ハイチ年表 第三部
1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 2000年
2001年 2002年 2003年 2004年 ハイチ年表第一部
1995年 95年1月
1.02 アリスティド,武装反対派に武器の不法所持をやめるよう訴える.
1.04 多国籍軍のミード司令官,「安全・安心の環境が作られた」と述べ,国連軍への早期移行を促す.
1.07 アリスティド,軍・警察問題に関する布告を公布.新たな軍隊の再編のため三つの委員会を設立すること,国軍本部を移転し,跡地を新設の「婦人省」とすることを明らかにする.
1.10 国連人権委員会の駐米代表ルネ・ヴァン・ルーエン,グアンタナモに収容されたハイチ人難民が非人道的な扱いを受けていると非難.米政府はこの意見を否定.
1.11 暫定選挙評議会,選挙法草案をアリスティドに送付.
1.12 ゴナイーヴの検問所で,多国籍軍兵士2人が狙撃され,一人が死亡.
1.14 多国籍軍司令官,ミード少将(第10山岳師団)からジョージA.フィッシャー少将(第25歩兵師団)に交替.国連当局は国連ハイチ派遣団(UNMIHあるいはMINUHA)軍司令官としてジョセフW. Kinzer少将(米第5軍司令官)を指名.
1.16 ミシェル首相,選挙法案を議会に提出.
1.17 アリスティド,国軍将兵全員を解雇.元国軍兵士1500名からなる国境警備隊を新たに編成.
1.17 国防長官ペリー、UNMIH軍に「ハイチが安定・安全である」と言明.
1.19 発電用重油の国内供給作業がハイチ政府に移管される.
1.19 アリスティド,元国軍兵士の中から新たに400人を,再教育の上,国家警察に編入すると述べる.
1.23 オルブライト米国連大使,多国籍軍から国連派遣軍に交代する決議案を,安保理に提出.3月31日をもって米軍のハイチ平和維持活動が終わることとする.
1.30 国連安保理,ハイチの環境が安定したとし,多国籍軍を国連ハイチ派遣団(UNMIH)に交代させることを決議(975号).国連派遣団は,37カ国からの人員7300人(軍関係6000人,文民警察840人)で構成されるPKO組織.内1/3が米国人.目的はハイチ軍,警察の再編と民主的選挙実施支援.
1.30 ハイチ下院,選挙法案を可決.立候補資格を高卒以上とし,1年以内の公職歴のあるものを候補者から排除する付帯決議を採択.
1.31 パリで世銀と関係20カ国国際機関の会合.6億四千万ドルの再建パッケージと二億四千万ドルの軍事援助で合意.
1.31 新設される国家警察のための訓練が開始される.262人が4ヶ月間の訓練を受ける.
1.31 多国籍軍,軍基地および警察署を一斉捜査.未許可の兵器を押収.
95年2月
2.01 ミシェル首相,順調に審議が進めば4月28日に議会選挙が実施されるだろうと述べる.
2.01 FNCD,「12月16日の家族が,この国に政治的安定をもたらすため,5年間の“民主移行協定”を結ぼう」と呼びかける.事実上アリスティドからFNCDへの権力禅譲を求めたもの.
2.04 ハイチ上院,選挙法案を可決.アリスティドに送付.議員任期が切れる4月末までの選挙施行を要望.
2.10 ハイチの選挙当局,選挙は5月末か6月初めとなるだろうと述べる.
2.11 米軍部隊の引き揚げたLimbeの警察署を,武装集団が攻撃.IPSF司令官をふくむ3名が死亡.
2.15 アルゼンチンの多国籍軍憲兵が,ペティオンビルで狙撃される.
2.20 佐官以上の将官が全員解雇される.43名が除籍,他数十名が退役となる.
2.20 中央選管が選挙の日程を発表.6月4日に第1回目,25日に二回目の投票が行われることとなる.アリスティド支持派はFNCDに対抗してLavalas政治機構(OPL)を創設.
2.25 多国籍軍,銃購買プログラムを終了.集めた銃器は約3万丁にとどまる.下級兵士からなる「小兵士」グループは,FRAPHが武装解除しないまま暴力をくり返していると非難.アリスティド時代の軍指導者エドワルド・ゲリエの下に,FRAPHへの民間対抗組織として武器捜索作戦委員会(CORA)を結成.CORAはポルトープランスやカプアイティアンなどで腐敗し不正をくり返す軍機関を占拠,責任者を放逐するなどの動きに出る.
2月 旧軍人と新規募集の警察官4,000人による訓練が始まる.訓練はFBI傘下の国際犯罪捜査訓練プログラム(ICITAP)が担当.
2月 国務省,トトの旅券を無効と判断.Warren Christopher国務長官はトトをpersona non grataと宣告.移民局と協力し潜伏中のトト捜索を開始.トトは国務省の召喚を拒否し潜伏.
2月 カーター元大統領,ハイチ訪問.米国の自由化押しつけと旧支配層温存に抗議するデモ.
95年3月
3月 アリスティド,司法省管轄の司法警察の設置を発表.人権侵害調査のための「真相と正義全国委員会」や土地改革局(INARA)の設立,腐敗裁判官の更迭などの改革に着手.
3.8 ハイチとIMFとの交渉開始.IMFは関税廃止,民間投資に関する規制撤廃,ガソリン価格統制の廃止,賃金の抑制を要求.
3.17 Lavalas政治機構が,祖国統合運動 (MOP) と「ルーブリ・バリェ」(Louvri Barye:PLB)に呼びかけ,選挙同盟「ラバラス政治綱領」(PPL)を結成.この二つの政党は,軍政時代から活動していた中小政党.
3.27 「変化と民主主義のための国民戦線」(FNCD)は,安全が保障されないとして選挙への参加を保留.FNCDのエヴァンズ・ポール,祖国統合運動 と「ルーブリ・バリェ」が軍政を支持していたことを取り上げ,PLB黙認者と同じテーブルにつくことはないだろうと述べる.
3.28 「真実と正義のための全国委員会」が発足.社会学者フランソワーズ・ボカールが委員長に就任.
3.28 女性弁護士で「祖国統合運動」の指導者ミレーユ・ドゥロシェ・ベルタン(Mireille Durocher Bertin),白昼暗殺される.
(「モンデシル・ボオーブルン内相の指示によるとの噂」,と記載しましたが,政府側に暗殺する理由があるとは思えないので,()内に移動します)
FNCDの評価をめぐり,この年表は混乱しています.以前,何気なしに入れていた情報にFNCD系の文章が紛れ込んでいたようです.現在では,FNCDがアリスティド政権打倒をもくろむ米国の公然たる尖兵であることは明白になっており,私の年表はシロクロ逆さまになっていました.できるだけ「誤った原文」もそのままにして事実関係を訂正していきたいと思います.(2004年5月11日)
3.31 国連ハイチ監視団(MINUHA)が発足.米軍中心の多国籍軍から任務を引き継ぐ.クリントンとガリ国連事務総長がハイチを訪問し引継式に出席.UNMIHは、33カ国6,000人の平和維持軍、850人の警察監視員、200人のスタッフ人員から構成されていた。
95年4月
4.19 米国人弁護士マイケル・ラトナー,CCR(立憲上の権利センター)にコンスタンの身柄引渡しに対する訴訟を起こす.ハイチのギ・マラリ(Guy Malary)法務大臣暗殺事件が取り上げられる.
原告側は証拠文書としてCIAの報告書を提出.これによれば,FRAPHのジョデル・シャンブレン、エマニュエル・コンスタンそしてウサブレ・ガブリエルが,10月14日の朝に未確認の米人将校と会った.
4.28 セドラ前軍政下で国民弾圧の象徴となっていた軍隊の解散が完了.憲法上は軍がまだ存在するが,実体としては消失.アリスティドは「 ハイチの軍隊が廃止された」と宣言.
4.31 安全保障理事会,「機能しない司法システムと,訓練された警官隊の不足が,法と秩序の絶え間ない混乱をもたらしている」と報告.MINUHAの駐留を7ヵ月延長することを決定.国際警察の推定ではなお5万の武装集団が残存し,3月だけで30人が暗殺される.
4 米大使,あいつぐ暴力事件に関連し,FRAPHを正統な政治勢力としては認めないと釈明.
4月 OPL,大衆組織「Ti Legliz」(小さい教会)を基盤に影響力を拡大.国民の圧倒的支持を獲得.
4月 与党のひとつMIDH,「ラバラスの引きまわしに抗議」し国民和解政府から離脱.他にPANPRA,RNDPなど旧政権協力政党も離脱の動き.さらにKONACOM,MRNなど反軍事独裁で共闘した諸党派も,ラバラスと距離を置くようになる.
FNCDは党派間の分裂の原因を,ラバラスの引きまわし,排除の原理,ラバラス原理主義の強化などで説明しています.
一連の動きの背景に「真実と正義のための全国委員会」の活動があります.委員会の調査が進むに連れ,人権侵害事件の関係者が与野党を問わず多数にのぼりました.捜査を徹底して行うか,疑惑解明に蓋をするかは極めてシビアな決断となります.
ラバラスは,人権侵害関係者は公的機関への接触を禁じられるべきだと主張.これを「ラバラスが“引きまわし”,“排除の原理”,“原理主義的主張”を強めた」かのように表現しているのでしょう.95年5月
5.04 全国教員組合の主催するデモに,生活改善を要求する数千の市民が参加.
5.08 各地の代表が集まり,内務省とともに地方の治安維持に関する議論.内務省が権限を大幅に地方移譲することで合意.
5.09 教員組合とアリスティドのあいだに賃金の120%アップを内容とする協定成立.ポルトープランスなどではFRAPH崩れが「ゼングレンドス」を結成し,デモに介入し暴力行為をくり返す.組合はデモの暴力化を試みる挑発者を排除するよう指令.
5.10 移民局(INS),NYクイーンズ潜伏中のトト・コンスタンを逮捕.メリーランド州ウィコモコ刑務所に収監.密入国の容疑でハイチ強制送還の予定と発表.国務省はトトの逮捕はクリストファー長官の要望によるものと発表.
5.25 FNCD,第三回全国人民集会を開催.アリスティド政権との訣別を宣言.「自由ハイチに向けた闘争の再出発」をスローガンに掲げる.ラバラスとの圧倒的な力量差を前に,選挙への参加を拒否.国民的ボイコットを呼びかける.
5月 国会と地方首長の選挙法成立.これにより現在の議員の任期は99年1月の第二月曜日までと定められる.中央選管は選挙の日程を第1期6月25日と第二期7月16日に延期.選挙人登録は6月4日まで延期される.
95年6月
6.05 OAS総会,ポルトーフランス郊外Montrouisで開催.中南米の民主化やOASの近代化について協議.
6.19 国会議員・市長選公示.FNCDをふくむ27政党が選挙に参加.米国は親米派候補支援のため1,350万ドルを投入.
6.25 アリスティド大統領復権後初の民政選挙実施.前軍事政権支持者らによる投票所への襲撃事件があいついで発生.さらに選挙管理委員会側の不慣れなどで混乱し,翌26日に追加投票.
6.26 ラバラスが上下両院で地すべり勝利.しかし投票率が低かったことから,23党が投票の不正に抗議し選挙の取り消しを求める.中央選管はラバラスのカイライだと非難される.海外からの選挙視察派遣団は部分的な欠陥を認めつつ,全体として成功と評価し承認する方向.
95年7月
7.27 アリスティド大統領と野党の一部,Anselme Remy中央選管議長の解任で合意.PANPRA,FNCDは,アリスティドの幕引き工作に抗議し,「国民和解政府」からの離脱を決定.FNCDは第二回投票をボイコット.
7月 新警察官が全国に配置される.まもなく不法逮捕,過剰暴力,拷問,殺人など,多くの人権侵害が報告されるようになる.
8.01 退役兵士の会(RAMIRESM)が結成される.会長にはジャン・バプティスト・ジョセフ元軍曹が就任.旧デュバリエ派の国家発展運動(MDN:Hubert De Ronceray党首)の行動隊となる.
8月 ハイチ政府は、1994年9月米国軍によって押収された文書の返還を要請.ハイチ人権組織そして真実と正義委員会は、文書の接見を求める.このとき米軍はハイチ軍本部から10万ページの文書を没収,さらにFRAPH.のオフィスから6万ページの文書と写真・カセットテープを押収.国防情報局(DIA)に保管.
9.17 6月の総選挙の際に混乱のため当選が決まらなかった議員などを選出する追加選挙を実施.野党のほとんどが選挙をボイコットした結果,議席のほとんどをラバラス綱領派が独占.
95年10月
10.26 ワシントン・ポスト. クリストファー長官がスイング大使あてに秘密のメモを送ったことを明らかにする.これによれば前独裁者プロスペル・アブリルが,右翼指導者と相次いで会談するとともに,「赤い星」というパラミリタリーを組織し,12月初めにアリスティド暗殺計画を立てているとされる.この情報はハイチ政府には伝えられなかった.
10 アリスティド,任期切れを前に突如,新経済政策反対を打ち出す.次期大統領選への発言権確保を狙ったものとされる.IMF路線を進めていたスマーク・ミシェル首相が辞任.アリスティドの突然の変心に,与党内で不満が高まる.
95年11月
11.05 議会,ミシェル首相の辞任に伴い,アリスティド腹心のクローデット・ウェルレイ(Claudette Werleigh)外相(49)の新首相就任を了承.ウェルレイは同国初の女性首相.
11.06 暫定選挙管理委員会,大統領選挙を12月17日に実施することを発表.
11.07 国家宮殿でウェルレイ首相の就任式.出席したジャン・ユベール・ファイユ(Jean-Hubert Feuilli),Gabriel Fortuni (ルカイエ選出)の二人の議員が待ち伏せ攻撃を受ける.死亡したFeuilliはPort Salut選出の下院議員.アリスティドのいとこで元ボディガード.Fortuniは奇跡的に生命をとりとめる.
11.07夜 Les Cayes と Port Salutでアリスティド派の暴動.軍政支持派の家20軒が焼き打ちされる.
11.08 ハイチ人権組織Platformがポルトープランス、ゴナイーヴ,カパイシアンで議員暗殺に抗議するデモ.参加した数千人は暴力の風潮を非難し,パラミリタリーの武装解除を怠ったとの理由で国連軍・政府の警備体制を批判し,武装解除の徹底をもとめる.
11.08 国家警察,司法当局の命令を受け,アブリルの家を捜索.米大使館からの通報を受けたアブリルは間一髪,コロンビア大使館に逃げ込む.警察は武器・弾薬を発見・押収.
11.09 米国当局者,アブリルとの謎の会見について,「ハイチ社会の幅広い範囲とのコンタクトを維持するための行動だった」と釈明.しかしアブリルは94年7月拷問・虐待と人権侵害で米連邦地裁から訴追されているお尋ねものである.
11.11 ポルトープランス大聖堂で下院議員Feuilliの葬式.アリスティド大統領は全てのハイチ人に保安を提供する決意を表明.国際的支持を訴える.
11.13 ポルトープランスを初め全国各地で,警察と市民が協力し大々的な武装解除作戦.市民が道路を封鎖し車をチェック.一部で富裕層に対する暴力事件も発生.
11.13 ゴナイーヴで、抗議のデモ隊にクーデター政権協力者が発砲.数人の死者を出す.国連軍が介入しデモ隊を鎮圧する。ゴナイーヴの正義・平和委員会は、ネパールの兵士を他国兵に代えるよう国連に要求.
11.13 カパイシアンで、デモ参加者がバリケードを構築.通行車両の検問により暴力事件が発生.一団の抗議者は、検問作戦を非難したラジオ局を攻撃.
11.14 ゴナイーヴで、クーデター政権と関係していたブードゥー教聖職者が暗殺される.
11.15 Lakhdar Brahimi国連特使,国連決議940号を実施する際に,国連軍がハイチ警察を援助すると言明.同時にデモ参加者の過激な行動を批判.これに対しYvonネプチューン官房長官は,脅迫に対し身を守るための大衆の合法的権利を強調.
11.20 アリスティド大統領、全国対話会議を開催.ハイチの重大な政治的・社会・経済問題についての意見交換を目的とする.アリスティドは,ハイチ社会の中の歴史の分裂を認め,共通基盤を見つけようと訴える.
11.23 シテソレーユで警官とバス・ドライバーが口論.追い詰められた警官が銃を発射.近くにいた少女が死亡.怒った住民が警察署を攻撃.警察軍が出動し平定した後,警察はシテ・ソレーユから引き揚げる.一説によれば武装ギャング団「赤軍」による挑発とされる.
