プエルト・リコ年表

1999年4月作成

面積は3,423平方マイル(広島県と同じ).人口は350万人,合衆国本土には270万人
先住民タイノ族(別名アラワク族)はこの島をボリケン,あるいはボリンケン(Borinquen)と呼んだ.「勇敢で高貴な君主の偉大な国」という意味.
この言葉はいまでも,プエルトリコの国土,あるいは人々をさして使われる.
この島の最高峰には「フラカン」(Juracan)神が住んでいて,天候を支配したとされ,ウラカン(ハリケーン)の語源となる.

 

1493.11.19 コロンブス,第2回航海でプエルトリコに上陸.彼はこの島をサンフアン・バウティスタと呼ぶ(現在とは島名と都市名が逆).この航海には,フアン・ポンセ・デ・レオンも同行.

コロンブスをひきつけた黄金: 当時、島にはタイノ族5万人ほどが原始的な農業を営んでいた。彼らは友好の印として金塊を差し出し、好きなだけ川から持っていくように伝えたという。

 

1500

05.3.25 ビセンテ・ヤネス・ピンソンがサンファン・バウティスタのコレヒドールに任命される。

1508年

1.14 プエルトリコの最初の学校がカパラに建設される。カパラは現在のサンフアン近郊の小村.

8.08 ポンセ・デ・レオン,ボリケン殖民を認められ,北岸のビラ・カパラ(Caparra)に最初の基地を建設.

09年 スペイン王室、新大陸全土のディエゴによる支配を拒否.ポンセ・デ・レオンを,プエルトリコの初代総督に任命する.島の北部で小規模な砂金産出.スペイン人はデモーラと呼ばれる原住民使役.60万の先住民は、強制無償労働(レパルティミエント)を義務付けられ、まもなく絶滅に追い込まれる.

1510

10 タイノ族カシケの一人ウラヨアン(Urayoan)が反乱.征服者の一人ディエゴ・サルセドなどスペイン人60人が殺される.他にアゲイバナ二世の反乱など.

ウラジョアンは部下の兵士に命じサルセドを捕らえ水に漬けた。そしてスペイン人が不滅かどうか、彼らに不滅のパワーが備わっているかどうかを確かめた。数日の後サルセドは死亡し、「神話」は放棄された。それからウラジョアンは反乱に立ち上がった。

1511年

11年初め タイノ族の反乱が失敗に終わる.ポンセ・デ・レオン,原住民6千人を殺害.残りは山に逃げるか島を去る.

11年前半 法王ユリウス2世の裁定により,ディエゴ・コロンブスがプエルトリコなどコロンブスの発見したすべての土地の支配権を認められる.フェルディナント王は、ポンセ・デ・レオンに対し、ディエゴ・コロンブスに知事職を委譲するよう命令。

11年前半 ポンセ・デ・レオンはディエゴに臣従することを拒否.北部バハマ以北の探索権を与えられる.

8.08 法王ユリウス2世、プエルトリコに2つの司教区を創設。セビリャの大司教の管轄下におく.新大陸最初の司教としてサラマンカのアロンソ・マンソが任命される。

11月11日 スペイン王室、プエルトリコ島に紋章を与える。

1512年

9.26 カパラに最初の高等教育学校が創設される。

12.27 アラゴン王フェルディナンド2世,ブルゴス法を公布.征服者に原住民の保護を義務付ける.

12年 サンヘルマンの町が建設される。

1513年

1.27 最初のアフリカ人奴隷がプエルトリコに到着.カリブ族がサンフアン島を襲撃.

3 ポンセ・デ・レオン,プエルトリコを出発.バハマからさらにフロリダを目指す.

13年 アロンソ・マンソがプエルトリコに赴任.

1514年

14年 スペイン王室,スペイン人と先住民の通婚を許可.

14年 カリブ族がディエゴ・コロンブスの建設した植民地を攻撃.この植民地はダグアオとマカオの二つの川の間にあったとされる.

14 ビエケスで逃亡黒人奴隷と先住民タイノ族が共同して反乱.首長のカシマールとヤウレイボの兄弟は,別個に反乱を起こすが,ともに戦死.生き残った人々はプエルトリコに連れ去られる.Bieueは先住民の言葉で小さな島という意味.

15年7月 ハリケーンが島を襲い、多くの先住民が犠牲となる。

17年 カルロス五世,黒人奴隷4千人のカリブ地域への輸出を認める.

19年 ビジャ・デ・カパラの町は不健康とされ,捨てられる.政府庁舎はサンフアン島へ移動.

19年 法王レオ10世,プエルトリコに審問所を創設.新大陸におけるカトリックの本拠地とする.

1521年

6月 2回目のフロリダ探索中のポンセ・デ・レオン,原住民に襲われ重傷.ハバナに逃れたあと息を引き取る.

21 サンフアン島(San Juan Bautista de Puerto Rico)が正式にプエルトリコの首都と制定される.ヨーロッパ人海賊の来襲に備え,サンフアン島の守備を強化.

21年 カリブ族,プエルトリコ南岸を攻撃.

22.1.24 現存する新大陸最古の教会サンホセ教会が建設される.

23 プエルトリコに最初の砂糖農場が開設される.

23年 ドミニコ会がサントドミンゴ修道院を建設。

24.1.24 サンフアンにサンホセ教会が創立される.現存する新大陸最古の教会とされる.

28.10.11 フランス人海賊がプエルトリコ各地を襲撃.サンへルマン植民地は灰燼に帰す.初期の植民地Guanica、Sotomayor、Daguao、Loizaなどは消滅する.

29 スペイン王室,入植者のメキシコ脱出への対応として,プエルトリコ最初の売春宿の設置を許可.

30 砂糖が最大の輸出産品となる.

32 総督官邸「サンタカタリナ宮殿」が建設される.後に「ラ・フォルタレサ」と改称.

39年 スペイン,新大陸植民地防衛のため大規模な要塞の建設を決定.サンフアンでモロ要塞(San Felipe del Morro)の建設が始まる.この他サン・クリストバル,サン・ヘロニモにも要塞がつくられる.さらにプエルトリコの町の周囲を城壁で固める.

42 ココナツ栽培がマレーシアから導入される.

59年 ポンセ・デ・レオンの遺体がサンフアンに移される。

70 金山,枯渇し閉山する.

82 正式に総督制度が導入される.

95.11.22 フランシス・ドレーク,26隻の艦隊でサンフアンを攻撃.全市を炎上するも奪取できずに引き揚げる.

98 カンバーランド伯ジョージ・クリフォード三世の率いる英海軍,サントゥルセに上陸.数ヵ月にわたり島を占領.疫病の発生により支配を断念.

98 砂糖産業は他国との競争に破れ壊滅.これに代わり生姜(ショウガ)が主要輸出産品となる.スペイン人居住者は200人に減少.

99 スペイン,サンフアン再建のためアロンゾ・デ・メルカド総督を送り込む.同時に兵士400人大砲46門で防衛を強化.

1600

00 サンフアンを囲むエル・モロ城壁が完成.島内すべてのスペイン人が集められる.

16 入植者の定住が進む.アレシーボとコアモの町が建設される.

25 ボウデウィン・ヘンドリック(バルドゥイノ・エンリコ)の率いるオランダ人海賊がサンフアンを襲撃.モロとフォルタレサの要塞を包囲し,町に火をつける.結局町の攻略に失敗し撃退される.

29 プエルト・リコのサンヘルマン,フランス人海賊に襲撃される.

34 あらたにサンクリストバル要塞が強化される.六つの要塞が砂岩壁でつながれサンフアン島を取り囲む.

48年 サン・ヘルマン、ポルタ・コエリの教会が閉鎖される。

88 イギリス人,ほぼ無人となったビエケス島への入植を試みるが,プエルトリコのスペイン軍により排除される.イギリス人はビエケスをクラブ島と呼んでいた.この間ビエケスは海賊の基地として利用されていた.

92 ポンセの町が建設される.

1700

02 英海軍,アレシボを攻撃するも失敗.

17 イギリス人,ふたたびビエケス侵入を試みるも,スペイン軍により排除される.

65 プエルトリコの人口,4万5千人に達する.うち5千人が黒人奴隷だった。これはカリブ海の島の中でも最低の比率である。

86年 プエルトリコについて概説した最初の書籍「Historia Geografica, Civil y Politica de Puerto Rico」が発行される。

1797年 イギリス軍の上陸と退却

4.17 仏・西両国,英国に対し宣戦布告.ラルフ・アバクロムビー(Abercrombie)将軍指揮の64隻,7千名からなる英国艦隊が,プンタ・デ・カングレホス沖合いに錨を下ろす.

4.18 イギリス軍,サンマテオ・デ・カングレホスに上陸.司令部を置く.

4.20 イギリス軍,サンフアンに向け進軍開始.グアヤナボ,バヤモンから派遣された騎兵隊二個師団と歩兵800名が,これを迎え撃つ.

4.30 ドン・ラモン・デ・カストロ総督以下,守備隊が総力でイギリス軍に抵抗.アバクロムビー将軍はサンフアン確保を断念し撤退.

1800

00年10.16 サンファンの市立図書館が開始される.

03 デンマーク,他国にさきがけ奴隷制を廃止.続いて07年イギリス,17年フランスが奴隷貿易を廃止.

06 初めての印刷機が島内に導入される.

07 英国,本国における奴隷制を廃止.

09 カディス議会,プエルトリコなど新大陸各地に海外県の資格を付与.

1810

10 カディスのコルテスに派遣する最初のプエルトリコ選出議員に,ラモン・ポウェル・イ・ヒラルトが選ばれる.

10年 ラファエル・コルデーロ,貧困家庭の児童のために無料小学校を開設.

11 プエルトリコ総督ドン・サルバドル・メレンデス,ビエケスの本格的開発に着手.フアン・ロセジョを送り込む.

11年 ポウェルの提案したプエルトリコ内に5つの自由貿易港を開設する法案を承認.ファハルド,マヤゲス,アグアディァ,カボロホ,ポンセの五港が開かれる.

12年 カディス憲法が公布される.プエルトリコ島民にも,条件付で市民権が与えられる.

12 サンフアンの街に街灯がともされる.燃料はオリーブ油だった.

12 カディス議会,プエルトリコに市民権を付与する決定.プエルトリコで総督を含む9人の議員からなる植民地議会設立.スペイン議会にも代議員を派遣.

13年 プエルトリコで宝くじが始まる。

1815年

8.10 スペイン王室,通商自由法を制定.島民による外国との貿易を認め,外国人の入国を許可する.島民は牧畜、サトウキビ、タバコ、コーヒー産業の振興を図る.

15年 フェルナンド国王,カディス憲法の無効を宣言.プエルトリコを再び絶対王制の下に置く.

16年 ベネズエラを逃れたボリーバル,ビエケス島に一時滞在.

17 フランス,奴隷制を廃止.

18 オランダ,奴隷制を廃止.

20 スペイン,本国において奴隷制を廃止.

24 米国海兵隊,国旗を侮辱したとの理由でプエルトリコに上陸.

24 プエルトリコの海賊ロベルト・コフレシ(Cofresi),8隻の船を次々と襲撃.獲物は貧しいものにも分け与えられたという.

24 米海軍はコフレシ捕縛のため軍艦グランパス号を派遣。大尉ジョン・スロートが激戦の末,コフレシを捕獲.

25.3.25 海賊コフレシ,モロ要塞城外で処刑される.コフレシの義賊伝説はさまざまに語り継がれている。ドミニカにはコフレシという町まである。

32 フランス人ドン・テオフィロ・ハイメ・マリア・ル・ギヨー(Don Teofilo Jaime Maria LeGuillou)ビエケス知事として赴任.11年の任期中に,島の振興を図る.後にビエケスの「創設者」と呼ばれるようになる.この時点で,ビエケスはプエルトリコとは独立した植民地であった.プエルトリコ本島やバージン諸島から多くの黒人労働者を雇い入れ,砂糖産業が発展.このとき作られたいくつかの砂糖工場は,そのまま地名となって残っている(プラヤ・グランデ,サンタマリア,プエルト・レアル,エスペランサ)

33 英国,海外領土においても奴隷制を廃止.

35.6.25 マリア・クリスティナ女王,スペイン領植民地における奴隷通商を廃止.

39 ポンセのラ・ペルラ劇場がオープンする.

39 エル・モロに最初の灯台が設置される.

44年 プエルトリコ総督ミラソル侯爵,ビエケスをプエルトリコの行政単位に編入することを決定.市庁所在地として,「イサベル二世」の町が建設される.ミラソルはビエケスに砦を作るよう指示.

45年 統計使節団による本格的な国勢調査が実施される。白人22万、自由黒人18万、奴隷5万、合計44万人。

49年 初の公営競馬が開催される。

51年 ファン・デ・ラ・ペスエラ・セバジョス知事、王立アカデミーを創立。教員免許制を施行し、学校を公立化するなど島の知的進歩に貢献する。

54 ビエケス,プエルトリコに編入される.

55 サンクリストバルの砲兵隊が,王制に対し反乱.反乱軍は要塞を24時間に渡り占拠,砲身が市街地に向けられたことから市内はパニックに陥る.

55 ビエケスにラテンアメリカ最後の砦が竣工.ミラソル侯爵砦と命名される.

59.3.01 プエルトリコで電信サービスが始まる。

63年 エウヘニオ・マリア・デ・オストが植民地制度を批判する小説を発表。当局により発禁処分を受ける。

1865年

12.25 スペイン政府,保守派の反対を押しきりキューバに16議席,プエルトリコに4議席を与える勅令決定.選出された議員の大半はクリオージョの改革主義者.

1866年

4 ニューヨークに本部を置くキューバ・プエルトリコ共和主義協会,「人種や皮膚の色にかかわらず,すべての住民のための自由」を訴える.奴隷制廃止は一部地主層までふくむ共感をかちとる.

7 スペイン本国で,自由連合のレオポルド・オドンネル内閣失脚.植民地改革に敵対するナルバエス内閣に交代.植民地代表を含む新議会の開催は見送られる.

1867年

4.16 ニューヨークで「キューバ,プエルトリコ独立協会」設立.両島における革命の準備に乗り出す.

67年 この年プエルトリコの人口は656,328人.346,437が白人で309,891人が「有色」人種.文盲率は83.7%に達し,多くが無知と貧困に苦しめられる.

 

1868年  ラレスの叫び

1.06 ラモン・エメテリオ・ベタンセスとセグンド・ルイス・ベルビス,亡命先のドミニカでプエルトリコ革命委員会を創立.武装蜂起を呼びかける一方,義勇軍を組織.

2.24 ベタンセスの呼びかけに応え,ラーレスで「セントロ・ブラボ」(革命評議会)を結成.ベネズエラ生まれのマヌエル・ロハスが中心となる.ほかの幹部にマチアス・ブルックマン,ホアキン・パリージャ,フランシスコ・ラミレスなど. 

9.18 本国で自由主義革命成功(栄光革命).イサベラ女王はフランスへ亡命.臨時政府は出版,結社,教育,信仰の自由を宣言.「半島だけでなくすべての海外の兄弟の利益をも代表する」と声明.しかしキューバ・プエルトリコにおける奴隷解放には強固に反対.

9.23 ラレスの叫び.ラレス近郊マヌエル・ロハスの農場で数百の反乱兵が決起.マチアス・ブルックマン、ホアキン・パリージャ、フランシスコ・ラミレスらが指導.ラレスの街のスペイン軍基地を攻撃.市内の労働者や黒人奴隷も決起し臨時政府の樹立を宣言.捕らえられた役人,軍人は絞首刑に処せられる.蜂起は当初9月29日の予定だったが,内通者が出たため急遽早めた.

9.23 この蜂起はただちに鎮圧されるが,プエルトリコが反乱を開始したというニュースがキューバ全土を駆けめぐる.ロハスは死刑を宣告されるが,まもなく恩赦を受ける.

