沼田小学校(記憶を辿って作った平面図)

 今の場所にある鉄筋の沼田小学校ではなく、今は住宅街になっている元の学校は木造の大きな校舎だった。

 2つある中庭の北の方には土俵があり、相撲大会などが行われたものだ。広い雨天体操場には、中央に講壇があり、正面には両陛下の写真や勅語を納めてあり、祝日の式典には校長先生が恭しく扉を開き、勅語を読み上げたものだった。窓際に「ロクボク」と呼ばれるハシゴのようなものが取り付けられており、また高い鉄棒もあった。この鉄棒で大車輪をやり、吹っ飛んでいって後頭部をしたたか打って気絶し、気がついたら教室に寝ていた。運ばれたものらしい。手の骨を折り、完治まで1ヶ月ほどかかった。あの鉄棒は楔が不完全で、勢いを付けるとクルクルと廻ったので手が外れたものと思う。今の世だったら大騒ぎし、PTAや教育委員会などが学校側の責任問題を云い始めたかもしれない。当時は運んでくれた級友達は先生にすら報告していなかった。こっちも手を外したのは己の技術が未熟のせいであり、ただ恥ずかしかった。

 また、担任のH先生の宿直のときにはよく遊びにいき、トランプなどをして遊んだ記憶もある。南の非常口の脇には謄写版が置かれており、先生達は試験問題の印刷をここでやっていた。悪ガキが捨てられた原紙をすばやく印刷してクラスのガキ大将に提供してゴマをすっていたのを覚えている。北の隅っこに「亜炭置き場」があった。休み時間になると何故か薄暗いここに集まり、何と云うこともなく騒いでいた。高く摘まれた亜炭の山に登り天井の横梁によじ上って腰掛けているのが格好よかった。また、理科室の脇の階段下には暗室があり、H先生がよくここで現像していた。生徒が交代で暗室に入り先生から写真の現像の説明を聞いたこともあった。

 いろんな思い出のある校舎だが、思いついて記憶を辿りながら平面図を書いてみた。60年以上も経っており記憶もあまり鮮明ではないが、出来上がった図面を見て我ながらよく再現できたのではないかと思う。