11.24 アリスティド大統領,来年2月の任期切れ後もさらに3年間の任期延長を検討していることを示唆.
11.25 米国の主要メディア,ハイチにおける混沌と暴徒の支配の状況を大々的に書きたてる.ニューヨークタイムズは、社説でアリスティドの失政を非難.
11.27 アリスティド大統領,再出馬はしないと言明.
11.29 40人の米議会議員と50人以上のNGO代表者、クリントン大統領にハイチ文書の完全な報告,およびハイチ政府への返還を求める手紙を送る.当局者は「文書は返されるだろう」と発言.
11.30 大統領選立候補受付け.FNCDはじめとする主要野党は投票をボイコット.締め切り直前に,野党のひとつ民主運動全国会議(CONACOM)のビクター・ベノイトが突然立候補.ベノイトは91年クーデターの後マルバル首相(PANPRA)の下で文部大臣を勤めた.他に無所属でレオン・ジュネ(スマルク・ミシェル内閣で法務大臣)が立起.
95年12月
12.01 大統領選挙が告示される.8つの政党候補そして4人の無所属候補が立起.少なくとも3人の候補は、クーデター政権を支えた実績を持つ.国際資金提供は候補の各々に対して用意され,OASの国際監視団をはじめ700人の選挙監視員が全国に配置される.
12.03 獄中のトト,CBSテレビのニュース・ショー「60ミニッツ」に出演.CIAのエージェントだったことを明らかにする.訴状では,コンスタンの行ったことが,すべて米国の「汚い政策」に基づくものであったことが明らかにされる.
私はCIAのエージェントだった.ハーラン・カウンティ号事件もCIA支局長の了解の下に行われた.彼らは常に私の指導者としての才能を賞賛した.そして「多分アリスティドの後継者となるだろう」と語った.私に米国からの追放を命令することは,合衆国憲法に違反している.裁かれるべきは私の上司であるCIAだ.
12.08 ワシントン・ポスト,米国特殊部隊の会報‘The Resister’に記載された秘密作戦の報告を暴露.アリスティドの首席補佐官レスリー・ボルテール,「もしこの記事の内容が真実なら,ハイチの安全保障にとって深刻な問題である.我々もさらなる精査を要するだろう」と述べる.
記事の要旨:
我々は活動開始後直ちにFAd'Hの上級下士官に会った.そして、FAd'H、Attaches,FRAPHの上級代表者との会談を準備した。FRAPHメンバーは地下に潜るか、長い休暇をとるように勧められた.
我々は兵器押収の計画と予定を知らせた.そして使える火器を隠し,使えない銃や不要の兵器を武器買戻し計画に従って売り飛ばすよう指示した.またラバラスに対する秘密攻撃(clandestine offensive)計画を行うようすすめた.
我々は支配区内に地下組織を温存させ,幹部の脱出線を創設した.この線を使ってFAd'H、前アタッシェ,前FRAPHをドミニカに逃した.12.17 大統領選挙が実施される.アリスティド後継のルネ・ガルシア・プレバル経済・社会援助基金(FAES)長官が,投票の88%を獲得し当選.ただし投票率は30%にとどまる.ビクター・ベノイトは,2.3%の得票で惨敗.プレバル自身は政党には属さず,無所属をつらぬく.
12月 与党ラバラスの主流派,プレバルのアリスティドよりの姿勢に不満を表明.新政権からの「独立」の意思を表明.
95年 民族再建運動(MRN)が内紛.ロスニ・モンデスティン上院議員らがMRNを離脱.ハイチ共産主義統一党のルネ・テオドル書記長と古参幹部のジェラール・ピエール・シャルルらは孤立を深める.
1996年 2.06 アリスティド,任期の最終日にキューバとの国交回復を発表.
2.07 プレバル,大統領就任.「我々の社会の深遠な不公平を廃止するため,知恵を寄せ集め,力を合わせよう」と訴える.ハイチの歴史上初めて,権力は選ばれたものから選ばれたものに明け渡される.民衆は"Au revoir, President Titid",「2001年に再会しよう」と叫ぶ.
2.27 プレヴァル、OPLのロスニ・スマルト(Rosney Smarth)を新首相に指名.
2月 国連,ハイチ監視団(MINUHA)の撤退期限を延長.アメリカによって訓練された新しいハイチの全国警察は,明らかに能力が不足していたため.
2月 与党ラバラス人民機構内で反アリスティド派が主流となる.議会下院は,国家警察長官にJean-Marie Fourel Celestin中佐を任命する政府提案を拒否.セレスティンは傲慢で腐敗しており,あまりにアリスティドよりであると批判される.
3月 プレヴァル大統領,IMF・IDBの勧告に従い民営化推進の意向を表明.これについてアリスティドとの間に見解の相違との噂.プレバルはこれを否定し,「アリスティドは一国の指導者というより“第三世界のリーダー”である.私は問題解決型の人間であり,歴史上の地位や国際社会での名声などを望んではいない」
4月 MINUHAに参加していたアメリカ軍部隊が撤退を完了.
6.14 米司法省,コンスタンへの国外追放命令を停止する.コンスタン,メリーランドの不法移民拘留センターから解放される.さらに米国で働くための外国人用労働許可証(グリーンカード)を与えられる.またいつでも彼の選んだ第三国に出国することが認められる.
コンスタンによれば,この日,彼は檻から引き出され,Wicomico拘留センターを出た.そこでオレンジ色の囚人服から平服に着替えた.目の前のファックス機から,5枚の和解文書が吐き出された.そこには上記の処分が記されていた.交換条件として,@クイーンズを離れないこと,A週に一度はINSの点検を受けること,Bマスコミや民間には話をしないこと.
6.28 国連安全保障理事会、MINUHAの解散とハイチ支援使節団(United Nations Support Mission in Haiti :UNSMIH)の創設を決定。300人のcivlianの警察オブザーバー、100人のスタッフ人員から構成される。
7.01 UNSMIHが業務を開始。国連軍はプレバルの要請を受け1,300人にまで減少.
6月 プレバル大統領,経済改革案を発表.IMFの指導を受け,製粉工場、セメント工場、空港・港湾など国営企業の民営化をすすめる.
7月 「全国発展のための動員」(MDN)の二人の指導者が暗殺される事件が発生.MDNは新デュバリエ主義者を基盤とする右翼政党.プレバル大統領の直属部隊による犯行と見られる.
8.17 国家警察は政府転覆の陰謀を図ったとして,MDN本部を摘発.ハイチ軍元兵士協会代表のジョセフ元軍曹ら15人を逮捕.
8.19 ハイチ軍元兵士協会の元兵士20名がポルトープランスの警察署を襲撃.ジョセフを奪回.銃撃戦の巻き添えで一人が死亡.
9月 プレバル,公安部要員を大量解雇.アメリカの当局者によると,彼らはMDN党員暗殺事件に関与していたとされる.
9 議会,民営化及び行政改革法案を採択.これを受けてIMFの経済構造調整融資130万ドルの実施が決定される.しかしIDB・世銀の3.2億ドルの借款については国会の承認が得られず.
11月 ラバラス人民機構(Organisation Politique Lavalas -OPL)が事実上の分裂.中間派との選挙同盟「ラバラス政治綱領」(PPL)に軸足を置くロズニー・スマルト首相ら執行部に対し,民主化の推進を主張するアリスティド派が反発.
12.10 アリスティド派が「ラバラスの家族」(Famni Lavalas-FL)を結成。プレバルは両派に対して距離を置く.
1997年 4月 上院の改選9議席(1/3),下院2議席の補欠選挙および565の地方住民評議会,133人の地方首長の選挙が行われる.ファンミ・ラバラスが,ラバラス人民機構を押さえ勝利.投票率は5%にとどまり,不正と違法行為が横行(とFNCDは主張).「たたかう人民機構」のロズニー・スマルト首相は選挙で不正が行われたと抗議.その後UNMIHの調査により重大な不正があったとして,選挙不成立となる.
6.09 Rosny Smarth首相は辞任。緊縮政策に対する抗議が高まる.プレバルはスマルト首相を解任することで政局乗り切りを図る.
7.25 プレバル大統領、エリック・ピエールを首相に指名。(この項については詳細不明。少なくとも、議会で承認され正式に就任したという形跡はない)
7.30 国連安保理、UNSMIHの解散と移行使節団(United Nations Transition Mission in Haiti :UNTMIH)の創設を決議。12カ国250人の一般警察官と50人の軍事顧問から構成される。
9月 アリスティド,プレバル政権の経済改革計画に反対の意向を表明.議会の他グループと組んで,計画を阻止すると声明.首相不在状況の遷延により,二年度にわたり政府予算が成立しないこととなる.外国からの投資は停止し,緊急に求められていた数百万ドルの海外援助は棚ざらしとなる.
10.17 オルブライト国務長官がハイチ訪問.米国軍によって建て直される38の学校の再開,96年以降3,000キロのコカインを押収したHNP麻薬部隊の努力に拍手喝采する.
10.21 ラバラス人民機構が多数派を占める議会はスマルトに代わる新首相(エリック・ピエールのことか?)を承認せず.首相不在の事態となる.
11.30 国連安保理,UNMIH(国連平和維持軍)の活動を終了.1,200人の国連軍部隊が撤退する.新たに1年間の予定で,国連ハイティ文民警察ミッション(MIPONUH)が組織され,300人の警察指導官と400人のアメリカ軍が引き続き残留する.
1998年 2月 ラバラス政治機構を中心に,「闘う人民機構」(Organization du People en Lutte:頭文字は同じOPL)が結成される.議長にスマルト前首相,書記長にGerard Pierre-Charlesが就任.反アリスティドの立場を明らかにする.
1998年7月
7.21 IDB,ハイチ医療システムの再編成のプロジェクトに二千万ドルを出資することを決定.低コストの地域保健センターの建設,医療従事者の訓練,基礎医薬品の購入などにあてられる.
7.29 マンハッタンの連邦ビルに,コンスタンの送還と押収文書の返還を求める,ハイチ支援団体のデモ.米政府は二つの要求をともに拒否.米国が軍政に関わった証拠が見つかるのを恐れたためとされる.
7月 プレバル大統領,中道派のジャック・エドゥアール・アレクシ教育相(Jacques-Edouard Alexis)を首相に任命.議会に承認を求める.
7月 暫定選挙評議会,残された2人のメンバーが辞任したあと壊滅.11月に予定された国会,地方の再選挙は無期限延期となる.
7月 トト,米誌「Emerge」のインタビューに答え,フラプが元兵士たちとともにハイチ国内で活動を続けており,デュバリエの復権を目指していると述べる.
8.25 国家警察の麻薬に絡む汚職事件続発.政府は過去3年間で現職警官314人が免職処分を受けたと発表.
ハイチ国連派遣団がハイチ警察の実情について報告.多くの警察官が麻薬密輸に関与している.また警察は緊縮政策に対する抗議を弾圧する役割を担うようになり,人権の重大な侵害も頻繁である.
一方で都市部の武装ギャングが勢いを増している.旧軍事政権兵士を主体とするこれらの集団は,政治的暗殺を含む暴力の多くに対して責任がある.麻薬ギャングの間の縄張り争いは,警官を含む多くの死傷者を出している.米国から強制送還された元犯罪者も,犯罪の増加に一役買っている.
民間警備会社は,不法ではあるが有効な捜査活動を展開している.国立テレビは政府の宣伝機関でしかない.民衆の政府に対する不満の捌け口となっている独立系新聞社・ラジオ局は,暴徒の襲撃を含め当局者による脅迫の対象となっている.
(これも出所はFNCD.民間メディアは反政府派の宣伝機関でしかないことも書くべきであろう)9.14 議会,大統領の推すアレクシ首相候補を承認せず.首相を指名しないまま国会は閉会となる.
9.23 トト,「フラプは依然活発であり,ハイチでも米国でも良く機能している」と語る.
9月 ニューヨークの人権団体とハイチ亡命者同盟がコンスタンの家にデモ.さらにコンスタンの送還と軍からの押収文書の返還を求め,議会要請などの行動を展開.
10月 米国の麻薬対策局長バリー・マキャフリー,コロンビアの麻薬の50パーセントが,ハイチ経由で密輸されていると発言.
10月 82年のジャーナリスト殺害事件と関連して元判事が逮捕される.
10月 ハリケーン・ジョージが襲来.南部海岸に大きな被害.
11月 MIPONUHの活動が1年間延長される.
12.15 上院,アレクシの首相就任を承認.しかし彼の施政方針は承認されず,内閣も組織されず.
98年 人権グループがハイチの実態報告.司法体系は不正で非効率.とくに農村地帯ではまったく機能していない.刑務所の待遇は劣悪で,裁判は滞っており,被告は長い拘留期間で苦しめられている.5,200人からなる新ハイチ警察は未熟で,資材が不足している.警察は過度の力を多用して抑留者を虐待しており,非武装の民間人が捜査の過程で殺されている.
1999年 1999年1月
1.06 米下院のポーター・ゴス情報委員長
1.11 上院の1/3議席及び下院の任期が終了.レネ・プレバル大統領,国営テレビに出演.「選挙法規定に基づく議員の任期は終了した.次の選挙が行われるまでアレクシ首相が立法府抜きで行政を行う」と発表.
1.11 議会,「新選挙法に基づき議会が組織されるまで,現議員が引き続き議会にとどまる」と決議.OPL(たたかう人民機構)議員はプレバルがアリスティド独裁体制の実現をねらっていると非難.フジモリのアウトゴルペになぞらえる.事実上の二重権力状態となる.
1.11 FNCD系の全国人民評議会,数千のデモを組織.プレバルと議会の即時退任を求め市内で暴動を繰り返す.
1.14 プレバルの妹マリー・クロード・カルビンが乗った車が,二人の武装した男に襲われる.車は三発の銃弾を撃ち込まれ,運転手が死亡したが妹は命を取り留める.カルビンは手術の後,集中治療を受けるためハバナに移送される.
1.18 新首相ジャック・エドワルド・アレクシ,暫定内閣を組織すると声明.
1.22 プレバルの退陣と上院への権力委譲を求めるゼネストが決行される.学校・商店の9割が休業.OPLの指導の下,26の政党からなる愛国行動委員会が結成される.
その後の情報で明らかになったのは,これが「資本家スト」でしかなかったことである.学校やスーパーは門を閉じた.しかし公共輸送機関,露天商は平常通りの営業を続けた.すべての主要労組はストの呼びかけを拒絶した.ポルトープランス公共運輸労組のレビ・エリウス議長は「我々は道路の改良,ガソリンの補給をもとめストをするかもしれない.しかし権力を取り戻したい人たちのためにストをすることはない」と述べる.
この「ゼネスト」はチリ型サボタージュ作戦の延長であり,ベネズエラ型サボタージュ作戦のはしりであった.1.22 ジェシー・ヘルムズら4議員が,米上院に「ハイチにおける民主主義の回復を求める決議」を提出.プレバル大統領は、独裁権力を握ったとし,OASがハイチに対して共同行動をとるようもとめる.
1.25 プレバルの議会解散決定を支持するデモが全土で行われる.ジャン・ボスコ共同委員会(KOSEJAB),人民権力青年同盟(JPP),全国人民評議会(APN)など50団体が共催.野党のゼネストを上回る規模で成功.学校の門は開かれたが,誰も出席しなかった.ポルト―プランスでは,ジョアン・ボスコ教会の廃墟に集まった市民が国家宮殿までデモ行進.「Down with the OPL,OPL out of parliament」のスローガンを叫ぶ.
1.25 エドゥアール・ベーカー(APN)は,「大衆はプレバルが憲法と選挙法を尊重し,任期を終えた議員を議会から追い出すよう望んでいる」と述べる.
2.03 プレバル大統領,「信頼できる」選挙管理委員会を設置して,総選挙を行うことを提案.危機打開のため野党との対話を求める.
1999年3月
3.01 プレバル大統領,99年中に総選挙を行うとし,中央選管の設置を指示.
3.01 上院議員ジーン-Yvonトゥーサン(OPL),ポルトープランス郊外の自宅近くで暗殺される.Yrvelt Chery上院議員(OPL)の家にも銃が撃ちこまれる.これを機にOPLは完全野党に回り,民主主義擁護連合に参加
3.08 政府と主要野党グループ(5政党),22か月続く首相不在の政治危機を打開するために基本合意.アレクシ首相を承認し,臨時選挙評議会を設立して選挙を行うこととなる.評議会の9人の委員にはファンミ・ラバラス党のメンバーは含まれず.