69 プエルトリコに最初の政党が結成される.

1870年

6.04 モレート(胎児)法が承認される.この法律により,1868年9月17日以降に生まれた奴隷,60歳以上の奴隷が解放されることになる.奴隷制廃止を主張した人にベタンセスら独立派のほか,ロマン・バルドリオティ・デ・カストロ,ホセ・フリアン・アコスタ,ルイス・パディアル,フランシスコ・マリアノ・キニョネス,フリオ・ビスカロンドらの自治主義者.

11 スペイン行政府,プエルトリコに最初の本格的政治組織として,自由改革党と自由保守党の結成を認める.保守党(ホセ・フェルナンデス,パブロ・ウバリ,フランシスコ・パウラ・アクナら)は一切の改革を拒否.改革党(バルドリオティ,アコスタ,ニコラス・アグアジョ,ペドロ・ヘロニモ・ゴイコら)は,本土並みの権利獲得を目指す派と,本土からの自立を求める派に分かれ論争.バルドリオティが自治主義者の代表として本国コルテスの議員となる.

1873年

3.22 スペインで共和主義革命成功.王室派は,プエルトリコの奴隷制度を廃止すると宣言.共和国政府は奴隷制維持の方向.プエルトリコの廃止論者は,本国議会を相手に,さらに運動を強める.アコスタ,キニョネス,ビスカロンドら自治主義者,ベタンセスとベルビスら独立派が中心となる.

73 自由保守党,無条件スペイン党と改称.自由改革党は改革連邦党と改称.

1874年

3.22 スペイン国民議会,プエルトリコの奴隷制度を廃止する決議.奴隷所有者は総額3千5百万ペセタの補償金を受け取る.奴隷は解放される前に3年間のお礼奉公を強制される.プエルトリコからコルテスに選出されたサンローマ,議会で演説.「奴隷解放にあたっては所有主に対する補償は,信用供与や奴隷の教育費などにあてられるべきだ」と主張.議会では認められず.

74 バルドリオティ,ポンセに戻り「エル・デレーチョ」紙を発行.独立を訴えるが,政府の弾圧を受けドミニカに亡命.

74年 プラヤ・グランデ農場の労働者が反乱.70人が捕らえられ要塞につながれる.

85 アデュンタス産のコーヒーが世界最高の評価を受ける.

87.3 ラモン・バルドリオティ,改革党左派を糾合しプエルトリコ自治党を結成.ホセ・セルソ・バルボーザ,ロセンド・マティエンソ・シントロン,ルイス・ムニョス・リベラらが結集.すべての政治的課題に対しプエルトリコ自身が決定権を持つことを要求.国民意識の高揚を図る.

88 バルドリオティは反政府運動の罪でモロ要塞に投獄され,まもなく死亡.

1890年

90 自治党のムニョス・リベラ,新聞「民主主義」を創刊.

91 鉄道建設が開始される.

92.3.4 ニューヨークのスペイン語紙「祖国」,キューバ革命党の綱領全文を一面に掲載.以後,事実上の機関紙となる.編集長のソテロ・フィゲロア(黒人)はプエルトリコ出身でニューヨーク在住の独立派活動家.

1893年

8.16 史上最悪のハリケーンが島を襲う.

10.05 島内最大のプエルトリコ大衆銀行が設立される.サンフアンに電気照明が始まる.

93 ビエケス島イサベラ・セグンダの港に,プエルト・ムラス灯台が作られる.翌年には南岸のプエルト・フェロにも灯台.これは現在,キャンプ・ガルシアの内側にある.

95.12.22 プエルトリコの国旗が定められる.

1897年

3.24 プエルトリコの独立派,ヤウコの町で蜂起.

11.22 スペイン政府,自治憲章を公布.キューバとプエルトリコにコルテスに送る議員の普通選挙権を認める勅令.またプエルトリコに対しては二院制の立法院を設立するなど大幅な自治を認める.

11.25 自治憲章が本国議会を通過,プエルトリコに自治が認められる.二院制の立法府が創設され,行政評議会は8人の選出議員と7人の指名議員より構成.下院は住民2万5千に1名の割合で選出されることになる.

97 サンフアンで電話サービスが開始.

1898年 米西戦争

2.09 プエルトリコ,自治憲章を採択.スペインから自治権を承認される.総督の地方自治に対する干渉はできなくなる.新政府が開設.マヌエル・マシアス総督が自治憲章に基づく統治を行う.

3.10 キューバ革命党プエルトリコ支部の指導者フリオ・エンナ,ロベルト・トッド,キューバとともにプエルトリコ解放にも米国が支援するよう,大統領や議会への働きかけを開始.

3 プエルトリコ総選挙を実施.自治政府樹立.15名からなる行政評議会の過半数を公選された現地人が占めることとなる.

4.24 スペイン国防相セギスムンド・ベルメホ,セルベラ提督に対しカポベルデの艦隊をキューバに進攻させるよう指示.

4月 米第4砲兵師団のヘンリー・ホイットニー中尉,陸軍情報局の指示を受け,プエルトリコで偵察行動.プエルトリコの地図とスペイン軍情報を持ち帰る.

5.10 ウィリアム・クリントン・ワイズ少佐の率いる米軍艦イェール,サンフアンに来襲.サンクリストバル基地のスペイン軍とのあいだに砲火を交える.

5.12 ウィリアム・サンプソン退役提督の率いる12隻の米艦隊がサンフアンを砲撃.

6.25 米軍艦ヨセミテ,サンフアン沖合いで海上封鎖に入る.

1898年7月 米軍の攻撃

7.17 スペインの認可を受け,プエルト・リコ独立政府が正式に設立.

7.18 ネルソン・マイルス将軍,プエルトリコ進攻の指令を受ける.

7.21 戦艦マサチューセッツと5隻の輸送船に3千3百名の兵を乗せたプエルトリコ攻撃部隊が,グアンタナモを出発.

7.25 ネルソン・マイルス将軍,1万6千の将兵とともにポンセ近郊グアニカ海岸に上陸.軍を三つの部隊に分け,サンフアンに向け北上するよう指示.

7.26 米軍,ポンセにつながる幹線鉄道を確保.ポンセ攻撃にはいる.

7.28 米軍,ほとんど抵抗を受けないままポンセを占領.スペイン軍は付近の山岳地帯に待避.マイルズ将軍が全土に向け「占領宣言」を発する.米軍侵攻はプエルトリコに自由をもたらすためのものと説明.マイルスは8月初めまでポンセにとどまり全土制圧作戦を指揮する.

7.31 セオドア・シュワン将軍の部隊,グアニカに上陸.

1898年8月

8.05 ブルックス将軍,ポンセ西方45マイルのアロージョに上陸.

8.6 ブルックの部隊,グアヤマを占領.シュワンの部隊,アレシーボに進出.

8.8 ブルックの部隊,カジェイ(Cayey)に進出.ガイ・バーノン・ヘンリー将軍の「暫定師団」,ポンセを出発.中央山地を抜けウトゥアードに達する.アレシーボでシュワンの部隊と合流.

8.9 ウィルソンの部隊,コアモに到達.スペイン軍守備隊と激しい戦闘となる.167名を捕虜とする.さらにアイボニートに進み山岳地帯に潜むスペイン軍と激戦を展開.シュヴァン将軍の部隊,プエルトリコ第三の街マジャゲスをめざしヤクオを出発.サバナ・グランデおよびサン・ヘルマンに達する.オルミゲーロス付近でスペイン軍との遭遇戦開始.

8.10 シュワンの部隊,オルミゲーロスでスペイン軍の防禦線を突破.

8.11 シュワン軍,スペイン部隊を駆逐しマジャゲスに入る.

8.12 ヘイン将軍の部隊,グアヤマを占領し,カジェイに迫る.

8.12 スペイン,サンチアゴで降服文書に調印.米西間の停戦協定発効.シャフターはキューバ独立軍総司令官のカリスト・ガルシア将軍が調印に参加するのを拒否.マッキンレイと調停役のフランス大使ジュール・カンボンの間で和平案がまとまる.キューバ独立とプエルトリコ割譲については合意,フィリピンの扱いについてはパリ会談に持ち越されることとなる.これに伴いブランコは総督の任務を停止する.ゴメスはナルシサに司令部を進出させ,スペイン撤退に備える.

8.12 ラス・マリアスに向け敗走中のスペイン軍が投降.プエルトリコ西部一帯が米軍の支配下に入る.

8.13 プエルトリコの米軍各部隊,停戦命令を受け進撃を中止.マイルズ将軍が占領軍総司令官兼執政官となる.市民法と裁判所を設置,港を開放し,為替・関税・徴税事務を管理下に置く.

9.09 サンフアンで両国代表が会見.スペイン軍撤退と引渡し過程についての交渉開始.

9.16 プエルトリコ独立を求めつづけたラモン・エメテリオ・ベタンセス,亡命先のパリで客死.

9.29 マシアス総督,プエルトリコの譲渡を正式発表.米国の管理下に入る.

10.1 パリで和平条約交渉開始.

10.18 スペイン軍のサンフアンからの撤退完了.ブルックス将軍が初代プエルトリコ弁務官に就任.ポンセ州(ヘンリー将軍)とサンフアン州(F.D.グラント将軍)に分ける.自治政府を解散させ,権力を新たに創設した最高裁に移管.

10 ホセ・セルソ・バルボーサ,プエルトリコ共和党を設立.国家としての独立を主張.

12.9 プエルトリコ弁務官のブルック将軍,ラドロウに代わるキューバ弁務官として転任.プエルトリコ弁務官には第二師団長のヘンリー将軍が就任.

12.10 パリ講和条約.米国は2千5百万ドルと引き換えにプエルトリコ,フィリピン,グアムを取り,キューバへの支配権を獲得.キューバ人,フィリピン人は条約への参加を拒否される.米西戦争での米軍犠牲者は3千.その9割が伝染病によるもの.プエルトリコはスペインから米国に移譲される.米軍総督による統治下に置かれ軍政はそのまま継続されることとなる.

1899年

2.06 米上院,パリ条約を批准.

5.09 プエルトリコ軍事総監,ヘンリー将軍からジョージ・デイビス将軍に変更.国名はプエルト・リコからポルト・リコに変更.ドルが唯一の通貨となる.1ペソが60セントで算定される.集会・言語・マスコミ、宗教の自由が定められ,公務員のための8時間労働日が確立.公立学校制度・郵便制度が導入され,道路・橋梁などインフラ整備に力が注がれる.

6 サンチァゴ・イグレシアス・パンティンら,社会主義労働党を創立.

8.08  プエルトリコに史上最大規模のハリケーンが襲う.洪水のため住民3千4百人が死亡.米国資本はこの経済危機に乗じて土地買い占めに走る.

8月 ルイス・ムニョス・リベラ,「エル・テリトリオ」紙を発刊.

10月 ルイス・ムニョス・リベラ,アメリカ連邦党を創設.

99年 プエルトリコ人よりなる最初の中隊が、アメリカ植民地軍の一部として組織される.

 

1900年

1 米国,プエルトリコ総督府をポンセからサンフアンに移動.初代民間人弁務官にチャールズ・アレンを任命. 

3.19 米国とプエルトリコのあいだの関税を撤廃.マッキンレーはプエルトリコには自由貿易が必要と強調.プエルトリコの経済主権を事実上剥奪.

4.12 フォレーカー法(1900年組織法)成立.Joseph B. Foraker上院議員の提案になるもの.米国の管制下に民政府を設置することが決まる.米国大統領が任命する米国人弁務官が統治にあたることとなる.弁務官は行政評議会の決定を拒否できるなど,西領時代以下の属領(unincorporated territory)となる.

5.01 プエルトリコ,フォレイカー法に基づき民政府に政権移管.初代民政官チャールズ・アレンが着任.米大統領の指名する11名の評議員よりなる行政評議会が発足.プエルトリコ人民に合衆国市民権は与えられず,米国の直接統治下に置かれることとなる.農場規模を5百エーカー以下とする法律が施行されるが,実際にはまったく死文化.

6.05 米政府,アレン弁務官の下に執行委員会(内閣)を設置.

執行委員会はプエルトリコ人5人に対し,米国人6人で米国人が過半数を確保.主要閣僚は米国人が独占.
プエルトリコ人メンバーは,Jose Celso Barbosa, Rosendo Matienzo Cintron, Jose de Diego, Manuel Camunas, Andres Crosas
米国人メンバーは,ウィリアム・ハント(首相),J.H.ホランダー(蔵相),J.R.ギャリソン(監査役),W.B.エリオット(内相),ジェームズA.ハーラン(司法長官),M.G. ブランボー(教育長官)
 

6月 ブランボーの下に教育省が設置される.授業はすべて英語で行われ,スペイン語は特殊授業としてのみ扱われる.

11.06 新法の下で初の選挙が施行される.有権者は12万3千人.当時識字率は極めて低く,人口の85%が読み書きができない状態.

12.02 最初の立法議会が開かれる.

1901年

3.04 ホランダー法成立.ワシントンにプエルトリコ住民委員会事務所設置.初代住民代表にフェデリコ・デへタウ(Degetau)が就任.

01年 労働者自由連合(FLT)結成.AFLと連携をとりながら発展.政党としてはプエルトリコ社会党と連携.

02年 キューバ独立.米国はポルトリコをひきつづき属領下におくと宣言.「アメリカ化」政策が開始され,英語が必須の言語となる.プエルト・リコ刑法は合衆国法に取り替えられ,学校教育のカリキュラムからはプエルト・リコの歴史が削除され,プエルト・リコ国歌を歌うことや国旗を掲げることは犯罪とされる.

02年 ポルトリコ国家警備隊が創設される.

02年 ポルトリコ電話会社が設立される.

1903年

1.17 ルキージョ(Luquillo)の森が米国唯一の熱帯雨林として国有林に指定される.

3.09 プエルトリコ大学創設.サンフアン近郊のリオ・ピエドラスに建設される.

3月 ルーズベルト大統領,クレブラ島を米海軍の統制下に置くよう指令.

1904年

04年 最初の普通選挙権が確立.21歳以上の男性全員に選挙権が与えられる.ルイス・ムニョス・リベラとホセ・デ・ディエゴ,プエルトリコ統一党(Unionist Party)を結成.フォレイカー法の下に作られた植民地政権との闘いを開始.

04.7.04 ビークマン・ウィンスロップが民政官に就任.

06.12.11 ルーズベルト大統領,パナマからの帰途プエルトリコを訪問.議会で演説.プエルトリコ人がアメリカ合衆国市民になることを勧告.

08年 自動車運転免許証の発行が開始される.

08年 プエルトリコに映写機が持ち込まれる.映画は"Cine Puerto Rico"と呼ばれるテント小屋で上映される.

09 この年初め,プエルトリコ自治政府府内で混乱.これに対処する形でフォレイカー法に付随するオルムステッド修正が米議会を通過.司法制度の運用に関して米大統領の諮問委員会が後見することを定める.

1910年

10.6 21歳以上の男性による普通選挙実施.統一党が勝利.トゥリオ・ラリーナガをワシントン代表に送る.

11年 セオドア・ルーズベルト,プエルトリコを訪問.プエルトリコ住民が米国市民となるよう勧告.

12年 米国からの完全独立を目指す独立党結成.ロセンド・マティエンソ・シントロン,マヌエル・ゼノ・ガンドゥ,ルイス・ジョレンス・トレス,エウヘニオ・ベニテス・カスタニョ,ペドロ・フランセッシらが指導.党そのものは短命に終わるが,その後長期に続く独立運動の先駈けとなる.

12.6.29 聖隷教会がインター・アメリカン大学を創立.

