| 生蕎麦 |
そば店の看板に「生蕎麦」と書かれているが、これは「きそば」と読み、本来の意味は、つなきをまったく使わないでそば粉だけで打ったそば(生粉打ちそば)である。なぜこのような言葉が生まれたのかと いうと、江戸時代中期以降に、小麦粉をつなぎとして使うようになる。当初は麺のつながりをよくするために用いられていた小麦粉の量が徐々に増えていき、そばの品質の低下をまねき二八そばが粗悪なそばの代名詞になった為に、高級店が格の違いを強調するために「生蕎麦」や「手打ち」を看板に掲げるようになったのである。しかし、この時代には製麺機が無かったので、どちらも手打ちであった。ところが、幕末頃になると、二八そばまでもが「手打ち」や「御膳生蕎麦」を看板にするようになった為、その区別が なくなったしまった。現在では、「生蕎麦」や「御膳」と看板、暖簾に書かれているのは、そのなごりであって生粉打ちそばの意味ではない。 |
| 蕎麦の語源 |
蕎麦(そば)と言う漢字は 中国の梁(502〜557)の時代に刊行された書籍に 「蕎麦」という文字の記載があるそうです。
蕎麦の実は熟すると果皮が黒褐色に変わるため烏麦、 雪かと見まちがうほど白い花を強調して花蕎・花麦。 また、普通種の蕎麦にはにおいと味が甘いので
ダッタン種の苦蕎麦と区別した。 蕎麦は茎が弱く強風が吹くと倒伏しやすい。
蕎は麦とみなされ蕎麦となったが実はタデ科ソバ属に属する一年草本である。蕎麦をソバムギと訓読したのは実の形がかどばっているためで、
角麦(かくばく)、稜麦(りょうばく)の仮字をあてたりした。 また、ソバはムギについで美味であることから、 蕎麦と名付けられたとも言われる。ソバムギが下略されて
ソバと呼ばれるようになったのは、日本では室町時代からとの事。 |
| 二八そば |
慶応元年を中心にして、それ以前は二八十六の代価説、それ以後は粉の配合率をとるようだ。二八そばも時代が下がるにつれて品質が低下し、一方で高級店は座敷を設けて「手打蕎麦」「生蕎麦」を看板にして二八そばとの違いを強調するようになった。 |
| そば湯 |
そば湯とは、そばを茹で上げたお湯のことで、これにはそばを打つときに用いられるうち粉が溶け込んでいたり、そばを茄でている時にそばから抜け落ちてしまう栄養分が十分に含まれている。そのために、そば湯を飲むのには、ただつゆをうすめて飲むと いう事のほかに、そばから溶け出た栄養分を補うと いう目的も含まれているのである。 |
| 三たて |
そばの三たてとは、そばが美味しい条件を表した言葉で「挽きたて」「打ちたて」「茄でたて」の三つのたてからきている。「挽きたて」とはそば粉を製粉したすぐの状態の意味で、「打ちたて」とはそばを打ち終わった状態で、「茹でたて」とはそばを茹で上げてすばやく水切りした状態のことである。 なぜそれだけ時間にこだわるかというと、そばとは時間経過と共に鮮度の劣化が激しいからである。 |
| 水ごね・湯ごね |
水ごねとは、そばを水を用いて打つ方法で、つなぎである小麦粉のたんぱく成分を利用してそば粉をつなぐのである。小麦粉のたんぱく成分は、水が加わることによりグルテンを形成して強い粘性を発揮するが、お湯が加わるとすぐに凝固してしまい粘性を発揮できない。そのため、グルテンを利用してそばを打つ場合には水ごねを用いる。
湯ごねとは、そばをお湯を用いて打つ方法で、そば粉のでんぷん成分を利用してそば粉をつなぐのである。そば粉のでんぷん成分は、熱湯を加えることにより糊化して粘性を発揮する。これは
、でんぶんの水では糊化しないが熱湯ではすぐに糊化してしまう性質である。この手法は、更科そばや変わりそばを打つときに多く用いられる。 |
| 「もり」と「かけ」の違い |
そば切りは最初はそば汁につけて食べる一種類しかなかったが、元禄ころ男たちが面倒くさがって汁をかけて食べる風が生じた。これを後に「ぶっかけそば」として売り出したのが、新材木町の信濃屋だという。 |
| 「ざる」と「もり」の違い |
「器」の違いであり、「ざる」の上にそばを盛れば「ざるそば」でありその他の器に盛れば「もりそば」になるのだと思います。そもそも江戸時代以前、そばは皿などに入れ、別の器に入れた付け汁につけて食べていたらしいです。その後また別の店では四角いざるの上にそばを盛って「ざるそば」として売り出したのが受け、これが「ざる」の始まりとなりました。ですから簡潔にいえば、「『ざる』に盛ったそばが『ざるそば』であった」という事になります。
それが明治以降になり、「もりせいろ」とは寸法、形が若干異なる「ざるせいろ」というせいろにそばを盛って、汁も濃厚(もり汁に上かえしをくわえた御膳汁)にし、あるところでは「もみ海苔」をかけ、これを「ざるそば」と称して売る店が出てきて普及し、その形態が長い間続いたものと思われます。
平成の現在、巷のそば屋さんでは「もり」と「ざる」は、せいぜい海苔をのせるかどうかで区別している程度ではないか。 |
| 引越そばを配るのはなぜか |
引越そばは、現在では利用されることが少なくなりましたが、生活行事として残っています。引越の後、家主や向こう三軒両隣に挨拶のため、そばを配る習慣は江戸末期から始まりました。
江戸末期、二八そばが主流になると、そばが長く切れないことから、「おそばに末長く、細く長いおつきあいを」という縁起を担いで、そばが珍重され始めたのです。 |
| なぜ、年越しにそばを食べるのか |
大晦日にそばを食べる風習は、江戸中期には民間に根づいていたようです。しかし、なぜ大晦日にということになると、諸説入り乱れて、これといった定説はありません。
●「細く長く生きる」説
今でも一般に信じられているのがこの説です。そばのように細く長く生きて寿命を全うし、家運も末永く続くようにとの願いから、そばを食べるようになりました。
●「災いと縁が切れやすい」説 切れやすいのがなぜいいのか。それは、そばのようにさっぱりと一年の苦労や災いと縁を切ろうとの願いから、そばを食べるようになったという説もあります。 |
| 湯桶(ゆとう) |
湯桶(ゆとう)とは、本来、蕎麦湯の器を指しますが、今では、蕎麦湯のことを言うようになって来ています。
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