福井  晴敏

 

亡国のイージス
2000年、日本推理作家協会賞他受賞作。
戦域ミサイル防衛構想(TMD)を視野に入れ、海上自衛隊は全護衛艦にミニ・イージス・システムを導入することにし、『いそかぜ』をその一番艦に選ぶ。『いそかぜ』には艦長の宮津弘隆、先任伍長の仙石恒史、一等海士の如月行らが乗り込む。しかし、『いそかぜ』は先に起こった在日米軍基地で起こったある事件の遺産を巡る国家間の策謀、恩讐をも一緒に乗せていたことから、暴走を始める。この国と『いそかぜ』は一体、どこに行こうとするのか…というのが、この物語のはじまり。文庫で上下巻あわせて1100ページの長編なのだが、内容はこれ以上はとても書けない。
本気で自国を憂う人がいて、愛する者の意志を継ごうとする者がいる。自分の任務を全うしようと戦う者がいて、己の保身に必死な者がいる…。『いそかぜ』の暴走とともに、そんな人間模様もあわせて書かれているのだが、それが物語を一層、面白く重厚なものにしている。
政治だの自衛隊だのはよくわからないけれど、この人間模様とスケールの大きさに圧倒された。誰が悪いわけでもないのに「国家」としての実態を失ってる「日本」や「世界」が「悪」を作り出している…という点にむなしさをおぼえる。そしてこれがもし現実だとしたら…と、考えると恐ろしくなってくるのだ。
二転、三転するストーリーの中、ベテラン伍長の仙石の無器用な実直さが心地いい。また忘れてはならない行の存在。若くてかっこよく、それでいて陰をもつ男の子が好きな方はきっとお気に召すかと思います。
読み応えのある素晴らしい作品でした。

 

 

Twelve Y.O.
第44回江戸川乱歩賞受賞作。
最強のコンピュータウィルス「アポトーシスU」を駆使し、在沖米海兵隊を撤退に追いやったテロリスト「12(Twelve)」。彼がたった一人でペンタゴンと自衛隊を敵に回す、その目的、そして「12」とは一体、何者なのか…?。<キメラ><ウルマ><BB文書><ダイス>…謎の言葉に振り回され、うろたえるばかりの「自衛隊」に目を覆いたくなる。
「自衛隊」はこの国を守ってくれるものなのか、そもそも「自衛隊」の存在の意味とは…を、「12」の孤独な戦いを通して鋭く追及している。
その一方で「誰かに愛されたい」人たちが、人を思うこと、人から思われることの喜びを模索する物語にもなっている。
先に↑の「亡国のイージス」を読み、そのインパクトが強すぎたせいか「亡国…」以上の感動はなかったが、ラストにはじんわり涙が浮かんだ。

 

 

川の深さは
元マル暴刑事の桃山がグータラ警備員として勤めているビルに重傷を負った少年、保と少女、葵が逃げ込んで来た。傷を負いながらも葵を守ろうとする保の強い意志とひたむきな姿に過去の自分を重ね合わせ、彼らを匿ううちに桃山はいつしか底の見えない川に引き込まれ、彼らと共に戦うことを決意する。戦いの裏側に「地下鉄テロ事件」の真相と、それを通し、この国の暗部が明らかになっていく…。
上記2作の原点の本作。この国の在り方と、人をどれだけ愛し、信じることが出来るか…というのが3作を通してのテーマ。これだけの話を文庫にして400ページというのは少々、詰め込みすぎのような気もするけれど、面白かった。桃山とともに「アパッチ」に乗り込み、海に出てからの保には本当に泣かされます。特殊訓練を受けたことで、感情を表に出さないはずの保が「桃さん…」と呼びかけるシーンでは涙ポロポロ。↑の「
Twelve Y.O.」で乱歩賞をとったけど、前年(第43回)、本作で最終候補まで残りながら受賞出来なかったのが本当に惜しまれる作品。わたしは「Twelve 」よりも本作の方が好きです。ちなみにわたしは順序をまったく逆で読んでしまいましたが、福井さんの一連の作品は本作→「Twelve Y.O.」→「亡国のイージス」です。この順序で読んだ方がわかりやすいけれど、さかのぼって読むことで「これがアレにつながるのか!」という発見があって、おもしろかったです。

 

 