14.8 プエルトリコ人として初めてマルティン・トラビエソ(首相)とマヌエル・ドメネチ(内相)が誕生.これにより執行評議会の過半数を現地民が握ることとなる.

14年 政府が業務を各郵便局に委託して運営する貯蓄銀行、サンファンで営業開始.

15 ビエケスで砂糖農場労働者の大規模なストライキ.労働条件の改善を実現.この闘いで数人が殺され,100人以上が要塞に閉じ込められる.

15 プエルトリコ使節団,アーサー・イェイガー知事に伴われワシントンを訪問.議会両院に自治権拡大を訴える.ルイス・ムニョス・リベラら自治主義者も権利拡大の働きかけ.

16.12.05 プエルトリコの自治と市民権の拡大を含むジョーンズ法,議会で承認される.

ジョーンズ法の骨子
プエルトリコはアメリカ領土となる (準州:organized but unincorporated).全てのプエルトリコ人は合衆国市民として扱われる.ただしかなりの島民が反米的とされ,権利を制限される.軍隊への志願も許可される.
またプエルトリコにおける三権分立を確定.権利章典を公布.米国大統領がそのメンバーを指名する執行評議会に代わり,上下議会を選挙することを認め,4年に一度の総選挙を定める. しかし米議会へ代表を送る権利は認められず.
英語が公用語として定められる.地方行政府の財政・金融執行権は引き続き米政府が掌握.
 

1917年

3.02 ウィルソン大統領,ジョーンズ法に署名.背景に,第一次世界大戦への参加を想定した兵力増強策.

5月 ウィルソン米大統領,徴兵制度令に署名.

7.06 ジョーンズ法に基づく第一回目の選挙が実施される.19人の上院議員,39人の下院議員が選出される.

8月 第一次世界大戦開始.戦争中プエルトリコからは約2万人が応召される.内七千人が死傷するなど高い消耗率.

18年10月11日 プエルトリコに大地震.6メートルの高波が押し寄せる.

1918 ニューヨーク在住のプエルトリコ人、アメリカ社会党のプエルトリコ人委員会を結成。指導者のヘスス・コロンはまもなく米国共産党に入党。プエルトリコ人労働者同盟(Alianza Obrera Puertorriquena)をつくり、労働者の組織に乗り出す。また労働者学園(Ateneo Obrero)を作り労働者を教育。

19年 米陸軍予備将校訓練師団(ROTC)計画が発足.学生に軍事訓練の義務を課す(1960年以後は志願制になる)

20年 総選挙で社会党のサンチアゴ・イグレシアスが上院議員に当選.初の左派議員が誕生.

21年6.03 ジョンソン法が成立.ヨーロッパ人の出入国管理を,既存の外国生まれの人口の3%に制限.外国人枠に入らないプエルトリコ人は,大挙して米国への移民を開始.

1922年

9.17 プエルトリコ国民党が創設される.プエルト・リコの合衆国からの独立を要求.

22年 連邦最高裁,プエルトリコは合衆国の一部ではなく領土であり,合衆国憲法の効力はおよばないと裁定.

23年 プエルトリコでヘスス・コロンの指導を受け最初の社会主義の新聞「正義」(Justicia)が発刊される。

25年 フォート・ブキャナン基地(旧称フォート・マイルズ)が大幅に拡充される.

1929年

1月 パンナムがマイアミ=サンフアン便の運行を開始.航空郵便事業も開始される.

11月 ウォール街株式市場崩壊.大恐慌がプエルトリコを襲う.広範囲にわたる飢え、失業に対する破壊的な影響.銀行・農民が破産.落ち込みは、10年にわたって続く.

29年 女性にも参政権が与えられる.ただし読み書きのできないものは除外される.

1930年

30年 ペドロ・アルビス・カンポス,国民党総裁に選出される.武装闘争をもってしてもアメリカから独立を勝ち取れと主張.その後合計25年にわたり刑務所生活を送る.

ペドロ・アルビス・カンポス:Pedro Albizu Campos
1891年9月にポンセで生まれる.オハイオ大学で化学を学んだ後,ハーバード・ロースクールに進む.その後独立運動に目覚め,ラテンアメリカ各地で支援を訴える.30年に請われて帰国.国民党総裁に就任.

30年 ビエケスでも砂糖不況.砂糖工場が閉鎖され,数千人が職を求めサンクロワに移住.

31 ハーバード大学のコーネリアス・ローズ医師,貧血症に関するロックフェラー財団調査団の一員として島に入る.彼はガン細胞を島民に注射する人体実験を行う.ローズは友人あての手紙で「実験の結果,8人が死亡した」と告白.

32.5.17 米議会,国名をプエルトリコに戻すことを承認.

32.9月30日 ハリケーン「サンCiprian」が来襲.200人の人々が死,1000人の負傷者、資産損害が40,000,000ドルに達する.

1933年

5.09 プエルトリコで闘鶏が合法化.

9.23 プエルトリコ勤労者解放党(共産党),ラレス蜂起の日を記念して創立される.独立と社会主義を旗印に掲げる.

33年 ブラントンWinship,プエルトリコの知事にブラントン・ウィンシップが任命される.プエルトリコ警察署長にはリシャ・フランシス・リッグス(Riggs),連邦地裁判事にはRobert A. Cooper.

33 プエルトリコの危機を救済するため,経済援助計画PRERAが始動する.

33年 シスト・エスコバル,プエルトリコ最初のボクシング・チャンピオン(WBA)となる.

34 フランクリンD.ルーズベルト大統領,サンフアンを訪問.プエルトリコ再建計画(PRRA)を発表.農業改革,公共事業,島の電化などを盛り込む.

34 砂糖労働者のゼネストが勝利.ペドロ・アルビス・カンポスの率いるプエルトリコ民族党が全面的に支援。

1935年

5.28 レクスフォード・タグウェル知事が着任.プエルトリコ再建対策部 (PRRA) が業務を開始.

10.24 リオ・ピエドラスの虐殺事件.リオ・ピエドラスのプエルトリコ大学で,国民党系の学生の集会を警官が弾圧.学生に死者が出る.

1936年

2.23 国民党の活動家ハイラム・ロサドとエリアス・ボーシャン,大学殺人事件の報復を唱え,コロネル・リッグス警察長官を暗殺.二人は直ちに逮捕され,警察署内で虐殺される.国民党は,さらにポンセを中心にテロ活動を展開.

 

 

 ペドロ・アルビス・カンポス

 

7.31 リッグス殺害を指示したとして,国民党幹部に6−10年の禁固刑.アルビス・カンポス,フアン・アントニオ・コレティエル,クレメンテ・ソト・ベレスら7人が服役.

36年 女性に対する選挙権の制限が撤廃される.

36年 海軍がクレブラ島の訓練基地建設を決定.

1937年

3.21 ポンセの虐殺事件が発生.ポンセの町で国民党の主催する反米デモに警察の弾圧.20名(一説に37名)が死亡し,100名(一説に200人)が負傷.カンポスらはプエルトリコからアトランタ刑務所に移送・収監される.カンポスは後に放射線被曝の人体実験の材料にされたと告発。このあと国民党の影響力は衰退.

37 港湾労働者のスト,全島に拡大.プエルトリコ共産党が指導.またCIOの指導するアメリカの港湾労働者も、プエルトリコに代表を送るなど闘いを支援する。

37年 ポンセのMercedita空港が営業を開始.

38 ルイス・ムニョス・マリン,プエルトリコ民主大衆党(Partido Popular Democratico)を設立.プエルト・リコを「自由連合州」とする運動を展開.政治的地位をあいまいにしたまま,経済発展と生活向上により問題解決を図る.党章には「パーバ」(麦わら帽子)をまとった「ヒバロ」(農民)の横顔,その下には「パンと土地と自由」のスローガン.

39 アメリカ海軍,ビエケス島(14千ヘクタール)の4分の3を1400万ドルで強制収用.島民の約半数が強制移住を迫られる.

1940年

40 米国議会,プエルトリコ人にアメリカ市民権を与える.

40年 サリナスにプエルトリコの国家警備隊トレーニング施設キャンプ・サンチァゴが建設される.

40 プエルトリコ上下両院議会選挙.人民民主党のルイス・ムニョス・マリンが勝利.「土地とパンと自由を」のスローガンをかかげ自治権の拡大を目指す.独立派と州昇格派は敗れる.

40 米国の企業と対決する砂糖労働者の闘争の中から、自由労働者連合(FLT)と対抗して労働者総連合(CGT)が結成される。

1941年

3.17 海軍,ビエケスとクレブラ島に軍事基地の建設を開始.3500万ドルを費やし,三つの港,弾薬庫,射爆場,上陸演習場を作る.ルーズベルト・ロード海軍補給地は世界でも有数の海軍基地となる.

この年,ビエケスの人口は10,362人,砂糖生産は8千トン.
砂糖キビ栽培地がほぼすべて軍用地となったため,砂糖産業は壊滅.残った「プラヤ・グランデ」精糖工場も42年を最後に操業を閉鎖.その後建設ブームが去るとともに,島の人口は1万人から七千人に減少.多くは小アンティル諸島のサン・クロワへ移住.残った住民も,島の中央部,サンタマリアとモンテサントに集中.ビエケスのみならず,プエルト・リコの土地の12パーセントが軍によって占有されている.

41 Rexford Guy Tugwellが知事に就任.

42.5.11 第188号法が成立.産業開発公社(ICD:テオドロ・モスコーソ総裁)を管理する.「手に職を」(Manos a la Obra)のスローガン.

43.4.02 タイディング(Tydings)上院議員,プエルトリコ独立をもとめる法案を議会に提出.

44 プエルトリコ総選挙.引き続きムニョス・マリンが勝利.

44 「産児制限運動」が展開される.出産可能な年代女性の1/3に強制避妊措置がとられる.

45 米本国で第二次大戦後の好況.プエルトリコ人の大量移入が始まる.

1946年

7月7日 パンナム,ニューヨーク直通便をスタート.

7.21 トルーマン大統領,プエルトリコ出身のヘスス・ピネイロを弁務官に任命.

46 ムニョス・マリン,党の方針から政治的独立のスローガンを外す.党内反対派は独立党を創設する.

46 国連,プエルトリコには完全な行政組織が未確立であるとし,米国政府に改善を勧告.以後52年まで毎年,勧告を繰り返す.

1947年

8.05 米議会,国連勧告に基づき,プエルトリコの弁務官公選制法案を承認.プエルトリコ弁務官は廃止され,知事が行政評議会(上院)の同意の下に内閣を構成することとなる.また島の最高裁の判事の指名権を与えられる.

12.15 カンポスら,刑期を終え出獄.プエルトリコに戻る.直ちに国民党を再建し,武装闘争の準備を開始.

47年 米国内務省,ビエケス全島の基地化と,全住民のサンクロワ島への移住を計画.住民の反対で流産. 

1948年

7月 プエルトリコ議会,「米国と自由意志により連合した独立国」と規定する「憲法」を制定.

8.15 プエルトリコの指定施設内での賭博が合法化される.

10月 国民党の活動家(Raimundo Diaz Pacheco, Domingo Hiraldo, Roberto Acevedo,Manuel Torres,Gregorio Hernandez),ピニェイロ知事の暗殺を試みる。警備隊の反撃により5人のうちの4人が射殺される.

11.02 プエルトリコで初の直接選挙による知事選挙.人民民主党のムニョス・マリンが61.2%を獲得し当選.不正選挙に怒る市民の暴動発生.

48年 プエルトリコ大学の学生,ペドロ・アルビス・カンポスの招待講演を申請.ハイメ・ベニーテス学長はこの申請を却下.学生はストライキで抗議.大学側は官憲を導入しストを弾圧.

1949年

1 マリン,知事に就任.「靴紐作戦」と呼ばれる輸出指向型軽工業中心の工業化政策を開始.マリンは農業中心の産業構造が経済的遅れ・政治的従属の主要要因と考えた.

靴ヒモ作戦
「自治政府」は靴ヒモ作戦と呼ばれる米国企業の誘致政策を軸に工業化をはかる.プエルト・リコで操業を行う合衆国企業に,12年間の納税免除などの税制優遇措置.低賃金に惹かれ繊維,電気,石油化学などの企業が進出.この結果,国内総生産はその後の10年で2倍になるが,農業は著しく弱体化し,食糧自給が不可能となる.今日プエルト・リコで消費される食糧の85%は合衆国から輸入されることになる.

49 州昇格を目指す「プエルトリコ州共和党」が結成される.

49 プエルトリコ・カトリックの大学は、創立.

49 カリブ・ヒルトンホテルが営業開始.政府系公社Fomentoが700万ドル以上を出資.

1950年  国民党による反米闘争

4.25 ニューヨークタイムズ,「国防長官が,細菌戦争の準備は完了間近だと断言した」と報道.

7.04 トルーマン大統領,「プエルトリコ連邦関連法」(600号法)を議会に提出すると発表.プエルトリコは「自由連合州」(コモンウェルス)となり,独自の憲法を持ち,政府を樹立し,内政についての自治権を与えられる.

9.23 アルビス・カンポス,米軍がプエルトリコで細菌戦の研究を行っていると非難.

9 朝鮮戦争へのプエルトリコ青年の参加をきっかけに,全島で反米運動が燃え上がる.中部ハユヤ市では,国民党が市庁舎を占拠して独立共和国を宣言した.48時間後に鎮圧.サンフアンでは米軍が戦車と大砲で鎮圧にあたり,30人以上を殺害,千人を逮捕.

10.30 5人の国民党員が知事官邸を襲撃。ムニョス・マリン知事暗殺を試みるが失敗。全員が逮捕・処刑される.これを機に国民党に対する大弾圧。全島で34人が殺される。

10.31 ワシントン在住の国民党員オスカル・コリャソとグリセリオ・トレソーラ,トルーマン大統領暗殺を試み,大統領私邸ブレア・ハウスに侵入.シークレット・サービスを死傷.トレソラはその場で射殺される.当時トルーマンは,ホワイトハウス改修のため,市内のブレア・ハウスに住んでいた.

11.01 射殺されたトレソラの服から「ためらわず決行せよ」と書かれたカンボス議長の手紙が発見される.捕らえられたコリャソは,襲撃の目的がトルーマン暗殺にあったことを自供.いったん死刑判決を受けたあと、トルーマン大統領により終身刑に減刑される。

11.03 米当局,トルーマン暗殺未遂事件の黒幕としてカンポスを逮捕.カンポスは懲役72年の判決を受け,サンフアンのラ・プリンセサ刑務所に収監される.

11月 事実上言論の自由を剥奪する刑法改正案が成立.国民党活動家を中心に5千人以上が拘束され,権利を制限される.

50年 米本土の農場における人手不足解消のため,プエルトリコの農業労働者の強制移住が行われる.

1951年

51.7.04 米議会で「プエルトリコ連邦関連法」(600号法)が成立.これにより米政府は,国連非植民地化委員会にプエルトリコの状態を報告する義務を免れる.

51 プエルトリコ議会,プエルトリコ共和国(Commonwealth of Puerto Rico)を宣言.外交,司法,防衛,出入国管理は連邦政府の手に残される.これをめぐり州昇格派,独立派が猛反対.独立党の支持は減少し州昇格党が力を増す.

51 米海軍,プエルトリコ大学に放射能実験施設を建設.

1952年

3.03 プエルトリコ国旗が制定される.デザインは95年に愛国者たちが製作したもので,キューバ国旗とほぼ同じデザイン.

7.04 ムニョス・マリン、「プエルトリコ自由連合州」(Commonwealth of Puerto Rico)の成立を宣言。

7.25 国民投票により「プエルトリコ自由連合州憲法」制定.憲法を初めとする公用語としてスペイン語が復活.しかし教育,行政,司法部門では依然として英語の使用が要求される.

11.04 マリンが64.9%で知事に再選される.

