロイの胸元に押し当てている様子に、込み上げてくる笑いを必死に押さえ付けて、ロイはエドワードの手を引く。
 戸惑う彼を追い立てるように後部座席に押し込んだ。






スミマセン続いてしまいました……
続きは近日中に〜。
ちなみに私は雪道でも普段と全く同じに歩くので他の人に気味悪がられます(苦笑)。
2004.03.21UP
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