岩木山の高神

                      佐々木静一郎

 岩木山は津軽の象徴である。毎年、津軽一円から人々は、あんじゅが姫が岩木山の高神として祀られたその日の朔山(ついたちやま)をかけるに、岩木山を目指して集まってくる。麓の百澤(ひゃくざわ)にある岩木山神社に祀られている御神体は、頂上の祠(ほこら)に鎮座している。私は子供のときから、それが“安寿姫”だと聞いていた。それなら山椒大夫と関係あるのか? そのあたりのことは誰も教えてくれない。

 岩木山の御神体にまつわることを知りたいなら、イダコの口説きが一番だ。思い立ったがこれ幸いと、今回は、桜庭スエイダコの口述『お岩木様一代記』(津軽書房)を見てゆくことにする。

『お岩木様一代記』(あんじゅが姫のくどき):伝承者桜庭スエ、採録者竹内長男雄、1931820日、青森県南津軽郡女鹿澤村下十川字川倉コにて採録。

※高神(たかがみ)とは、高いところに居る神というほどの意味。

 口説きは難解で津軽のイダコなので、津軽弁に堪能な人でなければ、よく理解できないと思われる。それにイダコ独特の口調もあるので、本文と訳文(これは坂口昌明編者による)を交互に少しずつ紹介して、一代記の概略を示してみたい。

 

 【第一段】

 (本文)

国のお岩木様は/ 加賀の国うまれだる/ 私(わたし)の身の上/ 私(わたし)の母親は/ 加賀の国のおさだ(・・・)という女であります/ 三年ね三人の子供をとりあげで/ 十六の年に生れ(うま)()そう(・・),/ 十七の年に生れだ姉のおふじ(・・・)/ 十八の年に生まれだ私の身の上/ つしごにあはん為に父の云うに/ おさんだ(・・・・) おさんだ(・・・・)/ この子供はつしごにあはないから/ 何処(どこ)(あん)(じゅ)坊主の子供もわからないし/ お名前をあんじゅが(しめん)と つけで/ 砂の中に三年も()げでも死なないば/ わが子である/ 

 (対訳)

そういわれた私は/ 母の絹の下着に包まれて/ 砂の中に埋けられてしまい、/ そのせいで母のおさだは/ 「どんなに致死期に合わないからといって/ 埋けるという仕打ちがあるものか」と、/毎日ひまもなく泣き暮らして/ 目が見えなくなる。/ 目が見えないために亭主から/ 「目が見えないならおれの家に居なくてよい、/ ああいう致死期に合わない子を産んで/ 後悔しているなら/ 死ぬか出ていくかしてくれ」といわれる。

(本文)

そこで母のおさだは/ 寝れば(まくら)をしぼり袖しぼるごとくに/ 涙をこぼして泣いでれば/ ()()の長者様来て/ おさだ(・・・) おさだ(・・・)/ どうして手前が泣いでらべと聞く/ しかし長者様/ われくらゐ業の深いものはありません/ 三年ね三人の子供をとりあげで/ つしごにあはない子をこさだばかりに/ 砂の中さ()げで/ 泣いで 泣いで目が()なくなった/ 目が()ない為に亭主に離縁(いえん)される/ われも親とが兄弟とがあれば、/ 涙にくれるわれであれども/ 島流しにされだものだが/ 親も兄弟も見えないと/ 涙にくれてゐるおさだである。

(対訳)

そこでお宮の長者様がいうことには/ 「おさだよ、おさだよ/ どんなに致死期に合わない子どもを埋けられても、/ あと二人の子がいるから諦めなさい」/ おさだは「私は諦めても/ 亭主に離縁されては行き場がありません」と訴える。/ 「それならおさ(・・)()よ、/ わしの指紙(さしがみ)(紹介状)を持って/ いま唐津の国の加藤左衛門という人が/ 粟畑の雀追いを募っている、そこへ行きなさい」/ 

それならとおさだは/ 私に指紙(さしがみ)(紹介状)をお恵みください」と頼む。/

(本文)

次の日から/ 二人の子供寝でる(うぢ)/ (あど)半分(はんぶ)(さぎ)半分(はんぶ)/ そろりそろりと屋内(やない)から出る/ 竹のこじり(・・・)に身をすがして/ 天の親様ありがだい/ どごはえーじゅぐもたどえもない/ 漸くから(・・)の国にとづいで/ 加藤左衛門の(うち)を訪ねて()げば/ 御免なさいと腰かげで/ 奥から加藤左衛門が()で来て/ 若い(ねえ)さん何方(どぢ)がらおいで/ ものも()はずに両手をあはせて/ 涙をさげでさしがみを()べれば/ このさしがみが()()の長者のさしがみである/                                                                                                         (対訳)