52年 可耕地の8割を米資本が所有.砂糖プランテーションで機械化が進む.余剰人員は米国(主に東部)にわたり移民労働者となる.一方安い労働力を求め,集約型産業が島内に進出.女子労働者に不妊手術を奨励.出産適齢女性の35%(20万人)が不妊手術を受ける.また公共住宅入居の条件として経口避妊薬の服用が強制される.工業部門の成長と石油化学プラントの流入により,島の環境汚染が進む.

1953年

4.04 ビエケスの酒場で,海兵隊員がラムのお代わりを注文.これを拒否した二人の70台老人が,海兵隊により暴行を受け死亡.軍事裁判の結果,犯人は無罪となる.

53年 この年,プエルトリコから米本土への移民は最大数に達する(69,124人).大部分はニューヨーク、ニュージャージー、フロリダに定着.

53年 この年,カンポスらに放射能暴露の人体実験がおこなわれたという.

1954年

3.01 プエルトリコ国民党の活動家4名(ロリータ・レブロン,ラファエル・キャンセル・ミランダ、アービン・フロレス、アンドレス・フィゲロア)が,国旗と銃をかざし「独立」を叫びながら米議会に乱入.傍聴席から銃を乱射し、下院議員5名を負傷させる.4人はその場で捕らえられる.

3.02 現地当局は民族主義者とプエルトリコ共産党幹部(フアン・サントス・リベラ議長,パブロ・ガルシア・ロドリゲス,フアン・サエス・コラレスら)を一斉摘発.

4.23 狙撃事件との関連が証明できず,共産党幹部を釈放.

5.28 プエルトリコ共産党第4回大会.民族解放戦線の結成を呼びかける政綱を採択.サントス・リベラが議長に,ラモン・ミラベルが書記長に就任.

10 サントス議長,ラモン・ミラバル書記長らプエルトリコ共産党幹部10名があいついで逮捕される.

55.6.21 プエルトリコ文化庁が創立される.

55年 米下院襲撃事件の犯人に懲役56年の判決.

1956年

3.25 獄中のカンポス,脳卒中で倒れる.カンポス自身の訴えによれば,彼は獄中で6回にわたり放射線被爆の人体実験の対象となった.

11.08 マリンが62.5%で三選.

56 米国製薬企業Gideon Seaman社,プエルトリコで避妊錠剤エノビッドの実験を始める.数千の女性が対象となり,多くの女性が異常な出血を訴える.

57年 プエルトリコ(リオ・ピエドラス)大学で最初のパブロ・カザルス音楽祭.

59年 マリ・ブラスらプエルトリコの進歩勢力,MPI(プエルトリコ独立運動)を結成.

59.2 ビエケスで,民間人の誕生パーティーに海兵隊員が乱入.19人が負傷する.

1960年

11.08 マリンが4選.議会選挙では与党人民民主党(PDP)が65%を獲得。独立党は3.1%に留まる。

60年 プエルトリコ独立派の圧力を受けた国連非植民地化委員会,再びプエルト・リコの政治的地位に関する議論を再開.

60年 FBI,対破壊者情報活動(COINTELPRO)計画を実施.プエルトリコ人「不穏分子」リストの作成を開始.15万人以上の人々が,情報提供者や盗聴などによって調査される.数千の人が破壊活動に関与したとされ,職を失い差別に苦しむ.

1961年

61年 ジョン・F・ケネディ大統領が島を訪問.

61年 ケネディ政権下の国防総省,ビエケス市自治体の廃止と全島民の移住を検討.ムニョス・マリン知事はビエケスの人は墓参りすらできなくなってしまうと反対.広範な反対を前にして,国防総省は計画を撤廃.

61年 ペンタゴン,枯葉剤オレンジ・ホワイトの研究を開始.エル・ユンケ,トロ・ネグロなどの森林地帯で散布実験が行われる.エル・ユンケは、西半球における独特な熱帯雨林として貴重な生態系の1つとされる.

61年 女優リタ・モレノ,映画「ウエスト・サイド物語」によってオスカーを獲得.

61年 新聞サンファン・スターのウィリアムJ. Dorvillier,1960の知事選における聖職者の干渉を暴露.ピューリツァー賞を獲得.

1964年

7.18 ウールナー社,9百万ドルを投じ.ビエケスにリゾートを建設する計画を立てる.これを知った海兵隊は,ビエケス南岸の接収の意向を表明.アントニオ・クリーク市長を先頭とするビエケス防衛委員会は,強力な要請行動によりこの計画を破棄させる.

11.03 ロベルト・サンチェス・ビエジャが59.2%を獲得し知事に選ばれる.ルイス・ムニョス・マリンは4期12年にわたり知事を務めた後,政界を引退.

65.4.21 プエルトリコの民族主義者ペドロ・アルビス・カンポスが24年の獄中生活を終え死亡。島での葬儀には10万人が参加。

65年 米原子力委員会,エル・ユンケの森で核放射線の照射実験.野菜・動物などへの影響を調べる.

66年 ピッツバーグ・パイレーツのロベルト・クレメンテ,最優秀選手となる.

1967年

7.23 自由連合州の維持,独立,州昇格の三つの道を選択する国民投票実施.6割が現状維持,4割が州昇格,独立を支持したものはごくわずか.この間に約140万人が米国本土に移住.

9 政治的に孤立したMPI(プエルトリコ独立運動)はテロ作戦に移行.武装部隊CAL(解放武装隊)が米国系企業をあいついで焼打ち.アルフォンソ・ベアルが指導.

68.11.05 プエルトリコ総選挙.州昇格をめざす資本家は新進歩党(New Progressive Party)を結成.知事選挙でルイス・フェレールを当選させる.人民民主党の「緩やかな連合」の考えは少数となる.

68年 Aedes aegypti蚊駆除剤の人体への影響を調べるため,2千人以上のプエルトリコ人が動員される.殺虫剤がコミュニティの飲料水に加えられたという.

1969年

3.16 ホセ・フェリシアーノがグラミー賞を獲得.

69 この年の調査では,製造業の2/3,可耕地の8割以上を米国企業が所有.

69年 ビエケスでGE社の工場が操業開始.地元への就職機会の提供により,島民の不満解消をねらう.

69 ニューヨーク,シカゴのプエルトリコ系青年が「ヤング・ローズ」を結成.黒人のブラックパンサー党にならい,教会,病院の占拠,公共交通の自動車の乗っ取りなどの抗議行動.実力行動を通じて,人権・市民的権利・医療サービスや社会福祉・児童福祉の適正運用への要求実現を目指す.

69年 ヘスス・コロン、共産党候補としてニューヨークのcity comptrollerに立起。後にアメリカ労働党の候補として市議会に立起。「移住者が平等を求めるなら、祖国がおかれている植民地状態を脱却しなければならない」と訴える。

1970年

71 米海軍,ビエケスのとなりの島クレブラのほぼすべてを収用.クレブラでは基地反対闘争が高揚.

71 独立党のルベン・ベリオスら12人,クレブラの演習場での射撃訓練に抗議.射爆場内に侵入し逮捕される.このうち二人は禁固6ヶ月の刑を受ける.不当判決に対する怒りが高まる中で,海軍はクエブラ基地の廃止を迫られる.

71 プエルトリコ社会主義党,キューバの影響を受けながら,MPIを母体に発足.マリ・ブラスらが指導.

72.11.07 ラファエル・エルナンデス・コロンが知事に選ばれる.最も若い知事(当時36歳)となる.

1974年

8.31 ニューヨーク市のリンカーン・センターで爆弾テロ。道路の植え込みが破壊されたほか損害なし。爆破予告はなし。米国在住の青年を組織した民族解放武装軍(FALN)による最初の犯行。その後13件の爆弾事件を起こす.

10.26 ニューヨーク市の銀行街でFALNの爆破テロ。自動車爆弾は道路に穴を開け、1ブロックにわたり破片が飛び、窓ガラスを破損するほどの強力なもの。被害は約百万ドルに上る。負傷者はなし。FALNが「帝国主義の銀行を破壊した。すべてのプエルトリコ人政治犯を釈放せよ」と犯行声明。

12.11 東ハーレム(プエルトリコ人地区)で仕掛け爆弾。匿名電話を受けた警官が出動し重傷を負う。FALNは「プエルトリコ人青年の留置場における虐待・殺害への復讐」とする犯行声明。

74 ビエケスで海軍が住民の立ち退きを計画.抗議する住民が「ビリャ・ボリンケン」部落を守りきる.

1975年

1.24 ウォール・ストリートの居酒屋「Fraunces Tavern」に爆弾テロ.4人が死亡,60人が負傷.FALNはプエルトリコの独立集会に対する「CIAの爆弾テロ」(死者2人)への報復とする。

4.03 ニューヨーク市中心部で4件の連続爆弾テロ。いずれもFALNが事前予告。

4.03 刑務所当局、政治犯の一人アンドレス・フィゲロア・コルデロがガンで死にかけているとの情報を否定。

6.14 FALN、シカゴでプエルトリコ・デーのパレードにあわせて連続二件の爆弾テロ。いずれも走行する車から爆弾を投げつけるという手口。

10.27 FALN、全国で同時多発テロ。シカゴの3ヶ所、ワシントンの2ヶ所、ニューヨークの5ヶ所。いずれも象徴的な規模で実害はほとんどなし。犯行声明はプエルトリコの即時独立、政治犯の釈放をもとめる他、労働者階級の搾取についても言及。

12.29 ニューヨークのラガーディア空港でコインロッカーが爆発。11人が死亡し、75人が負傷する惨事となる。シンビオニーズ解放軍の犯行といわれるが、PLOあるいはFALNによるとの情報もある。シンビオニーズ解放軍の実体は黒人リーダーと白人7人からなるカルト集団で、ハースト令嬢誘拐事件で一躍有名になりましたが、東海岸に土地勘はあったのか、爆弾技術を持っていたかなど、疑問です。

75 ハバナで「プエルトリコ独立連帯国際会議」が開催される.キューバとプエルトリコは「一羽の鳥の二枚の翼」と歌われる.

75 米軍,クレブラの基地を撤去.演習場をビエケスに集中する.

75 カンポスを信奉する青年が,武装組織「ロス・マチェテーロス」を結成.

75年 ポンセ北方のティベスで,プレ・タイノ期のイグネリ遺跡が発見される.

1976年

6.08 シカゴで4件の連続爆破事件。犯行声明はなかったが、手口の類似から見てFALNの犯行と考えられる。

7.12 ニューヨークのメイシー・デパートで自動発火装置による放火テロ。「1950年同日、アンドレス・フィゲロアがニューヨークで決行した焼夷弾テロを記念したもの」との犯行声明。

9.21 ニューヨーク・ヒルトンホテルの23階の階段踊り場でダイナマイトが爆発。当時、プエルトリコのラファエル・エルナンデス-コロン知事が21階に宿泊しており、ホテルの外には200人ほどのデモ隊が詰め掛けていた。

11.02 カルロス・ロメロ・バルセロが、48%の得票で知事に選ばれる.

76 米国連邦税法の936項がプエルトリコに適用される.プエルトリコ内で操業する米国企業は,米国での税支払いを免除される.プエルトリコに移転する企業が続出.10万人の雇用を創出する.特に製薬産業は全米の生産の6割以上割以上を占めるようになる.

76 ビエケスで基地反対派のラダメス・ティラド(プエルト・リコ独立党)が市長に当選.

1977年

2.18 ニューヨークのガルフ&ウエスタン・ビルとクライスラー・ビルに爆弾。二人が負傷。

3月 FBI、Episcopal Churchが財政支援する「ヒスパニック問題全国委員会」とFALNがコネクションをもっているとし、捜査を開始。教会に所属する二人の尼僧は証言を拒否し下獄する。フレームアップのにおいも感じるきな臭い事件です。

3.21 FALN、ニューヨークのF.B.I.のマンハッタン本部に爆弾。犯行声明では、FBIが全国委員会とFALNの関係を捜査することを中止するよう求める。

6.04 シカゴのプエルトリコ人居住区で暴動が発生。警官の発砲で住民一人が殺害される。ほかに80人が負傷。

8.03 FALN、エンパイアステートビルディング、世界貿易センターを含む13の建物に爆弾を仕掛けたと警告。10万人が一斉避難。

8.04 ニューヨーク警察、デイビッド・ペレス(27)をショットガン、リボルバーの不法所持で逮捕したと発表。マリー・ベルトラン・トレス(22)は連邦当局によりモービル・ビル爆破犯として手配される。

9.07 シカゴ連邦大陪審、マリーの夫カルロス・アルベルト・トレス、オスカル・ロペスを爆弾関連の容疑で起訴。

10.25 プエルトリコ独立を要求するデモ隊,自由の女神を一時占拠.

77年 労働運動指導者フアン・ラファエル・カバジェーロが暗殺される.のちに警察の情報部の犯行であることが発覚.

1978年

1.12 ニューヨークのメイシー・デパートでFALNの爆弾テロ。実害はほとんどなし。

1月 Consolidated Edison社で電気労働者が1ヶ月にわたるストライキ。FALNはマンハッタンの本社ビルに爆弾テロ。

2.01 NATO諸国,ビエケス全島の海岸線沿いに集中的な軍事演習を企画.ロバート・ファナガン提督が3週間の出漁停止を住民に通告.

2.06 ビエケスの漁民は「ビエケス防衛十字軍」を組織,漁業者協会とともに40隻の漁船を動員し,警告を無視して演習指定海域に侵入.この結果演習は中止される.

5.22 FALN,ワシントンのケネディ空港,ラガーディア空港、ニューアーク空港の3ヵ所で爆弾テロ.いずれも実害はほとんどなし。シカゴのオヘア空港にも警告が寄せられたが、爆発はなかった。

7.12 ニューヨークのクイーンズのアパートで爆弾が暴発する。ここはFALNの爆弾製造工場として用いられていた。警察は66本のダイナマイトと、放火のための化学製品200ポンド以上、信管、無煙火薬、黒色火薬などを発見。

7.25 FBIの指示を受けた治安警察がセロ・マラビーリャの山中に独立派青年2人をおびき出し殺害。プエルトリコ政府は事件の揉み消しを図る.

1979年

5 ビエケス島で,漁民によル実力行使.演習場内に侵入し,占拠.海軍はカラカス海岸でミサを行なっていた21人の漁民を強制逮捕.その直後指導者アンヘル・ロドリゲス・クリストバルとイスマエル・グアダルーペが突然拘留される.この後アトランタからタラハッシーの刑務所にたらい回し.

9.06 カーター大統領,50年代にテロ活動を行った独立派活動家に恩赦を与える.大統領官邸襲撃事件(50年)のオスカル・コリャソは29年ぶり,下院襲撃事件(54年)のロリータ・レブロン,ラファエル・カンセル・ミランダ,アービン・フロレスの三人は25年ぶりの釈放となる.他にアンドレ・フィゲロア・コルデロも釈放.彼らは全米各地でプエルト・リコ系住民を相手に講演したあと,プエルト・リコに帰還.

11.11 漁民指導者アンヘル・ロドリゲス,タラハッシーの刑務所で不審死を遂げる.首を吊った死体の額には深い切り傷があった.当局は自殺を発表するが,虐殺されたとされる.死の数時間前に面会した弁護士は,彼が意気軒昂だったと言う.カラカス海岸はアンヘル・ロドリゲス海岸と命名される.

11.24 FALN、1年半ぶりにシカゴ市内3ヶ所で爆弾テロ。

12.02 プエルトリコで米海軍バスが武装ゲリラ・グループに襲撃され,水兵10人が死傷.

79年 米国環境保護局(EPA),ビエケスの大気と土壌のサンプルを分析.大気汚染が不健康なレベルに達していること,土壌は基準を越える鉄濃度となっていることを報告.

