岩井 志麻子

 

 

ぼっけえ、きょうてえ
山本周五郎賞、日本ホラー小説大賞受賞作。
表題作の『ぼっけえ、きょうてえ』を含めた4つの短編ホラーが収録されてます。
「ぼっけえ、きょうてえ」とは「とても、怖い」という意味の岡山弁なのですが、この短編の舞台は全て明治時代の岡山です。
いろんなサイトさんでこの本の感想を読ませていただいていたのですが、皆さん一様に「怖い」と書かれていたので、恐る恐る読み始めました。が、読んでいる途中は夜中にも関わらず、それほど怖くなかったのです。ひとつのお話を読み終えて、改めて振り返ったときに、気がついたら身震いしている…という感じ。
ホラーというと悪霊とか化け物が出てくるでは…という先入観があるのだけれど「ホラー」は「恐い」という意味で、「悪霊小説」でもなければ、「化け物小説」でもないのです。そんなものが出てこなくても(一部には出てくるのだけれど)、充分、恐いのです。
結局、真の意味で恐ろしいのは「時代」であったり、「人間」や「業」なのだ…ということに気づかされて、ここではじめて「ぼっけえ、きょうてえ」という感情に至るのです。
4編とも秀作です。

 

 

岡山女
明治末期。妾稼業を生業としていたタミエはある日、「旦那」である宮一に日本刀で切りつけられる。生死の淵をさまよった末、現世に生還したものの左目を失ってしまった。しかしそれ以来、タミエの目には普通の人が見えないもの…霊が見えるようになり、霊媒師として生活をたてていく。そして今日も霊に怯える人がタミエの元を訪れてくる。6編からなる短編集。
宮一に切りつけられる経緯はなかなかにスプラッターな雰囲気が漂っていたが、全体的にはそれほどホラーさは感じない。タミエが見ているものは「霊」というよりは人の悲しみや恨み、つらみ、ときにはこっけいさすら感じる人間が誰でも持っている「業」なのだ。だから視覚的な怖さではなく、内からひたひたと押し寄せてくる精神的な怖さなのだ。
圧巻は「岡山ハレー彗星奇譚」。短編とは思えないほど、密度の濃い話で、これだけはホラー感がたっぷり。古代から彗星は凶事の前触れと恐れられていたが、日毎に大きくなるハレー彗星の姿に人々やタミエの不安を重ねているところが上手い。
そして、相変わらず作者お得意?の、土着的な雰囲気がぷんぷん漂っているところが「岩井志麻子を読んだ!」という気にさせてくれる1冊でした。