S.キング

 

呪われた町
海外モノ苦手なあたしが久々に挑戦しました。しかもホラー。
ホラーは決して苦手ではないのだけれど、さすがに夜中に読んでるとドキドキ、ハラハラ感が倍増!
小野不由美さんの『屍鬼』はこの作品へのオマージュとして書かれたもので、どちらかといえば「人の心の中に住む鬼」を書いたものですが、この作品は「鬼退治」の方に重きが置かれています。
もちろん様々な人間ドラマも描かれていますが、「鬼退治」があまりにも怖くて、「人間ドラマどころじゃないっ!」です。
ちょっと核心部分へ至るのが唐突過ぎるような気がしたけれど、作者の2作目ということを考えれば、仕方ないところかな。その作者も今や大・大作家ですけど…。
『屍鬼』を読んだ人は是非、こちらも読んでみてください。
読み比べて登場人物をはじめ、いろんなモノの対比をするのも楽しいけれど、純粋にエンターテイメントホラーとしても満足出来ます。
ただし、中盤以降は「夜中に読むには怖すぎ〜っ!」という忠告だけはしておきます(笑)。

 

 

グリーン・マイル
1932年。コールド・マウンテン刑務所のEブロックは死刑囚の「終の住処」。罪を贖うために座らされる「電気椅子」までの通路は床が緑色であることから「グリーン・マイル」と呼ばれている。そこで看守として働くポールと死刑囚コーフィーの邂逅はポールにとって、長い長い「グリーン・マイル」のスタートラインにすぎなかった…。
「癒し」「祈り」「呪い」「償い」「恨み」「憎しみ」「愛しさ」「卑しさ」…これらは一見、全然別物のようだが、この作品を読むと、その根底に流れるものは同じであることに気づかされます。ポジティブであろうが、ネガティブであろうが、「心の底からの想い」であること。それがコーフィーをはじめとする全ての登場人物によって見事に表現されています。
どうすることも出来ない無力さを味わい、それを忘れないこと。それが「生き続けていく者」にとっての「電気椅子」であり、「贖罪」であることに気づいたとき、「生きているのではなく、生かされているんだ」と、意識させられます。
それにしても魅力的な登場人物&動物(!)がいるかと思えば、どうしようもない「悪党」もいる。この話に出てくる悪党にはきちんと制裁が下っているのだけれど、現実の世界で制裁が下されるのはほんの一握り。この「悪党」に媚びへつらうことなく一生を過ごせば『グリーン・マイル』先にはきっとコーフィーの温かい手が待っていることでしょう。

なお、この作品を読んで思い出した作品が3作あるので、参考に挙げておきます。
小野不由美『屍鬼』、高野和明『13階段』、宮部みゆき『龍は眠る』。

 

 

 

ミザリー
冬のロッキー山脈の麓の道路で自動車事故を起こし、瀕死の重症を負った人気作家のポール。そしてそのポールを助けた元看護婦で、ポールの「ナンバーワン読者」アニー。しかし、アニーはポールを病院に連れて行くことなく、自宅に軟禁する。その目的は『ミザリー』の続編をポールに書かせることだった…。
ひとことで言うと「すごい。怖い」これに尽きる。
何がすごいって、まずアニーの切れ方。ネタバレになるので詳しくは書けないのだけれど、ポールはあの事故で死んでたほうがよかったのだ。とにかくあんな恐ろしいことをよくも平然と?やってのけてくれる。
そして次にすごいのはやはりポール。ポールの生への執念と作家根性。読んでて実際の作家もこんな風にまさに「身を切られるような思い」で、作品を作り上げていくのだろうか…と、思ったのだけれど、ポールは「…ような思い」ではないのだ。しかも、書き進めていくにつれて作家としてのど根性…つまり作者本人が「ナンバーワン読者」であるために、作品を書いていく姿には感動した。怖いのは…あたし自身。途中、正直言ってあまり気持ちの良くない描写が出てくるのだけれど、結構平気に読んでしまってたという事実。我ながら自分が怖かったです。

 

 

ペット・セマタリー
都会から小さな田舎町に引っ越してきたルイス・クリードとその妻子、猫。家の前は大型トラックがひっきりなしに走り去る道路があり、裏の森にはその道路で犠牲になったペットたちの霊園「ペット・セマタリー」がある。更にその奥には恐ろしい「力」を秘めた先住民の「聖地」があった…。
上下巻の上巻は長い長い「前置き」。本編はやはり下巻なのだけれど、この下巻が痛々しくて、読むことを止めてしまいたいのに、やめられない。まるで何かに取り付かれたように。そう、あの「忌まわしい何か」に導かれているかのように。
『恋は盲目』という言葉があるが、愛する者を失ったときにこそ人は真に盲目になってしまうものなのだ。それはあまりにも悲しく、恐ろしく、愚かなことだとわかっていながら、そんなことはあってはならないということもわかっていながら、主人公ルイスの首尾がうまくいくように…と、思ってしまう自分がいる。心から愛せる誰かがいる者だけが共有できる「思い」なのかもしれない。ただし、それを自分が実行するかどうかは別だけれど。「忌まわしい何か」は人の正気と狂気の間に潜んでいる。ほんの少し振り子が狂気にふれたとき、姿を現し、侵していく。「盲目的な愛」を餌にして…。
正直言って、ネタバレさせずに感想を書くのはコレが限界です。パスコーやエリーのことを書きたかった。