ダニエル・キイス

 

アルジャーノンに花束を
フェニールケトン尿症により、知能が発達せず「白痴」状態のチャーリーは地道にパン屋で働きながら、「天才」ねずみのアルジャーノンと共に検査の日々を送る。しかしアルジャーノンの「天才」ぶりは手術によって開花したものであり、「頭が良くなりたい」チャーリーはアルジャーノンと同じ手術を人間として初めて受け、天才的な知能を持つが…。
世界的大ベストセラーとなった本書。今さらながら…と、思いながら読んでみた。「感動で涙がとまらなかった」という感想をよく目にするので、涙もろいわたしはバスタオルが要るかも…と、思ったのだけれど泣けなかった。天才になったら幸せになれる…と、信じていたチャーリーだが、天才に近づくにつれ大切なものをどんどん失っていく。そのうちに天才的な頭脳で自分の行く末を知ることになる。それは一足先に手術を受けたアルジャーノンが示しているのだが、そこでようやくチャーリーがく自分を取り戻していく…ところに感動させられるはずが、それまでの姿があまりにも悲しくて、素直に受け入れることが出来なかった。
人として踏み込んではならない、いくつかの領域があるとするならこの手術もその中に入るのではないだろうか…。頭が良くなりたい…という本人の思いは切実だし、わたし自身、自分や子供がそういう状態なら手術を願うだろう。冷静に考えると「してはならないこと」とわかっていても、感情では「願ってしまう」自分がいて、一方で「神様に愛された子として、あるがままを生きて欲しい」と、思ったりもする。障害を持たない者はそういう思いや感情、理性に折り合いをつけつつ、生きていかねばならないのか…と我が身の責任の重さを本書を読んで強く感じた。
最後に。この先、チャーリーが本当に幸せに生きてくれることを願って止まない。