カナダのバフィン島にあるウォーカー・シタデルで行った岩壁登攀を撮影した『極北の大岩壁』は何度見てもよくできた番組だなと見るたび感心したものであるが、これに左記最下段の写真に見られるデンマーク領グリーンランドのミルネ島の無名の岩山で行った岩壁登攀を撮影した『白夜の大岩壁』を加え、さらに右下の写真に見られる南米ギアナ高地のテーブル台地アウヤン・テピュイにかかる世界一の落差を誇る滝の側壁で行った岩壁登攀を撮影した『エンジェル・フォール左壁初登攀』の番組を加えれば、僕の岩壁登攀番組制作三部作というところだろうか。上記二作品は『エンジェル・フォール左壁初登攀』の番組制作経験やバンフ国際映画祭科学映画部門で最優秀作品賞に輝いた岩壁に巨大な巣を作るヒマラヤオオミツバチの蜂蜜採りの様子を描いた『ハニーハンター』で培った番組制作経験をも生かしたものである。こうした登攀技術を必要とする番組の制作はすべて登攀者やハンターなど危険を伴う行動を行う中心人物に密着した映像を撮るよう心がけなければいい作品はできないだろうが、登攀や撮影の対象となる岩壁を初めて目にし、登攀ルートを考え、また撮影方法を考え、登攀ルートやそれを開拓する人物を映像に収めるために撮影用のルートをも開拓するのは時に困難や危険をもたらすが、とても楽しいものだ。未知というのはそれだけで十分魅力的なものである。

978ｍという世界一の落差を誇る瀑布エンジェル・フォールは熱帯のジャングルから聳え立つ石英質砂岩の岩壁で、さしずめ『熱帯の大岩壁』というところか。この『熱帯の大岩壁』の成立は大陸移動とも深く関わり、南米とアフリカが陸続きだった時代まで遡らねばならないが、ジャングルに聳え立つテーブル台地アウヤン・テピュイを形作る標高差1000ｍの絶壁はテーブル台地の上と下の環境をまったく異なるものにしていて興味深い岩壁であった。このテーブル台地に関する番組は二作制作したが、いずれも面白い番組であった。機会があればご覧くださいといいたいところだが、機会を得るのは難しいだろう。　写真＝『熱帯の大岩壁』＝南米ベネズエラ・ギアナ高地のテーブル台地アウヤン・テピュイにかかる世界一978ｍの瀑布エンジェル・フォール。僕はこの滝に新ルート開拓し、左壁を初登攀した（1984年）。

これら三つの岩壁登攀の中ではグリーンランド北極圏ミルネ島の未踏峰の初登攀初登頂がいちばん容易な山行であった。幸いなことに、この山行の直前に小型ハイビジョンカメラが開発、発売され、こうした登攀の撮影自体もいっそう容易なものになり、より冒険的な撮影を試みることも可能になった。もちろん僕自身がこれらの登攀以前に標高差2200ｍもあるカラコルムのグレート・トランゴ・タワーの登攀やその隣に聳える6000ｍ峰に展開する標高差1200ｍの岩壁をアルパインスタイルで登ったトランゴ・ネイムレス・タワー南西壁の登攀、さらには西チベットの未踏の6000ｍ峰ギャンゾンカン南東壁登攀など数々の大岩壁の登攀経験を積み重ねているので、登攀にも撮影にもガイドにも『熱帯の大岩壁』撮影時とは比べものにならないほど登攀そのものに余裕があった。実際バフィン島やグリーンランドの岩山の岩壁の標高差はグレート・トランゴ・タワー北東ピラーの半分ほどの標高差しかないのだから何をかいわんやだろう。さらに左記二つの登攀と違って標高が6000ｍを超えるグレート・トランゴ・タワーには2200ｍという大きな標高差のほかにも酸素量が平地の二分の一以下という低酸素や低温という困難ばかりか岩壁表面の凍結つまりベルグラに覆われたチムニーやフェイスの登攀や降雪に覆われたフェイスやクラックの登攀といったヒマラヤの高所の岩峰岩壁ならではの困難が伴っていたことは言うまでもない。こうした困難な登攀経験の積み重ねは当然ながら心に余裕をもたらす。しかし、実のところ、グレート・トランゴ・タワーやトランゴ・ネイムレス・タワーの登攀がもし映像化できていたとしたらこれらの登攀以上にすごいことだよなと思う。

ＮＨＫスペシャル『白夜の大岩壁』は沢木耕太郎氏が山野井夫妻のギャチュンカンの登攀を軸に描いた「凍」の影響もあって注目を浴びる要素はあったのだが、想像していたほど視聴率が伸びなかったのは残念だ。でも、繰り返し再放送をしたのでそれなりの人がこの番組を見たことだろう。

『極北の大岩壁』で登ったウォーカー・シタデルは、『白夜の大岩壁』で登ったオルカと比べると、岩壁の傾斜がぜんぜん違う。このような岩壁を登った経験が豊富なせいか、僕は写真を一目見て、ミルネ島の未踏峰は登りやすい岩壁だなと思ってしまう。そんな岩壁の中のもっとも登りやすいラインを選んで登るのだから困難が乏しいのは道理だろう。もちろん登攀ルートの難易度は岩壁の傾斜だけではなく、気象条件やどんな内容の登攀をするかという自分自身が形作る登攀に対するモラルの中にもある。しかし、岩壁の傾斜は登攀の困難さを作り出す基本的な要素で困難さと直接連動しているからやはり岩壁の傾斜は強い方がいい。それがたとえ初登頂のピークに備わった岩壁であろうと……。