1980年

3.15 FALN,シカゴのカーター選挙事務所とニューヨークのブッシュ事務所を襲撃.職員を一時ロープとガムテープで拘束し、部屋を荒らした後逃亡する。

4.04 FALNの指導者数名がイリノイ州エヴァンストンで逮捕される。この後FALNのテロ活動は消失。

4.11 FBI、FALNが共和・民主両党の全国大会に爆弾を仕掛けようと狙っていると発表。シカゴのFBI捜査官は信管の貯蔵所を発見。ジャージーシティのF.B.I.エージェントは、会社役員、実業家など100人からなる「対象者リスト」を見つける。といっても、FBIの言うことですから‥

4.30 ルイス・ムニョス・マリンが死去.

7 米下院,ビエケスにおける海軍の活動と,その島民への影響を調査.数字にわたる調査の後報告書を提出.「海軍はビエケスを撤退し他に演習基地を求めるべき」と結論.

11.04 カルロス・ロメロ・バラセロが再選.次点のラファエル・エルナンデス・コロンとの差はわずか0.2%.同時に行われたビエケス市長選では基地反対派のラダメス市長が敗れる.

80 70年代後半の景気後退で多くの企業がプエルトリコ撤収.さらに低賃金のラテンアメリカ諸国へ移転.失業率は25%に達する.労組の組織率は30%から5%以下まで減少.

1981年

1.11 独立派ゲリラ組織プエルトリコ人民軍(マチェテロス),サンフアン近郊の州兵空軍基地を連続爆破.ジェット戦闘機8機が大破,2機が損傷.4千万ドルの被害をあたえる.

4.20 プエルトリコ人ゲリラ,ワシントンの将校クラブを爆破.

6.03 自由の女神像の展示場で爆弾が爆発。展示物に損害を出す。犯行を名乗り出たものは、FALNのほかにキューバのOmega-7、パレスチナ解放軍(PLA)、ユダヤ人国防同盟、ネオナチ国家社会主義運動、クロアティア自由の戦士団など多彩な顔ぶれ。

11.23 ワインバーガー米国防長官,ニカラグア・グレナダでの行動に備え,フロリダ州の「米カリブ海緊急統合任務部隊司令部」を改編.12月1日からプエルトリコに「米カリブ海司令部」を新設すると発表.

1982年

2.28 ニューヨーク証券取引所に爆弾テロ。声明はないが、FBIはFALNの犯行と断定。

3.01 FALN、米議会襲撃事件の28周年を記念して、メリルリンチのニューヨーク本部とチェース・マンハッタン銀行に爆弾テロ。

12.31 ブルックリン連邦裁判所などニューヨーク市内5ヶ所に爆弾テロ。警官や爆弾処理班員などが負傷。

1983年

5.26 FALNによる爆弾テロの主犯と目されるギジェルモ・モラレス(通称ウィリアム)、メキシコのプエブラ市内に潜伏中を逮捕される。モラレスは6月にプエブラで開かれる予定の米墨議員会議を襲撃する予定だった。次いで当局はチョルーラのFALNアジトを襲い、Adelaido Villafranco Contrerasを射殺。爆弾・武器貯蔵所を守っていたモラレスの内縁の妻も射殺される。

6月末 次の爆破作戦を計画中のFALNメンバー4人(Edwin Cortes, Alejandrina Torres, Alberto Rodriguez, Jose Luis Rodriguez)が、当局の急襲を受け逮捕される。

10 海軍,プエルトリコ知事カルロス・ロメロ・バルセロとのあいだに,ビエケス島基地の使用に関する協定を結ぶ.しかし海軍はこの協定を無視し,爆撃演習を続行.

1983年協定
1,爆弾,特に実弾の使用を控える. 2.希少生物や海洋生物,マングローブの保護に配慮する. 3.ビエケスの経済とインフラ・通信などの発展に貢献し,島民の理解を深めること などが,海軍に義務付けられる.

83年 プエルトリコ改革党(Renovacion Puertorriquena)創設.

83年 ユネスコ,サンフアンの史跡を世界遺産に指定.

84.8.24 国連植民地独立付与宣言履行特別委(非植民地化委),プエルトリコの民族自決と独立を求める決議案を採択.

11.06 ラファエル・エルナンデス・コロンが知事に当選.前回惜敗の雪辱を果たす.

1985年

8.18 ワシントン海軍工廠のコンピュータ・ルームに爆弾。FALNの分派と名乗るFMLNが犯行声明。

8.30 「マチェテーロス」,ウェルズ・ファーゴ社から750万ドルを盗みだす.FBIと軍当局は400人の捜査官を動員し,独立支持者の家やオフィスを捜索.16人のマチェテーロス系活動家を逮捕.

9.08 非同盟運動(NAM)外相会議、プエルトリコの独立を支持する決議。

11.06 米軍軍人一人が、サンフアン市内でテロリストの攻撃により負傷。

1986年

7.03 シカゴで、秘密捜査員の手引きによりF.A.L.N.のメンバー3人が逮捕される。彼らはカンザス州Leavenworthの連邦刑務所に収監中の幹部オスカル・ロペス(43)を脱走させるため、爆弾の使用を計画していた。

87年 プエルトリコ警察が,米国の情報機関と協力し13万人の「不穏分子」リストを作成していたことが明らかになる.

1988年

1月 環境コンサルタントのラファエル・クルス-ペレス,プエルト・リコ技術者・測量士協会誌「ディメンシオ」に,論文「ビエケスにおける爆発物及び爆発物残留物による汚染」を掲載.

論文の要旨
「米海軍の調査によれば,ビエケスのイサベル・セグンダ村,そして,バリオ・エスペランサでの飲料水の水源は,TNT,テトリール,RDXのような有毒な化学製品で汚染されている.民間人居住区域における粉塵濃度は197マイクロPCMを超えており,連邦の法的基準を上回っている.しかし海軍は,これらの物質がどのように射爆場から14キロも離れた水源地を汚染したかに触れない」とし,その経路を三つにわたり述べる.
(1)ミサイルの爆薬中の化学物質が飛散する.(2)岩石や土砂が爆発の結果空中に飛散する.(3)ミサイルの爆発後残されるさまざまな金属と射爆場内に破棄されたままのスクラップ類が主要な原因と結論.「海軍によって提供される情報によれば,この材料はまったく除去されていない.さらに追加される爆発,そして,海微風の効果,金属は酸化され分解される.これらが環境汚染を加速する」 

11.08 ラファエル・エルナンデス・コロン,48.7%の得票で知事に再選.

1989年

2.9 ブッシュ,プエルトリコの州昇格への支持を表明.

4.14 海軍当局,モンテカルメロのバリオ・デスティノ地区で住民に立ち退きを迫る.モンテカルメロのカー一家は住民に守られながら,立ち退きを拒否.

5 ビエケス島ハグエイ地区のフォーティーズ部落で,数百の住民が土地明け渡しを拒否して戦う.

6 米軍の立ち退きを要求する全島民大会が開かれる.

9.17 強力なハリケーン・ウーゴがビエケスを襲う.建物の8割以上に損害.米軍はこれを利用してフォーティーズの接収を強行,周囲に鉄条網を張る.

89年 プエルト・リコと合衆国の公安当局が共同で,1930年代以降7万5千人にも及ぶ活動家のファイルを維持していたことが発覚.対象は独立派だけでなく,労働組合,教会,文化サークル,女性グループなどの活動家が含まれる.

1990年

8.04 ビエケス青年運動,キャンプ・ガルシアの前で抗議集会.米軍基地を拒否し,フォーティーズ接収に抗議する決議.

11.11 ビエケスでアンヘル・ロドリゲス虐殺11周年集会が大規模に取り組まれる.

90 国勢調査施行.プエルト・リコの人口の58.9パーセントが貧困レベルを下回る(ビエケスでは70パーセント強).プエルトリコ人の300万人(35%)が米本土で生活.うち4割がNYとNJ在住.この人々の失業率は白人の三倍にたっする.

90 米政府,プエルトリコに海事法を適用.プエルト・リコのすべての商用船舶は合衆国経由で輸送を行なうよう義務付けられる.この結果,輸送費用が4割上乗せされることになる.

91 国民投票.昇格派788,296 (46.3%),連合州派826,326 (48.6%),独立派75,620 (4.4%).米国への合併は拒否される.さらにスペイン語を島内における唯一の公用語とすることも決まる.PDPの知事ラファエル・エルナンデス・コロンは,辞意を表明.

1992年

10 ビエケス島で二週間にわたる大規模演習.ナパーム弾を含む20トンの爆弾が撃ちこまれる.

11.03 プエルトリコ総選挙.51番目の州になることをめざす州権獲得派が,自由連合州支持派を抑え勝利.下院で36,上院で20議席を獲得.新進歩党(NPP)のペドロ・ロセジョが知事に就任.

92年 プエルトリコ政府,「プエルトリコ長距離電話会社」の持ち株の80%を,スペインのTelefonica Internacional De Espana社に売却.売却金は1億4000万ドル以上といわれる.

92年 米国政府統計によれば,350万のプエルトリコ人の内2/3が貧困レベル以下で生活しており,一人当たり収入は年間6,360ドルに過ぎない.プエルトリコの家族の7割が食料スタンプを受給している.失業率が15%を切ることはほとんどない.産業の6割は米国企業によって支配されている.

 

1993年

1 ロセジョ新大統領による93年度第1号法,英語とスペイン語を公用語とすることを定める.

4.06 93年第5号法.行政機構の再編成を規定.独立民営化を前面に立てた行政改革.

4 CPRDVが発足.ビエケスにおけるすべての合衆国軍隊の活動を終了させ,島の持続可能な発展を推進することを目的とする無党派組織.ビエケスのすべての地域,市民リーダーたちが,政治・思想の違いを乗り越えて創設.「非軍事化demilitarization,汚染除去decontamination,土地の返還devolution,そして,発展development」の四つの「D」をスローガンとする.ビエケス市議会はCPRDVの決議に賛成.

5 CPRDV,ワシントンでロビー活動を展開.その後島民の4千人から基地反対の署名を集める.

10.24 FA-18ホーネット戦闘機,およそ10マイルにわたって目標をはずし,5発の500ポンド弾をビエケス最大の市街地,イサベル・セグンダから1マイルの地点に投下.内4発が爆発,残りの一発は行方不明のまま.死者はなし.(注:イサベラ二世は19世紀半ばのスペイン国王の名前)

11 ふたたび国民投票.島の今後の政治体制を問うもの.48.4%が自由連合州(現状)支持,46.2%が州昇格支持,州昇格派勝利の可能性に危機感を抱く独立派は,現状維持に票を集中したことから4.4%にとどまる.

1994年

2.10 CPRDVの代表がワシントンでロビー活動.下院軍事委員会のロン・デラムス委員長に面会し,ビエケスにおける演習被害の再調査を求める.

9 77年に労働運動指導者フアン・ラファエル・カバジェーロが暗殺された事件で,プエルトリコの警察の情報部の前メンバーが逮捕される.誘拐,拷問,殺害の罪で告発される.

11 ビエケスで二週間にわたる海軍演習.海軍航空部隊が合計2万ポンドの実弾を投下.その中にはナパーム弾も含まれる.

94年 プエルト・リコ議会は合衆国議会に対して,プエルト・リコの将来の政治的地位を決定するのに必要なステップは何かを決定するようもとめる.

94年 ラハス渓谷に,海軍の巨大な軍事レーダー・システムが設置される.住民は「ラハス渓谷防衛統一戦線」を結成し反対闘争を始める.CRPDVとも共闘関係を強める.

1995年

6 ビエケスにレーダー基地があらたに建設される.数百人が抗議行動を展開.

10.29 米海軍,ビエケスへのレーダー中継基地,および本土南西部ラハスへの受信基地の建設計画.サンフアンで計画に反対するデモ.6万人が参加.

95年 国連事務局,CPRDVと共同しビエケスの将来像を検討する研究に乗り出す.コロンビア大学とマサチューセッツ工科大学が協力.

1996年

11.04 プエルトリコ総選挙.ロセージョが再選.議会でもNPP(州昇格派)が前進し,上院の19議席を獲得.PDPは7,独立党は1議席を獲得.下院ではNPP38,PDP12,独立党1となる.

11.22 CPRDV代表,マニラで開かれた「第1回軍事用毒物および米軍基地の撤廃に関するフォーラム」に参加.

12 CPRDV主催の島民集会に150人が参加.レーダー基地反対と,南方軍本部のプエルトリコ移転に反対する決議を採択.

96年 連邦議会,財政赤字削減のため,2006年までに連邦税法936条を廃止することを決議.

1997年

1.02 ロッセジョ大統領,二期目の大統領職につく.

1.12 キャンプ・ガルシア基地正門前で島民集会.500人の住民が参加.

2.27 米下院のドン・ヤング議員,プエルトリコに完全な自治を提供するための計画(Project Young)を提案.

5月 オランダとベルギーの軍艦4隻が,ビエケスのサン・ベイに停泊.漁民数十人が漁船で出動し,激しく抗議.乗組員は金属を投げつけたり,圧力ホースで海水を浴びせるなどの暴行.2時間にわたる衝突の末,軍艦は港外に出る.

97年 プエルトリコ社会党(PSP)元議長のマリ・ブラスら,米市民権返上運動を提起.

1998年

3 プエルトリコの帰属を住民投票で決めることを謳った「ヤング法」が下院を通過.クリントンも賛意を表明.上院で棚上げされる.人民民主党の併合反対派,オストス派国民会議,プエルトリコ独立新運動,プエルトリコ社会党などが「住民投票反対戦線」を結成.住民投票ボイコットを主張.人民民主党主流派は,「ボイコットは併合主義者を利するだけ」とし,第五項の「いずれでもない」に投票するよう呼びかける.

7.07 プエルトリコ電話会社の民営化に反対するゼネスト.60組合,30万人が参加.

7.25 独立党がグアニカで米軍侵攻百周年記念集会.ニカラグアのトマス・ボルヘ,エクアドルのボルハ元大統領らが出席.プエルトリコの独立をもとめる.

8.10 国連非植民地化特別委員会.キューバ代表団の提案に基づき,プエルトリコの自決と独立の権利を再確認.米国政府に対し,「プエルトリコ人民が自由な決定と独立という,奪うことの出来ない権利を,完全に行使できる処置を支援する責任を果たす」ようもとめる.

9.21 ハリケーン・ジョージが島を襲う.12人が死亡,損害は20億ドルに達する.3万人が家を失い,80万人が電気・水道のない生活を強いられた.ハリケーン救援資金を州昇格派のキャンペーンに利用しようとしたロセジョ大統領に非難が集中.

12.13 67年,93年に引き続いて,プエルトリコの帰属を問う三回目の住民投票が行われる.米本土在住のプエルトリコ人は投票権なし.プエルトリコ在住の380万人のうち有権者220万人が投票.州昇格派は46.5%,州としての地位を求めないとする票が50.2%を占める.独立党が現状維持に票を投じたため.

98末 パナマにおける軍事基地の閉鎖に伴い,南方軍司令部を,パナマから,グアイナボのフォート・ブキャナンに移転する計画が明らかになる.その後,南方軍司令部のうち,陸軍南方軍,海軍南方軍のすべてと,空軍南方軍の一部が移駐される.プエルト・リコはラテンアメリカ最大の米軍集中地となる.

98年 合衆国海軍とプエルト・リコ国防部隊との合同演習.サンタ・マーレ地区の市役所駐車場に停めてあったスクールバスの窓が弾丸によって割れる.市役所の職員たちは射撃が終わるまで避難.

 

1999年  ビエケス島基地反対闘争の高揚

2 プエルト・リコ大学公衆衛生学部,ビエケスでガンの発生率が高いとの報告.公衆衛生省は調査を開始.ガンの発生率は本島住民に比べ27%,ガンによる死亡率は34%も上回っている.