3.08 FNCDとOPLは,政府との妥協を拒否.97年4月の選挙を無効としない限り暫定選挙評議会を認めないとする.
3.08 ハイチ全国人権連合の委員長で,人権組織プラットフォームの財政部長ピエール・エスペランス、何者かによる脅迫を受けた後撃たれる.
3.26 アレクシが首相に就任.暫定内閣を組閣する。
3.26 第4回全国人民大会(APN)総会が開かれる.大衆的政党への転換を議論.ベン・デュプイ議長は,米帝国主義と結託した地主や有産階級と正面から対決し,反帝・革命的民族主義の旗を掲げること,たんなる選挙政党にはならないことを強調.さらにプレバル政権を日和見主義と批判.次回選挙では地方選挙に候補者を送り,貧困と無知,森林破壊などを取り上げて選挙戦をたたかうことで意思統一.
3月 アレクシは野党グループとの合意にもとづき,ただちに組閣を開始.
1999年4月
4.08 APNに所属する草の根組織が結集し,新党「労働者の世界」が結成される.
4.08 アルゼンチンのエスキーベル,MICIVIHの招待でハイチを訪問.暴力の風潮に対する心配を表明.プレバル大統領との会見では,人権保護活動家に対する脅威はハイチの民主主義を浸食すると述べる.
4.24 Raphael Wilner,Josue SimolyらOPL議員3人が、チリへの政治亡命を要請.
4.26 ポルトープランスのベルエアー地区で,FL活動家Michel-Angeフィリップ(別名ボラ)が暗殺される.FLは,一連の暴力行為の裏に公安部と国家警察(HNP)が関与していると非難.街頭デモで抗議.公安長官ロバート・マニュエル,国家警察Pierre Denize長官は辞任し,グアテマラに亡命.
4月 選挙実施に賛成する5つの政党が民主主義防衛同盟を結成.OPLはCEPの選出法に問題があるとして,提案に反対.これに市民グループ,企業団体,労組,教会グループが同調.
5.11 ポルトープランスで反政府デモと政府警察が衝突。11人が死亡。
5.28 商工会議所主催の反政府デモを,アリスティド派が襲撃.警察が暴行を事実上放置したとして,批判が高まる.会頭は死の脅迫を受け一時海外避難.
6.11 中央選管,OPLの要求を容れ,97年4月の選挙を無効とする決定.与党やFLとの距離を置く姿勢を示す.これにより新たな選挙が11月に予定される.
6.18 国際共和協会(IRI),スタッフが直面している脅迫のため,ハイチでのプログラムを終了すると発表.10年にわたる活動の後.保安上の理由によりハイチを去る.
6月 MICIVIHが第一四半期における人権状況をレビュー.選挙期間の始まりとともに,政治的分極化と緊張が増加.人権状況は悪化していると報告.
国連機関の立場: MICIVIHといい,その後身のMICAH(ハイチ国際文民支援使節団)といい,率直に言って相当バイアスがかかっています.その観点・主張はほぼ米政府そのままです.例えば前段のIRIですが,MICIVIH報告はIRI善意の団体で,FLの脅迫のためやむを得ず撤退したかのように描き出されています.しかしIRIが共和党タカ派の資金団体であり,後にハイチ政府転覆のため重要な役割を果たすなど,謀略組織の一員であることは明らかです.
根本には,新政府と国造りの方針がまったく食い違っていたことがあります.新政府は政・官・民が一体となって新生ハイチを目指そうとするのに対し,国連側は,いかに政府から独立した中立的な官僚組織を作り上げるかに最大の価値観を置いているからです.1999年7月
7.16 プレバル大統領,暫定選挙法に署名.法律は官報(Le Moniteur)に発表することで公式のものとされた.秋の選挙の準備に着手.中央選管は選挙を11月28日に予定.決選投票が必要な場合に備え,12月19日を予備投票日とする.
7.22 米国は,法律に大統領と選管委員長の署名がないこと,改選議席数が明らかにされていないとし,新選挙法に不満を表明.選挙援助のための1000万ドル支出を保留すると発表.
7月 ゴナイーヴで選挙オフィスに放火.1週間後にはJacmelでも同様の事件.
1999年8月
8.03 ハイチ政府と米国,選挙法について水面下で合意.USAIDは750,000ドルの選挙援助資金がすでに支出され,残りの900万ドルもまもなく支出されるだろうと発表.資金は,およそ400万人の有権者の身分証明書発行のために用いられるものとされる.
8.20 中央選管のErnst Mirvilleの車が,レックス劇場の前で警官によって奪われる.エマニュエル・チャールズの家にも銃が撃ちこまれる.選管メンバーへの脅迫が相次ぐ.
8月 野党,CEPからのFLメンバーの全面排除を求める.
1999年9月
9.06 OPL幹事長Sauveurピエール-エティエンヌと家族を載せた車が銃撃される.
9.07 中央選管,投票日を12月19日に延期すると発表.FLは選挙への参加の意向を正式に表明.米国政府は国際共和主義協会(IRI)を通して数百万ドルを野党につぎ込む.
9.26 サンマルクで、地方選挙管理委員会のオフィスが放火される.
9.27 ジェレミーでアリスティド支持を名乗る団体「グランダンセ抵抗調整」(COREGA)がデモンストレーション.地方選挙管理委員会の破壊を試み,警察との激突.デモ参加者一人が死亡.
9.27 ゴナイーヴのアリスティド支持者,タイヤを燃やして国道を封鎖.エスパセ派の選挙当局者の取換えを要求.要求が入れられなければさらに戦術を強めると宣言.
9.29 COREGA指導者,地方選挙管理委員会が閉鎖しなければ"a blood bath"に沈むことになると脅迫.
1999年10月
10.01 ルネ・プレバル大統領,前立腺の診断・治療のためハバナ入り.
10.06 中央選管,新しい選挙日付を発表.投票日は3月19日に延期される.当局者は,選挙付則を書き直し選挙要員を確保するための遅れと説明.
10.06 ジェレミーのグランダンセ県選挙事務所副所長Mose St-Louis Jeune,ある党派からの脅迫により職務が遂行できなくなったとして辞意を表明.
10.08 ジァン・ラミ(Jean Lamy)大佐,ポルトープランス中心部で暗殺される.ラミはロバート・マニュアルに代わり公共保安局長官に選ばれたばかり.
10.14 HNPの司法警察部隊に対する武力攻撃.この部隊はラミー大佐の殺害事件を調査していた.
10.24 アリスティド支持者が,Gymnasium Vincent on Rue Romainでの選挙説明会を妨害.暫定選管委員長Irma Rateauに暴行,反対派指導者のエバンス・ポールに銃口をつきつけ脅迫.
10.27 FLのイヴォン・ネプチューン,政府が野党に弱腰だと批判されたことにたいし反論.野党が選管に対する脅迫・暴行など攻撃を続けていると非難.アリスティドは公式の態度表明を保留.
1999年11月
11月 報道によれば,アリスティド支持者が各地で野党と選挙事務所を襲撃.プティゴーヴで野党が数千人の選挙集会.アリスティド支持者が乱入し混乱.ポルトープランスで,エスパセの集会にアリスティド支持者が攻撃…など.別の報道によれば,野党の一部は,中央・地方のCEPメンバーに対する襲撃行動を継続.民主主義擁護連合のメンバーも攻撃された.
11月 MIPONUHの活動がさらに半年間延長される.
1999年12月
12.10 Ernso St-Clairで地方選挙管理委員会議長,二人のエスパセ議員候補など12軒の家が,あいついで放火される.放火に先立ち上水道が破壊され,水の供給がストップした.またアリスティド支持者を名乗るものからの脅迫があった.その後近郊のボンボンでも選挙管理事務所に放火未遂.
12.22 グランダンセ県イアン・ダイノー(l'Anse d'Hainault)村で,中央選管の指名した選挙管理委員を不服とする村民数百が,事務所を襲撃.国際選挙制度基金の車両が焼かれ,数人が銃撃される.
12 国連総会,ハイチ国際文民支援使節団(MICAH)の創設を決議.OASと国連の国際文民使節団(MICIVIH)および国連警察使節団(MIPONUH)の任務を交替することとなる.
2000年 00年1月
1.04 ハイチ政府,投票券の印刷をハイチ国内企業に発注すると声明.投票券作成の費用をまかなうことになっていたEUは,不当な落札に抗議して出費を保留.もし投票券を国内で印刷するのなら,EUは投票券以外の過程に援助を振り向けると声明.政府はEUの援助を受けずに選挙を実行すると反論.
1.07 中央選管,1月10日に開始される予定の選挙登録を2週間延期.選挙スタッフの訓練がまだ完了していないことを理由とする.
1.12 全国選挙監視評議会の事務局長にレオポルド・ベルランガーが指名される.
1.23 選挙登録の開始を直前にして,選挙事務局に破壊者が侵入.大量の登録章を盗み出す.
1.24 選挙人登録が始まる.いくつかの地域では用紙の不足から登録が延期される.
1月 FNCDなど野党勢力,選挙を前にEspace de Concertationを結成.ラバラスに反対するという点だけで一致する,雑多な政治グループの寄せ集め.
00年2月
2.09 全国3500登録所の至る所で,選挙登録の遅れに対する抗議行動.中央選管はさらに1000ヶ所の登録所を増設する必要があると発表.
2.10 中央選管によれば,これまで90万人が投票カードを受け取る.候補登録リストには29,306人が登録.資材は十分にあるものの,手続きの大幅な遅れから登録に手間取る.中央選管は,登録期間を2,3週延長する必要があり,遅れた地方ではまるまる1ヶ月が必要になるだろうと述べる.
2.17 ポルトープランスのスラムでは,登録事務所の不足に抗議する群集が道路を封鎖するなどの行動.
2.28 中央選管3月3日まで登録期間を延長.Anse d'Hainaultではいまだに登録が開始されず.首都の貧困者地区,地方の都市,農村地帯などで登録の遅れに対する民衆の抗議行動が続発.
00年3月
3.01 「ハイチの権利のための全国連合」(NCHR)は,25の登録事務所を調査.そのうち7ヵ所が閉ざされたままであったと報告.とくにシテ・ソレーユでは6ヵ所中5ヶ所が閉鎖されていた.NHCRは,このような状況の下で3月19日の投票を実施するのは不可能であると結論.
3.03 中央選管,290万人の人々が現在までに登録されたと発表.しかしいまだ多くの人が未登録の状態にあり,選挙を延期して,3月15日まで選挙登録を延長するとする.
3.15 プレバル,選挙が暫時延期されると公式に宣告.4月9日投票も怪しくなる.
3.16 MIPONUHの活動が終了,ハイティ国連文民支援ミッション(MICAH)が現地での活動を開始.
3.27 米国,6月12日をハイチ新議会選出のためのデッドラインに設定することを求める.ハイチ政府が民主主義のプロセスを妨げているとして,二国間・多国間のレベルで,ハイチに対する制裁が検討され始める.
00年4月
4.03 「ハイチ国際ラジオ」(Radio Haiti Inter)の社主ジャン・レオポルド・ドミニク,放送局駐車場で暗殺される.居合わせた警備員ジーン・クロードLouissaintも殺される.
ジャン・レオポルド・ドミニクの経歴: 1931年生まれ,エリート層出身でフランスで農学の学位.58年のクーデター計画に連座逮捕される.このとき兄のフィリップは公安部隊により殺害.60年代からラジオに出演.貧民にも分るクレオール語を使い有名になる.71年に自らの放送局ハイチ・インテルを創設.80年に国外亡命.86年に帰国した際は空港に数万の人が迎える.第一次アリスティド政権で入閣を勧められたが断り,現場での活動を継続.96年のラバラス分裂時はファンミ支持の立場を貫く.
死亡直前は,暫定選挙評議会議長のレオン・マヌスとレオポルド・ベルランジェの反政府陰謀を告発していた.またファンミ内の反民主主義派についても批判.4.05 反政府派のVision 2000放送,あいつぐ脅迫に抗議し,公開状で法務省の保護を要請.アメリカ大使館は暴力事件を警告.その後数件の爆弾事件が続く.
4.08 Sylvio Cator国立競技場でジャン・ドミニクの国葬.1万5千人が参加.国葬終了後,ファンミ派の暴力集団がエスパセの本部に放火.反政府派メディアに脅迫行動.
4.19 プレバル,5月21日と6月25日に選挙投票日を定める.
00年5月
5.20 グランダンセと近隣のNippesでは,準備の遅れから投票日を延期する.
5.21 国会議員,地方議員の一斉選挙が行われる.シテ・ソレーユでは正午を過ぎても,ほとんどの投票所に資材が届かず.有権者は抗議のデモ.
5.22 中央選管議長は,全国11,235の投票所のうち90%が投票日当日に開かれ,登録した有権者の60%が投票に参加したと発表.国際オブザーバーも,おおむね平和に,自由に,公平に投票が行われたとハイチの選挙を賞賛.
5.22 OPLは記者会見を持ち,選挙が不法であったと主張.最大の批判は投票券百万が盗まれたことにあてられる.彼らは,盗まれた票が一人占めされたと非難する.中央選管はこの非難を否定する.
5.25 米マスコミ,ハイチ選で不正が横行したとキャンペーン.上院議員8議席について決選投票に持ち込まれるべきだと主張.しかし8議席をすべて野党に渡しても,なおかつファンミの圧勝.
5.27 すべての野党が「集合グループ」(OPL,RDNP,MOCHRENA,Espaceなど)を結成.ラバラス派による投票操作があったとして結果の受け容れを拒否.6月25日の第二回選挙をボイコットすると発表.
00年6月
6.01 中央選管,8つの県について選挙結果を発表.アリスティドを議長とするラバラス家族党(Fanmi Lavalas)が圧勝.上院の17の議席中16,下院の83の議席のうち28を獲得.
6.02 国連やOASなどの国際選挙監視団,選挙法に照らして,上院の投票率にもとづく按分法が間違っていると指摘.ただしOASの按分法を適用しても結果に大差なし.ラバラス党は,問題とされた上院の8議席を右派に譲渡することにより,政局の安定を図る.
6.05 中央選管のレオン・マヌス議長,5ページの反論文書を発表.計算方法は間違っていず,OASの批判は内政干渉だとする.数百人がOASの介入に抗議するデモ.
6.11 選挙人登録が遅れていたグランダンセで,第一回目選挙の投票が行われる.野党はこれをボイコットせず,投票管理人を送り込む.
6.15 3人の中央選管メンバーのうち,Espace推薦の二人が公式に辞任.二人は公表された辞表の中で,ESAPCEの指示による行動であると明らかにする.
6.18 中央選管のマヌス議長,外国監視団を通じて亡命を申請.ドミニカを通じて米国へ逃れる.マヌスによれば,彼が選挙結果への署名を拒否したため,死の脅迫に遭ったという.
6.20 市民の抗議により,中央選管は第一次投票の結果を発表.さらに6月25日の第二次投票を無期限延期する.
00年7月
7.02 ハイチ南岸の島Ile-a-Vacheで、アリスティド派と野党の衝突。アリスティド派の二人が殺される。
7.09 国会議員の第二次投票が行われる.野党のボイコットにより投票率は10%にとどまる.
7.10 国連のアナン事務総長,第一次投票の手順を批判し,早急な是正を求める.OASも政権支持の立場から,事実上の野党側支持にポジションを変更.
7.12 プティゴウヴでConvergence Groupの集会.200名あまりが「弾圧の糾弾」と選挙の取り消しを求めデモ.さらにハイチ軍の復活を公的にもとめる.FLメンバーの数人が撃たれる.
7.13 米国務省は,「不完全かつ不適当な選挙」と非難.「ハイチは国際援助を失う危険を冒している」と警告.最近の選挙の欠点を速やかに修正するよう要求.Convergence 系の組織「新ハイチのキリスト教運動」(MOCHRENA)は,2人の上院候補と17人の下院候補全員が当選したにもかかわらず,ラバラスと中央選管によってだまし取られたと非難.
7.19 ゴナイーヴの地区選挙管理委員会の会計書記でファンミの党員Carl-Henry Emilcar,帰宅途中を何者かにより狙撃され負傷.さらに22日には2人のファンミ党員が狙撃される.
