2010年・前半のおはなし                    恋をした風

「まぁ、かわいい、桜の花びらよ。」
「本当ね、もう春ね。」
サーッと通りすぎた後で、かすかに聞こえた会話に風は、足を止めた。
風は声のする方へ向きをかえ、今来た道をもどった。
そこは病院の一室だった。

「あっ、あれは・・・」

さっき、風が落として行った桜の花びらを、病院のベッドの横たわっている少女が大事そうに手にしていた。
しばらく様子を見ていると、白衣に包まれた医師と看護師が入ってきた。
少女の白い細い腕に、注射の太い針が刺さっていく。
風は思わず眼をつぶった。
猛スピードで雪雲や雨雲を運んだとき、松の葉や杉の葉にぶつかったときのあの痛みがよみがえってきた。

それから、風は少女のことが気になって、ここを通るたびに彼女を見舞うのが日課になってしまった。
風は少女に似合いそうな花を見つけては、せっせと病室に運んだ。

ある雨の日、いつものように少女の病室へ向かうと、病室は真っ黒なカーテンで閉ざされていた。
風は思いっきり体をふるわせて、自分が来たことを知らせた。

「ビューン、ビューン」

しかし、病室からは何の反応もない。
来る日も来る日も、窓は閉まっていた。風は心配でたまらなくなった。

「お願いだ、どうか僕にもう一度、ステキなあの笑顔を見せておくれ!」

風は一生懸命、新鮮な風を送り続けた。
風は、いつの間にかこの少女に違う心を感じていた。

ようやく、病室の窓が開き少女の姿見ることが出来たときは、もう季節は夏も終わりに近づいていた。
風は、花びらだけでなく、浜辺の砂や貝がら、木の実なども、毎日運んだ。

さわやかな秋の風を病室に届けたとき少女が初めて、ベッドから降りた。

「うわーっ、なんて気持ちのいい風なの。」
そう言いながら、窓から手を出した。

「今日の調子はどうだい?」
と風は、小声で話しかけながら少女に近づいた。

そのとき、風と少女の目と目が合ってしまった。
風はそのまま動けずにいた。

「温かい、優しい風さん、どうもありがとう。」

少女の小さな手がのびて、風をつかまえた。

少女はもう一度

「ありがとう」

と言いながら、風にキスをした。
                                                               おしまい


ここでは未発表の小作品を紹介しています。
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