藤沢 周平

 

蝉しぐれ ★★★★★
海坂藩の下級武士の家に跡取りのため養子に入った文四郎。美しい四季の移ろいに囲まれ、幼なじみへの淡い恋心を抱きながら若者らしく伸びやかに成長していく中、父がお家騒動に巻き込まれ、切腹。辛酸を舐める日々を過ごす。やがて跡を取った文四郎の周りにふたたびお家騒動の陰謀が渦巻く。しかも、藩主の側女となっていた幼なじみのふくがこの陰謀に巻き込まれようとしていた…。
劇場で映画の予告編を見たときから「これは原作を読まねば」と思っていた。ギリギリ公開に間にあった!。
こういう作品を読むと「あぁ、日本人に生まれてよかった…」としみじみとした喜びを感じる。日本の四季が持つ光の美しさ、日本人が本来持っているはずの奥ゆかしさ、行間に込められた人々の思いで胸がいっぱいになるのだ。辛酸の日々を過ごしながらも曲がることなく、まっすぐで瑞々しく、たくましい若木に成長する文四郎とその友たちの姿がまぶしかった。そして文四郎とふくの思いにぐっと胸が熱くなる。「情緒」とはこういうものなのだな…と、改めて言葉の意味を気づかせてもらった。心が洗われる。読んで損なし。

 

 

隠し剣秋風抄 ★★★★
市井に生きる名もなき剣士たち。剣客、剣豪…とは名ばかりの暮らしの中でそれでも彼らは剣を捨てることなく生きている。しかし、それは剣に頼った生き方ではなかった。下級武士たちの悲哀を描いた短編集。
剣客、剣豪を聞いて思い浮かべる人といえば、宮本武蔵や忠臣蔵でおなじみの堀部安兵衛や、清水一学といった、錚々たる面々なのだけれど、この小説に出てくる剣士たちは地味で市井にうずもれて日々を過ごしている。ところが、この人たちはひとたび剣を握れば人が変わる。、たとえ日ごろ、女難だったり、酒乱だったり、はたまた好色だったとしても。秘剣を修めたといっても、必ずしも立派な人とは限らない。剣豪と聞くとイコール人格も立派な人…というイメージがあるせいか、この小説に出てくる剣豪たちはイメージを裏切る。けれど、1作読み終わるたびになんともいえない深い味を感じさせてくれる。それは作者が「剣豪」を描いたのではなく「人間」を描いているからなのだ。この短編集の中でとくに気に入ったのは「孤立剣残月」「盲目剣谺返し」の2編。前者はミステリー仕立てになっていて、短編とはいえ、じっとりと手に汗を握る。後者は夫婦のあり方や人としての生き方を考えさせられる。ちなみにこの「盲目剣…」はキムタク主演の「武士の一分」というタイトルで映画化されます。先に映画化された「隠し剣鬼の爪」の元になった「隠し剣孤影抄」のほうが先に発表されてるらしい。こっちも読まなくては。

 

 

隠し剣孤影抄 ★★★★
秘剣を扱う剣客とはいえども、実態はその日の暮らしにもこと欠くような下級藩士たち…。秘剣はあくまでも秘剣であって、彼らは市井の中でつつましく暮らしている。しかし、ひとたび剣を握ると…。8作の短編集。
どちらかというと悲哀感が大きな割合を占める作品であるにも関わらず「美しさ」と「安心感」を感じさせてくれる。藤沢さんの筆による情景描写、登場人物たちの細やかな心理描写が素晴らしい。美しい日本語だけで慎ましやかな官能も感じられる。そしてなにより、一部を除く登場人物たちの潔さや心根にぐっとくる。秘剣を授けられた者の孤独と宿命を粛々と受け入れ、来るべきときに備える主人公たち。もちろん剣豪とはいえ、だらしなく情けない者もいる。しかし、それを影で支える人たちがいることの安心感。藤沢さんの目線はとてもあたたかい。「女人剣さざ波」は短編であるにも関わらず、大いに泣けました。