7.20 MOCHRENAの300人,ゴナイーヴのManasse公園で反政府集会.Zero Option(@レネ・プレバル大統領とJacques Edouard Alexis首相の辞任.A暫定選挙評議会(中央選管)の罷免,B国会・地方議会の選挙取り消し)をもとめる.右翼系プロテスタント牧師Ernst Colonは,MOCHRENAのLuc Mesadieu委員長が2001年のハイチの大統領になるだろうと「予言」する。
7.24 Espace De Concertationから当選した議員は,党のボイコット指令を無視し,Petit Goaveの裁判所で就任宣誓.
00年8月
8.08 中央選管,最終選挙結果を発表. FLが下院の83の議席のうちの75,上院の27の議席のうちの18を獲得する.さらに地方・市議会においても80%の議席を獲得.
8.11 プレバル大統領,11月26日に大統領選挙と残された上院議員議席の選挙を行うと発表.
8.16 議会選挙の結果,官報により確定.FLの議席は中央選管の発表に対し上院で3議席減少.
8.28 ハイチ新議会が開かれる.FLのイボン・ネプチューンが上院議長に指名される.
8月 米国司法省,ハイチ警察および検察官のトレーニングを終了すると発表.突然の中止となった理由は説明されず.
00年9月
9.06 クリントン政権,「来るべき大統領・国会選挙に先立って民主主義の手順を強化しなければ.ハイチに対して経済制裁を課す」と言明.カナダ,EUも制裁を強要する可能性を示唆.
9.22 ルイギ・エイナウディOAS事務総長補佐,ハイチの政府の依頼により訪問.「与野党の論争についての国民的な意見交換を仲介」する目的.
9月 ジャン・ドミニク事件を担当するJean Senat Fleury予審判事,死の脅迫を受け辞任.二人目の辞任となる.Claudy Gassant判事が新たに選任される.
00年10月
10.17 プレバル大統領とオルブライト国務長官とのあいだに麻薬取締り協定締結.麻薬業者取締りのため,米国沿岸警備隊の領海内パトロール,DEAの犯人逮捕をふくむハイチ国内での活動を全面的に認める.左翼と市民団体の一部は,屈辱的な協定だとして,強く抗議.
10.18 アレクシス首相,フィリップ他の将校はクーデターを企んでいたと発表.
10.22 三次にわたる仲介交渉が失敗.エイナウディは,「国民合意のための反省要素」と題する6項目提案を示した後,島を去る.
10月 大統領選を前に,CID-ギャラップの世論調査.68%が5月21日の選挙を明朗公正なものと評価.50%以上がアリスティドを国民的指導者として信頼すると答える.いっぽうエスパセのエヴァンズ・ポールに対する支持は3.8%,RDNPのレスリー・マニガは3%,OPLのジェラール・ピエール・シャルルは2.1%にとどまる.マルク・バザン,ウベール・デロンセライ,ビクトル・ベノイトらはいずれもコンマ以下.アリスティドに対する支持は貧困者ばかりでなく,大学卒階層でも83%が支持.
00年11月
11.03 武装集団が,センテル県のアンシェ(Hinche)で開かれたパパイェ農民運動の集会を襲撃.襲撃者は「来年はアリスティドの年」と叫び,キャンペーン写真をばら撒き,銃を乱射.集会参加者のうち7人が負傷した.この他,中道右派のコンセルタシオン地方本部にも放火.やり方から見て謀略の疑いが濃い(CIAがよくやる手口).
11.06 ハイチ政府,IMFとのあいだに趣旨確認書を署名.「海外投資を活発化するため」に,公共部門の管理,民営化の強化,貿易と金融政策への統制などが厳しく求められる.また立法府による承認が援助の条件となる.
IMFの要求 @「燃料の柔軟な価格体系」,A「インフレ傾向を統制」:賃金の凍結,公共部門の給与(教師や医療・保健労働者など)引き下げ,B「労働市場の柔軟性」:1時間25セントの最低賃金を撤廃など.
11.08 選挙を前に,各地で「ファンミ・ラバラス」と反政府派が衝突.
11.10 ラボトー虐殺事件で,ゴナイーブ裁判所は,タトゥーンら16人に有罪判決.彼らは94年4月,ゴナイーブの貧民街ラボトー地区で,住宅数十軒に火をつけ,老人や子供を含む住民多数を虐殺した.犠牲者の数は今なお不明である.
11.13 ルブラン法相は,殺人罪に問われた38人に対する欠席裁判をまもなく開始すると発表.軍政下での虐殺行為に対する初めての裁判となる.その中にはセドゥラ,ビアンビ,フランソワ(在ホンジュラス),エマヌエル・コンスタン(在ニューヨーク)もふくまれる.
11.24 選挙を前に各地で無差別爆弾テロ.少なくとも十人以上が死亡.さらに走行中の車両からの無差別発砲事件も頻発.選挙ボイコットを呼びかける反政府派による投票妨害と見られる.警察はテロリスト19人を逮捕.
11.26 大統領と8つの上院議席の選挙が施行される.中央選管報告によれば,68%の有権者が投票し,92%を獲得したアリスティドが勝利.野党のほとんどは,5月選挙の不正を理由に選挙をボイコット,OASは選挙監視団の派遣を拒否.米マスコミは選挙管理委員会の発表を信頼せず,投票率が10ないし20%にとどまったと宣伝.
11 ポルトー・プランス裁判所,4月のジャン・ドミニク暗殺事件で,全国選挙監視委員会のベルランジェ議長を告訴.
00年12月 米州機構,ハイチ選挙を大成功と総括
12.04 財務大臣,IMFとの確認をおりこんだ修正予算案を議会に提出.この予算が成立したことで,アリスティド次期政権はネオリベラル政策からの脱却可能性を封じ込まれる.アリスティドは大統領選挙にあたり,最低賃金の引き上げ,学校の建設と識字運動の推進を公約に掲げていた.
12.13 米州機構,ハイチの五月選挙に関する最終報告を発表.全体として「成功」としつつ,上院議員8議席について「得票率の計算法が選挙法に照らし誤っている」と指摘.
最終報告の要旨:5月21日の選挙はハイチ民衆にとって大成功だった.平静な雰囲気の中で,国会・地方議会・国家警察など7500のポストへの投票が順序良く行われた.有権者の6割が投票した.暴力事件はほとんど報告されていない.多少のミスや不手際はあったが,問題にならないほどのファンミの圧勝だった.
12.19 ファンミ派議員15人,麻薬取締りに関するプレバル=オルブライト協定に反対投票.
12.28 アリスティド,クリントンあての手紙で「八つの改革」を約束.上院8議席について5月に再選挙を行なうこと,野党も含めた新選挙管理委員会の設立,国内政治に関与する半永久的なOAS監視団の受け入れ,国際人権監視団の受け入れ,IMF・世銀指導の受け入れなどを,見かえりなしに受け入れるとする.
12月 エスパセに結集する15の政党と.約200の政治団体が「暫定政府を創設する」と発表.「民主集合」(Democratic Convergence)が結成される.(5月選挙の再結成された集合グループとは別のもので,財界人がイニシアチブを握る)
2001年 01年1月
1.01 IMFの強制の下に「燃料の柔軟な価格体系」が実施される.石油価格は130%上昇.これと通貨の切り下げにより消費者物価の40%上昇を引き起こす.
1.29 EU、ハイチに対し経済制裁を発動。大統領選挙の不正を理由とする。
1.30 アリスティドの大統領就任を控え,全国4ヵ所で爆弾テロ.10人が爆弾テロを計画したとして逮捕される.犯人は,「野党集合」との関係を「自白」する.
1月 FL系大衆組織Ti Kominite Leglizの代表ポール・ライモンド,対抗テロを宣言.約80人の反政府派ジャーナリスト、聖職者,政治家のリストを公表.
1月 ブッシュが米大統領に就任.明確にアリスティド敵視・打倒の路線をとる.アイラ・クルスバン政府総合顧問(マイアミ在留),IRIが民主主義振興協会(NED)から3百万ドルを獲得し,民主集合に与えたと述べる.一方で米政府は総額五億ドルの政府間援助を留保しつづける.
01年2月 米仏共同によるハイチ「制裁」
2.02 ワシントン・ポスト,「集合」の結成にIRIが深く関わったと報道.
2.07 アリスティド元大統領,二期目の大統領に就任.これに前後して民主集合は抗議集会を開催.反対派は自らの「大統領」を指名し「暫定政府」を樹立.75歳の「人権活動家」ジェラール・グールジュ(Gourge)が国民への訴えを発表.国際組織はこの「大統領」を承認せず.
2.13 カパイシアン近くのサン‐ラファエルでラバラスとCDの支持者が衝突.
2月 ブッシュ政権,昨年5月の「選挙不正」を口実にハイチに対し経済制裁を発動.IDB,IMFにも融資を中止するよう圧力.IDBからの1億5000万ドルが止められたことから,飲料水プロジェクトが中断するなど大きな被害(デュバリエをはじめ歴代の独裁者には数億ドルの援助が与えられていた).
2月 フランスもEUに対し融資を控えるよう呼びかける.欧米主要債権国は,ハイチ政府に対する新規援助の凍結措置.フランスは19世紀に支払われた「賠償金」の返済を避けるため,ハイチ問題に関して一貫して米国と共同行動.
2月 ハイチ国際文民支援ミッション(MICAH)が支援を中断.
01年3月
3.01 ドミニカ軍,国内で反アリスティド活動を展開するハイチ人およびハイチ系ドミニカ人への捜索活動を強化.多くが逮捕され国外に追放される.(実際にはその数倍の武装集団が米軍とドミニカ軍の庇護を受け訓練を継続していた)
3.02 アレクシが任期を終了し首相を辞任.これに代わりジャン・マリー・セレスタル(Jean-Marie Cherestal)が首相に就任.
3.14 ペチオンビルで両派の衝突。
3.16 CDはカパイシアンで反アリスティド・デモ.ラバラス支持者と衝突.警察が出動し鎮圧.
3.20 ガビリアOAS事務総長、ハイチを訪れ、両派による暴力を非難。
3.21 旧軍部の活動が公然化する.元ハイチ軍兵士千名がポルトープランス中心部を行進.軍の再建とアリスティドの辞任を要求.生まれたばかりの国家警察は,武器禁輸と警察訓練プログラムの停止により弱体化.米国マスコミは警察の無力と治安上の欠陥を書きたてる.
3月 アリスティド,問題となった上院議員8議席について再検討すると発表.自派議員7人を辞任させる.さらに自派全議員から任期を半分に短縮し,再選挙に臨むとの同意をとりつける.OASはこの提案を無視.米国および反政府派は改革が十分でないと非難を続ける.
01年5月
5.25 上院議員ダニー・トゥーサン,ジーン・ドミニク事件に関し予審に回される.トゥーサンは判事の策略だと非難する.
ダニー・トゥーサンこそ第二次アリスティド時代の崩壊の鍵を握る人物だということが,ますます明らかになってきている.
トゥーサンは1980年代に悪名高いSOA(フォート・ベニング)でトレーニングを受けた。1991のクーデターのさいは,銃撃戦の中アリスティドの身を守り,ともに国外亡命.94年ハイチに戻り暫定国家警察長官に就任.95年末にはラバラスの保安室長となる.00年の議員選挙では最多の得票を獲得し,次期大統領の有力候補となる.
一方,おそらく麻薬がらみの巨額の資金を持ち,党の公安機関と国家警察を事実上牛耳り,CIAともつながり,闇の世界では旧軍事政権幹部や旧デュバリエ派ともつながる.ハイチ版モンテシーノスである.モンテシーノスの悪行がフジモリの仕業とされたように,トゥーサンの悪行もアリスティドに責任が負わされた.5.31 アリスティド大統領,OASのガビリア事務総長に和解案を提示.内容は野党「民主集中」をふくむ臨時選挙委員会の設置,選挙結果に疑問が持たれた七人の上院議員の辞任と年内再選挙.現議員の任期短縮などである.アリスティドはこれらの譲歩と引き換えに,OASによる現地の恒久的委員会の設置,国際金融機関との関係再開を望む.
5.31 CDはアリスティド提案を直ちに拒否.同時に行なわれた地方選挙も白紙に戻すべきと主張.OASに対し,アリスティドやラバラスとのいかなる交渉も拒否するよう呼びかける.
5月 ドミニカ共和国のメヒア大統領,「ハイチの窮乏と不安が続く限り地域の平和と安全は望めない」とし,国際援助の再開を訴える.
5.10 フランス議会,黒人奴隷制度と奴隷貿易が人類に対する犯罪であることを認める.しかし奴隷解放による損失賠償金の返還については拒否.
01年6月
6.04 国家警察,ペティオンビルで元独裁者プロスペル・アヴリルを逮捕.彼の政権下でエヴァンズ・ポール,マリーノ・エティエンヌ,その他を逮捕・拷問・負傷させた容疑.
6.04 IDB,「ハイチにおいて貸し出し基準を厳格に守ることには無理がある」とし,実情に合わせて弾力的に運用することを認める.同時に政治危機の決着があるまでは,融資を保留する.
6.05 OAS総会,アリスティドの提案を受け入れる決議.ハイチに代表団を送り,「ハイチの友人」グループを結成することとなる.
6.13 ジャン・ドミニク事件を担当するガサン判事,80人との面接をふくむ中間報告を提出.トゥーサン連帯委員会(COSOLDAT),裁判官ガサンの逮捕を要求し暴力的デモ.ガサンは真相解明への政府の立場に疑問を発し,担当を辞任.そのまま国外脱出.
6.29 フロリダの米出入国管理局,旧ハイチ軍元大佐のカール・ドレリエンを逮捕.ドレリエンは終身刑を宣告される.ドレリエンはラボトーの大虐殺(94年4月)の指揮者.
6 ブッシュ政権,ハイチ選挙に不正があったとし,米州開発銀行のハイチに対する開発援助と,承認された貸付6500万ドル以上をキャンセルさせる.この金は,安全な飲み水と識字プログラム,保健サービスに用いられる予定だった.
6月 アリスティド,「チンピラが通りの中の車両を止めてキーを奪うならば,彼は有罪である.犯罪を犯して捕らえられた人がすべて裁判所に行く必要はない」と述べる.増えるいっぽうの犯罪に対し,群集の統制を事実上容認.関係者は「即決処刑への白紙委任状ではない」と否定するが,人権活動家はこの発言の後,群集による犯罪者のリンチ殺害が増加したと報告.警察はストリート犯罪が6割減少したと報告.
01年7月
7.06 米州人権委員会,ガサン判事を人身保護の下におくようハイチ政府に要請.さらに中間報告後の進捗状況の報告を求める.
7.19 アリスティド大統領がキューバを訪問.
7.19 元独裁者ポール・マグロワール,94歳で死亡.
7.28 軍服姿の集団が,「軍」への忠誠を要求して警察学校・警察署を襲撃.4人の警官を殺害.さらに逃亡中に警官2人を殺害.指導者はギ・フィリップとされる.
7月 アリスティド大統領,問題となっている8人の上院議員のうち7人,暫定選挙評議会の9人のメンバーから辞表を取り付ける.また残りの上院・下院議員全員が任期の短縮に同意.
8.03 ガサン判事,ジャン・ドミニク事件に関連し,トゥーサン上院議員の不逮捕特権を停止するよう議会に要請.
9.30 国家警察,カパイシアンで麻薬組織を摘発するハリケーン作戦を展開.逮捕に対する抗議が暴動となる.警察は3日後に逮捕者を裁くことなく釈放.
01年11月
11.08 米国下院の黒人問題調整部会,ハイチに対し1997年以降,事実上の経済制裁が行われていると判断.経済援助の早期再開をブッシュあての手紙で訴える.
11.09 シテ・ソレーユで16才の少年を含む3人が殺される.家族は警察の仕業と非難.
11.13 政治的な膠着状態を解決するための与野党協議,米州機構の仲介にもかかわらず物別れに終わる.「民主プラットフォーム」は選挙の無効を叫び抗議のデモ.
民主プラットフォームとアパイド
「民主集合」に,「グループ184」と称する民間団体連合の総結集した反政府組織.G−184を率いているのは,アルファ・インダストリーズ社主のアンドレ・アパイド.アパイドは米国で生まれ,米国市民権を持ち,アンディーと呼ばれる.アパイドは米国企業の下請けで財をなし,労働者酷使と強欲ぶりで知られた人物.
184の市民組織を結集したと自称するが,そのほとんどは実体のない幽霊組織.11.14 「民主プラットフォーム」の呼びかけたゼネスト,全国を混乱に陥れる.カパイシアンの町はロックアウトされる.ラバラス系の活動家も政府・警察の腐敗に抗議して立ちあがる.