ビエケスの環境汚染
別の調査では,砒素,バリウム,カドミウム,亜鉛,コバルト,銅,錫,水銀,銀,鉛の高濃度の蓄積が確認されている.アルミ,クロム,鉄,マンガン,ニッケル,バナジウムの蓄積が見られる場所も発見されている.これらの重金属類は,カニや魚,ムラサキイガイ,タラシア海草や藻などの動植物,さらに人体からも検出されている.また,レイテオンやジェネラル・エレクトリックなどの米国企業に雇用されて,爆撃演習場で働く民間人労働者の頭髪からは,水銀や鉛の高濃度蓄積が検出されている.

2.23 マチェテーロス,米軍がプエルトリコにおける軍事演習をやめ,基地を撤廃しなければ,米国内各地で車爆弾によるテロを行うとの脅迫文を送りつける.

2月 ユーゴスラビア攻撃の演習として,ビエケスの「衝撃エリア」にハリア・ジェットから263発の劣化ウラン弾が打ち込まれる.海軍は「誤射」と弁明.

3.3 ゲリラ組織「マチェテロス」(ボリンケン人民軍),クリントン宛怪文書について,「その主張に対しては共感するが,我々はテロリストではない」として責任を否定.実際は,武装抵抗を継続するマチェテーロスの二つの分派,EPBとPRTP(プエルト・リコ労働者革命党)のいずれかによるものと見られる.

1999年4月 サエンスの死

4.19午後7時 ビエケス島の海軍演習で射撃訓練中のFA18型戦闘機,目標地点から3マイル離れた観測塔に向けて,二発の500ポンド爆弾を誤射.民間人ガードマンのデビッド・セインス・ロドリゲスが死亡,他4人が負傷.

4.21 サーネスの死亡に抗議する島の青年活動家が,着弾地点に侵入しテントを張り,軍とにらみ合いを開始する.

4.22 座り込み活動家ら,占拠場所をマウント・デビッドと名づけ団結小屋を建設.山の頂上に巨大な十字架を立てる.

4.22 ロッセージョ知事は軍事演習が環境を破壊し,9,400のビエケス島民の経済発展を阻害しているとし,抗議団に同調する姿勢を明らかにする.ロセージョはクリントンよりの親米政治家として知られる人物.

1999年5月 占拠闘争の開始

5.1 プエルトリコ上院,全会一致で,米国海兵隊のビエケス島爆撃演習の即時中止を求める決議を採択.

5.8 独立党,マウント・デビッドから2キロ離れたカルーチョ海岸に,第二の監視所を立てる.ルベン・ベリオス委員長自らが立てこもる.ベリオスは米軍が撤去するか,私が逮捕されるまで,ここにとどまりつづけると声明.ベリオスはオックスフォードを卒業した弁護士で,プエルトリコ議会の上院議員でもある.その後,ビエケス島のカトリック教会と住民らが,ヤジ(Yayi)海岸に第三の監視所を設置.併せて礼拝所も立てる.さらにCPRDVと「全国オストシアーノ会議(プエルト・リコ独立を求める連合組織)」の支援を受けた教員グループが,ヤイ・キー対岸に団結小屋と礼拝堂を建てて立てこもる.現在では演習場内に漁民組合,教員組合,カトリックとプロテスタントの教会関係者,社会主義者,学生,労働組合などが9つの団結小屋.

5.11 プエルトリコ知事ペドロ・ロセージョ, ビエケスにおける海軍基地の影響を調べるため,特別委員会を設置すると発表.またクリントンに海軍基地撤去を求める.クリントンも島民に対し同情的姿勢を見せるが,軍との対決を望まず.

5.15 知事によって任命された「ビエケス問題特別調査委員会」が発足.三つの主要政党,教会メンバー,漁民,そしてビエケス市長からなる.委員会は海軍基地を数回にわたり訪問.4回にわたる公聴会を開催.

5.16 100人以上が,基地内の「ブルー・ビーチ」に侵入.79年闘争の犠牲者の名をとり,「アンヘル・ロドリゲス・クリストバル・ビーチ」と名づける.

5.17 ブルービーチに侵入した100人が,基地内を行進.キャンプ・ガルシアの正門ゲートから帰還.

5.20 労働組合活動家や現地住民,ビエケスの漁師たち,サン・フアンの大司教,ビエケス教区のカトリック教会司教など,多くの人々がキャンプ・ガルシアの入り口に突入

5.26 海軍当局,「原子力規制委員会」で証言.ビエケス島に於ける演習で,263発の劣化ウラン砲弾を「誤って」発射した事実を認める.演習場内部の膨大な不発弾のため回収は難航,回収された爆弾はわずか57発にとどまる.この事実は「軍事有害物質プロジェクト」が行った「情報公開法に基づく請求」によって明らかになる.

1999年6月 プエルトリコ全土に広がるたたかい

6.10 クリントン大統領,ビエケス島における海軍基地の影響を調べる委員会を設置し,8月までに答申を受けると声明.この大統領諮問委員会は,3人のメンバーのうち2人が国防総省関係者.

6.25 ビエケス特別調査委員会,13項目の勧告からなる答申を知事あてに提出.内容は基地撤去,土壌汚染の回復,島民への土地返還と地域の発展など.また委員会は,海軍が1983年のお基地使用協定を遵守していないと指摘.とくに試爆の段階的縮小に関しては,海軍が逆にNATO同盟軍にまで基地を貸与するなど悪質な違反を犯していると指摘,クリントンの出方しだいでは訴訟を起こすよう勧告.

6月 プエルト・リコ本島で,全国的な調整委員会「すべてのプエルト・リコをビエケスのために」が設立.

1999年7月 ビエケスが国際問題に

7.04 プエルトリコ駐留米海軍司令部のある,セイバのルーズベルト・ロード海軍基地の正門前で,「ビエケスと連帯する全プエルトリコ集会」が開催される.主催者発表で1万5千人が参加.すべての政治,宗教,市民団体が集会に協賛.これにあわせビエケスでは漁民が船を連ねて海上デモを展開.

7.10 国連脱植民地化委員会が開かれる.CRPDVは討議に参加すると同時に,活発なロビー活動を展開.CPRDV代表のイスマイル・グァダルペ,全国支援組織「すべてのプエルト・リコをビエケスのために」,プエルト・リコ弁護士会などが,ビエケスの軍事演習に参加しているラテン・アメリカ諸国の大使館を訪問.またCRPDVの起草した一通の抗議文が,プエルト・リコ法律家協会を通じてジュネーヴの国連人権高等弁務官および米州機構に送られる.

7.12 海軍,1993年にナパーム弾や猛毒の化学兵器をビエケスで使用していたことを認める.

7.13 国連脱植民地化委員会,全会一致でビエケスに関する明快な立場を表明した最終決議を採択.プエルト・リコ人民の民族自決権を保障し,その人権を擁護するために,合衆国政府に対して,人の居住するビエケス島におけるその軍隊による軍事演習を中止することを命じること,そして土地をプエルト・リコ人民に返還すること,,平和的デモンストレーションに対する逮捕や妨害等の抑圧を中止すること,健康及び経済発展に対する基本的人権を尊重し,汚染された爆撃演習場を浄化することを勧告する.

7.15 海軍,大統領特別委員会に報告書を提出.「国家安全保障のため,ビエケス島の基地は必要」とする.

7.15 これまで海軍よりといわれたビエケス市長のマヌエラ・サンチアゴ,「海軍のもたらしたさまざまな災難に驚いている」とのべ,市民的不服従運動を是認する発言.

7.24 大統領諮問委員会がビエケスで現地調査.住民代表と話し合いを持つ.町の広場では500人以上の人々が集まり,公聴会が開かれている市庁舎を取り囲む.

7.31 ビエケス島民集会,25以上の地域グループが海軍と米国大統領,国連およびプエルトリコ知事あての「最後通牒」を承認.この「最後通牒」は,海軍の撤収,土地の返還という人々の根本的な要求を要約したもの.

7月 プエルト・リコ法律家協会とCPRDVの呼びかけに基づいて,高名な建築家,都市計画の専門家,経済学者,社会学者を含む専門家からなる「学際的技術チーム」が発足.解放後のビエケス復興計画を立案.

1999年8月 クリントン政権中枢にも波及

8.01 ビエケス島民とプエルト・リコ本島からの支援者100名が,爆撃演習場内にある海軍の監視所まで行進.担当仕官に「最後通牒」を突きつける.

8.01 有毒物質および疾病管理局 (ATSDR),ビエケス住民のあいだにガンの発生率が高いとする報告に対し,健康評価が必要であり,現地調査を行うと決定.

8.04 CRPDVがワシントンで記者会見.全国版のニュースとして各地で放映される.

8.08 クリントン大統領,連続爆破テロ事件にかかわった16人のFALN活動家に恩赦の提案.11人がこれを受け入れる.

8.13 米黒人運動指導者ジェシー・ジャクソン師,海軍基地問題調査のためプエルトリコおよびビエケスを訪問.軍の立ち入り制限地区内の抗議参加者を見舞う.彼は「この問題はクリントンにとって一つの試金石となるだろう.帰国後は『長年の友人である』クリントンに事情を説明する.もし大統領がビエケス撤収を命じないなら,ふたたびビエケスにやってきて,市民的不服従の行動に参加する」と声明.

8.14 CPRDVと「ラハス渓谷防衛統一戦線」の共催になる支援コンサート.5,000人以上が参加.ラハス渓谷の住民は,海軍の巨大な軍事レーダー・システム設置以来,ビエケスのCPRDVと協力し合っている.

8.15 ビエケス市庁舎において経済振興に関する公聴会が開催.軍事基地の撤去を求める叫び声で,会場は埋め尽くされる.会場の外では,爆撃演習停止を求めるデモが繰り広げられた.

8.20 アル・ゴア副大統領,クリントンに演習用の代替地を探すよう求めると語る.

9.11 FALN活動家が19年ぶりに連邦刑務所から解放される.この措置を巡っては国内外で議論が沸騰する.

9.22 上院軍事委員会内の「準備および管理支援小委員会』,ビエケス問題に関する公聴会を開催.

1999年10月 国防総省内に譲歩の動き

10.08 有毒物質および疾病管理局 (ATSDR),「60年に及ぶ海軍と海兵隊の射撃訓練の結果,ガンの発生率が増加した』との住民の訴えを受け,調査の開始を約束.その後,プエルト・リコ大学のジョージ・コリン博士が,ビエケス島に住む29人の住民に対して,重金属による汚染の調査を行う.

調査結果の要旨
34%の住民が水銀,55%が鉛,69%が砒素,69%がカドミウム,90%がアルミニウムの汚染を受けていることが判明.
これについてプエルト・リコ医科大学のカルメン・オーティス博士は,「住民のガン発生率が高いのは,軍事演習による水質汚染が食物連鎖を通じて人体に摂取された結果」と述べ,「軍事演習の間に爆発によって放出された有害化学物質が溶解しはじめている」と警告. 

10.18 国防総省のビエケスの軍事演習に関する諮問機関,「海軍は5年以内にビエケスを撤去,それまでに爆弾訓練を漸減すべきである』と勧告.この報告は国防総省のホームページで発表される.

10.19 ビエケス島基地問題に関する上院公聴会がワシントンで開かれる.これにあわせ「CBSの60分」という番組内にビエケス問題に関する特集が組まれる.

10.21 大統領選挙の有力候補者ビル・ブラッドレー元上院議員,米海軍によるビエケス島射爆場の即時使用停止を求める.

10.28 シャナハン海軍退役提督,ビエケスが最も重要な訓練基地だとする海軍の見解を批判.「第二次大戦の最中でもない限り,いっぽうで実弾射撃をする基地に他方で上陸訓練を行うなど,常識的に見て有り得ない』と述べる.

1999年11月

11.13 クリントン,プエルトリコ知事に対し,まもなく試爆演習を再開する可能性があると通告.空母アイゼンハワーがビエケスに向かう.その後,アイゼンハワー艦隊はビエケスからフロリダへ,ついでイタリアからスコットランドへと航路を変更せよとの大統領命令を受け取る.

11.19 独立党のイスマエル・グアダルーペ,基地反対の全勢力にビエケスでの大抗議集会を呼びかけ.

11.28 プエルトリコの警察長官,射爆場内に入り込んだ抗議団の排除に手を貸すつもりはないと声明.

1999年12月  国防総省の「回答」

12.03 国防総省,海軍演習について譲歩の提案.現在中止中の演習を春から再開するが,規模を大幅に縮小し,模擬弾のみの演習にとどめると提案.また同時に4千万ドルの使用料をプエルトリコに支払うとする.5年後の基地廃止に向け段階的縮小を図るとする.プエルトリコ知事のペドロ・ロッセージョはただちにこの提案を拒否.現地の争議団も春以降の立ち退きを拒否する声明.ジョンソン海軍参謀長はビエケスに代わる実弾演習の基地はないと強調.

12.03 爆撃演習場の入り口となるキャンプ・ガルシアの正門前に,CRPDVと教会,政党,「ビエケス女性連合」,青年グループの共同プロジェクトとして,団結小屋「平和と正義のキャンプ(PJC)」建設.軍用車両や兵員の基地への出入りを阻止することを目的とする.このキャンプは,爆撃演習場内の抵抗キャンプのための支援・連絡センターとなる.水や食糧,電池,薬品などの生活必需品がここに蓄えられ,漁船で運ばれる.

 

2000年

2000年1月  裏切りの合意

1.15 ロセッジョは突然態度を豹変.少なくともあと3年の爆撃演習の継続を認めるとし,合意文書をクリントンと交わす.

1.18 ビエケスの活動家たちは着弾地に入り,自らの身体を「盾」として演習を阻止しようと図る.着弾地に入った人々の中にはビエケスの前市長,ビエケス教会の教会執事,CPRDVのリーダー,ビエケスの主要なスーパーマーケットの所有者,退役軍人でもある退職教師など.

1.24 海軍,プエルトリコ政府に,ビエケス島民に基地の存続を問う住民投票を提案.住民投票で基地の存続が決まれば,4千万ドルの地域振興策を立案するという内容.もし住民投票で敗れれば,2005年3月をもって撤退すると表明.

1.25 ロッセ−ジョ知事,海軍の住民投票提案を「受け入れがたい」と拒否.

1.31 クリントン=ロセージョ合意に基づく大統領令.「実弾あるいは爆発物を用いた演習に関して住民投票によってビエケス人が許可を与えない限り,合衆国海軍は模擬弾により,年間最大90日間,2003年の5月にビエケスを撤収するまで演習を行う」とする.海軍とロセッジョ,「住民投票で海軍残留が認められることを条件として,島に対する4千万ドルの経済振興予算と引き換えに,模擬弾を用いた演習を再開する」合意.海軍はこの合意に基づき,爆撃演習場に立てこもっていた抗議者たちの排除にとりかかる.

2000年2月

2.07 カグアのカトリック教区,ヤジ海岸に立てられた礼拝堂のそばに,新たなキャンプを設立.

2.14 ビエケスにおいて行われる予定の春期軍事演習が,メキシコ湾に移動される.対象となる艦隊は,空母ジョージ・ワシントンと12隻の船舶,15,000人の兵員,およそ80機の航空機からなる.

2.21 米海軍が実弾演習を再開する.サンフアンではこの日にあわせ,史上最大規模といわれる15万人の抗議デモ.各宗派の教会指導者たちが共同で,「もう,ただ一発の爆弾もいらない!たった一分間の演習もいらない!」のスローガンを支持するよう呼びかけたもの.

2000年5月 第一次強制排除

5.04 1千人以上の海兵隊員,300人の連邦職員(FBI,税関職員,連邦保安官など)が,マウント・デビッドの団結小屋に立てこもる学生や地元住民ら200人を排除.教会関係者,住民団体指導者ら20人以上が,ビエケスの射爆場入口にあたるキャンプ・ガルシアの前で交代でハンストを開始.

