野 沢  尚

 

破線のマリス
第43回江戸川乱歩賞受賞作。
首都テレビの映像編集員、遠藤瑤子は自分の持つ巧みな技術を駆使し、報道番組内で流した映像により、事件の真相に迫る。ある日、郵政省に勤める春名と名乗る男から内部告発ビデオを託された瑤子は編集員としての勘と技術を頼りに真相を解明しようとするが、そこには大きな落とし穴が口を開けて待っていた…。
分類としてはミステリーというよりはサイコホラーという括りの方がしっくりくるような内容。
事件が起きるとテレビや雑誌からの「受け売りの事実」に目を奪われ、真実は一体なんだったのか…と、思うことがある。しかし、視聴者(読者)である、わたしたちは自分が当事者でない限り、真実を解明しようとはしないが、これらの情報を流す、マスコミ関係者はわたしたちよりも「真実に近いところにいる」。そのために、自分の勘で「事実」を解明…あるいは作り、流すことはないだろうか?。この小説の主人公、瑤子は「私の真実」という言葉を使っているのだが、「ふざけるな!」と言いたくなる。つまりこの小説の主人公にはまったく共感できないのだ。
男社会であるマスコミで懸命に自分の技術だけで生きている姿に応援したい気持ちもあったのだが、あのひと言で台無し。ストーリーも「結局のところ真実は何?」なのだ。それでも他の作品…いや、はっきり言おう、あの福井氏の「川の深さは」を僅差でかわしての乱歩賞受賞作なのだ。だから「川の…」よりも優れた作品のはずなのだ。あえて言うなら、作者は人気脚本家である。だから登場人物の心理描写が細かく、映像的なところはさすがだと思う。そして、テレビの世界に携わる者として、受け手であるわたしたちにこの作品を通して警鐘を鳴らしてくれたことに対しては「よくやった!」と思う。ただし、マスコミもわたしたちもそれほど馬鹿じゃないとは思うが。この作品は小説として読むよりは、やはり「二時間ドラマ」向けだな。…ちょっと辛口になっちゃった。ごめんなさい。

 

 

リミット ★★★★
連続幼児誘拐事件の被害者対策として警視庁捜査一課の有働公子は被害者の自宅へ詰めていた。しかし、自分の息子・貴之にも犯人の魔の手が伸びたことを知り、公子は同僚達を欺き、「警察官」ではなく、ひとりの「母親」として犯人を追う…。
子を持つ親として「幼児誘拐」を題材にした小説は、今までも胸がはりさけそうになっていたのだが、この「リミット」はまさに臓腑を抉られるような思いで正直言って、今まででいちばん辛いストーリーだった。
しかし、同じ子を持つ母として公子の思いや「戦う姿」に感動した。母親の強さをよくぞ書ききってくださった!。自らの子宮で命をはぐくんだ者の思いや情熱を男性である野沢さんがズバリ書ききったことにあっぱれ!。その一方で犯人グループの女性たちを「残酷で非情で、かつ狂った生き物」として、容赦なく書いている。「女性だからこそ、ここまで非情になれる。母親だからこそ、ここまで強くなれる」という部分を見事に書き分けた野沢さんに敬意を表したい。
ストーリーもスピーディで映像的。さすが脚本家。…なのに★が4つなのは、子供が痛い目に遭うところがどうしても受け入れられなかったということだけ。
「破線のマリス」は体質的に受け付けなかったのだが、この「リミット」を読んで、野沢さんの才能に改めて気づくことが出来た。早世が本当に惜しまれます。

 

 

深紅 ★★★★
小学校の修学旅行中に、一家惨殺事件で家族を失った奏子は心に深い傷と闇を抱えたまま大学生となった。加害者に同じ年の娘がいることを知った奏子は正体を隠し、その娘・未歩に近づき…。
前半の加害者の上申書の記述は衝撃的だが、そこに惑わされてはならない。この物語は後半部分をじっくりと読む作品だと思う。被害者の娘と加害者の娘…。立場は全く違うはずなのに、「生きていてごめんね」「わたしも殺せばいい」と言う、二人が持つ傷や闇に違いはない。だからこそ奏子は未歩に対して何か通じるものを感じたのだ。
犯罪被害者の家族、そして加害者の家族の深淵の一端を見た思いがする。二人の心がいつか癒される日が来ることを願わずにはいられない。
それにしても、野沢さんの小説はやはり視覚的・映像的だな…と改めて思った。奏子と未歩の別れのシーンは特に強く感じた。