11.30 サンマルクで両派の衝突。2人が死亡。
01年12月
12.01 ラバラス派幹部のジョセフ・ス・ドゥヴェルジェル,プティゴウヴ(Petit Goave)で襲われ,瀕死の重傷を負う.
12.03 「集合」のプティゴウヴ地区指導者でジャーナリストのブリノル・リンドル(Brignol Lindor),ラバラス派のリンチにより殺される.ドゥベルジェル襲撃に対する復讐と見られる.両派の対立は血なまぐささを帯びるようになる.一説によればリンドルはEcho 2000放送のディレクターで,反政府の代表をトークショーに登場させたことが原因といわれる.
12月17日 クーデター未遂事件
午前2時 重装備コマンド部隊33人が国家宮殿に突入.5時間にわたり国家宮殿を占拠.銃撃戦で警察官2人が死亡.
午前7時 コマンド部隊,国家警察の包囲を破り,用意したトラックで50キロ先のドミニカ国境まで逃亡.国家警察の追跡により,武装集団のメンバー1人が射殺されたほか,7人が逮捕され,残りは逃亡.
ギ・フィリップ: 1970年生まれ.陸軍士官としてエクアドルで米軍の訓練を受ける.95年に新しいハイチ国家警察に参加.北東部国境地帯Ouanamintheの警察署長となる.98年からポルトープランス大都市圏の北部デルマス警察署長となる.国連/米州機構の人権調査団は,彼の管轄地域でギャングが即決裁判で処刑されていると指摘.00年10月にクーデター計画が発覚しドミニカに逃亡.
12.17午前 事件に怒った大統領支持者数千人が抗議のデモ.一部が「集合」本部に押し掛けて
12.17午前 群集はポルトープランス市内各所にバリケードを築き,CDの本部や指導者の邸宅を襲撃.建物に火を放つなどの騒ぎ.フランス協会の建物も略奪を受ける.国境なき記者団のミナール事務局長はアリスティド派がクーデター騒ぎを利用して記者への攻撃を行う可能性があると警告.
12.17午後 ドミニカ国境地帯で,襲撃者の一人ピエール・リチャードソン元軍曹が負傷し捕らえられる.彼は大量の現金といくつかの文書を所持していた.警察は反乱の首謀者が,ギ・フィリップであったとするが,フィリップは関与を否定.
12.17午後 アリスティド,「クーデターは失敗した.ハイチ人は平和的に行動し,全ての市民の権利をわけ隔てなく尊重するように」と訴える.ギ・ポール情報相は大衆組織の暴動行為を非難.
12.17午後 CDはクーデターを政府によるでっち上げと非難する声明.PPNのデュプイは「これはクーデターではなく,国民を内戦へと煽る武力挑発である」と述べる.
12月 反乱参加者のピア・リチャードソン,今回の事件がクーデター計画の一環であること,ドミニカ在住の3人の元警察幹部グイ・フィリップ,Jean-Jacques Nau,ギルバートDragonによって計画されたこと,襲撃隊長はエルンスト・ラビ元大尉であると明らかにする.
12月 ギ・フィリップは中央高原に散在する警察署に対して,ドミニカからの越境・奇襲攻撃を繰り返す.
12月 アミオ・メタイエ,ゴナイーヴの野党本部を襲い,警備員を殺害.メタイエは法廷で,政府から武器そして資金提供を受けたと証言.「アルティボニト抵抗戦線」が結成される.人食い軍と呼ばれ,恐れられる.
2002年 02年1月
1.04 ガサン判事の任期が切れる.アリスティドはガサンを再任せず.ガサンは米国に亡命.
1.07 北部のサンラファエル市長(FL),同じFL選出のサンルイ議員と口論の末,銃撃戦を展開.射殺される.下院はサンルイ議員の免責特権剥奪を決議.
1.15 米州機構,ハイチの政府に対して米州民主憲章を適応するか否かについて投票.
1.16 ジャンマリー・シェレスタル首相,政府の経済政策の失敗に対する抗議の中,辞意を表明.
1.22 ハイチのエイズ対策への国際援助が,事実上ストップする.
1.31 Danyトゥーサン武装した護衛を従え,上院に登庁.上院ではこの日,過去10年にわたる政治的暗殺にトゥーサンが関わったかどうかを審議することになっていた.もし関与が明らかになれば彼の免責特権は剥奪されることになる.
02年2月
2.05 アリスティド大統領,米州機構特別使節団のDavid Lee特使と,野党系9団体を召集し会談.01年12月の暴動に際して,野党が受けた被害に対しておよそ220万ドルのドルの支払いを約束.国会議員選挙実施のため中央選管への協力を要請.「集合」は会議をボイコット.
2.07 大統領,新しい中央選管の9人のメンバーのうちの7人を指名.「集合」系の政党は、選管への参加を拒否.中央選管に二つの空席を残す.選出された7人のメンバーも,最高裁の承認が出るまで就任を見合わせる.
2.21 上院総会.3人のFL議員が上院議員トゥーサンの召喚に応じるよう主張.他は召喚を拒否.傍聴する「人民青年の力」(Jeunesse Pouvoir Populaire)は,召喚派の3議員に攻撃を集中.
2.22 米国下院黒人問題調整部,満場一致で同意.「米国は,貧しさにあえぐハイチへの援助資金数100万ドルの支払いを,拒否すべきではない.アリスティド政府と野党連合体の間の政治的な行き詰まりを,解決することに失敗すれば,それは近い将来に無秩序を招くことになる可能性がある」と指摘.
2 パウエル国務長官,カリコム会議で発言.「ハイチは、西半球の最も貧しい国である.経済再建計画のために,継続的な援助が必要である.この計画は,教育へのアクセスを増やし、環境の悪化と戦い、HIV/エイズの蔓延と戦い,合法的ビジネスと雇用を促進するためのものである.この計画は建設的な民主主義を導き,不法な移民を減らすだろう.それはまた麻薬貿易の背景にある貧困そして絶望の根を絶つだろう」
02年3月
3.04 「ラバラス家族」のナンバー2,イヴォン・ネプチューン(Yvon Neptune)がセレスタルに代わる首相に任命される.ネプチューンは西部州選出の上院議員で,ファンミ党の報道官を務めた後,上院議長に就任していた.
3.04 米州機構,ハイチ政府と新しい合意に達する.米州機構はハイチ使節団を拡大することに同意.政府と野党「集合」が真剣な話し合いに入るよう要求.
4.05 OAS、「ハイチにおける民主主義強化のための特別使節団」(Special Mission to Strengthen Democracy in Haiti :SMSDH)を創設。
4.07 アリスティド大統領,カパイシアンへの訪問.大司教フランソア・ガヨ(Gayot)を表敬訪問.パレードの最中に反政府派が投石.
02年5月
5.12 Gonaivesのスラムにおいてラバラス派と反ラバラス派暴力団の抗争.
5.27 北東部Maribahouxの農民,ドミニカとの国境地帯に建設予定の自由貿易地区に抗議する.この国でもっとも肥沃な土地を破壊することになると主張.
5.27 サンラファエル・グアシマル農場で労働条件の改善を求める労働者が襲撃される.二人は首を切られ,他は棍棒,刀,銃で攻撃される.さらに2人のジャーナリストを含む11人が逮捕される.拘留された労働者は ポルトープランスへ移送され,ジャーナリストはそこで解放される.
02年7月
7.02 米州機構,前年12月の官邸襲撃事件について報告.クーデターであったとは断定せず.逆に報復攻撃について,ラバラス派暴徒を全て起訴するよう政府に要請.
7.06 ハイチ,カリブ共同体(カリコム)貿易ブロックの完全なメンバーとしての参加を認められる.
7.08 アミオ・メタイエ(Amiot Metayer),5月12日におきたGonaivesのギャング抗争事件と関連して逮捕される.メタイエ逮捕に抗議する群集は地方政府事務所を閉鎖する.メタイエは前ラバラス活動家で,現在はラバラス支持は標榜するものの,麻薬業者と癒着した地方ギャング集団のボス.
7.26 「協同組合」を名乗る事実上のネズミ講が破綻.投資した何千もの人々が素寒貧となる.
02年8月
8.02 アミオ・メタイエの支持者,ゴナイーブ刑務所をブルドーザーで破壊.メタイエ他150人の囚人の脱獄に成功.その後3日間にわたりゴナイーヴを制圧下に置き,アリスティド辞任を求める.メタイエとともに,ジャン・ピエール・バプティスト(ジャン・タトゥーヌ)らラボトー大虐殺の犯人たち数人も脱獄.
8.21 Guacimalの抗議行動で逮捕された9人の労働者のうち,7人が釈放される.
02年9月 OAS決議822号
9.04 OAS常設理事会にて決議第822号が採択される.これまでの民主化努力を全面的に否定し,国際金融機関と国内親米勢力への屈服を強いるもの.この時点でIDBに二千万ドル,他の金融機関に総計約五千万ドルの累積債務.
OAS決議822号の要旨:
00年5月の議員選挙を事実上無効と宣言.03年中にあらたな選挙を実施することをもとめる.このため,議会選挙実施に向けての暫定選挙委員会(CEP)の設立をもとめる.また市民の武装解除,保安条件の改善,国際金融機関との関係正常化などをもとめる.OASの現地機能を強化し,ハイチ政治の統制を図る.10.01 ハイチ司教会議,暴力のエスカレートを非難.平和なしに公平な選挙はありえないとし,当局の行動を要望.
司教会議の訴え: 一日たりとも,生まれくる脅威なしに送れることはない.一日たりとも,あらゆる種類の暴力なしに送れることはない.それは我々を恐怖でひるませる.一日たりとも,犯罪と血なまぐさい殺人なしに送れることはない.それは我々に悲しみを残すだけだ.もっとも貧しいところに虐殺が存在する限り….
10.04 サンマルクでファンミ派組織「Bale Wouze」がデモ.アルティボニート県からの分離を主張.
10.03 Grand-Goave、プティゴーヴ、Miragoane,Leoganeのジャーナリストが,ジャン・ドミニク,ブリニョル・リンドルの死と政府当局による報道規制に抗議してデモ.
10.07 Miragoaneで道路の補修を求める民衆が道路を封鎖.
10.12 アメリカ人民運動連合(COMPA)カリブ支部の第1回会議が,ハイチ北東部Ouanamintheで開かれる.“Yes to life, No to the FTAA, an another America is possible”をスローガンとする.ハイチ、ドミニカ、ジャマイカ、セントルシア、バルバドス,トリニダードトバゴから150人が集まる.会議は自由貿易地区の創設に反対するMaribahouxの農民と連帯.
10.12 国家警察,政府による新しい武装解除作戦の一部として,首都圏での一斉検問を実施.無警告で道路を封鎖して武器をチェック.
10.15 政府がドル預金口座をハイチのグルドに強制変換するとのうわさ.3日間で2000万ドルが引き出される.「暗黒の水曜日」と呼ばれる.すべての銀行がドル引出しを停止.為替相場は1ドル=36グルドまで悪化.
10.22 脱獄したJean Tatouneが,ゴナイーヴで数百人の反政府デモを組織.警察はデモに干渉せず.
10.24 ハイチ中銀当局,ドル決済を禁止する計画は持っていないと発言.「政府がすべてのドルを没収しようとしている」との噂を反政府派のデマと非難する.
10.25 ハイチ政府,蔵相と中銀副総裁が近く罷免されるとの噂を否定.
10.28 アリスティド,ドル預金のグルドへの強制転換はありえないと宣言.
10.29 200人のハイチ人が,船から飛び込みマイアミのハイウェイに出現.その劇的な到着が米国マスコミに大きく取り上げられ,ハイチ問題に関心が集まる.
02年11月 コントラの活動開始
11.04 OAS決議に基づく中央選挙評議会メンバーの選出が完了.ファンミのほか野党連合,裁判官会議,カトリック教会,プロテスタント教会,Episcopal教会,正義と平和委員会,商工会議所など.「集合」など野党強硬派は代表2議席の選出を拒否.他団体も代表は決めたものの会議をボイコット.OASの定めた期限は守られずに終わる.
11.08 警察と住民自警団,シテソレイユに侵入したギャング団と対決.7人を射殺.
11月上旬 マイアミに難民を満載した船舶が到着.入国管理当局はこれらの難民を不法移民と規定.国家保安上の脅威と位置付ける.
11.11 カリブ共同体の高級レベル代表団,ハイチ当局と加入条件についての協議を開始.
11.14 アリスティド大統領,中央・地方の議員に対し,護身用に重火器を携帯することを禁止し,護身用ピストルの範囲に限るようもとめる声明.
11.14 ハイチ国立大学の学生・教員が政府の干渉に抗議し自治を求めてストライキ.
11.14 ジャン・デニス・ジュリアンら,カパイシアンに反政府組織「市民イニシアチブ」を結成.
11.15 「集中」の北部支部が呼びかけたカパイシアンのゼネストが成功したと発表.学校は閉鎖され,すべての商店が店を閉めた.ラバラス派はゼネストを妨害しなかった.公務員は便乗して仕事をサボった.銀行は営業を続けた.公共交通機関はほぼ止まった.
11.15 クーデターのうわさが国中で広がる.暴力的な抗議行動が各地で勃発.都市部では両派のデモにより機能が麻痺,双方に数名の犠牲者を出す.ジョナス・プティーファンミ党委員長代行は,「我々は自制を求めているが,野党が国を封鎖状態に置こうとしているとき,民衆がそれに怒りを燃やすのを止めることはできない」と語る.
11.17 カパイシアンで「アリスティド退陣」をもとめる反政府派のデモ.数万人が結集する(地元ラジオ局は6万,警察は8千と発表).
11.18 プティゴーヴで数千人がデモ.殺されたジャーナリストのブリニョル・リンドルの裁判を要求し,アリスティド辞任を求める.
11.19 暫定選挙評議会,9つの代表委員ポストのうちの7人について指名を完了(カトリック,Epsicopalian,プロテスタントの各教会,民間企業,人権団体).「民主集合」は,米州機構が評議会の速やかな完成を駆りたてるにもかかわらず,代表委員を決定できず.当事者能力の欠如を暴露する.
11.19 「9月30日財団」人権組織のメンバー,事実上の経済封鎖に抗議し,ポルトープランスでの米州開発銀行のオフィスの前でデモ.また米国政府に対しても,ハイチの首を絞める行ないに荷担していると非難.
11.20 全国再建運動(MRN)のルネ・テオドル派は,カパイシアンの市民抵抗指導者ジュリアン・デニスに対して,ラバラス派による死の脅迫があったと非難.
11.20 受験料の新設に抗議する高校生(Lycee Faustin Soulouque)が,南西部プティゴウヴでデモ行進.警察の射撃により7人が死傷.デモ隊に紛れ込んだ反政府派が警察署への攻撃を挑発したもの.文部省は受験料引き上げの噂を否定.プティゴウヴ市長は,市民が挑発者の行動に対し冷静に対処するよう呼びかけ.
11.21 プティゴウヴ高校生と支持者千名が,血染めの学生服を掲げ抗議のデモ.地方警察の本部に押しかけアリスティド退陣を求める.ポルトープランスでもこれに呼応した左派学生3千人の抗議デモ.
11.22 アリスティド支持派数百人が留任を求め国家宮殿前にデモ.反政府派はポルトープランス市内各所にバリケードを築き,通行する車に投石.これによりバスは運休し,学校・商店・政府関係業務は停止される.
11.23 マリオ・デュプイ官房長官,アリスティドが任期切れの前に辞任するような問題はないと強調.Jocelerme Privert内相はドミニカに公務出張中で,亡命したのではないと噂を打ち消す.Myrtho Celestin文相の辞任に関しては肯定も否定もせず.
11.23 アリスティドを支援する草の根組織の代表ルネ・シビル,「我々はアリスティド退陣を求める連中に“No”を言うために立ち上がった」と語る.ファンミ派大衆組織のベルエル(Bel Air)地区責任者は,「国家の指導者はどこにも行かず,国にとどまり,我々とともに死ぬだろう」と語る.
11.23 民主集合傘下の民主統一連合(Confederation Unite Democratique)のエバンス・ポール議長,「政治的激変」の噂についてのコメントを拒否.政府の弱点として@大衆の圧力,A学生運動の活発化,B国際的圧力および民間企業からの圧力,C政治的抑圧を挙げる.