終戦のローレライ
第二次世界大戦末期、「あるべき日本の終戦の形」のために五島列島沖に沈んだドイツの極秘兵器「『ローレライ』を回収せよ」海軍のエリート大佐浅倉から秘密裏に下命を受けた絹見艦長以下、潜水艦『伊507』の乗組員たち。しかし秘密裏の作戦ということもあって、彼らはその胸のうちに何かを秘めた者ばかりの寄せ集め部隊だった。
その彼らは「ローレライ」がどのような兵器なのかまったく知らされぬまま米艦の追撃を受けながらも回収し、驚愕の事実を知る。だが、それは浅倉の理想とする「あるべき終戦の形」へのほんの序章に過ぎなかった…。
上下巻2段組、総ページ数1050ページというとんでもない大長編だが、『伊507』の戦いを綴るには全く無駄がないと言っていい。
この戦争は一体、誰が何のために始めたのか…という問いが本を読み始めてからずっと頭の中で繰り返される。南方戦線でまさに地獄絵図を体験した兵士たち。焼夷弾の雨から逃げ切れずに焼かれた人々。「片道切符」しか与えられない特攻隊員…。現場で何十、何百の命を預かる上官の苦悩。国を動かす者がそのことから目をそらさなければ、この戦争はもっと早く終結していただろうし、そもそも戦争なんて起きなかっただろう…と、思うと憤り、涙が出てくる。戦争は狂気を生み、狂気が新たな悲劇を生むことは現在の世界情勢を見れば歴然である。平和ボケしてしまった今の日本がほんの60年前はこの狂気に溢れていたなんて、想像するだけで恐ろしさで足元から震えがはいのぼってくる。今の日本があるのは『伊507』の乗組員や名もなく散ったその他の多すぎる人命のおかげなのだということを改めて肝に銘じておかねばならない。そのためにも是非、一読することをお勧めします。
福井さんの他の作品の根底に流れるものが本作でも存分に溢れています。
感動と憤りの繰り返しでいろんな意味を込めた涙があなたの頬を滂沱の如く流れることでしょう。
ちなみに「ローレライ」とはライン川の岩の上から美貌と美声で船乗りを誘惑し、船もろとも沈めるという伝説の魔女の名前。
ココから先はネタバレというかひとりごとです。未読の人は読まないほうが
いいかと思われます(笑)。↓↓↓

これって「ファーストガンダム」じゃんっ!…と、思ったのよ。
パウラってララァだし、フリッツと浅倉はシャアを分割したような人でしょ?(浅倉はプラス、ギレンも・苦笑)。「ローレライ」なんて「ニュータイプ」そのままだし(笑)。福井さんが「ターンA」の原作者だから仕方ないのかな…と、思ってしまった。それでもこの作品の素晴らしさはモチロン変わることはないんだけどね。

 

 

6ステイン ★★★★
防衛庁情報局…通称、市ヶ谷。公に出来ない地下組織に属する工作員たちと彼らに関わる人々の過去・現在、そして未来…。6作からなる福井さん初の短編集。

「いまできる最善のこと」
ヤメイチ(市ヶ谷退職者)の中里は中堅ゼネコンで、中間管理職として疲れた日々を送る。ある日出張に向かう電車の中で「北」の元工作員に遭遇、攻撃を受ける。同じ電車に乗っていたために、負傷した小学生を背負い「いまできる最善のこと」を尽くす…。

「畳算」
旧KGBの遺産の「スーツケース」を回収に九州の片田舎の旅館の女将、牧野久江を訪れた堤。しかし久江は「スーツケース」の在り処を話そうとはせず、頑なな態度をとりつづけるが、堤が庭先で久江の後挿しを拾ったことから久江は「待ちぼうけ」の半生を語り、やがて…。
「サクラ」
入局以来、事務一辺倒だった高藤がはじめてサブジェクト(対象者)のウォッチ任務につくことになった。パートナーは19歳の女性工作員・サクラ。一見、無邪気なサクラの横顔に暗い影を見た高藤だったが、サブジェクトが襲撃され…。
「媽媽」
「妻」や「母」として埋もれてしまう日々にむなしさをおぼえ、職場復帰した由美子。任務を終え、夫・子供のいる自宅へ帰った直後、中国系マフィア・ユイ確保の報を受け、ふたたび現場へ。そこで対面したユイに「母親は家へ帰れ」と言われ…。
「断ち切る」
60をとうに過ぎた椛山の前に元刑事の韮沢が姿を現し、かつて「断ち切りのタメ」といわれた椛山の「腕」を見込んで、仕事を持ちかけてきた。渋りながらも引き受けた仕事は首尾よく運んだかに見えたが、急転直下。思わぬ事態に巻き込まれる…。
「920を待ちながら」