5.05 海軍,爆撃演習を再開.「爆発性のない弾丸を用いて,一年にたった90日間だけ」と弁解する声明.

5.05 ビエケスの弾圧に抗議する七人の青年が,ヤンキー・スタジアムに乱入.ヤンキース・オリオールス戦の最中に,プエルト・リコの旗と「合衆国海軍はビエケスから撤収せよ!」と書かれたプラカードを掲げる.

5.10 独立党党首ルベン・ベリオス,党の環境問題顧問ホルヘ・フェルナンデスとともに立ち入り禁止区域に侵入.ベリオスらはサンフアンの行政長官の下に連行され,保釈なしで留置される.

5.13 イスマエル・グアダルーペ救出委員会議長を先頭に,54人の人々がキャンプ・ガルシアの立ち入り禁止区域に入り,逮捕される.その後,総計で千人近い人々が,陸上および海上から,爆撃演習場などの立ち入り制限区域内に侵入し,逮捕される.

5.27 ビエケス島民と支援者250人が,キャンプ・ガルシアの正門前で徹夜の土曜ミサ.

5.29 メモリアル・デー(第二次大戦の戦勝記念日),「平和のためのビエケス古参兵」,サンフアンの州議事堂前の記念碑前で集会.

5.31 ビエケスの女性グループ,アメリカ海軍立入り禁止地区に入る.

5月 CRPDV,キャンプ・ガルシアの正面ゲート前に家を借りて新たな平和キャンプを再開.5月中の逮捕者は約300名.

2000年6月  独立党に集中的攻撃

6.01 住民の女性グループ,爆撃演習場に侵入し,ガンで亡くなったビエケス女性たちの追悼集会.漁民たちは,追跡してきた高速,ハイテクの海軍の警備艇を浅いサンゴ礁に誘い込んで座礁させる行動を展開.

6.02 海軍警備隊,海路から演習場へ向かっていた小型ボートを捕獲,31人を逮捕.同行した報道陣6人も逮捕される.拘留された人々の中にはビエケス婦人同盟の活動家やロリータ・レブロンも含まれる.5月からの被逮捕者の総数は316人に達する.

ロリータ・レブロンは,当年80才の古参女性活動家.国民党員.54年の米議会武装襲撃事件に参加し,20年を獄に送った.

6.03 海軍ガードマン,遠州地区内でさらに27人を逮捕.しかし少なくとも,さらに10人が演習場内に潜む.

6.06 原子力委員会の係官と現地活動家が,ビエケスで誤射された劣化ウラン弾の処理計画をめぐり衝突.委員会当局が「土に埋められたまま放置される(劣化ウラン弾の)危険は最小のものである.それは爆撃演習場内部であり,公衆に立ち入りが制限されている区域なのだから,問題をおこすことはない」と語ったことから紛糾.活動家は「あなたたちは,ビエケス住民の健康を害するという点において,海軍の共犯者ではないか」と抗議.

6.09 14人の抗議者がキャンプ・ガルシアの立入り禁止地区に侵入.専門職従事者より構成されるこのグループは,軽砲弾演習地域に到達.目標物にメッセージを書き,プエルトリコの国旗を立てる.

6.10 キャンプ・ガルシア侵入組が逮捕され,拘留される.

6.11 大学教授で法律家のアルセニオ・スアレス・フランセシ,ベリオスとの連帯を宣言した後,演習場内に入り逮捕される.

6.12 サンフアンで,ベリオスに対する裁判が始まる.

6.16 大学教授,出版関係者,スポーツ・ライター,労組の指導者を含む37人の専門家グループ,土曜の徹夜ミサに参加したあと,立ち入り禁止地区に侵入.まもなく逮捕されルーズベルト・ロードの米軍本部に連行される.

6.17 土曜ミサを終えた55人が,立ち入り禁止地区に侵入.この中の19人の医師グループは,逮捕に来た兵士に向かい,「この土地は汚染されており,健康に危害が及ぶ危険がある.速やかにこの土地を去るよう勧告する」との文章を読み上げる.

6.21 20人のグループが,ビエケス島民活動家に導かれ射爆場内に侵入.人間の盾となる.

6.22 ビエケス漁民協会のカルロス・ベントゥーラが率いる47人のグループが,射爆場内に侵入.まもなく逮捕される.

6.24 米海軍,砲弾13万ポンドを使用する大規模な演習計画を発表.非爆発性の模擬弾を用いた投下訓練であると主張.

6.25 海軍艦船,射爆場への艦砲射撃演習を開始.本土からの支援部隊数百名と,島民数百名が集中抗議活動を展開.41人が射爆場内に入る.連邦警察官とMP,射爆場内に侵入した36人を逮捕.

6.26 ビエケス救援・発展委員会,すべての組織・個人への訴え.ただちに島へ渡り,市民的抗議の行動に加わるよう訴える.独立党は訴えに呼応し,100人の活動家を送り込む.

6.27 カルロス・セノン,漁船五隻に分乗し,演習場へ向かうが,途中,警備隊により侵入を阻止される.警備隊,この日午前中だけで少なくとも162人の抗議者を拘留.午後から艦砲射撃演習を再開.

6月 空母ワシントン艦隊の演習中,200人以上の人々が不法侵入により逮捕される.プエルト・リコ独立党は,闘いの先頭に立って大規模な市民的不服従行動を組織.党員百人以上が逮捕される.多くはサン・フアンの連邦拘置所で一ヶ月以上も拘束.

2000年7月

7.02 連邦保安官,保釈中の独立党員122人を一斉逮捕.連邦の刑務所でハンストを開始したティト・カヤックは独房に収容される.

7.04 プエルトリコ大学法学部学生グループの16人,立入り禁止地区に入り逮捕される.

7.04 ポンセでビエケス連帯デモ.8千人が結集する.

7.20 沖縄の「人間の鎖」統一行動に,ビエケスの漁民活動家カルロス・セノンと,プエルト・リコ法律家協会ビエケス調査委員会のシェイラ・ベレス・マルチネスが参加し,連帯の挨拶.

7.21 15隻の艦船と1万2千人の兵員を擁するトゥルーマン艦隊をビエケスに配備.ビエケスと周辺域で空・海及び潜水艦による演習が始まる.この演習は8月24日まで続けられる予定.

2000年8月  占拠者逮捕が日常化

8.03 海軍,三週間にわたるビエケスでの実弾演習を再開.空母ワシントンを旗艦とする15隻の船舶と1万2千人の艦隊が参加.プエルトリコ本島のブキャナン駐屯地前では,数千人が抗議デモ.

8.07 海軍,ビエケス島で爆撃演習を再開.演習場に侵入した32人の女性を拘束.

8.08 海軍,さらに11人の抗議者を拘束.海軍スポークスマンのジェフ・ゴードン大尉(少佐?),抗議行動は「独立派が仕掛けた何百万ドルもの汚いキャンペーンの一部に過ぎない」と述べる.

9.22 ビエケス島の海軍演習に抗議する集会がラファイエット公園で開催.75人がホワイトハウス前で,静止した抗議行動を禁ずる連邦規則違反で逮捕される.

9.30 現地のガルシア基地ゲート前で,700人が結集して抗議集会.

2000年10月 米議会の強硬決議

10.01 全国で市民的不服従を支持する統一行動.エスペランサの全国集会にはおよそ5万人が参加.ビエケスでは約70人が島の西端の立ち入り禁止区域に入る.

10.08 キャンプ・ガルシアの入り口で2時間にわたる示威行動.この間,自家用車で正門を封鎖.

10.16 米議会,クリントン大統領の方針を実質的に否定する「ビエケス計画」を決議.

ビエケス計画の骨子
「大統領は,ビエケス島における実弾演習その他の演習の継続について,有権者の多数決により決定するために住民投票を行う」とする.土地の返還,実弾使用の中止に関して一切言及せず.
また計画は「ビエケス島西部の土地は,経済発展のためにビエケス市に返還される.東部は合衆国内務省に権利移転され,野生生物保護区となる」とし,プエルトリコ知事および政府を無視.また,重大な汚染が危惧されるこれら東部の土地について,浄化や汚染除去を何ら講じなかった.
議会は,4千万ドルのビエケス経済振興予算と,住民投票で海軍の残留が決まった場合に備えてさらに5千万ドルの予算を承認.ビエケス現地の行政府からの切り離しと抱き込みを図る. 

10.16 CRDVのワシントン代表フラビオ・クンピアーノ,「一年以上にもわたって我々が糾弾してきた文書がまさに現れてきた.今や議会は予想されたとおり,ビエケス島を恒久的に連邦の下におこうとする意図をきわめて明白にした」と糾弾.CRDVのリーダーであるイスマエル・グァダルペは主張する.「ロセッジョの裏切りが今や花開いている.議会の決議は何も驚くに当たらない.大統領指示を信頼することなど到底できないということが,今までにも増して明白になった」

10.16 米海軍とNATO軍(カナダ,フランス,デンマーク,ドイツ,イギリス)あわせて31千人以上が,ビエケス周辺の陸,海,空から二週間にわたる爆撃演習を開始した.同時に水陸両用車両による上陸訓練も行われた.これらの演習には30隻以上の船舶が参加した.

10.17 9人のビエケス住民決死隊が爆撃演習場に侵入.軍は侵入者を認識しながら,船舶及びジェット機からの爆撃を続ける.

10.18 最大規模の演習に抗議する「第二回人間の鎖」が実施される.キャンプ・ガルシアのゲート前では,フェンスを引き倒すなどの実力行使.さらに9人のビエケス住民が着弾地に入り,逮捕されるまで24時間にわたって座り込み.ラダメス・ティラド元ビエケス市長,ビエケス教会の長老,CRDVリーダー,ビエケスの主要なスーパーマーケットの所有者,退役軍人らが参加.

10.29 ニューヨークの活動家が「自由の女神」像に,プエルト・リコの旗,ビエケスの平和を求めるプラカードを掲げる.

2000年11月  カルデロン候補の当選

11.05 ビエケス活動家,自由の女神像にプエルトリコとビエケスの旗を掲げ,逮捕される.逮捕者の一人ヘスス・メルカドは,6月も逮捕され執行猶予期間中のため,禁固1年の重刑が科せられる.

11.07 ビエケス市長選.ダマソ・セラノ・ロペスが,市議会議長フアナ・リヴェラ(PNP)を破り当選.セラノは,カルデロンの率いる人民民主党(PPD)の候補で,基地反対派の学校教師.

11.09 プエルトリコ知事選.民主人民党 (PPD)のシラ・マリア・カルデロン(Sila Maria Calderon)が,49%を獲得し当選.カルデロンは現サンフアン市長.新進党(PNP)を僅差で破る.新進党のペスケラは46%,プエルトリコ独立党(PIP)のルベン・ベリオス・マルティネスは5.2%.PPDは議会選挙でも躍進.上院で19議席,下院で27議席を獲得.PNPは上院7,下院23にとどまる.独立党は上下両院に1名づつの議員を確保.選挙戦終盤までPNPが優勢だったが,ビエケス島を引き続き海軍が使用する旨のロセージョ=クリントン合意が明らかになったことから,野党へのなだれ現象が起きた. 

11.09 カルデロンの勝利宣言.「私はルベン・ベリオスに手を差し伸べる.我々は彼のビエケスでの愛国的な行動に感謝する.そして我々の目の前の困難に立ち向かうために,彼の協力を要請する.とりわけイスラ・ニーニャ(ビエケス島の愛称)に平和をもたらすために」

11.16 ビエケスのコント・ミラソル・フォルトにおいて,「プエルト・リコおよびビエケスにおける人権侵害に関する国際法廷」が開催される.主催者はCRPDVとプエルト・リコ人権委員会(代表ルイス・ニエベス・ファルコン).事務局長には「ビエケスの平和と正義のためのキャンプ」のコーディネーターをつとめるニルダ・メディーナ.ドイツ,南アフリカ,東チモール,カナダ,スペイン,合衆国,そしてプエルト・リコの法律家が判事として参加.南アフリカのデニス・ブルータス博士が裁判長を勤める.

11.20 「アメリカ合衆国のプエルト・リコに対する処遇に関する国際法廷」が終了.判決文が発表される.

国際法廷の判決要旨
「ビエケス人民が,生命,健全な環境,社会および経済的発展への不可侵の権利を有すること.そしてこれらの権利が合衆国海軍の駐留及び活動によって常に脅かされてきていること.かかる状況は合衆国政府と海軍が,この島の人々に対する部分的にせよ全面的にせよ破壊を目的とした政策を取りつづけてきたことの結果であり,現に人民に対し死亡,深刻な肉体的,精神的危害が加えられてきた」とする.
法廷は,ビエケスにおける軍事行動の即時かつ永久的な停止を命ずるよう合衆国政府に対して勧告.同時にビエケスの環境浄化,人民の健康及び天然資源に対して加えられた損失に対する補償,及び島の経済復興のための援助を推奨する.
 

11.22 国際法廷にあわせて,住民の激しい抗議行動.爆撃演習場につながる入り口近くの海軍のフェンスを大々的に引き倒す.かけつけた警備員にはペンキの詰まった風船を投げつける.

12.13 カルデロン次期知事,ビエケス問題について,これまでの立場を変えるつもりはないこと,それはプエルトリコ人の総意であることを強調.

2001年

2001年1月  カルデロン知事の反基地姿勢が明確に

1.02 シラ・マリア・カルデロン,知事の執務を開始.基地のゲートを警護していたプエルト・リコ国家警備隊(本土における州兵に相当)の機動部隊を撤収させ,代わりに通常の警察官を単純警護にあてると発表.

1.02 循環器の権威ロベルト・トレス・アギアール,カルロス・リオス,ギジェルモ・ティラドら,ビエケス住民が低周波騒音によって生ずる新型疾患に罹患している恐れがあると発表.調査対象50人のうち49人が心外膜が肥厚,39人にはその外の心異常が見られたという.

1.10 プエルト・リコ大学マヤヘス校の研究班,ビエケスの民間人居住地域の植生や農作物について調査した結果を発表.爆撃演習場から10マイル離れた同地域においても,鉛,カドミウム,マグネシウム,銅など重金属の汚染があると報告.

1.13 女性6人が,タイムズ・スクエアの合衆国軍募兵事務所の入り口を封鎖.合衆国大統領がその行政権を行使し,ビエケスからの兵員の撤収を命ずることを要求.ニューヨーク市警が逮捕するまで一時間半にわたり行動.

1.20 カルデロン新知事の就任式.宗教関係者や政党指導者等とともに,庁舎前での式典に参加.神が「ビエケスにおいて長年にわたって求められてきた,平和への正しい道を照らし出し選ばせてくださるよう」祈りをささげる.

1月 カルデロン知事と海軍長官が会見.海軍側は前政権との合意の継続をもとめるが,カルデロンはこれを拒否.海軍はビエケス島西側弾薬庫の年内返還と4千万ドルの振興予算を凍結すると発表.

1月 リチャード・ダンツィッヒ海軍担当官,連邦健康福祉省が健康影響調査の検討を終えるまで,引き続き演習を停止すると提案.また,11月の住民投票で,海軍撤収を求める意思が多数となれば,2003年の5月までにビエケスを離れることを再確認.

2 ビエケス住民,島におけるガンの多発は劣化ウラン弾使用によるものとし,海軍を相手に1億ドルを請求.

2.10 シラ・カルデロン知事,ビエケスのキャンプ・ガルシアに派遣された機動隊(UOT)の,半分を撤退させると発表.これは彼女の選挙公約にもとづくもの.

3.01 ペンタゴン,ビエケスの上で海軍爆撃訓練を停止.