11.24 米南方軍アルフレッド・ヴァレンズエラ司令官,ドミニカ軍の国境地帯を二度にわたり視察.ハイチ難民阻止の封鎖作戦を支援するため,M−16ライフル2万丁を贈る.その後,技術協力・協同訓練などが展開される.
11.25 ポルトープランスとプティゴウヴで,アリスティド派と反政府派のデモが衝突.双方に3人づつの死亡者を出す.メタイエの「人食い軍」,ゴナイーヴの反政府放送局を襲撃.記者7人が亡命を余儀なくされる.
11.30 上院議員27人中18人,下院議員の全員が任期を終える.ふたたび議会のない状態に入る.
11月 元国軍将兵,ドミニカ国境地帯のベリャデレ近くの町ペルナルで戦闘宣言.30人から100人のゲリラ部隊が,警察を襲い,政府関係者を殺害し,いくつかの町を一時占拠,兵士を徴募する.かつてのニカラグアにおけるコントラとまったく同じ手口.
12月末 ハイチ政府,OAS決議に従い,石油購入への助成金を廃止.石油価格は80%引き上げられる.IDBはなお努力不十分としてつなぎ融資の執行を保留.
12月 アリスティドの辞任を求める各界指導者の共同署名.共産党のテオドル書記長も反ラバラスの大合唱に加わる.
2003年 2月 ワシントン,クリントン政権の国務省報道官ジェームズ・フォーリーをハイチ大使に任命.フォーリーはコソボ戦争時にテロ組織KLAをヘロイン・マネーを使って政治組織に仕立て上げたといわれる.
2 米軍,ドミニカ北部のハイチ国境地帯で200人の米国特殊部隊による「Jaded Task」作戦を展開.ペンタゴンの発表によれば,ルーチンの「カウンターテロリズム訓練」とされる.
Jaded Task 作戦:
のちに元米特殊部隊隊員スタン・ゴフがNGO/ハイチ問題調査団に証言.「大規模な米軍事機動部隊が動員された.メヒア大統領は秘密裏に承認を与えていた.そこから,反アリスティド・ゲリラは,ハイチ政府施設への定期的攻撃を実行した」4.07 アリスティド,フランスに対し217億ドルの「返還」を要求.フランス政府はこの要求を拒否.
4月17日 司法長官アッシュクロフト,難民を事実上無期限に拘束する決定を下す.
4月 Voodoo信仰が他と同等の宗教として認められる.
6.01 ハイチ共産党のルネ・テオドル元書記長,マイアミで病死.
7.25 ドミニカ国境地帯の前線視察に訪れた内務省の調査団,ゲリラに襲われ4人が殺害される.
7月 米州開発銀行,融資計画を再開.国際協力の呼び水になると期待される.
9.20 ゴナイーブ近郊のサンマルクで,アリスティド派武装集団「人食い軍」の指導者アミオ・メタイエが,両目と心臓を打ち抜かれ暗殺される.弟のブトー(Butteur)が指導者となり,明確に反政府の立場に立つ.
9.22 メタイエ支持派の群集一千名が,ゴナイーヴ市内でバリケードを築き,二日間にわたり警官隊と衝突.暗殺は内務省による仕業だとしてアリスティド退陣を要求.
メタイエは01年12月に反アリスティド派のアジトを襲撃し,敵の一人を焼き殺した.02年7月アリスティド政府はメタイエを逮捕.しかしまもなくメタイエは159人の仲間とともに脱獄に成功.一時反アリスティドの立場をとるが,02年11月には反政府デモを襲撃することにより,ふたたびアリスティド支持を明らかにする.政府との取引の結果,03年5月には彼への逮捕状が撤回される.実態としては地方の麻薬ボスの一人.
9月 ジェームズ・フォーリー,ポルトープランスに着任.政府転覆計画を開始.
9月 反政府派,全国で一斉抗議行動を展開.
11.12 反アリスティド派のデモが与党系放送局を焼き討ち.政府は対抗措置として野党系放送局を閉鎖.これに抗議する群集とアリスティド派のデモが衝突.
12.05 反政府派が学生を装い国立大学法学部敷地内に侵入.学外のアリスティド派の群集に石投げ鞭による投石を開始.これに応戦したアリスティド派が学内に乱入.多数の怪我人を出す.右翼・マスコミは警察が暴徒を黙認したと一斉キャンペーン.
12.18 アリスティド,政治的暴力を停止させよとするカトリック教会の提案を承認.
2004年 1.01 独立200周年記念式典.南アフリカのムベキ大統領らが式典に参加.アリスティドは,「わが国は世界の黒人解放運動の中心にある」と述べる.貧困撲滅など21項目にわたる政権目標を掲げるとともに,2015年までの長期構想を披露する.
1.01 建国200年を期して,反政府派が全国各地でデモ.ポルトープランスでは,大統領退陣を求める5000人以上が官邸周辺で抗議デモ.警察が催涙ガスを撃ち込んで数人が負傷.反政府勢力の中核である「市民社会グループ」のアペド代表は,アリスティドの退陣までたたかうと宣言.
1.01 式典後,ゴナイーブに移動中の大統領の一行に発砲事件.ムベキに随行していた南アフリカの兵士と,ハイチの警官が応戦.両大統領は無傷でポルトープランスに戻る.
上記の1月1日の記載は極めて不正確であることが明らかになりました.二段目は「針小棒大」,三段目に至っては,まったくのでっち上げです.ポルトープランスでは,大晦日の晩からお祭騒ぎで,花火やパレードが展開され,当日は政府宮殿前の広場が数万の人で埋まりました.当日の式典には大統領夫妻,ネプチューン首相,ムベキ南ア大統領など海外来賓などがそろい,滞りなく式典を終了しました.式典終了後,反政府派の挑発が一部でありましたが,数千人規模の抗議集会などは存在しませんでした.
式典終了後,アリスティドはヘリでゴナイーブに飛びましたが,ムベキはそのままポルトープランスに残りました.「ムベキに随行していた南アフリカの兵士がスナイパーに応戦した」というのは,見てきたようなウソです.
この情報は,反アリスティド系の放送局が流した「ニュース」を国際通信社がそのまま配信したことから生じました.ベネズエラのクーデターのときと同じです.
この後,米国によるアリスティドの誘拐に至る一連の報道は,一つ一つ検証を加える必要がありそうです.とりあえず,こういう情報が流れたということ自体はひとつの事実なので,そのまま訂正せずに置きます.もし明らかな間違いが解明されれば,これと同じ枠を作って付け加えていきたいと思います.1.01 国家宮殿前の中央広場(シャンドマルス)集会には数万人が参加.バハマのPerry Christie首相,南アフリカのターボ・ムベキ大統領夫妻,Yvon Neptune首相が列席.
1.01 ゴナイーブで独立200年記念式典.ポルトープランスから移動したアリスティドが演説.ムベキ大統領は,ゴナイーブには旅行しなかった.国際マスコミは,ラジオ・メトロポールがゴナイーブの式典へのムベキの想像上の出席を含むイベントをでっち上げ,国際マスコミがそれを繰り返した.ゴナイーブはジーン-ジャック・デサリーヌ(ハイチの最初の国家元首)が独立を宣言したところ.
1.01 反政府派,アリスティドの退陣と27人からなる「賢人評議会」への権力委譲をもとめる声明.
1.07 反政府派のデモとアリスティド支持者が衝突.アリスティド支持者の一人が殴り殺される.警察の発砲で反政府派に2人の死者.
1.07 反政府デモ,アリスティド支持者を捕まえ暴行を繰り返した後橋から突き落とす.この一部始終がテレビで流され,国民の憤激を呼ぶ.警察はこれに抗議するアリスティド派のデモに発砲.2人が犠牲となる.
1.07 ゴナイーブのButteur Metayer,1週間以内にアリスティドが辞任するようもとめ,もし約束が守られなければ支持者を殺害すると脅迫.
1.08 グループ184の指導するゼネスト(ロックアウト).公共輸送機関,インフォーマル部門は通常通りの営業を続ける.
1.10 国家警察の北部本部長Edner Jeanty,Cap Haitienで帰宅途中に暗殺される.
1.11 2000年選挙の無効を訴える野党のデモに数千人(主催者発表で2万人)が結集.
1.13 「闘う人民機構」(OPL),国家宮殿への挑発デモを呼びかける.ラバラスからの離反者Dany Toussaintは,「学生」が大統領官邸を襲撃する可能性があると示唆する.
1.13 ハイチ国会,議員の任期が切れる.アリスティドは6ヶ月以内に新たな議会選挙を行うと発表.野党側はアリスティドが止めない限り,選挙ボイコットを続けると宣言.
1.14 ポルトープランスを見下ろすBoutillier山の頂上に立つ9つのラジオ局,ひとつのテレビ局アンテナが反政府集団により破壊される.反政府派放送局の送信設備は無傷.
1.15 サンマルクの反政府組織RAMICOS,Pyramide放送局に放火,ラバラス活動家の家を襲撃.
1.16 反政府派の集団,サクレクール教会で葬儀中の犠牲者の棺を奪い,警察署から政府官邸にかけ葬儀デモを挑発.
1.17 アリスティド,クーデターの陰謀があると警告.「もしクーデターが起きれば,多くの死者が出るだろう.我々はクーデターを拒否する.そのためには命をかける」と宣言.
1.18 民主集合の指導者と国際共和主義協会(IRI)がサントドミンゴで会談.IRIは,群小政党を「中道右派」政党と「社会民主主義」政党の二つにまとめるよう要請.
1.19 野党デモ参加者,4つの学校に火をつけ,他の5つに投石.国立テレビ局に銃撃を加え窓ガラスを打ち壊す.露天商の立ち並ぶデルマ32番街も破壊・略奪にあう.
1.28 グループ184,アリスティドの「葬儀デモ」を展開.棺を焼くなど気勢を上げる.国立大学法学部内からアリスティド派に投石.乱闘となる.警察のガス弾によりラバラス活動家一人が死亡.AP通信,ロイターは反政府の学生が虐殺されたと配信.
04年2月
2.01 CARICOM加盟各国首脳ら,武装勢力の武装解除など仲介案を提示.
2.05朝 Wilfort Ferdinandの指揮するゴナイーブ革命抵抗戦線(FRRG),自動小銃と手榴弾で市警本部を攻撃.五時間にわたる銃撃戦の後警察部隊は撤退.FRRGの指導者はタトゥーンとButteur Metayer.ゴナイーブは,反乱軍の拠点となる.
2.05 旧軍事政権の残党が各地で一斉に反乱.11都市で警官15人をふくむ40人以上の死者.民族解放再建戦線(FLRN)がドミニカ国境からハイチに侵入.アルチボニタ革命抵抗戦線(FRRA)が反乱を開始.ゴナイーブの反乱部隊もFRRAに合流.
反乱部隊の全容: 公式にはギ・フィリップが最高指導者といわれる.「ハイチ・プログレス」はルイ・ジョデル・シャンブレーン(Chamblain)を影の最高指揮官としている.シャンブレンはハイチ軍(FAd'H)の精鋭「レオパルド部隊」の元軍曹.90年に除隊し,93年にFRAPHのナンバー2として再登場.アリスティド復活後の不在裁判で,イズメリ暗殺とラボトー虐殺への関与により終身刑を宣告された.ギ・マラリ法相暗殺への関与も疑われている.
ハイチ反乱部隊は,東部サンイシドロと西部アイナ&ネイバのドミニカ軍基地で訓練を受けた.ギ・フィリップは二度にわたり当局に逮捕されたが,その都度「ただちに解放」された.01年と03年の二度,ジョデル・シャンブレンは「写真を撮られて」いる.そこでは彼はドミニカ警察の制服を着ている.2.06 武装組織RAMICOSが,サンマルクの警察署を襲撃.警察は武器・弾薬をすべて残し逃げ去る.
2.07 デュバリエ打倒記念日の集会にポルトープランス市民10万人が参加.アリスティドの続投を求める.政府支持派の各組織は武器をとり,バリケードを築き始める.
2.07 警察部隊,ゴナイーブ奪還作戦.待ち伏せにあい,14人の死者を出し敗退.政府側発表によれば,反乱部隊は市民を盾にしたという.
2.08 ネプチューン首相,国民に対し,警察を援助し武装勢力を追い出すよう訴える.野党は政府の断固たる態度を前に,デモの決行を12日まで延期.
2.09 警察,市民の支援を得てサンマルク,グラン・ゴーブ,ドンドンの奪還に成功.ネプチューンはヘリで市民を激励.
2.10 武装部隊がCap Haitienの郊外に迫る.市民は武装勢力攻撃を阻止するため,バリケードを築き武装.
2.10 バウチャー国務省報道官,大統領支持勢力を「ギャングのごろつき」と表現.「ハイチの統治方法に変化がもたらされる必要がある」と大統領の退陣を求める.
2.10 世界食糧計画とユニセフ,国連開発計画の専門家による国連調査団が,人道支援計画の検討のためハイチ入り.
2.11 世界食糧計画(WFP),ハイチが道路封鎖などにより人道支援の食糧が輸送できない状態に陥っており,1週間以内に援助活動を再開しなければ,住民約26万8000人が飢餓に直面するとの懸念を表明.
2.11 米下院議員マクシーン・ウォーターズ,「アンドレ・アパイドは,ハイチでの大虐殺を扇動して,それから起こる災難で政府を非難しようと試みている.彼は米国が反アリスティド運動を支援するものと確信している」と述べる.そしてマスコミに伝聞にもとづくのをやめ,ハイチで本当に進行している真実を学ぶよう訴える.
2.12 パウエル国務長官,上院外交委員会の公聴会でハイチ情勢について証言.「ハイチ政府と反政府勢力の間での”政治的な解決”を希望する.政権変更を望むものではない」との考えを明言.「アリスティド大統領の復帰以来の姿勢には大いに失望した」と非難しつつ,アリスティド大統領は民主的に選ばれた大統領であることも強調.野党勢力に暴力的なアリスティド追放作戦を停止するよう警告.
2.12 ハイチ警察とアリスティド支持派の市民武装グループ,サンマルクの支配権を奪回する作戦.ヘリコプターからの銃撃などによる攻撃を展開.
2.14 Group 184のアンディ・アパイド,「武装抵抗は政治的意思表明であり,合法的である.アリスティド退陣までのあいだ武装は解除されるべきではない」と語る.
2.14 政府の総合顧問アイラ・クルスバン,「暴力を刺激して,誰無実の大衆が残忍に殺された暴力デモを賞賛して,政府の暴力による打倒を公然と呼びかける」アパイドら反政府指導者を非難する声明.Kurzbanは米国政府に,アパイドが中立法を侵害しているかどうか調査するよう呼びかける.
アンディー・アパイド(Apaid)の中立法違反
Apaidはニューヨーク生まれのレバノン人で,ハイチ国内に米企業の下請け組みたて工場を所有している.アパイドは米国国民であり,米国国民は外国政府の転覆活動に参加することを禁じられている.
彼は最低賃金法に違反し,ハイチ人労働者を酷使した.また電話機の密売で大もうけし,200万グルドの罰金を科されている.彼は米国市民権を放棄しておらず,二重国籍を禁じるハイチ国内法にもとづき,ハイチ国籍を持てない.2.14 2人のドミニカの兵士が,国境地帯北部のDajabonで射殺される.ドミニカの当局は,ハイチの「武装勢力」による暗殺の疑いがあると発表.同地域にはハイチ武装勢力の訓練基地があったとされる.
2.15 ゴナイーブでメタイエの反乱部隊(100名以下と見られる)に,ルイ・ジョデル・シャンブレンの部隊50人(一説に25人)が加わる.彼らは迷彩服を着て全地形車に乗り,M-16,M-60,ロケット弾トラック2台分の武器・弾薬を持ちこんだ.隊員のうち何人かはスペイン語しか話せなかったという.同じ頃ギ・フィリップの部隊もゴナイーブに潜入.
2.15 大統領辞任を求める「民主主義プラットホーム」,「憲法の枠内での政権交代」を訴えるデモ.警察隊の弾圧や与党を支持する集団の投石などで中止に追い込まれる(と,「赤旗」が報道).「ハイチ・プログレス」によれば,彼らの反政府デモは憲法無視で,決して平和的なものではなかった.
2.15 パウエル長官,CARICOM外相らと対応策を協議.「外国の警察力に秩序回復のための役割があるかもしれない」と述べ,ハイチ介入を示唆.