須賀と木村がサブジェクト・Aの直近防衛のバックアップ任務中、突然通信途絶状態になる。二人はAの自宅へ駆けつけるが、そこには須賀の10年来の因縁者、松宮がいた。松宮を狙うのは市ヶ谷伝説の人物、「920」らしいとの情報が入り、戦慄と驚愕、逆転の連続の一夜が始まる…。

「市ヶ谷」という特殊な世界に身を置く工作員。しかし彼らは特別でもなんでもない。ただの人間だ。むしろ「使い捨ての駒」であることを自覚している分、ただの人間であろうとするのかもしれない。堤は久江の思いを成就させるために、「サクラ」は自分の人生と仲直りするために、由美子は「妻」であり「母」である前に「自分自身」であることを証明するために、もがき、苦しみながらも「任務」を遂行していく。そんな生々しい姿に共感し、引き込まれていく。
福井さんといえば超長編かつイージス艦や潜水艦での派手なドンパチ…というイメージがあまりにも強いが、短編では新たな魅力が発見できる。短編とは思えないほど、丹念に人物を描写しているうえ、「畳算」の男女の愛情をしっとりと描いた作品などは「これが福井作品?」と、驚くだろう。そして何より、今まで福井作品を敬遠していた人、挫折した人に是非とも読んで戴きたい。そうすれば福井さんの作家としての奥深さ・幅広さがわかっていただける作品集だと思う。

 

 

戦国自衛隊1549 ★★★★
太陽の電磁波から、情報や通信網をシールドする「アクエリアス計画」の実験中、的場一佐率いる陸上自衛隊第三特別混成団が実弾を含む武器・弾薬・車輌、そして米軍から預かった「厄介な荷物」と共に忽然と姿を消してしまった…。6年後、的場の元部下・鹿島は「アクエリアス計画」の実質的責任者・神崎怜や「ロメオ隊」と共に、第三混成団の救出計画に参加する。向かう先は1549年、血で血を洗う戦国時代…。
福井さんにしては短い話で、あっという間に読めてしまう。それはおそらく半村良氏の「戦国自衛隊」という原案を元にしているために細かい説明は必要ないと判断したからだろう。だからこそ、原案を損なわないようにしながら自分のアイデアと融合させて書くのは「さぞ難しかっただろう」と想像できてしまう。
しかし、いつもより短いからと言って油断してはいけない。短い分「福井節」がぎゅーっと凝縮されて描かれている。福井さんの一連の作品は「守りたいもの」「守らなければいけないもの」をまさに命を懸けて守る人間を書いているが、本作もそれは変わらない。生き方をみつけられず自堕落な日々を過ごしていた鹿島が的場を触媒に「自分達、そしてその先の人たちが生きる未来」のために歴史を守ろうと変わっていく様子や怜の寂しさ、「未来から逃げない」過去の人々の思いと共に、こういう生き方しか出来なかった「元・海兵旅団司令」(これがわかる人、いるかな?)的場の痛みもわかり、単なる「勧善懲悪」に終わらない深さがある。いつもは号泣させられ、色んな思いがぐちょぐちょに渦を巻くほど考えさせられる福井作品だけれど、今回は今までのほかの作品よりも娯楽性が高く、力を抜いてさわやかに読み終えることができる。これもまた福井作品。
さて、さて。本作のイケメン…三國さんと七兵衛さんかしら?。男性ではないけれど、彼女(ネタバレにつき名前は伏せておきます)の凛とした美しさが男性以上に素敵でした。「絵巻物」風の装丁と共にお楽しみください。

 

 