傷だらけのクライマーの一人でもあり、また制作側の人間でもあり、かつまたこれらの登攀の事の仔細を知っている僕としては、クライマーはもちろん番組制作者や番組を見ている視聴者にもさまざまな考え方や受け止め方があって面白いものだなと思う。視聴者が発する『極北の大岩壁』や『白夜の大岩壁』に対する意見や感想の中にはずぶの素人ではなく、けっこう岩登りをしてしいる人のように思えるのに、僕がこれらの登攀で目指していたアルパインクライミングの復興とは程遠い意見も多々見えた。岩壁登攀に対するクライマーの意識は案外低くてお寒い限りだと思えたが、でも、それが自分自身しかあてにならないような場所で展開する岩壁登攀に対する一般的な感覚なんだろうな、とも思う。そんなことも含めてさまざまな立場の人から出されるさまざまな意見を集約すれば岩壁登攀に対する一般的な考え方が窺える。

登攀は、たとえこんなことに命を賭けたくはないと思っていても、またたとえ命がかかることを十分承知して攀じ登っていたとしても、登攀の進行と同時にさまざまな状況下で自ずと命がかかってくる現実に直面するだけに誰でもそのことを意識せざるを得ず、登攀中それぞれの人の心に葛藤が生じ、いろんなことが起こる。実は登山や登攀の番組の見所はそんなところにあるのだと思う。岩壁を攀じ登る登攀は氷雪を歩いたり攀じ登ったりする登山や登攀と違って自分自身の限界というものがはっきり現れてくる。登攀を展開している環境や気象条件そのものがボディブローのように鈍い衝撃を与え、クライマーを徐々に追い詰めていくし、登頂後の下降も難しいものにならざるを得ないためそれ以上登れば死ぬかもしれないというポイントがはっきり現れてくるのだ。

自分の限界を超える状況に接したとき人はどんな行動をとるのか――。僕には自分自身の行動を含めてそこに興味がある。もちろん、そんな映像を扱うことになれば、そのような場面は温かい言葉でくるんでぼかしてしまう必要が生じることもあるだろう。だから、ドキュメンタリーとは言いいながらも、出来上がったものは必ずしも真実を反映したものとは限らない部分ができてくる。むしろあちこちの映像や音声を切り貼りして組み替えて使うことになるので、映像や音声はそのときの真実を表したものとは言え、そうやって出来上がった映像や音声は真実より制作者側の意図の方が大きくなることさえある。だからこそこれは番組なのである。二つの登攀の番組から視聴者が何を得るのか僕には見当もつかないが、視聴者の心に訴えるものがあれば幸いだ。

これら二つの作品は、実はいずれも岩壁を登るクライマーのすぐそばまで肉薄して撮影したものなので登攀には臨場感がある。もちろん海外と国内の違いはあるもののこれらは二つとも大きな賞をとった作品だから番組としての見ごたえも十分である。こうした登攀の番組を作りたいと思っていた僕はこれらの制作に入れ込んでいただけにできるだけ多くの方に見てもらいたいと思う。実は、この二作品だけではなく『エンジェル・フォール初登攀』や『ハニハンター』の映像も同様にクライマーやハンターのすぐ近くから撮っているのである。遠くからではなく、クライマーのすぐ近くから撮るからこそ作品に臨場感が生まれるのだ。

クライマーとしてこの岩壁を攀じ登る立場にいた人間としてはこれら二作品から少しでも「登攀」に興味を持ってもらえれば嬉しい。そして、一般ルートを歩いて登れさえすれば頂上に達することができるような「登山」と氷雪を攀じ登らなければならない「登攀」と岩壁を攀じ登らなければならない「登攀」とは、実は、まったく異なるものなのだということが分かってもらえたら嬉しい。一方、カメラマンの安全を確保し、撮影位置や撮影方法を考え、クライマーに肉薄する映像をどう撮るか考える立場にいた人間としては、これらの二つの登攀の番組を通して自然の大きさや優しさ、厳しさ、すばらしさを伝えることができていれば幸いだと思う。そして、そんな大きな自然に挑むちっぽけだがささやかな希望と強い意思を持った人間の姿を映し出すことができていれば望外の喜びだ。

昔からこうした登山や登攀の番組の制作に携わっている僕は、時おり映像や音声というのは不思議で面白いものだな、と思う。それらは視野に入らなかった事実を映しだしていることもあれば、現実の行動を別の面から映しだしていることもあるからである。それらは結果的に登山なり登攀なりを多方面から見聞きさせることになり、より客観的にそこにある真実を捉えさせることにもなる。しかし、一方では、どんなに手を加えてみたところで、真実と言うものは変えがたいものなのだな、と思わせられることもある。

視聴者は発信者ではなく受け手だから、「ここはこんなふうに作ったんだな」と考える僕ほど細かく番組を見はしないだろうが――実際のところは映像や音声を細かく見聞きするつもりがなくてもこうした番組制作に携わった経験の多さや命がかかるような登攀経験の豊富さが影響しているのか少しでも違和感があるような場面は自然に浮かび上がってくるかのように目や耳に入ってくるのだが、もし視聴者がこれらの番組が描きだしている映像や音声から登攀の本質に迫ろうと思うなら、まずは頭にある偏見や妄信を捨て去り、一歩も二歩も引いたところからこれらの登攀の映像や音声を冷静かつ客観的に捉えなおす作業が必要になることだろう。特に、登攀経験者ならそうすべきであろうが、これらの番組を見て情報を発信した多くの者の中にそうした姿勢を見出すことが難しかったのも事実である。でもこうして得られるものは、一般の視聴者や一般登山者にはまったく不要なもので、クライマーにしか役立ちそうにない。しかし、目を凝らし、耳を澄ませば、一般の視聴者や一般登山者だけではなく登攀経験者にも今までまったく気がつかなかった登攀の真実が画面の向こう側に見えてくるかもしれない。