2.16 シャンブレンの部隊,中部高原のアンシュ(Hinche)市で,警察署を襲撃・放火.警察署長Maximeジョナス,彼のボディガードは,攻撃の最初の瞬間に殺される.数時間の射撃戦の後,警察は彼らの弾薬を使い尽くして逃げる.部隊は囚人を解放した後,警察署に火を放つ.警察とボランティア部隊は,南方35キロのMirebalaisに防衛線を引く.
2.16 アリスティド大統領,「反逆者が首都を攻撃するならば,警察は,この種類の攻撃に反撃できる可能性はない」とし,OASに反乱部隊鎮圧のための支援を要請.5日以来の暴動で少なくとも56人が死亡.
2.16 民主プラットフォームのギルバート・レジェ,「我々はまだ平和な,非暴力的な手段をとっている.しかし,武装勢力も我々も目標とするものはひとつである.我々は武装勢力を支持する」と述べる.
2.16 ドミニカのメヒア大統領,「ハイチ人の侵入に対して国を守るため」,250マイルの境界に沿ってドミニカの軍を配置.立ち入り禁止にする.実際の目的はハイチ人亡命者を阻止するため.
2.17 アミオ・メタイエの弟ブトー・メタイエ,ゴナイブを制圧.
メタイエとタトゥーン
ゴナイーブの反乱の指導者はメタイエではなくジャン・タトゥーンとされる.彼はラボトー虐殺事件(94.4)の指揮者として終身刑となり服役中だったが,アミオ・メタイエの脱獄時に,ともに脱走した.元フラプ副議長のシャンブレーンが,表舞台に立たないのと同様,米国政府の圧力によると思われる.2.17 ネプトゥン首相,武装集団に占拠された都市を奪還し,治安を回復するため国際的な警察部隊の派遣を要請.
2.18 北東部フォールリベルテが別の武装勢力の支配下に落ちる.
2.19 米国防総省,ハイチの治安状況を調査するため,米南方軍の専門家数人を派遣すると発表.報道官は「米大使と大使館員の安全確保を支援するもので,ハイチ政府を支援する目的ではない」と説明.
04年2月20日
2.20 在ハイチ米大使,アリスティド大統領および反大統領派と相次いで会談.新首相任命と顧問協議会の発足などを含む調停案を提示.この調停案は,カリブ共同体の提案を基本としており,米国,カナダ,フランスに加え,国連や米州機構(OAS),欧州連合(EU)なども仲介作業への支援を表明.
2.20 ポルト―・プランスの反政府派学生デモに大統領支持派の市民が発砲.20人が重軽傷を負う.空港には国外に避難する外国人が詰めかける.
04年2月21日
2.21 ノリエガ米国務次官補がポルトー・フランス入り.本格的な調停工作を開始.
2.21 アリスティド大統領,米国・カナダ・フランス・OAS・カリコム・EUからなる使節団と会談.「テロリストがこれ以上殺戮を繰り返さないため」,米国主導でまとめられた調停案を受け入れると言明.自らは06年の任期満了まで大統領職に留まる意志を示す.
この和平案は,OASやカリコムが提示した先の調停案を,米国・カリブ諸国・旧宗主国フランスなどがとりまとめたもの.
野党側も含めた暫定評議会を設置し,新首相(中立派)と内閣(野党勢力も含めた顧問協議会)を選び,国際選挙監視団の監視のもとで総選挙を実施.これと引き換えに武装勢力は戦闘を停止し,大統領は06年までの任期をまっとうするという内容.2.21 「市民社会グループ」のアパイド代表,「現大統領の下で選挙プロセスを開始することはできない.大統領の即刻辞任が調停受け入れの絶対条件」だとし,調停受け入れを拒否.また武装勢力は調停には参加しておらず,受け入れるつもりはないと強硬姿勢を示す.
2.21 米国務省,ハイチ駐在の米大使館員の一部と大使館員の家族全員に対し,国外への避難命令.米民間人に対しても「民間機の運航が停止される前に,早急に国外脱出するよう強く促す」と警告.
2.22 ギイ・フィリップの率いる反政府武装勢力が北部で反乱.人口約50万人のカパイシアンを攻撃.軍服姿で銃を持った反政府勢力を乗せたトラックが市内を走り回り.市内各所で略奪や放火が発生.警察署も炎上.空港では反政府勢力と大統領派が衝突し,8人が死亡.フィリップは英語に堪能であることから,水面下で米情報筋と接触しているのではないかとの指摘も.
04年2月23日
2.23 ポルトープランスから北方約20キロの町ポストゥカゾでも武装勢力の攻撃が始まる.地元メディアは,警察署が襲撃され警官ら3人が死亡したと伝える.
2.23午後 米政府,ポルトープランスの米大使館の警護のために海兵隊員50人を急派.
2.24 「民主化プラットフォーム」のエバンス・ポール,国際グループによる和平調停案の受け入れを拒否.
2.24 ホワイトハウスのマクレラン報道官,米国に不正入国を試みる難民を厳しく取締り,本国送還する意向を表明.
04年2月25日
2.25 「市民社会グループ」,「アリスティドの命運は尽きた」とし,あらためて大統領の退陣を求める.アリスティドの娘2人が,米国に向けて出国.
2.25 フランスのドビルパン外相,治安回復のため国際警察部隊の緊急派遣を求める声明を発表.同時に,このような事態を招いたアリスティド大統領の責任を指摘,「国民統合の政府に支援するのだ」と強調.これに次いでカナダのグラハム外相もアリスティド辞任を求める発言.
2.25 ブッシュ大統領,ハイチ問題に言及.国際治安部隊の創設・派遣の意思を表明.難民は例外なく強制送還すると発表.
2.25 メキシコ政府,約70人のメキシコ国民の救援・帰国のため,ポルトープランスに軍用機派遣.
04年2月26日
2.26 反政府武装集団,首都から約50キロ北東の町ミルバレを制圧.さらに南部のカイも制圧される.首都では,武装集団の侵攻を恐れた警官の離脱が相次ぎ,治安が悪化.大統領派の民兵「シメール」(怪物)はポルトープランスで徹底抗戦の構え.
2.26 「民主化プラットフォーム」のエバンス・ポール,「大統領がパナマに出国する可能性がある」と指摘.
2.26 パウエル米国務長官,「アリスティド氏は,職務を継続するか検討すべきだ」と述べる.
2.26 アリスティド,米CNNテレビとの会見.「私が職を去るのは06年2月7日だ」と,改めて退陣の意思を否定,国際社会に支援を呼びかける.
2.26 ハイチ北西の海上に出動した米沿岸警備隊,この3日間で総計500人の乗った10隻以上の難民ボートを拘束.本国に送還される予定だと発表.
2.26 国連安全保障理事会,ハイチの秩序回復のため国際部隊の派遣を決議.ただし両派の政治的和解を前提とすることで,実質的に即時派遣は見送られる.一説では,アメリカは国際的な治安部隊の派遣に反対し、あくまでも「政治解決」を目指すべきであるという見解を表明していたとされる.
2.26 国連難民高等弁務官(UNHCR),2月以降30人のハイチ人がキューバへ,62人がジャマイカへ,約300人がドミニカへ亡命したと発表.
2.26 カリコム議長国ジャマイカのナイト外相,ハイチの危機は「周辺地域の安全と平和を脅かす」として,治安部隊のハイチへの即時派遣を国連安保理に要請.
04年2月27日
2.27 反政府武装勢力,南西部の同国第三規模の都市レカイを制圧.北からも首都ポルトープランスに約四十キロまで迫る.米政府はアリスティド大統領の退陣とアレクサンダー最高裁長官への権限移譲を求める.
2.27 ギイ・フィリップ,「ポルトープランスを包囲し,幹線道路と海上を封鎖した」と語る.「ポルトープランスの制圧には激戦が予想され,犠牲者も多数に上る.彼らを絶望させることが最も大事だ」とし,内部崩壊を待つことを明らかにする.
2.27 ドミニカ軍当局,北東部のハイチ国境地帯で反乱部隊のゲリラ訓練キャンプを発見したと発表.
2.27 ブッシュ大統領,ハイチ難民の「全員強制送還」を指示.沿岸警備隊がハイチから米国に向かう船舶を臨検.米国防総省は「在留米市民約2万人の保護や難民の大量流出阻止の目的」で艦船3隻,海兵隊員2000人の派遣を検討していると明らかにする.
2.27 アリスティド,テレビで「私は辞任しない.犯罪人やテロリストたちが政権を掌握するのを許さない」と演説し,国民に平静を保つよう呼びかける.いっぽう,数千丁の武器類を大統領派の民兵組織に与えるが,統制を失った民兵は路上で自動車を強奪したり殺人を繰り返すなど混乱.
04年2月28日
2.28 争乱による死者が100人を超える.反政府武装勢力は「29日までにアリスティドが退陣しなければ,首都攻撃を開始する」と警告.
2.28 ホワイトハウスのマクレラン報道官,「混乱の責任はアリスティド大統領にある」として,過去数日間に首都で起きた略奪について大統領を名指しで非難.「自らの立場を慎重に吟味し,国民の利益を最優先に行動を起こす」よう求める.
2.28 武装集団のリーダー,ギイ・フィリップ,「米国の要請に応じて,ポルトープランスへの進攻1日か2日見合わせる」と語る.AP通信の質問に対し,「米国から直接,要請があったわけではなく,インターネットで得た情報に基づく判断だ」とする.
2.28 南アフリカのムベキ大統領,大統領陣営にライフル銃や弾薬を供与すると述べる.
2.28夕方 アリスティドの声明によれば,James Foley米国大使が海兵隊をともない現れた.アリスティドはフォーリーと会談.暴力と流血を避ける方法について議論した.フォーリーはアリスティドがしかるべき場所でテレビに出演し,国民に平静を訴えることに同意した.
04年2月29日
2.29早朝 米大使館のモレーノが大統領公邸に迎えに赴く.
3月15日,ジャマイカのキングストンにおける記者会見で,アリスティトは以下のように語った.
…このとき公邸の周囲は米軍により包囲されていた.アリスティドは安全を保証され車に乗りこんだ.しかし行先はテレビ局ではなく飛行場だった.アリスティドは飛行機への搭乗を余儀なくされた(obliged to board the plane).その飛行機には多数の完全武装の米兵が同乗した.彼らはアフリカに着くときには平服に野球帽となった…2.29午前 米メディア,「アリスティド大統領がドミニカに出国」したと一斉報道,ワシントン・ポストによれば,アリスティドが米国当局者を呼び,出国のための援助を求めたとされる.米政府は,「大統領の決断は国民にとっての利益」と歓迎する声明.選挙で民主的に選ばれた大統領が暴力により排除されたことについては黙殺.「プラットフォーム」が中心となり新政権の発足を目指す動き.
2.29 国連安全保障理事会,ハイチに治安維持のために多国籍軍を3か月以内の期限付きで派遣するすることを承認.米国は直ちに海兵隊の派遣を決定.
2.29午後 ウォーターズ米下院議員,「アリスティドは武装米兵に連行され,行き先も不明なまま強制的に出国させられた」と発言.パウエル国務長官は「米軍は前大統領の安全を確保しただけで,強制などしていない」と反論.
2.29 サンマルクで青年7人が武装勢力により虐殺される.マチェーテで切断された死体は,トラックで町内を引きずりまわされた後焼かれる.
アリスティド政権の功績
絶え間ない米国/ユーロの経済制裁と不安定化作戦にもかかわらず,ハイチの歴史上最多の学校が建設された.より多くの町に電気を引いた.最貧地区に病院,公共公園が作られた.文盲率は85%から48%まで低下した.04年3月
04年3月01日
3.01 ギイ・フィリップがポルト―・プランス入りし記者会見.「治安維持や国境警備の強化のため再軍備が必要」と強調.軍が発足した場合,自らの武装勢力が軍部入りする可能性を示す.武装解除については「大統領の判断に従う」としたが,国際社会に対して「ハイチのことはハイチ人が決める.外国は内政干渉すべきでない」とけん制.
3.01 数百人の米海兵隊先遣隊がハイチに上陸.空港や大統領府などの警備にあたる.ラムズフェルド国防長官は派遣米兵が2千名規模となるだろうと発言.仏軍部隊第一陣五十人もポルトープランスに到着.
3.01 前政権から寝返った警官隊が,シテソレイユを襲撃.アリスティド派民兵組織「シメール」(怪物)と銃撃戦になる.
3.01 アリスティドがバンギでNGO「デモクラシー・ナウ」と会見.「私はいまも合法的な大統領である.一日も早く国に帰ることを望む.私は誘拐された.私の政府は米占領軍の支配する政府に奪われた.これは国際犯罪である.これは米国自らの手によるによるクーデターである」
3.01 パウエル国務長官は,アリスティドの談話を「ばかげた話」だと全面否認.
04年3月02日
3.02 ギイ・フィリップ,旧国軍司令部(軍廃止後は博物館)のバルコニーに立ち,「国軍最高司令官」就任を宣言.「警官の9割を統制下に置いた.この国は私の手中にある」として治安の掌握を強調.「アレクサンドレ暫定政権を尊重する.私の責務は 国民を守ることである」と政治的関与を否定.さらにネプチュン首相や民兵勢力の拘束,掃討に乗り出す意向を表明.
3.02 憲法の規定に基づき,アレクサンドル最高裁長官(Boniface Alexandre)がハイチ臨時大統領に就任.承認を与える議会が解散しているため合法性に疑問を残す.宣誓式の間、大統領公邸の前にはアリスティド派の数百人が詰め掛け、「アリスティドか死か」とシュプレヒコール.
3.02 国務省のバウチャー報道官,「多国籍軍が展開するにつれてギイ・フィリップの役割は弱まるだろう.政治プロセスに武装集団の果たす役割はない.武装集団は武器を放棄し家に帰るべきだ」と強調.
3.02 パリ亡命しているジャンクロード・デュバリエ元大統領,帰国の意向を表明(在マイアミとの報道もあり).
04年3月03日
3.03 米海兵隊とギイ・フィリップが秘密会談.海兵隊は,外国部隊が前大統領派民兵を武装解除し,首都の治安維持にあたることを通告.さらにギイ・フィリップの警察長官就任は認めないとし,武装解除を迫る.
3.03 ギイ・フィリップ,「秩序回復のための多国籍軍部隊を歓迎する.首都の治安維持は多国籍軍に任せる.もし命令があれば自ら率いる民兵組織の武装解除に応じる」と発言.武器をアレクサンドル暫定大統領に全て預ける意向を表明.
3.03 アレクサンドル暫定大統領,ラジオ演説で武装勢力と前大統領派の双方に武装解除するよう呼びかける.新しい警察長官にレオン・シャールが任命される.ネプトゥン首相は非常事態を宣言.治安維持を担当する委員会の設置を発表.
3.03 バウチャー米国務省報道官,「ハイチでは現在,憲法上の手続きに基づいた政治プロセスが進行中で,全てのハイチ人がこれを尊重する必要がある」と声明.フォリー米大使は「(武装勢力は)アリスティド前大統領が辞任したら武器を置くと約束していたので,約束を守るよう要求している」と述べる.
3.04 フランス軍治安部隊2000人がハイチに上陸.ポルトープランスを中心に治安維持にあたる.その後チリ軍もPKO活動を開始.最終的には5,000人が展開.
3.05 暫定政権の新首相を決める「賢人会議」が発足.与野党7人から構成される.
04年3月06日
3.06 アリスティド支持派による、初めての大規模な抗議行動.首都ポルトープランスの米国大使館前で,数千人の支持者が「ブッシュはテロリストだ」「ハイチは独立国だ。占領はやめろ」と気勢を上げながらデモ行進.
3.06 アリスティドが声明を発表.米軍により誘拐されたと強調.大統領を辞任していないと訴える.「彼らは平和の木の幹を根元から倒したが,その根はルベルチュール主義にあるのだから,再び育つだろう」と述べる.
3.07 アリスティド前大統領の訴追を求める抗議行動.銃撃を受けてスペイン人記者を含む6人が死亡,30人以上が負傷.発砲したのはアリスティド派といわれる.ギ・フィリップは「再武装も辞さない」と宣言.
3.09 ハイチ「賢人会議」,ジェラール・ラトルチュ(Latortue)元外相を首相に任命.ラトルチュは元国際ビジネス・コンサルタントという肩書き.ネプチューンは更迭される.
04年3月14日
3.14 エラール・アブラム元将軍とギ・フィリップがペティオンビルで会談.