月に繭 地には果実 ★★★★
正暦(西暦ではなく)2345年、壊滅寸前だった地球にようやく再生の芽が萌え始めた頃、月へ逃れていた月の民が地球への帰還作戦を決行。その作戦に先駆け「検体」として地球へ送られていたロラン。彼が成人の儀式で見たのは「ホワイトドール」と地元民に呼ばれる人がたの石造だった…。
感想を書くよりも先にひと言。これは「ターンAガンダム」のノベライズと言われてるけど何人かの登場人物と設定を基に福井さんが新たにストーリーを作ったものだそうです。
…モビルスーツが出てきてもやっぱり福井節は健在でした(笑)。どこで生まれようが、どこで生きようが同じ人間なら理解しあえるはず…という福井さんのほかの作品&ガンダムシリーズに通じるものがビシバシ。そこに至るまでの紆余曲折ぶりというか、ボタンの掛け違え方がなんとも切ない。いつもは福井さんの書く美青年(?)に目を奪われがちなんだけど、今回はあえて女性に注目して読んでみたら、これがまぁ…実に細やかに女性心理が書かれていて、どの女性にも「うんうん、わかるわぁ」なんて頷いてしまった。特にキエルがディアナに嫉妬するところなんて本当に痛々しくて、生々しかった。福井さんに女性が主人公の長編を書いてもらいたいかも。
歴史は繰り返す…けれど、繰り返しながらも人は学ばなければならないし、そこから進歩することも出来るはず。これも歴代のガンダムシリーズと福井作品に通じるテーマかと思われるんだけど、うまくガンダムと自分のカラーを融合させてしまうんだから、やっぱり福井さんは凄い。
ちなみに往年のガンダムファンは思わずニヤリとするシーンが随所にちりばめられてるし、福井ファンにもお楽しみがチラホラ…。あたしは「アレ」よりもテテルに「彼」の影を感じてちょっぴり苦い思いを噛み締めたりして。ガンダムファン、福井ファン、両方が楽しめる作品です。
ラストシーンを読みながら「ボクには帰れる場所があるんだ。こんなにうれしいことはない」(byアムロ・レイ)のセリフがグルグルしました(笑)。

 

 

Op.ローズダスト ★★★★
2006年、東京。ネット財閥アクト・グループを標的とした爆弾テロ事件が起きる。自他共に認める「ハムの脂身」の並河警部補はひょんなことから防衛庁から出向してきた丹原朋希と一緒に捜査することになった。しかも「ローズダスト」を名乗るテロリスト集団のリーダー、入江一功と朋希は浅からぬ因縁で結ばれていた…。「新しい言葉」を生み出すための壮絶な戦いがはじまる。
福井さん待望の長編新刊。今回は若者たちが負った傷とその傷を癒すためにテロという手段をとらざるを得なかった者。そこにわが身を投げ出し、贖罪しようとする者。そしてそれを阻止しようとする者たちとの葛藤が描かれている。今回も福井節炸裂といったところ。でも相変わらずなのは己の保身を図ろうとするエライさんたちだったり、そういう人たちが舵を取る日本という国そのもの…。これは福井さんやわたしたち国民の永遠のテーマなのかも。
今回もモチロン「悩める若者と熟しすぎたおっさん」登場。それに加えて、若者というにはちょっと年をとりすぎ、おっさんというには若すぎる…という、おそらく福井さん(わたし?)世代のこれまた悩めるお兄さんが絡む。ま、中心は若者とおっさんだけど。今回は若者もお兄さんもおっさんも等しくかっこよかったというか、「行と仙石さん」に比べると平均化されてるような感じ(笑)。若者がね、悶々としすぎてクールさがない。なので今回わたしは若者よりもお兄さんが好き(爆)。
正直言って物語の完成度としては「イージス」のほうが上だと思う。イージス艦や危機管理センターの濃密な空気が漂う密室ならではの緊迫感があったから。今回は東京…主な舞台としては臨海副都心という限定した地域ではあるけれど、そこはやはり開かれた公共の場。その分スケールは大きく、最後の最後に護衛艦1隻をドカン!なんてくらいじゃ済まないとんでもないことをやってしまうほど。けれど開かれた場所であるがゆえ、漂う緊迫感も薄まってしまったような感じ。でも逆に言うなら何も事情を知らない人に緊迫感を持てというのは難しいものなのではないか…と思うと、妙にリアリティを感じるのではあるけれど、「イージス」や「ローレライ」ほど泣けなかったのは確か。思えば今までの物語は緊迫感でぐーーーっと感情が高ぶってるときに「どうだ!」と泣きポイントが訪れる。今回はと言うと緊迫感が薄い分、感情がさほど高ぶらなかった。でも、あとからあとからじんわりと胸が熱くなる。でも泣きポイントはちゃんとあるのでご心配なく笑)。読了後、これは一功や朋希、そしてちょっとだけ現状を憂う人たちが見た壮大な夢orファンタジーじゃないか…そんな風に思った。