本名 内田 水・・・うちだいづみ です。「いずみ」ではありません。従って、四股名も「ふてんおういづみ」が正しい。
出身地 熊本県玉名郡天水町。実家は夏目漱石で有名な那古井館の近く。
生年月日 1980年(昭和55年)8月28日生まれ 乙女座ですな。
出身校 天水町立小天(おあま)小→熊本市立河内(かわち)小→熊本市立河内中→文徳高等学校普通科→日本大学経済学部
所属 もちろん、伝統ある名門;出羽海部屋 http://www.dewanoumi.com/
アマチュアでの賞歴等 小学校4年で「わんぱく横綱」、5年で小学生優勝大会での優勝。その後小・中・高と、常に多くの大会で全国大会出場。高校でも全国制覇。大学2年でアマチュア横綱。大学4年で国体個人優勝。その他、国際大会などでの優勝やタイトルは数えられない。(誰か教えてください。)
性格 明るく、礼儀正しい。リーダー性あり。土俵上ではタフな面が多く見られるが、普通の「青年いづみ」は、とても優しく、真面目でその一方ひょうきん者。威張ったりしたのを見たことないなぁ。多分、周囲の人で「いづみが嫌いだ」という人はいないのでは??手先もなかなかに器用。それから、頭もかなりよろしい。成績も結構よかった。

★★秘蔵の写真★★ 御家族には了解を得ています。肖像権の問題がありますので、無断転用はしないでね。

小学校1年生の水坊や。
かわいいったらありゃしない。
小学校5年でこの貫禄ですよ。このあと相撲部のある隣町の河内中に行くために、河内小に転校しました。 文徳高校時代の記録のほんの一部。高校時代に朝青龍を破って優勝したこともあります。

★★「内田水」のこと★★
 小さな頃から身体が大きく、足腰がしっかりしていたらしい。上の「証拠写真」のように、小学校1年生から相撲を始めた。生まれた天水町は昔から相撲が盛んな地域で、小学校にも土俵がある。名前の「水」も、この「天水」からもらったという。始めた頃のことを私は知らない。

 玉名郡天水町は熊本市河内町と接している。どちらも全国的に有名なみかんの大生産地で、人情の厚い、あたたかい土地柄である。そんな素晴らしい地域に生まれただけでなく、彼にはよい「出会い」があったことは間違いない。そのうちの一人は隣町の河内町で相撲道場を開いている中村さん。当時、天水中には相撲部がない一方で、河内中の相撲部は毎年全国大会に出場していた。それらの子どもたちの殆どを中村さんが幼いときから育んでおられたのである。そんなこともあって、途中で河内小に転校し、河内中に入学することになった。ちなみに、先に引退した肥後の海も、この河内の出身である。

 とはいえ、当時、やっぱり「越境通学」は簡単に許してもらえなかった。教育委員会に出かけた中村さんと内田パパ。「ダメです。」という教育委員会で、パパ:「んなら、中村さん、うちん子ばいまここで、あなたに養子にやりますけん、よろしゅうお願いします。」・・・中村「そうな?委員会がダメて言うならしかたんなかな。なら、養子の手続きはどこに行くとよかとかな??」・・・。これにはさすがの委員会も許しを出さざるを得なかった、とか。そうです。内田パパもなかなかに豪快で非凡なお方。そんな家庭で愛情深く育てられた水は、優しく、素直でがんばりや。河内中への通学も、送ってもらうのは町境まで。河内町の端っこから中学校まで徒歩で通った。長距離走はさすがに苦手であったが、その他のスポーツ面でも優れていた。中体連陸上大会には砲丸投げで出場した。

 文徳高校から十両昇進を期にまわしを贈られた、という熊日新聞の記事では、「高校時代は無遅刻・無欠席・成績は常に1番・・・」とあった。少々誇張もあるかもしれないが、多分、そう大きくはずれてはいない。水はそんな奴だ。

 中学を卒業してすぐ、あるいは高校を卒業してすぐ角界に入ることもできただろう。しかし水は大学に進学した。おそらく、せっかくの高い能力を相撲以外の分野で伸ばすのも目的だっただろう。しかし、厳しい勝負の世界を生きるには、水はちょっぴり優しすぎた。そこで、精神的にもう少し成長してから角界へ、というのが内田パパの思いでもあったようだ。
その思い、よくわかるような気がする。

 関取になった今、もう昔のように関わることもできないだろうな、というのは正直言って淋しい。しかし、怪我や病気をせず、自分の相撲がとれる力士になってもらいたい。そして、品格共に申し分ない横綱に・・・。いや、本人は多分、謙虚に目の前の一番一番に取り組んでいくのだろう。水とは、そんな奴だから。


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