3.14 マクシン・ウォーターズ米下院議員,トランスアフリカ創設者ランダル・ロビンソン,カリコム特使シャロン・ヘイ・ウェブスター,ハイチ政府法律顧問イラ・クルスバン,中央アフリカ共和国の首都バンギに赴きアリスティド夫妻を拾い,ジャマイカに向かう.ジャマイカのパターソン首相の招待によるもの.
04年3月15日
3.15 アリスティド前大統領,中央アフリカからジャマイカに到着.ハイチの暫定首相ゲラール・ラトルトゥーは,パターソン首相の態度を「非友好的」と非難.ハイチ大使(すでに解雇)の召還を決める.さらにカリコムからの一時脱退を表明.
3.15 パウエル,ライスもジャマイカを非難する声明.ハイチ駐在米大使ジェームズ・フォーリーは,「ジャマイカは大きな危険と責任を負うことになる」と警告.ラムズフェルドは「アリスティドは西半球に戻るべきではない.問題を複雑にするだけだ」と述べる.ジャマイカ当局は,カリコム議長国としての立場からの受け入れであり,ジャマイカ一国の判断ではないことを強調.
3.15 国連のアナン事務局長,ハイチへの平和維持活動軍の指揮をブラジルに任せる意向表明.ブラジル政府は南リオグランデのサンレオポルドの第19機動歩兵大隊1,100人を派遣する方向で検討開始.
3.16 ラトルチュ新首相,組閣に着手.アリスティド派は除外される.
04年3月17日
3.17 ラトルチュ新首相による新内閣(11閣僚)が正式に発足.前政権派メンバーは一掃される.ジャマイカとベネズエラはハイチ新政府を承認せず.
3.17 両派の武装解除始まる.アリスティド派の民兵の一部が古い銃約70丁を差し出す.反アリスティド派の武装解除は進まず.
3.17 ドビルパン仏外相、「アリスティッド前大統領を匿う国は,彼が政治的発言を行うことがないよう厳重に監視する必要がある」と述べ、ジャマイカとベネズエラに対して警告を発する.また全ての国連加盟国にハイチの新政権を支持するよう呼び掛ける.
3.26 毎日新聞によれば,米軍事情報筋が「アリスティドは米軍に拘束され強制出国させられた」と証言.
04年3月29日
3.29 NGO/ハイチ問題調査団,ドミニカでの調査結果を発表.「メヒア大統領はハイチ政府の度重なる要請にもかかわらず,国内に反政府武装勢力は存在しないといいつづけてきた.しかし現実には,軍事政権時代の虐殺犯は隠れつづけていた.我々の目的は,なぜ,どのように反乱軍がドミニカ共和国で武装し訓練できたのか」を知ることにある.
3.29 暫定政府,Yvon Neptune前首相、Jocelyneピエール警察長官,Venelジョセフ中央銀行総裁など37人に出国禁止命令.ポルトープランス市内に潜伏中のネプチューンは,「新たな魔女狩りが始まった」と述べる.
3.29 カリコム,Gerard Latortueを首相とする暫定政権を承認しないことで合意.国連総会がアリスティドの主張について調査するよう求める.しかしハイチを地域統合運動のパートナーとして重視すると強調.
3.29 ジャマイカでパターソン首相のアリスティド受け入れに対する世論調査.アメリカの自発的出国報道については信用するものが17%,追い出されたと見るものが50%.33%がパターソン首相を支持し,アリスティド受け入れを道徳的義務と感じる.いっぽうで26%が米国の圧力を恐れ,アリスティドの出国を望む.
04年4月
4.05 パウエル国務長官,ポルトープランスを訪問.Gerard Latortue首相と共同記者会見.ブッシュ政権が「民主主義の実行を推進するために」900万ドル(一国を手に入れるのにわずか10億円?)を追加援助すると述べる.米司法当局が前ハイチ大統領を収賄容疑で起訴することになるだろうと述べる.カリコムの国連への調査要請に対しては,「ハイチは地の海になろうとしていた.アリスティドには重大な生命の危険が差し迫っていた」と述べ,調査を拒否.Latortueはまもなく暫定的な選挙評議会が立ち上げられ,05年に総選挙が行われると発表.
4.23 武装集団がゴナイーヴの警察署を襲撃.警察官を暴行のうえ追い出し,囚人を解放する.フランス軍が出動し治安を回復.
4.25 Joseph Jean-Baptiste元軍曹の部隊が,Hincheの二つの警察署に放火.
4.28 沿岸警備隊,三隻の漂流船を拿捕.686人の難民をハイチに戻す.2月末からの強制送還者は1,591人に達する.
4.29 St-Michel de L'AttalayeのKa Pol村で,元兵士に支援された武装農民が襲撃.50軒に放火し,少なくとも4人を殺害.住民が,地方住民評議会の廃止と元区長(section chief)の復帰を拒否したための報復と見られる.
4.30 アリスティド,キングストンを出発し南アフリカに向かう.記者会見で「ハイチの困難は劇的に増大した。選挙で選ばれた政府を支持したために数千人が殺害されている」と語る.
4.30 内務省Liaison and Evaluation委員会,元兵士の国家警察への編入を目指し登録を開始.ギ・フィリップは2週程度の再教育を行えば,十分警察官として勤まると話す.
04年5月
5.03 カパイシアンで,武装勢力と反アリスティド派が全国港湾管理委員会の建物を攻撃.職員を銃で追いたてる.
5.06 国連安全保障理事会,カリブ共同体のアリスティド拉致事件調査の要請を拒否.米国とフランスの圧力があったとされる.トリニダードのKnowlson Gift 外務大臣はあらためてOASに提訴する.
5.06 HincheのJoseph Jean-Baptiste,軍服を着て市街のパトロールを開始すると宣言.その後,チリPKO軍との交渉が成立し,警察との協力を約束.
5.07 武装部隊,カパイシアンの教育委員会を襲撃.新任の教育委員の追い出しを図る.国連軍によって排除される.
5.07 サンマルクの武装グループRAMICOSM,住民支配を試み挑発行動.強盗,強姦,誘拐を繰り返す.なお2月以前はアリスティド派のBale Wouzeが同じように街を仕切っていたという.
5.10 米海兵隊部隊,アネット・アウグストの自宅を深夜に急襲.手榴弾で玄関を爆破したあと突入.11人の家族と友人を逮捕.逮捕者の中には5歳と12歳の幼児も含まれる.海兵隊員に向かって吠えた犬は,その場で射殺される.アウグストはソー・アンの名前で知られたハイチ・フォークソングの歌手で69歳.PROP(Pouvwa Rasembleman Organizacion Popile)の指導者でもあり,ハイチ版黒柳徹子として,貧困者のための食糧援助,ホームレスに対する支援プログラムを実施するなど熱心なラバラス活動家であった.
5.10 ラバラス最高幹部レスリ・ボルテールはハイチの法律を無視した米軍の横暴であると非難.一説によればクーデター以来すでに数千人が殺されたといわれる.
5.10 暫定多国籍軍(Multinatioal Interim Force)公共問題将校のデビッド・ラパン大佐が記者会見.「MIFが本気であることを示すためには,適切に暴力を使うことが必要である」と開き直る.
5.11 Metropole放送,アウグストがアリスティド政府の武闘派に属しており,米軍将兵への武装攻撃を狙っていたと報道.
5月 ハイチ南東部に大洪水.2000人以上が死亡,1800人が行方不明となる.1万人以上が家を失う.国連は3500万ドルの国際支援を求めるが,これまでのところ900万ドルにとどまる.
6.01 国連決議1542に基づく国連ハイチ安定化ミッションが発足。ブラジルが指揮官を務める国連軍が到着.米・仏・加の多国籍軍に代わる.
6.29 潜伏中のネプチューン前首相が逮捕される.当局は,ハイチ人権全国連合(NCHR)の告発にもとづき,ネプチューンが2月のサンマルク「大虐殺」の立案者であったと非難.NHCRは明白なうそと明白な政治的偏向,厄介な傾向で有名.サンマルク「大虐殺」についても,犠牲者が50人とするが,「死体は犬が食ってしまった」とし証拠は提出されず.一方で3月以降の大量虐殺については口を閉ざす.
7月 ワシントンで対ハイチ支援国際会議が開催される。総額10億ドルの支援を表明。
9.21 ハリケーン・ジーンがハイチを襲う。ゴナイーブを中心に死者が少なくとも1147人、行方不明者が1250人、被災者は数十万人に上る。関係者は「人々は絶望している。水も食料も持っていない。多くの人が18日の夜か19日の朝から何も食べていない」と語る。
11.07 ゴナイブ市内でハイチ抵抗戦線(FRN)が警察を襲撃。国連軍が介入。
2005年
2.21 首都ポルトープランスの刑務所を武装集団が襲撃し約500の受刑者が脱走。
2.25 ブラジル軍を主体とする国連治安維持軍 (MINUSTAH) 、ポルトープランスのベルエア地区で狙撃され、複数が負傷。住民によれば、警官が市民二人を殺害。このとき国連部隊はこれを傍観し、さらに市民に向け発砲したという。住民は警察への情報提供者をリンチにかける。
2.26 市民8人が、Village de Dieu地区で殺害される。一般犯罪によるのか、政治的動機が存在するかは不明。
2.28 アリスティッドの退陣一周年。ポルトープランスではアリスティッドの復帰を求める反政府派のデモ隊が大統領宮殿に向かおうとし、警察の発砲により2人が死亡。
3.04 ラバラスの葬儀デモ。MINUSTAHがこれを護衛し、ハイチ警察を排除。
3.20 ハイチ軍の復活を求める元軍人がプチ・ゴウヴの警察を占拠。奪回しようとした国連平和維持軍から死者。スリランカ兵、ネパール兵がそれぞれ1名。駐留以来初の死者。
3.20 国連安定化部隊 (MINUSTAH) 所属のネパール兵が射殺される。彼は中部高原インチェ近くでミレバレースとテレ・ルージュを結ぶ道路で検問を行っていた。襲ったのはRemissainthe Ravix元軍曹の率いる武装集団で、彼らは女や子供を盾にして攻撃を仕掛けた。Ravixの部隊は、2月6日にもポルトー・プランスで警官4人を殺したとされる。MINUSTAHは翌日検問所を奪還。
3.20 カパイシエンでEmmanuel Dieuseuの部隊300名が武装解除。Latortue首相と閣僚たちは現地の式典に参列。「この国は君たちのことを忘れない。独裁者に対し最初に武器をとったものとして、そしていまや社会の再建に献身する君たちの名前は歴史に書き残されるだろう」と挨拶。部隊は古ぼけたライフル6丁とウージのサブマシンガン1丁を提出する。
3.24 シテ・ソレイユでFLのデモ。「空港通り」で数千人のデモ隊に対しPNHが発砲。2.28の事態が再現される。
7.05 バークレイの米国ハイチ委員会、「国連軍がシテ・ソレイユで、数多くの非武装民間人を殺傷している」と非難。国連平和維持軍のアウグスト・エレノ・リベイロ司令官(ブラジル)は、これを否定する。
7.14 テレビ番組の司会者ジャック・ロシュ、首都市内で誘拐・殺害される。遺体には拷問のあとがあった。
7月 ハイチ警察、ジェラード・ジ ャン・ジュスト神父をジャーナリストのジャック・ロシェ殺害容疑で逮捕。ジュスト神父はアリスティードの友人である。
11月 カナダの独立ジャーナリストのアンソニイ・フェントン、AP通信のハイチ関連記事がNEDから資金 を受けているハイチのジャーナリストによるものであることを暴露。APはNED寄りのジャーナリストによる記事の掲載を停止。
12.09 最高裁判所、米国との二重国籍を持つ事業家ダマルサイス・シメウスの大統領選挙への立候補を可能とする判決。
12.10 ハイチ暫定政府、最高裁判所判事の半数を解任。最高裁によるシメウス立起の容認判決を批判する措置とされる。米国は「選挙には誰でも参加できるようにすべきだ」とハイチ政府に要請。
12.31 ハイチの選挙当局、大統領選を延期するが、期日は未定であると発表。選挙延期はこれで4回目。
12月 LAVALAS、獄中のジュスト神父を大統領候補に指名。ハイチ選管当局は神父が獄中にいることを理由に登録受付を拒否。
2006年
1.07 ハイチ平和維持軍(7500人)のウラノ・テイシエイラ・ダ・マッタ・バセラル司令官(ブラジル軍)、自宅のバルコニーで頭に銃弾を受けた死体で見つかる。報告によると、自殺と見られるが、国連、ブラジルともその見方を確認していない。ブラジル政府は国連に対し徹底的な調査を行うよう求める。
1.07 国連緊急安全保障理事会、ハイチの選挙を2月7日以前に行うべきことを決議。OASと南米共同体、国連はハイチに対し選挙期日を決定するよう要求する。過去4回にわたり延期された選挙の遅れが治安の悪化を招いているとの判断。首都ポルトープランスでは12月に79人の誘拐が起きる。
1月17日 ハイチ国連平和維持軍、「2月7日予定のハイチ総選挙をさらに延期する理由はない」と声明。選挙の実施を政府に迫る。
1.20 国連のハイチ特使フアン・ガブリエル・バルデス、国連平和維持軍派遣国会議に参加。ハイチの選挙を延期する理由はないと言明。ホセ・ミゲル・インスルサOAS事務総長は、選挙後も国際コミュニティがハイチに残留するよう求める。
1月24日 ニューヨークタイムズ、「プレバルが大統領に当選すれば、これまでの国連の努力は水泡と化すであろう」とするGinger Thompson記者の記事を掲載。
記事の要点: ハイチ現政権は重大な人権侵害を行って おり、大量虐殺をおこない、平和的な抗議運動に発砲し、反政府派を強制収容所に入れている。ハイチの貧しい地区では、暴力がエスカレートしている。Latortue首相は人びとに支持されていないことを知っており、そのために選挙を4回も延期してきた。国連は平和維持軍を派兵し、年間5億8,400万ドルをつぎ込んでいるが、Juan Gabriel Valdesハイチ特使をはじめ西側の大使たちは、国連の任務が失敗であったことを認めようとしない。
1月 最近裁判所、ジェラード・ジ ャン・ジュスト神父に対する殺人容疑について「無罪」を宣告。神父は事件当時マイアミにいたというアリバイが証明されたため。
2.05 シテ・ソレイユの住民数百人が、アリスティドの帰国を求めてデモ。「プレバル、もう待てない。アリスティドを取り戻せ」と叫ぶ。
2.07 ハイチ大統領選と国会議員選挙。投票開始時間の遅延などによる混乱で少なくとも3人が死亡。人々は長い行列、組織的問題、混乱に耐えて投票に参加。投票率は75から80%に達する。
2.15 ハイチ大統領選挙。開票率90.02%でルネ・プレバルの得票率が48.8%、レスリ・マニガ11.6%と発表される。ポルトープランスでは、1万人を超える市民がプレバル勝利確定を要求し街頭行動。
2.16 大統領選挙。プレバルがマニガとシャルル・アンリ・ベイカー(グループ18 4)を破り当選。NEDは米国議会と国務省から8,000万ドルの資金を得て、“民主化”を口実に選挙干渉。エリートと軍部と結びついたグループの活動を支援し、マスコミ・ジャーナリストに資金を供与したが、無駄に終わる。
2.18 国務省はライス国務長官の名でコミュニケを発表。「今回の選挙は、合法的でハイチの法規にかなっている」とし、ルネ・プレバル候補の勝利を認める。また「より良い未来を築くため、ハイチを支援し新政権とともに働く」と言明。
2.21 南アフリカ亡命中のアリスティッド、「出来るだけ早期」の帰国を考えていることを明らかにする。プレバルもアリスティッドを受け入れる用意があると言明。
2月 アムネスティ・インターナショナルは、ジュスト神父を「良心の囚人」に指名。彼は最近、白血病であると診断されたが、ロシェ殺人容疑が晴れたにもかかわらず、さらに武器隠匿の罪で投獄され続けている。
3月 国連PKFのヨルダン兵2人が、ソレイユ地区で民衆に殺害される。現地住民は「国連軍が先に地区の病院に発砲した」と訴える。国連軍はハイチ財界 と外国の投資家たちの圧力を受け、ソレイユ地区に対する武力攻撃を強めていた。
4.25 ハイチ議会選挙。投票率は約30%。レネ・プレバルの「希望」党は最大の得票を得たが、過半数に達せず。
5.14 ルネ・プレバルがハイチの新大統領に就任。国家の和解と経済復興を約束。また、アリスティドの帰国には憲法上は何らの障害がないと言明する。