メッセージ 027


死の悲しみを喜びと感謝の光りへ

死とは悲しいことなんだろうか?

どうして、身近な人や大切な人や動物が死んだ時、悲しさが溢れ、
自分とは関係のないような人の死は、そんなに悲しくないんだろう?

死ぬことは誕生と同じで、本当は祝福することなのではないのだろうか・・・

今までのわたしたちの世界は、死を忌み嫌って避けてきたのではない
でしょうか!?

わたしたちは、本当に死ぬことができるのでしょうか・・・

わたしたちは、死ぬことができません。

わたしたちの本体は、光なんですね。

大いなる根源から次元の旅をしている大いなる光の一部分なんです。

光の存在が、この3次元の世界に遊びに来たんですね。

遊びながら学んでゆくんです。子供と同じです。遊ぶことが一番大切
なんです。

この3次元世界は、実におもしろい世界です・・・

なぜなら、自分の思うようにならない世界であり、そして自分の思う
ようにしかならない世界だからです。

この自分には、肉体という衣の自分と、本体の自分との二つがあります。

もちろん、本体の自分の思うままに生きていることになりますね。

わたしたちは、人間をはじめあらゆる存在物になった経験を魂という
記憶装置に記憶させています。

光りの存在があらゆる物質に入り込み、いろいろな楽しい体験を
積むんですね。

私たち一人一人の記憶がすべて、大いなる根源の記憶になります。

数多くの衣を着てきました・・・・・・

光りには、それぞれいろいろな色がありますよね。

その色が近い者同士が、この3次元世界で近くの存在になりやすい
みたいです。

この3次元世界には、あらゆる色の存在が同じときに存在できます。

いろいろな色のなかから、自分の光の色に似たものたちが集うようですね。

家族・親戚・友人などは、特に近い色合いを持っているんだと思われます。

色の近いひとに親しさを感じ、色の遠いひとにはあまり関心をもたないの
かもしれませんね。

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もしも、わたしたちが生まれてからず〜と「死は喜びなんだよ」という
環境に育ったら、死は祝福になるのかも知れません。

また、わたしたちの本体がなんであり、この肉体はなんであり、だから
今が大切であり、などと・・・

小さい頃から学んでいたら、まったく違った世界が現れていたかも
知れませんね。

実際に、今この世界にも死を祝福する人々が数多く存在しています。

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悲しんでもいいんです。

思いっきり涙を流してもいいんです。

辛く苦しい思いになってもいいんです。

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わたしも幼い子供を亡くした時は、慟哭しました。

でも、そのお陰で今の自分があると感謝できるようになりました。

まだまだ、わたしたちにはすぐにはできなくてもいいんです。

でも少しずつでもいいから、死というものの本質が悲しみではなく喜び
であり、感謝への道なんだいうように感じそして思えるようになって
ゆけたらいいですね。

みんなみんな肉体は死ぬんです・・・

死ぬことが悲しみではなく、喜びである方がいいな〜〜〜。

わたしは、周りの人が泣いてくれてもいいけれど、ニコニコ笑ってくれて、

「ななちゃん、楽しい人生だったね」

「おめでとう!!!そしてありがとう!!!」

なんて言われて死ねたらいいな〜〜〜〜〜!!!!!

死ぬ時はお祭りのように楽しくワイワイ賑やかにしてくれたらいいな〜

わたしって変ですか!!!

ははは・・・・・


大切な人を亡くされ悲しんでいるみなさまへ・・・

大丈夫ですよ!!!

今は会えなくとも、すぐにまた一緒に喜びと感謝の光りのなかで、遊ぶ
ことができますから・・・

大丈夫ですよ!!!

さあ・・・今のあなたの輝きをその方に見せてあげてましょうね!!

大丈夫!!! 大丈夫!!! 大丈夫!!!

みんな幸せに別の世界で遊んでますから・・・

みんな感謝の海を楽しく泳いでいますからね・・・


死の悲しみが喜びと感謝の光りに変わりますように!!!


死の悲しみを乗り越えてくださったみなさまに感謝いたします。