「そういえばおまえが/ ここにある加賀の国のおさだ(・・・)という女なのか」/ 「はい、加賀の国のおさだ(・・・)という女は私です。/ これこれのわけで目が見えなくなり/ 亭主に離縁をされましたので、/ こちらまで宮の長者の指紙(紹介状)/ を/ たずさえて参りました」。/ 「あわれ、不憫なおさだよ、/ それならわしに雇われて/ 粟畑の雀追いでもしてみるか、/ そのうちには気がはれるときもあるだろ/ うよ」。

(本文)

そこでおさだ(・・・)(やど)われて/ 次に日から粟畑にはこんで/ 雀追りを(いだ)する/ つそう丸ぁ恋しいじゃほいほいと/ 雀を()れば/ 汝もあんじゅ(・・・・)()/ 吾もつそう丸と云はれで/ 幼い子供に顔なぶられる/ 目が見えないて仕方(しかた)がないじゃねし

 

【第二段】 概略

 三年経ったとき父がほりあげてみれば、死なないで、この子成長していたので、今度は島流しにした。「阿毘羅吽欠(あびらうんけん)」の真言を三遍となえると、陸地についた。草原松原を歩き歩いてみると、丹後の山奥で、さんそう大夫がお神楽を挙げていた。

 それがさんそう大夫とも知らずに雇われてみれば、あんじゅが姫に、やれ粟を搗け、米をつけと責められる。あれこれと難題をふっかけてはいびり抜く。

 そこへ燕が飛んできて、「さんそう大夫がいないから、早く逃げろ」と知らせる。

 裸で裸足で逃げ、行き着いたところが丹後の国の穴生寺で、そこにかくまわれる。「哀れ、不憫だなぁ、この子は」と和尚さんは旅立ちの支度をしてくれて、竹杖の末端に重みを託して、母を訪ねる旅に出た。

 

【第三段】 概略

 津軽三十三観音、西国三十三観音もすべて巡拝して六十余州すべて回ったけれど、母には会えない。年齢七歳の年、四月の春、長い路を行ったとことで日が暮れてくる。野山の向こうに笹小屋が見える。弘法大使の力でやっとそこにたどり着けば、若い姐さんの一人住まい。「若い姐さん、あなたは小さいときから目が見えないのですか」と、「私は小さいときから目が見えないのではありません。私は加賀の国うまれで、おさだ(・・・)で云々」と、ここで母と涙の再会した。それから十日ほどたって、父を訪ねに出たいと云ったらば、涙ながらに暇を出してくれた。

 こうしてようやく十四歳のころ、大きなお宮で願をかけ、満願の朝に神が現れて、「お前の父はここからずっとずっと先にいかないと会えない。山子十人がいる中で、額の真中に大きなあざがある男、それがお前の父だ」

 これで三段目の口説き終わり。

 

 このあと五段目まで口説いてしまえば、父と会い母と会い、兄弟3人と親子がそろって顔を合わせる。

 あんじゅが姫十六歳の八月一日から、岩木山の高神と祀られた。兄のつそう丸は駿河の富士山、姉のおふじは小栗山。兄弟三人が、それぞれ国の高神と顕れた。

 これで国の高神様の教えはさらさらと終わりました。

 

 以上長々と述べてきたが、これで国の高神様のいわれは分かった。ところが、最初に出てくる「つしごに会わない」というのが、何のことか分からない。これは致死期のことで、「親の死に目に会わない」ことだと言っているが、津軽弁では「つしご」がどうも「年子」を連想させるのだが、これでは意味が取れない。

 最後に蛇足ながら、つけ加えておく。イダコというのは、生まれたときから、或いは生まれてまだ小さいときに目が見えなくなった女の子が、くちすぎの為に師匠のイダコについて修行してなるものだ。イダコの仕事は“口寄せ”によって亡くなった人の霊と現世の人との間に立って死者の意思を伝える「仏降ろし」と、もう一つ「神降ろし」といって神の意志や言葉をかたるものがある。ここに紹介したのは勿論「神降ろし」である。

            
                       [大北医報(No.236 平成25年12月15日発行)に掲載]



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