2001年4月  騒音防止条例の成立

4.11 海軍が新たな演習の開始を通告.カルデロン知事と議会は「プエルトリコの沖合い5.6キロ以内の騒音を190デシベル以下に規制する」騒音防止法令を通過させることで抵抗.

4.20 プエルトリコ議会,カルデロン知事の提案した騒音防止法案を可決.爆撃演習によって島民が「回復不可能なほどに」害されると主張.これを連邦裁判所による演習差し止めの法的根拠としようとする.

4.21 プエルトリコ政府,昨日成立した騒音防止法を根拠に,ラムスフェルト国防長官および海軍当局を相手取って訴訟を起こす.法務省は「合衆国は主権に基づく特権を有しているため,プエルト・リコの法律に拘束されない」と主張.ゴードン海軍報道官は,「この訴訟は米国とプエルトリコの関係にとって重大なものになる」と脅迫.

4.25 ビエケス市長ダマソ・セラノ,「彼らは私たちの闘いを止める一切の道義的権威を欠いている」と述べた後,演習場に入る.5月1日まで演習場内にとどまる.

4.26 ワシントン連邦地方裁判所のグラディス・ケスラー判事,演習の中止を求めるプエルト・リコ政府側の訴えを却下.「今回の演習が不活性弾によって実施されることに鑑み,訴えには根拠がない」と判示.同時に海軍の強引なやり方も批判.今後いかなる演習を実施するにしても,現在行われている医学的な調査の結果を待つべきだと指摘.この判決により,ビエケスにおける海軍の爆撃演習再開が決定する.カルデロン知事は「プエルト・リコは最終的に勝利する」と声明.

4.26 サンフアンで演習反対の大集会.

4.27 海軍,今回の演習予定を発表.沖合いの艦船から演習場に向かって1日300発が発射され,戦闘機からはおよそ600発の爆弾が着弾地に投下される.

4.27 ビエケスでの軍事演習再開に抗議する住民ら8人が,基地に隣接するヤジ・キー島に侵入.ノーマ・バーゴス上院議員は「ビエケスの兄弟への連帯の証として,私はみずからを犠牲にしたいと思う」と決意表明,故セインズ氏の妹ミルタ・セインズさんとともに敷地内に侵入.

4.28 午前9時,海軍のA-4戦闘機3機が島の東端の着弾地に飛来し何発かの25ポンド弾(当局発表では模擬弾)を投下.これを以って演習が再開される.まもなくヤジ・キーの侵入者が発見されたため,演習は1時間にわたり中断.

午前11時 侵入者を排除した後,駆逐艦ラミッジ,ピーターソンによる艦砲射撃が開始.70ポンド弾を射爆場に向け発射する.演習に抗議し,抗議者数十人が射爆場に侵入.砲火の前に身をさらすことによって爆撃演習を妨害.海軍はこれを知りながら艦砲射撃を続ける.

午後1時 海軍,艦砲射撃を一時中断し,900エーカーの着弾地内から抗議者たちを排除.56人を逮捕.逮捕者の中には環境派弁護士で活動家でもあるロバート・ケネディー・Jr,俳優のエドワード・ジェイムス・オルモス,そしてニューヨークの労働運動のリーダーであるデニス・リベラなど.海軍はプエルト・リコ当局に対し抗議行動を制圧するために機動隊の出動を要請.

4.29 昨日に引き続き,抗議者たちが射爆場に侵入.射爆場外の抗議団はキャンプ・ガルシアの入り口近くのフェンスをなぎ倒し,敷地内に発煙筒,海軍車両に投石.抗議者のうち49人が,海軍の警備部隊によって拘束され,後に連邦保安官によって逮捕される.海軍当局は「抗議者たちがフェンスを切り取り海軍の敷地に侵入しようとしているのを目撃しながら,警備のために配置されているプエルト・リコ警察は何も手を下さなかった」と述べる.

4.30 演習場内のビエケス市長ダマソ・セラーノとプエルトリコ独立党のベリオスらが逮捕される.二人は26日から演習場内に入り込んでいた.

4.30 米国海軍は,27日から始まったビエケスでの演習を,いったん中止すると発表.

4.30 空母エンタープライズ率いる12隻1万5千人の艦隊がビエケス沖に到着.数日間にわたる演習に備える.

2001年5月  大規模弾圧に高まる抗議

5.01 今回の抗議行動で,少なくとも178名が逮捕される.逮捕者の中には,連邦議会議員ルイス・グティエレス,プエルトリコ州議員ノーマ・ブルゴスらがふくまれる.本国政治関係者としては,ニューヨークの政治家たち4人(下院議員アル・シャープトン,州議会議員ホセ・リベラ,市議会議員アドルフォ・カリオン,民主党ブロンクス支部長ロベルト・ラミレス)を含めた12人(環境主義者の弁護士ロバート・ケネディJr.,米国俳優エドワード・ジェームズ・オルモス,ブロンクスの組合活動家デニス・リベラなど)が逮捕される.

5.01 ヒラリー議員他ニューヨーク選出の米議会議員を中心に議員12名が,ビエケスにおける合衆国軍隊の演習を,即時かつ恒久的に中止するよう求める共同声明.

5.02 ビエケス滞在中のキリスト教平和形成チームの代表団4人,抗議行動に参加し逮捕.

5.02 ビエケス市長ダマソ・セラノ・ロペス,拘置所から帰還.「わたしは住民の安全と健康,福祉のために,そして尊厳と,平和的生存を防衛するために行動する.ブッシュ大統領閣下,私の島の住民の安全のために行動されんことを」と声明.

5.02 ホセ・E・セラノ下院議員,通商・法務・国務・裁判関連省庁小委員会予算公聴会で発言.「ビエケスで逮捕された抗議者に対する,海軍警備担当者の扱いが不適切だった疑いがある.海軍によって逮捕されたデモ参加者は,警備犬用の小屋に拘束されていた.逮捕された下院議員のルイス・ギテレス氏は速やかに保釈を受けることを認められなかった」とし,連邦検事総長に対し調査を求める.

5.04 CRDVのロバート・ラビンが記者会見.「連邦裁判所及び連邦刑務所は海軍の手先となっている.闘争の指導者イスマエル・グァダルペとグレゴリオ・フェリシアーノは保釈を認められないまま,グジャイナボの連邦刑務所に送致された.拘留中の彼に何らかの危害が加えられたなら,それは海軍に責任がある」と警告.また独立党議長のルベン・ペレス他4人の独立党員,カルロス・アリ・サンチアゴ教授,パブロ・オラーリーらが獄中でハンストに入っていると述べる.

5.05 エンタープライズ艦隊,演習を終了.ペルシャ湾に向かう.空母「ハリー・トルーマン」艦隊がこれと入れ替わりにプエルトリコへ向かう.

5.15 連邦裁,ビエケスの現地活動家イスマエル・グアダルーペに30日の服役を宣告.

5.15 約26人の抗議者が,観光客を装いニューヨークの国連本部に侵入し,抗議行動を展開.ビル外に追い出されたあと,その場で逮捕される.

5.16 連邦裁,ルベン・ベリオス独立党首に懲役4ヶ月の判決.他の4人の独立党指導者にも実刑判決.彼らは4月27日からの海軍演習時に人間の盾として侵入し,他の185人とともに捕らえられた.

5.17 連邦裁のカステリャノス判事,ベリオスの弁護を勤めた前上院議員マニュエル・ロドリゲス・オレリャナに対して,法廷侮辱罪で審理を開始.オレリャナは判決に際して刑期が政治的に決められたと批判した.

5.18 F18ホーネット戦闘機による演習.31発の模擬弾投下と機銃掃射訓練.基地内に侵入されたジャクソン牧師の妻らが逮捕される.

5.23 米国の黒人活動家アル・シャープトン,民主党のブロンクス支部長ロベルト・ラミレス,ニューヨーク州議会議員ホセ・リヴェラ,ニューヨーク市議会議員アドルフォ・カリオンJrラテンアメリカが,相次いで逮捕される.彼らは「ビエケス4」と呼ばれる.

5.29 シャープトン,獄中ハンストを開始.1ヶ月にわたりつづける.

5.30 プエルトリコ両院議員総会,独自にビエケス島住民の住民投票を実施する政府案を可決.カルデロン知事,海軍がビエケス島における新たな軍事演習を6月13日から計画していると発表.住民の住民投票への積極的参加を呼びかける.

カルデロン知事の訴え
海軍は長きにわたり,ビエケス島民の住民感情を著しく傷つけてきました.この闘いは私たちの統一的な意思を試すものになります.今や,私たちは今まで以上に強固に私たちの立場を守らねばなりません 

2001年6月  ブッシュ発言と議会の巻き返し

6.01 米議会のヒスパニック議員団,4月末から5月初めにかけて逮捕された活動家180人が,海軍当局により虐待された疑いがあるとして公聴会を開催.99年以来ビエケスで逮捕されたものの総数は1,500人以上に達する.

6.12 200人のプエルト・リコ警察官が,キャンプ・ガルシアの入り口に警戒線を敷く.フェンスの向こう側には,乱闘服を着てガスマスクをつけた兵士が並ぶ.

6.13 13日間にわたる海軍演習が開始.射爆撃の実施については保留.

6.13 カルデロン知事がビエケスを訪問し,基地関係者や運動団体と懇談.自治政府独自の住民投票実施について,住民の賛同を求める.「私が今日ここにいること自体が,ビエケスの問題がプエルトリコ全体の問題であることを示している」と述べる.

6.13 ブッシュ,訪問先のスエーデンで記者会見.2003年5月までにビエケスでの演習を終わらせると発表.「海軍は新たな演習場を見つけなければならない」と述べる.クリントン政権が予定していた住民投票を取りやめるよう要請.

6.13 イタリアの「リッキー・マーティン・ファン・クラブ」が米国大使館の前でビエケスでの演習中止を要求する集会.

6.14 ラムズフェルド国防長官,「大統領の立場に完全に同意する」と声明.同時に,今回の決定は他の米軍基地には関係ないと述べる.

6.14 カルデロン知事,「ブッシュ発言はひとつの決断という点で積極的であるが,演習の即時・永久的な中止ではないという点で不満が残る」とコメント.

6.14 ブッシュ発言に関して,連邦議会では共和党,民主党ともに「政治的目的のために国家安全保障ををもてあそぶものだ」として批判が集中.ボブ・スタンプ上院軍事委員会議長は「ビエケスを放棄することで軍の戦時即応性を危険に曝している」と,イングランド新海軍長官や,ポール・ウォルフォビッツ国防副長官を非難.この決定が「世界中の演習施設で,合衆国軍隊の撤収を求める他の国や地域の要求を刺激することになるのではないか」との懸念を示す.

6.18 海軍演習の射爆撃訓練が始まる.数百人の抗議者が島に結集.この日29人の抗議者が,演習場内に侵入し逮捕される.爆弾投下は6時間ずれこむ.逮捕者の一人は黒人運動家ジェシー・ジャクソンの妻で,「虹の連合」の活動家ジャクリーンだった.彼女は保釈を拒否し収監される.また身体検査を拒否したため独房入り.

6.19 さらに9人の抗議者が逮捕された.爆弾投下は予定を13時間ずれこむ.

6.20 爆弾投下部位に侵入した抗議者が下発煙筒を炊いたため,爆弾投下は中止となる.この日も9人が逮捕される.3日間にわたる海軍の爆弾投下訓練,住民の抵抗により,当初1,800発の爆弾使用の予定が,100発のみに終わる.

6.21 国連非植民地化委員会,キューバ提案のビエケス関連決議を全会一致で承認.海軍がビエケスの訓練を中止し,デモ参加者の虐待を止めるようもとめる.

6.25 海軍演習開始.最初の三日間に18人が逮捕される.逮捕者の中にはポンセ市長ラファエル・コルデロ,独立党長老ロリータ・レブロン,ニューヨーク州議員アダム・クレイトン・パウエルIIIなど.パウエルの父は1960年代の黒人下院議員,母方の祖父(Gonzalo Diago)は1940年代のサンファンの市長.

6.27 海軍長官ゴードン・R・イングランド,「撤収の決定がビエケスの有権者によって下されるよりは,海軍省自身によってなされたことは喜ぶべきことだ」と語り,ブッシュの判断を支持.

6.29 抗議行動に参加したかどで37日間収監されていた3人の政治家が,サンフアンの釈放される.民主党ブロンクス地区議長のロベルト・ラミレス,プエルトリコ州議会議員のホセ・リベラ,ビエケス市議会議員のアドルフォ・キャリオンJr.他にアル・シャープトン師は,市民的不服従行動での逮捕歴があるため90日間の収監.

2001年7月

7.29 自治政府主催による住民投票.投票数は4,744(投票率80%).ブッシュ提案の「二年後返還」は81票,即時撤退支持は3,230票(68%),1,427票(約3割)は演習再開の無期限延長案(海軍撤退を伴わない)に賛成.

2001年8月

8.02 海軍演習が開始される.空母セオドア・ルーズベルトを旗艦とする艦隊2万3千人が参加.ビエケスのコミッショナー?のフアン・フェルナンデス,「今度の演習は,模擬弾ではあるが,総力戦規模のものだ」と語る.「社会主義労働運動」の発表では,七人の決死隊がフェンスを越え着弾点を目指す.Vertedero Beachでは,フェンスを乗り越えようとした抗議者に対し,ガードマンが催涙ガス,照明弾及びゴム弾を発射.

8.03 ボブ・ケネディJrとデニス・リベラ,サンフアンの連邦刑務所を出所.直ちにビエケスに戻る.

8.03 海軍ガードマン,Purple Beachに入った6人の抗議者を逮捕.

2001年9月

9.07 米海軍,24日からサエンス事件以来となる大規模演習を開始すると通告.プエルトリコ民政府のメルカド外務官は「プエルトリコ人民の意志に対する無感覚と敬意の欠除が,またもしめされた」と抗議の声明.

9.11 米国で同時多発テロが発生.

9.13 ビエケスの反基地運動,同時多発テロに哀悼を表し,24日から予定されている軍事演習に対する抗議運動を一時保留すると声明.

2002年

1.03 ワシントンの米連邦地裁,プエルトリコ自治領政府が米海軍を相手に、ビエケス島における演習を中止するよう求めた訴訟で,原告側の訴えを却下.ケスラー判事は却下の理由として、政治性を理由に司法判断を放棄する「統治行為論」を論拠とする.

2003年

5.01 米海軍,ビエケス島の軍事施設を放棄すると公式に表明.漁業・環境保護局に返還.10人あまりの活動家が式典を襲撃し逮捕される.

 2004年

11.02 プエルトリコ知事選挙.人民民主党のアニバル・アセベド・ビラが当選.米国との関係については現状維持派が引き続き勝利.

 2005年

 

 2006年

3.21 連邦最高裁、プエルトリコ市民の大統領選挙の投票権に関する訴えを却下。

5.01 プエルトリコ、財政難から公共の学校、オフィスが閉鎖される。1600の学校で、50万人の児童が授業を受けられず、4万人の教師も仕事ができず。さらに、公共セクターでは20万人が一時的に失業状態となる。アニバル・アセベド・ビラー知事(民主大衆党)は5億3100万ドルの借り入れを議会に諮るが、新進歩党はこの提案を拒否。

5.05 プエルトリコで財政危機から公務員のゼネスト。公共機関が一週間以上にわたり閉鎖。政府は賃金支払いのため政府系金融機関から借り入れし、これを今後創設する消費税で返還することとなる。

 

 

ビエケス・リーブレ http://www.viequeslibre.org/

国防情報センター  http://www.cdi.org

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http://www.cosmos.ne.jp/~miyagawa/  宮川 晋 さんのホームページです.このページの奥の奥に,すごいページがあるのです.

「アイランド・カズンズ・ネットワーク」http://www.cosmos.ne.jp/~miyagawa/hawaii/cousins.html#vieques

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