司馬 遼太郎

 

竜馬がゆく
ご存知、幕末の風雲児・坂本竜馬は土佐藩郷士の出身でありながら、「薩長同盟」「大政奉還」という当時、誰もが不可能だと思っていたことをその生涯同様、飄々と、そして活き活きと成し遂げ、死してなお、人の心に爽やかさと鮮烈さを与え、「生きる竜馬」を残しつづける…。
あたしがここでごちゃごちゃ感想を述べるよりは、「是非とも一読されることをオススメします!」…で、感想を終わらせたい(笑)。
あの西郷隆盛や桂小五郎ですら「わが藩(薩摩・長州)」のことしか眼中になかった幕末動乱期に、竜馬の目はすでに「日本」「世界の中の日本」そして「世界」を捉えていたことに坂本竜馬という人物の懐の大きさ、深さがうかがえる。そして何より海が好きで、船が好きで、人間が好きな竜馬は日本最初の会社・亀山社中(後の海援隊)を興し、海運業に励む実業家でもあったが、彼には身分や「政治家」「実業家」という肩書きは必要ない。彼に似合う肩書きがあるとすればそれは「冒険家」だろう。そしてそれは現実に竜馬が新政府の人事案において自分をどの役職にも置かないことを示していたことでわかる。そして寺田屋で彼を救ったおりょうは家事一切はほとんど出来ない女性だったが、千葉道場の娘で剣術に優れ、竜馬の世話をあれこれ焼いてきたさな子ではなく(お田鶴さまは実在しない)、おりょうを妻としたところに「一緒に冒険が出来る女性」を選んだのだろうということからも「冒険家・竜馬」の姿がうかがえる。
北辰一刀流の達人でありながら、愛刀・陸奥守吉行を血で濡らすことなく散った竜馬は人の血や命では真の倒幕…日本の平和が訪れないことを身をもって表現したかったのだろうが、竜馬の死後間もなく起きた「鳥羽伏見の戦い」や「戊辰戦争」を見ずに、この世を去ったのは神が与えた「僥倖」だったのかもしれない。
司馬さんは新撰組の土方については「死にざま」を描き、竜馬については「生きざま」を描いた。読書中、ここに司馬さんの思い入れの違いのようなものを感じていたが、生き方があまりにも違う二人を同じように書くことは出来なかったのだろう….。
それにしても、この時代の日本にはなんて魅力的な人物が多かったのだろう。前述の西郷・桂をはじめ、高杉晋作、中岡慎太郎、そして幕臣でありながら、竜馬の恩師であった勝海舟…。今の日本にそんな魅力ある政治家がいるか…と、自問してみても答えられないのが、いろんな意味で虚しい…。あと政治家ではないが岩崎弥太郎や姉の乙女なども竜馬や幕末を語るには忘れてはならない存在だ。
…『竜馬さん、今の日本、そして世界はあなたが描いていた日本、世界になっていますが?。今の時代にあなたがいれば、どのようにこの世界を動かしていったのだろう?。わたしはあなたに恥ずかしくない世界を生き、恥ずかしくない生き方をしているのだろうか?…そんなことを読了後、数日経っても考えています』

 

 

最後の将軍
いわずと知れた江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜。維新を進め、活躍したいわゆる「幕末の志士」たちに比べて、歴史上はどことなく影が薄く、ともすれば悪く見られがちな存在の彼の人となりや、彼がどのようにして徳川260年の歴史の幕を降ろしたのかを、さも「見てきた」かのように仔細に描かれている。
数年前のNHK大河ドラマの原作で、大河をみていたわたしにとっては大河をもう一度見せていただいたような気分になった。つまり、大河はこの原作にかなり忠実に作られているらしい。慶喜の頭の良過ぎるところというか、深謀遠慮ぶり…「最後の将軍」として後世に名が残るということを死ぬまで、頭から消し去ることはなかった…なんてことは、日本史の教科書には絶対、載っていないのだが、本書はこと細かに書かれ、ドラマのシーンを思い出しては「ああ、そうだった…」と、思い出させていただいた。大河を見たときにも思ったのだけれど、本書を読んだあと、徳川慶喜という人物についてあまりにも世間の誤解…というか、ギャップが大きいような気がするんだけど。
彼が「最後の将軍」でなかったら、いまだに日本は「戦国時代」だったかもしれないということに、わたしたちは気づいていないのではないのだろうか。何も「幕末の志士」「維新家」たちだけが今の日本を作ったのではない。少なくとも江戸城無血開城、大政奉還は徳川慶喜が自分で考え、判断し、実行したことから、一番の功労者であったということは頭の片隅に置いておきたい。将軍に向かって「只者ではない」という言葉は適切ではないかもしれないけれど、お飾りの将軍ではなく「最後の将軍」に相応しい人物だったのだ。

 

 

燃えよ剣
武州多摩石田村の百姓の末弟、土方歳三。「バラガキ」と呼ばれるほどケンカに明け暮れ、荒れていた彼が近藤勇と愛刀・和泉守兼定ともに新選組を作り上げ、「鬼の副長」と恐れられたかと思えば、近藤や沖田総司をはじめとする錚々たる剣客が惚れる「男の中の男」だった。
土方歳三といえば、今までは↑にも書いたように、私自身は「鬼の副長」というイメージが強く、近寄りがたい存在だったのだが、本書を読んで目から鱗が落ちた。彼は決して強いだけの「鬼」ではなく、無器用ながらも優しさや愛情をキチンと持った「生身の人間」だったことに気づかされた。特に未亡人お雪との情感溢れる恋模様は恋愛小説を読んでいるような錯覚すらした。けれど、やはり彼は喧嘩師として生まれ、そして喧嘩師としてその生涯をまっとうした。結果的に彼は時代の波に逆らったことになるのだろう。しかし、彼はただ前進すること、戦うことのみを考え実践していったのだ。死ぬことを恐れることなく。
和泉守兼定は一体、何百人の血を吸ったのだろう。見てみたい。しかしそれは恐怖的興味ではなく、土方歳三の生き様を誰よりも知る「証人」に向き合ってみたいのだ。
お雪が料亭西昭庵で江戸へ向かう歳三を見送ったあと「いま、数日泊めていただけませんか」と内儀に頼むところでは女性として、お雪の心情に共感し泣け、ラスト五稜郭での戦いで官軍に向かって「新選組副長土方歳三」と名乗り、前に向かっていった歳三に心の中で「歳三バンザイ!」と手をたたきながら、泣きました。女も惚れる男でした。