帚木 蓬生

 

閉鎖病棟 ★★★★★
チュウさんは幻聴に悩まされていたある日、父親を絞め殺そうとしてしまい、病院へ送られた。秀丸さんは死刑を執行されたが、死に切れず、拘置所から放り出された。昭八ちゃんは家に自分の居場所がないことに絶望して納屋に火をつけ、納屋と隣家を燃やしてしまった…。さまざまな過去を持つ人々が暮らす「病院」の中で起きた殺人事件はあまりにも悲しく、それでいてあたたかさに溢れていた…。
頬を伝う涙のあたたかさは、この作品と登場人物、そして作者自身の「あたたかさ」であることに気づくのに、時間はかからなかった。
一部の異常な犯罪などのせいか、心を病む人を色眼鏡で見てしまいがちなわたしたち。しかし、彼らの多くは純粋すぎるがゆえに破綻を来たしただけで、本当に歪んだ心を持っているのはわたしたちの方ではないのだろうか、ということに行き当たり、胸が締め付けられる思いがした。
人が持つ、本当の優しさや強さ、そしておろかさや弱さが集約されている。トゲトゲした時に読むと、すっと平静さや優しさを取り戻させてくれる、枕元に常備の1冊となった。

 

 

アフリカの蹄 ★★★★★
日本人医師の作田はアフリカで心臓移植手術の研修を受けていた。しかし、そこで見たのは白人による非人道的な黒人差別…アパルトヘイト政策の厳しい現実だった。やがて「ブラックスポット」と言われる黒人のスラム街で奇病が大量に発生。調べるうちに撲滅されたはずの天然痘で、しかもそれは極右白人によってウィルスがばらまかれたことがわかり、作田は診療の傍ら、ワンチンを作るため黒人医師のサミュエルや恋人のパメラと共にウィルスの国外持ち出しを図るべく奔走する…。
実は本文中には具体的な国名は出てこないが、これは南アフリカ共和国をモデルにしたものだ。しかし、実際に天然痘ウィルスをばらまいたという事件は起こっていない。あくまでも架空の話なのだが、白人による黒人への迫害は紛れもない事実だ。この作品を読んで、まず自分がいかに無知であったか…ということを思い知らされ、恥ずかしくなった。アパルトヘイトが白人による黒人差別であるということは、もちろん知っていたが、その詳細はよく知らなかった。日本人が「名誉白人」として遇されていたことも、教科書では教えてくれなかった。けれど、教えてくれなかったことが「知らない」ことの理由にならない。自分が不勉強だったということだ。頭を殴られたような思いをしながら読んだ。もっと知らなくてはいけない。多くの人が知るべきだ…。
人間が人間らしく生きること。自分が何をすべきか自分で考え実行すること。この二つのことが叶えられたとき「新しい流れ」の中、蹄の音は高らかに響くのだ。
(bonさまからお借りしました・ありがとう♪)

 

 

空夜 ★★★★
九州の山間の村にある旧家の跡取り娘、真紀は借金癖のある夫に愛想を尽かしながらも、そんな生活と自分の殻を破れないもどかしさを抱いていた。そんなある日、同級生だった慎一が約20年ぶりに医師として村へ赴任してきた。高鳴る胸とは対照的に静かに再会を果たす二人。一方、真紀の友人で商店街で洋品店を営む俊子も夫との愛のない生活に見切りをつけ、10歳年下の達士と穏やかに愛を育んでいく…。
恋愛小説がニガテで、ほとんど読まないのだけれど、これは不思議にすんなりと身体に取り込まれていくような感覚がした。二組の「恋人」の恋愛模様を描きつつ、実際は真紀の自立していく姿を描いているからかもしれない。「箱入り娘」で頑なだった真紀が慎一にインスパイアされ徐々に殻を破っていくのはまさに「恋の力」。けれど、それが安っぽくならないところが「大人の恋」。…でもまぁ、不倫は不倫ですからね、実際はこんなに美しい話ではありえないし、自立していく…といいながらもやはり慎一に依存してるところはある。けれど、妙にウマがあうというか、相性がよかった。作中に「昔話」や「薪能」が出てくるのだけれど、実は本作こそが大人のための「おとぎばなし」で、「おとぎばなし」に現実感は必要ないから、ニガテな恋愛小説、ましてや不倫モノでも「割り切って」受け入れることができたのかもしれない。
(bonさまからお借りしました・ありがとう♪)

 

 

ヒトラーの防具 ★★★★
東西を分断する壁が崩壊したベルリンで剣道の防具が発見される。1938年、日本からヒトラーに贈られたものだ。このとき通訳としてヒトラーとの会見に立ち会った武官の香田はその後、混沌とする世界とドイツで何を見たのか…。
日本とドイツの関係は第二次世界大戦を語る上では外せないことだけれども、学校で習うのは「ともに枢軸国だった」というだけのことなので、この作品(フィクションだけど)を読んでこれほどまでに強い結びつきだったのか…と、衝撃を受けた。その中で流されることなく、一人の人間でありつづけた香田とその兄の雅彦の生き方に胸が震えた。そして改めてナチスが行ったユダヤ人弾圧や精神病患者や治る見込みのない病人に対する「間引き」、日本が行った中国・朝鮮の人たちに対する蛮行、ハンセン病患者などに対する隔離政策などに怒りと悲しみ、痛みを感じた。
東郷茂徳大使がベルリンを去るときに香田に託した手紙に書いた「真理は常に弱者に宿る」この言葉の持つ重みと、人は他人の尊厳を奪ってはならないし、自分の尊厳をも失ってはいけないのではないか…そんな当たり前のことを考えさせられたのだった。

 

 

国銅 ★★★★★
天平の時代、聖武天皇から発せられた盧舎那大仏造顕の詔により、その名も「奈良登り」と言われる長門の銅山で身を粉にして働いていた若者たち15人が大仏を造るべく、都へ向かった。その中に幼い頃からともに銅山で働き続けた兄や心通う相棒を亡くした深い悲しみと淡い恋心を携えた国人もいた…。
号泣するほどの大きな悲しみや感動があるわけではない。けれど静かに、静かに、じんわり、じんわりと胸が熱くなっていく。それはまず第一に主人公の国人が好青年だからだ。人足としての身をわきまえつつも、向学心を忘れず僧から習った字を忘れないよう木簡や地面に何度も書いては消し、また書いて…を繰り返す姿や聡明で実直な働きぶり、人に対する素朴な誠実さが全く嫌味を感じさせないのだ。そして国人の周りのさまざまな人たちも一部を除いて皆、苦労を重ねた人たちだけが得るあたたかみを持った人たちだ。殊に兄の広国や相棒の黒虫、そして人生の師である僧の景信の人間としてのスケールの大きな姿は現代を小賢しく生きようとする人たちが学ぶべき姿なのではないだろうか。そんな国人たち歴史に名を残すことがない人たちの汗や涙、血と命、そして膨大な時間によってあの「奈良の大仏」が造立されたのだ。あの大仏はそんな名も無い人たち自身が残した巨大な墓碑なのかもしれない。だからこそ、あの人たちの魂を感じ、思いを馳せながらあの大仏を見てみたい…読み終えた人は誰もがそう思うにちがいない。そして「自分の仏を持つ」ことの意味を考えるだろう。
全編を通してゆるやかな感動が続くけれど、一番のお勧めはやはり最後に国人が作った歌。広国や黒虫が非業な死をとげたときですら、あまりの悲壮さに泣けなかったわたしが最後の最後にポロリと一筋だけ涙をこぼした。この涙の意味は深い。